夜、或いは談話
「……兄さん、万四蕗。
おれを……一人にしないでくれ」
その言葉は、何だったろうか。
不意に、腕に爪をたてる痛みに意識がハッキリする。
綺麗な月が、目の前に浮かんでいて。
いや、違った。
少し顔を動かせば鼻先が触れ合う至近距離。その気になればキス出来るガチ恋距離とでも言うべきだろうか。その距離感で、じっと満月のような金の片瞳がおれの顔を覗き込んでいた。
「……アルヴィナ?」
その知り合いの顔の近さに少しだけ引きながら、眠ってしまったろうソファーの上に起き上がる。
腕に自分の爪が食い込んでいるのを外し、手を付いて。
目の前の少女か、あるいはもう一人のこの部屋の住人か、どちらかが掛けてくれたのだろう薄く柔らかな毛布が、体から滑り落ちた。
「……今、は」
「消灯時間、過ぎてる」
「そっか、寝ちゃってたんだな、おれ」
シャンデリアの火は消えていて。周囲はほぼ真っ暗闇。小器用にアルヴィナが軽く灯してくれた魔法の明かりと、猫の眼のように爛々と輝くアルヴィナの眼以外に光るものはない。
というか、眼も流石に実際に発光しているわけではない。
本当に人間の眼が発光していたら大問題……ではないが、問題だ。
実際、現皇帝といった強大な力を持つ人間であれば、魔法の行使時に眼が光を放ったりするのだが、それは光るほどの大魔法を使っている証拠。
今、幼い少女の瞳が光っていたら、そんな少女が一体どんな大人でもそうは打てない大魔法を使っているのだという話になってしまうだろう。
「……そういえば、ご飯とかは?」
「……運ばれてきた」
「そっか。まあ、良いとこの寮だものな」
使用人だから自分達で主人の分まで作れとか言われなくて良かった、と息を吐いて、
「特別。今度から作れって」
……違ったらしい。
「お風呂とかは?」
言いつつ、失敗だったな、と自嘲する。
いや、普通女の子に振っちゃ駄目だろうそういう話。
「上の階。でも、もう火は消えてる」
「いや、おれは今日は良いよ」
着ていた服はなかなかに汗でベタついていて。朝から着ていたからという以上に、恐らくは寝汗によるものが大きい。
といっても、部屋は女の子と同じ。脱ぐわけにはいかないし、何処か下の階で汗を拭いてくるしかないだろう。
「アナは……」
聞こえてくる寝息。一個しかないベッドから、微かなそれが聞こえてきて。もう聞くまでもないだろう。
「というかアルヴィナ、何してたんだ?おれの顔覗いて面白かったのか?」
聞いて良いのか、聞くべきなのか。暫く迷ってそれ以外の話題を出すも話は続かず。
結局おれは、ソファーに座り直しながらそう問い掛ける。
「とても面白い」
「男の寝顔とか、見てて面白いものでも無いと思うんだけどな」
「魘されていて、面白かった」
「……そうか」
「だから、近くで見てた」
「……そう、か。心配してくれて有り難うな」
寝汗で汚れたソファーに座らせても駄目だろう。立ったままで、それでもおれが手を伸ばせば届く位置の頭を軽く撫でる。
絹のようなさらさらとした柔らかな感触。寝るときだからか流石に帽子はなく、柔らかく熱いものが手に当たる。
獣の耳の感触。単純な人ではない証明。
けれども、亜人だってこの世界には居る。所謂ゴブリンといった種族等も居るし、何ならファンタジーの定番であるエルフよりもゴブリンや獣人の方が交流が深い程度には社会に馴染んでいる。
いや、交流が深いといっても単純明快に、エルフ種というものが我等は七大天の真の加護を受けた上位種であると基本尊大で人類を下に見てくるが故にエルフと関わりが薄い事が大きい。獣人や小鬼が差別的に見られていないとかそんな優しい世界という訳ではないのだが。
特に、亜人と分類されるくらいの獣要素であれば良いのだが、獣人やゴブリン、コボルト等は魔力を持たず、結果的に人類から下に見られているというのが現状だ。
何なら、亜人と獣人との区別は、魔力の有無である。獣耳くらいしか獣の特徴を持たぬ二人が居たとして、魔力があれば亜人で、なければ獣人だ。亜人ならば少しだけ偏見でみられる程度だが、獣人は人間ではなく獣人だ。人権なんてものは無い。
まあ、この帝国は実力さえあればある程度の偏見は跳ね返せる為、割と生きてはいけるが、七大天信仰の強い聖教国等ではまず真っ当に生きていけない。大体冒険者か奴隷にしかなれないだろう。
この世界における冒険者とは、依頼主に逆らわず危害を加えず裏切らない事を魔法で制約する代わりに、国によって身分を保証された国民が金で使える傭兵の事を指す。日本で良く使われる意味に近くは見えるが自由など無く、冒険者というのも半ば金で冒険させられる者という皮肉。女冒険者に金を払って肉体関係を迫れば制約を破って魔法で死ぬかそのまま抵抗せず慰みものになるかの二択を冒険者側が選ばされる程度の人権だが、一応代価が必要になる分無いよりはマシだ。
故に、亜人も獣人も、自身の獣の部分を晒す事は少ない。アルヴィナがずっと帽子を被っているように、普通亜人であることを隠すようにする。
その為、耳に触れさせるなどほぼ無いはずなのだ。自分がそれだけ差別されうる存在だとと突き付けられるから。
だのに、目の前の少女は、ぺたんと頭に付けた猫耳?に触れられても何も言わなくて。
気持ちよさげに眼を閉じ、されるがまま。
「耳、良いのか?」
不意に気になって聞いてみる。
「偏見無いなら、良い」
……良いのか?
