トリトニス、或いは湖の都市
そうして、二週間の月日が過ぎた。
「いやー、空の旅って結構揺れるねー」
なんて呟きつつ竜籠から降りてきた少女が一つ伸びをする。
それを、おれは周囲を見回しながら出迎えた。
「リリーナ嬢、お疲れ様」
「あ、ゼノ君……って早くない?」
眼をぱちくりさせる桃色聖女。何時ものツインテール……ではなく今回はドレス姿にツーサイドアップに決めた髪が籠と地面を繋ぐ階段を降りるごとに星明かりを反射しつつ揺れる。
「まあ、な」
『ルルゥ!』
苦笑いするおれの背後にしっかりと控えた白狼が吠えた。
そう、竜籠に乗らずおれとアウィルで大地を駆けてきたのである。
幾ら天狼でも空は飛べない。おれが靴に雷の魔力に反応して吸着する金属仕込んで宙を駆けるみたいな行動で暫くの間滞空くらいならきっと出来るが……ってそれもそれで可笑しいか。
兎に角だ。空は飛べない。そして、天狼種はネオサラブレッド種みたいに飛竜種への敵愾心があるのだろうか、竜籠には乗りたがらなかったのだ。
なので、そもそもノア姫が竜籠に乗れないし、おれも地上を行く事にしたのである。
「すまないな、リリーナ嬢」
ちなみにだが、先行して向かう役目を負ってくれたのが彼女であり、他の皆はまだ来ない。
だからおれは小さく頭を下げる。
「ん?何が?」
「いや、頼勇様と良く呼んでいるし、竪神等と来た方が嬉しかったろうなと思って」
「いやいや良いって」
「そもそも、おれは君の物語を応援すると言っておいてこれだ。一方的に助けて貰ってばかり、情けないにも程がある」
「……ま、そう思うなら今度手伝ってよゼノ君」
その言葉に当然だと頷いて、少女の手を取って最後の一段をエスコート。
「で、私の役目は聖女として危機を伝えに来たよーって喧伝する事、だよね?」
「ああ。ステラに頼んでそれっぽい証書は貰った」
と、おれは懐から取り出した一枚の証文を拡げる。
あの偽アステールだが、こうした所では手を貸してくれるんだよな。しかも一切ごねずに。
本来のアステールなら代わりに結婚して欲しいなーとか冗談で言ってくる気がするのだが、素直に見返り無く書いてくれた。
「えっと、内容としては……次の龍の日にこの街に災いが降りかかるという預言を龍姫様が下さった、で良いんだよね?」
「ああ。教皇の娘の裏付けを込みで、預言の聖女様が直々に伝えてくださったとなればそれなりの人が避難を考えてくれるだろう」
と、苦笑しながら空いた手で頬を掻く。
「まあ、逆に聖女様が来てくださったのだから安心だ!と残られる可能性もあるんだが……」
「むー、少なくともゼノ君が言っても信じて貰えなさそうだし、私がやるしかないかー」
苦笑に苦笑を返すヒロインに頼むと告げて……
「で、あの荷物は何なんだ?」
出立の時から思っていた話を切り出した。
暫く竜籠で移動した先の街に滞在する事にはなるんだが、そこでの生活全般はちゃんと保証されている。全額おれ負担だが、着替え等もちゃんと宿と共に確保した筈だ。
だからそんな荷物がある訳がないと思うんだが、リリーナ嬢は貝の魔物の殻を利用したお洒落なスーツケースを引いている。
それを何でだろうなーと眺めるおれ。
「うん?水着だよ?」
「……遊びに来たんじゃないんだがな」
と、おれは額を抑えた。
此処、交易都市トリトニスは大きな湖に面した国境近くの都市だ。ぱっと見海かってなる広さだが、あくまでも湖。お陰で水に塩辛さは無いが綺麗に澄んだ水辺は観光地としても発展している。
確かにそこに来るとなれば水着で水泳って言いたいのは分かるんだが、緊張感無いな……
「えー、良いじゃん!」
「リリーナ嬢。自分が遊びながら危険だから避難しろと言われて、従いたいか?」
「うっ」
胸を抑える桃色聖女。彼女だって馬鹿じゃないのだ馬鹿じゃ。
だから、それが問題だって言うのはすぐに理解してくれる。
「そ、それはそうだけど、都は内陸部だしアグノエル領も同じくだから全然泳げる場所無くて……」
えへへ、と少女は可愛らしく照れ笑いを浮かべる。
「私ね、昔……あ、門谷恋の頃って意味ね、そんな時から結構憧れてたんだよね、観光地の綺麗な海って」
「……湖だぞ、観光地なのは確かだが」
「空から見たらもう海って広さじゃん」
「……まあ、実質この湖が国境になっている程度には広いが」
昔の感覚で言えば、淡水な日本海とかか?兎に角そんなイメージだ。
「だからさ、駄目かな?」
「浮かれすぎだ、リリーナ嬢」
はぁ、と肩を竦めるおれに向けて、手を離した少女はスカートの袖を摘まんでついでに胸元をほんの少しはだけ、くるっとわざとらしく一回転してみせる。
「そんな事言って、見たくないのゼノ君。
乙女ゲー主人公で婚約者で聖女な美少女の水着姿だよ?ゲームでもDLCで売れたらしい逸品だよ?
