下らない過去、或いは口付け
「おれは、おれは……っ!」
不意に目を開ける。
何処へともなくみっともなく逃げ出して、裏路地の一角でへたりこんで、堰を切ったように溢れ出すかつての記憶に、おれの罪に意味もなく喚いて、
「えぇ、下らない過去はもう良いの?」
おれの体は、何か柔らかなものに頭を乗せられ光の鎖によって全身を縛られていた。
「皇子、たすけて」
そして横ではアルヴィナも同じように縛り上げられていて……
「っ!アルヴィナ!」
下手人は誰なのか、円卓か、それとも……
「ワタシよ、灰被りの皇子様。下手に醜態を見せたら本当にアナタの扱いが終わるもの、手荒く保護させて貰ったわ」
と、その声はおれの頭上から聞こえた。
「ノ、ア……」
「あら、今はそっちで呼ぶのね」
長い耳とまとめられたポニーテールを揺らし、おれを膝枕するエルフの姫が背後から座ったおれを覗き込む。
「どう、して……」
「皇子、うごけない」
「アルヴィナを離してやってくれないか」
が、馬鹿にするようにエルフの姫は紅玉の瞳を閉じるだけだった。
「馬鹿言わないで。そもそもね、ワタシも聖女アナスタシアは認めているわよ?一応、あの桜髪の子も赦すわ。でも、この子は別。
敵よ、特に今は。前に来た時よりもよほど害悪。絶対に拘束を解き放ってはいけないの」
憮然としたアルヴィナが首を捻る。
「ボクは敵なんかじゃない」
「なら言い換えるわ、害獣よそいつ」
ノアがそう告げる言葉に、不思議と嫌悪感は……
って待て。そもそもおれがノアと彼女を呼び捨てするってことは!
「がふっ!」
喉から溢れる血の苦味を飲み込み、掛かっていたことすら気が付いていなかった頭の霧を晴らす。
そう、《鮮血の気迫》の発動、そしてその原因は!
「ノア姫、アルヴィナに失礼だ。
そして、おれに魅了を掛けたな?」
静かに告げるおれ。
そのおれの頭を小さな手で撫で続けながら、そうよと何処までも優しく少女は返した。
「ええ、掛けたわ。あのタイミングで魅了すれば、多少はワタシもアナタの過去を知ることが出来るから。不快だったなら御免なさい」
「なら、別に魅了は良い」
あっさり謝られて拍子抜けすると共に、動けない体で無理矢理鎖を引き千切るのを止める。あと少しやれば砕けそうだが、まあ今は良いかと諦める。
魅了で過去を知れるとは中々凄いなと思うが、そういうものなら信じよう。
単に無意識のおれが話しただけかもしれないしな。理屈は通る。
が、だ!
「アルヴィナには謝ってくれ」
「お断りよ、灰被りの皇子サマ」
が、おれには慈しげな彼女は、ピシャリと冷徹な瞳でおれの言葉を拒絶し、左手の指を合わせて軽くパチッとした音を鳴らしてアルヴィナを吊るし上げる鎖をますます強めた。
「ノア姫」
「ええ、言わせて貰うわ。アナタにとっては確かに大切な事かもしれないわ。でも、端から見れば下らない過去よ」
「下らないって……」
死んでいった彼等の命を、そんな!とおれはキッ!と相手を睨もうとするが、拘束からの膝枕されていてはどうにも締まらない。
何というか……アナを思い出す。
「下らないわ。
そうね。アナタは、獅童三千矢は確かに大事故……いえ、事件でたった一人生き残った。それは確かね。
死んでいった者の家族は居るでしょうし、生き残った者が居るならば、どうして自分の大事な人はと思うのも理解は出来るわ」
小さく桃色の唇から息を吐いて、どこか寂しげに姫は微笑むとおれの灰の髪を優しくつぅと指先でなぞるり
「実際ね。ワタシ達が表には出させなかったものの、アナタ達に助けられたエルフの中にも居たのよ。そういう思いを抱く、プライドの無い輩がね」
「一体、何の……」
「同じでしょう?かつてのアナタが遭遇したハイジャック?っていうものも、エルフを襲ったかの円卓の救世主の襲来も。どちらも勝手な思想に感化された阿呆が罪もない人々を巻き込んで起こしたテロリズムの一環よ」
その言葉には、おれは何も返せない。
何か返さなきゃという焦りだけが空回りして喉が苦しくなる。渇ききった声帯がひび割れたように、荒い息だけが溢れ続ける。
「……離して」
ガチャガチャと鳴る光の鎖。
「嫌よ。そこの害獣が。
アナタね、彼の過去は見たのでしょう?」
大体どんな時も優雅っぽいノア姫には珍しくおれと初めて出会った日のような少しだけの怒気を込めて、エルフの姫は鎖を締め上げる。
「知ってる。ボクも魂を覗いたから」
「で、どう思ったのかしら?」
「ゾクゾクした」
「ええ、それは分かるわ。