随分懐かれた?なと思いつつ、その頭を撫で続ける。
「そっか」
「どう思う?」
「どうって……おれとしては可愛いと思うぞ、その猫耳」
そうおれが言った瞬間、ぱちんと軽い音。
撫でていた手が弾かれたと、一瞬呆けてから気が付く。
「……ごめん、アルヴィナ
何が悪かったんだ」
不機嫌そうに耳を立てる少女に、そう尋ねる。
「猫じゃない。狼」
「……そうだったのか。てっきり猫だと思っていた」
「可愛くない。狼は怖い」
「そうだな」
天狼と呼ばれる種を思い浮かべ、おれも相槌を打つ。
王狼という七大天だって居るのだ。この世界の狼とは、それだけ脅威の生物である。
というよりも、普通の狼がこの世界には居ない。この世界で狼といえば、王狼の化身ともされるバケモノ、天狼種だ。後は魔狼、魔神王復活と共に湧き出してくる怪物くらいだが、あの種はまだこの世界には居ないので無関係。
あとは、伝説の四天王にも狼が居るな。スコール・ニクス。この帝国を作った初代に討たれた伝説の魔狼だ。
「狼は恐ろしい存在だ。でも、アルヴィナは耳見えてても可愛いと思う。
そんな怖くは見えないな」
「怖く、ない?」
「亜人でも獣人でも何でも、国民だろ?護るべきものだから怖くないよ。
というか、言っちゃアレなんだけど、オオカミ亜人なアルヴィナと似たような……ヒト種の獣人扱いだからさ、おれ。
忌み子って、魔力がない以上獣人と同じだろ?人間じゃないんだろ?って感じ」
言ってて自分でどうかと思う。
けれども、原作でも皇族を追放され傭兵になったゼノ=原作のおれがほぼ言ってた事だし良いかなと思い直し、おれはそう言った。
原作での台詞としては、迅雷獣人傭兵団団長、国民呼んで元皇族現ヒト獣人のゼノだ。だったか。
余談だが、残りの傭兵団は仲間入りしない。いや、シナリオ的には仲間になったはずだが、ユニットとしては使えない。魔力の無い獣人なんて魔防0で基本カモだからということで、あくまでも裏方だ。
「……獣人、嫌いじゃない?」
耳がぴくりと動く。機嫌を直したのか、そっぽを向かず此方に向き直る。
「寧ろ、おれ忌み子で魔力無いからさ。獣人達の辛さも少しは分かるよ。
おれは皇族だから、皇族である限り、護られてはいるけれど。
……だからこそ、おれは皇族でなければいけないんだ」
「それで、怪我しても?
あの日みたいに、火傷しても?」
満月の瞳が覗き込む。嘘偽りを見抜きそうなその真剣な眼に、誤魔化しはしないと決意して。
「……心配してくれるのか、アルヴィナ?
でも、それがおれの……皇族のやるべきことだから」
「怪我するのも、死ぬのも?」
「怖いよ。
でもな、アルヴィナ。おれが救わなきゃいけない皆だって、おなじだけ怖いんだ。だから皇族が、怖がってちゃいけないんだよ」
「……そう」
静かに、少女はその金の眼を閉じて。
「おやすみ」
会話を切り上げ、ベッドへと向かっていった。
……良く考えたら、寝間着だったな……
駄目だ、変な意識をするな、おれ。
女の子は、大事に護ってやるべきものだろうに。