……ギャルゲー版の追加だから私買ってないし見てないけど」
悪戯っぽく、更に畳み掛けてくる聖女様。
それにおれは顔色一つ変えずにあきれを返した。
「いや全く。危機感を持ってくれないか」
「えー、気を張りすぎても疲れちゃうじゃん!ゼノ君ってば」
ぽん、と手を打った桃色少女がにやーと笑う。
「あ、そっか。アーニャちゃんの方が良いんだ」
「違うんだがな!?」
いや、アナの水着とかおれには刺激が強いから見てられないぞ。リリーナ嬢のなら良いとかそんな話でもないが。
っていうか、小学校の水泳は男女別々だったから女子の水着とか馴染みが無さすぎておれには無理だ。始水に付き合って色々行くというのも、人が自由に動き回るプールなんて危険過ぎて選択肢に無かったしな……
そんなおれの背を、柔らかな鼻が押した。
アウィルである。
「……そんなに遊びたいか?」
「うん!」
「……分かった。でも、夜だけだぞ、あとアウィル……」
ふと思って言葉を切る。
『ルルルゥ!』
任せろとばかりに背後で鳴かれる。泳げそうだな、うん。犬かき得意なのかもしれない。
「アウィルから離れないこと。観光地だけあって入り江にまで上位の魔物が入ってくることはほぼ無いし国境越えてどうこうのいざこざも線引きが曖昧な湖中央ならまだしも此処で起こることは無いはずだが、警戒しない訳にはいかない」
「いよっし!ゼノ君ちょろ甘くて好きー!」
「オイ、誰がちょろくて甘いんだ。あと気軽に好きと言うな好きと。勘違いされるぞ」
半眼になって突っ込むおれ。
「ゼノ君、助けてと手を伸ばせば幾らでも助けてくれるのがちょろくて甘い存在じゃない訳が無いじゃん」
またまたー、とリリーナ嬢は元気に猫のように丸めた右手をぱたぱたしていた。
「甘くはないよ。情けは人の為ならずってだけ」
「それでちゃんと自分に返ってきてたらアーニャちゃん思い詰めないとおもうんだけど!?」
「リリーナ嬢、竪神、アウィルにノア姫」
影の中から足を小突かれ、そのまま付け足す。
「アルヴィナ、シロノワール、アナに始……ティア。それに父さん達も。信じられないくらいに、勿体ない程に、おれには返ってきてるよ」
……何か微妙な顔されたんだが。
「あと、そこまで私だって考えなしじゃないって。
ゼノ君はさ、こうしてからかっても勘違いしないし私を襲ったりしてこないって信じてるから。そうでなきゃ怖くて出来ないよ」
「そうか、信頼されてて何よりだ」
苦笑にもひきつったものにもならないように苦心して相手を笑いかける。
「一緒に居て楽しくないとさ、私の知ってるリリーナ・アグノエルになれないから。
からかい上手のリリーナちゃんになる為に、ちょっぴり練習させてよゼノ君」
「ああ。おれは君の物語の展開を助ける、お助け役だからな。
……でも、寄り添い上手じゃなくて良いのか?恋愛譚のヒロインなのに」
「あはは、一方的に踏み込まれる怖さって自分が一番良く知ってるからさ」
きゅっと少女は無意識に己の体を抱き締める。
「……距離感とか、絶対に踏み込んでこないゼノ君で練習しなきゃ」
寂しげに揺れる瞳の光と怖れ。相反するようにも思える曖昧な表情で、気丈に少女はそれでも笑顔を浮かべたのだった。
「分かった。気分転換とか、良く考えたら必須だよな」
ただでさえ、おれは彼女に戦えと聖女の役割を強要しているのだから。
「ごねるような真似をして悪かった」
「じゃ、ゼノ君も泳ぐ?」
「……泳ぎは苦手だ」