何も出来なかった。せめてと動いたことが裏目に出た。何か出来た訳もなく、責めてる彼等だって同じ境遇で何を変えられた筈がないのに無責任に責められ続け、味方なんて……ワタシのようにあまりにも勿体無い天上の存在とはいえどたった一人。
逃げれば幾らでも楽が出来て、でも生き残った苦しみからありもしない重責を感じてそれを選べない。心がささくれ立つけれど、思いも理解は当然可能よね」
でも、とおれには優しく動きを封じながら、ノア姫は何処までも白耳の黒狼に冷たい。
「それを見て思った事を正直に言いなさい」
「ますますその感覚が、全てを水底に沈め研ぎ澄まされた明鏡止水の眼が欲しくなった」
……それは、一部おれにとって腑に落ちる言葉
だからアルヴィナは、昔からずっと、スパイやってた時からおれに対してそれなりに好意的に接してくれていたんだなと感謝すら覚える。
「……馬鹿馬鹿しい。聖女様はこの阿呆の」
ちょっとだけ頭に爪が立てられる。痛くはないが、何だか気分が沈む。
「影響を受けすぎたのか、結果的に味方に近ければ何でも受け入れてある程度のラインまで引き込んでしまうけれどもね。
ワタシは違うわ。ただでさえ愛情を知らなさすぎて変な思想に染まってるのに、更に加速させようとするんじゃないわよ、害獣」
「ボクは害獣じゃない!」
「……アナタの欲しがっている明鏡止水の瞳とやらは、彼の様々な思いを水底に沈め覚悟を決めた波風の無い水面なんかじゃないわ、彼の血で出来た湖面よ」
何だか酷い言われように思わずしなやかで細い野生動物のようなエルフの膝の上で苦笑する。
「ええ、そんなおぞましいものを望む者なんて。獅童三千矢、アナタの家族と同じね」
「万四路達は!そんなんじゃない!」
思わず鎖を引き千切って立ち上がる。
「分かってるわよ、落ち着きなさいな」
が、そんなおれを手招きする幼い姿の女性は、何処までも何時までも慈母のようにおれを見詰めていた。
「ええ、そうね。アナタはさっきも妹に恨み節を聞かされる夢を見ていたようだけれど、それは自分を追い詰めたアナタの妄想でしかないものね。
でも、そうじゃないでしょう?アナタをそこまで確立させた赤の他人、引き取ってくれた叔父達の話よ」
「あの人達はっ!大好きだった兄を、家族ぐるみの付き合いだった姪の万四路達を、一挙に喪って!なのに全部遺産はおれに行くから遺品すら全然残らなくて!」
「……憐れっぽく振る舞い、自分達に遺産が回ってくるように、アナタを支えるどころか罪深いと思い込むよう家族ぐるみで追い込んだ」
……っ!と唇と奥歯を噛む。
始水にも言われたのと同じだ。その父にも、娘よりあんなゴミを尊重するならばゴミと同じ。そもそも価値がないのに有害ならば娘に近付くなと警告された事だってある。
そんなこと、おれだって半ば分かっていた。でも、それでもだ!
死んでいった人々の恨みが聞こえる気がした。何より、有り得ない万四路の言葉が聞こえるくらいに、おれがおれを赦せなかった。ならば、同じく家族同然の者達を喪った彼等が……「おれを責めるのなんて仕方ないじゃないか!」
「仕方なくないわよ。特に今のアナタはね。
同じような状況に巻き込まれて、ワタシを含む1/3は救ったのよ。価値で言えば、アナタが当然救える筈も無かった、背負う必要もなかった命の……さぁ、何十倍かしらね?」
睨むおれの瞳を隠すように、少女は立ち上がると膝立ちのおれの頭を、良くアナがやるように胸元に抱き止めた。
「アナタはそうは思えないかもしれないけれど、御祓なんて必要ないし、万が一必要だとしてもとっくに終えてるのよ」
「そんな、筈……」
だっておれは、漸く桜理に償う切っ掛けを得た程度で……
「ええ、そうね。本来アナタを支えてあげるべき家族がアレ過ぎたのよね」
ふっ、とおれの右耳に息がかかる。
熱く濡れた感覚が、不意に小さく耳たぶに触れた。
「ノア、姫……」
耳に触るのは家族くらいというエルフのマナーを知ればこそ、その行動に理解が追い付かない。
「言った筈よ。アナタのその歪みが気に入らないから、叩き直してあげると、ね。
だから、灰被りの皇子様、帝国第七皇子。ワタシはアナタに根本から足りないものになってあげる。だから、今は頑張って立ちなさい?」
くすり、と耳に小さく口付けたエルフは微笑い……その光景を、恨めしげな眼でアルヴィナは睨んでいた。
まあ、こうしてゼノ君は多少立ち直った訳ですね。
御待たせしました。次回から真・オーウェン無双からのvs円卓とどんどん話が進みます。




