添い寝、或いは宣戦布告
不意に暗がりで目を覚ます。
完全な暗闇の中、腕と背中に柔らかく熱いものを感じて……残された右目を凝らして、状況を推測する。
場所はさっきのベッド。腕を抱き枕にすやすやと寝息を立てているのはゴーレムを動かせばすぐに拘束を抜けられることに気が付いたのだろうアイリスで……
とすれば、背中に当たる感触は幼馴染の聖女のもの。
その推測通り、規則正しい寝息が耳元をくすぐる。背後からおれを抱き締めて、すぅすぅと銀の髪の聖女は安心しきったように意識を眠らせていた。
本当に、どうして寝られるのだろう。こんなおれと居て、安心できる要素は何だというのだろう。
「だいじょぶです。大丈夫」
不意に聞こえる言葉にびくりとして、少ししてから寝言だと理解する。
というか、どうしておれはこんな事になっているのだったか。
カリカリと耳かきされて……何時しかずっと撫で続けられる掌の暖かさとワイヤー故に良くたわむ優しい感覚に心を良くして……
そのまま意識をぽんと手離してしまったのか。ったく、何やってるんだか。
身を捩り、押し付けられる柔らかな体……特にしっかりと洗っているのだろうサラサラしてふわりとミントのような香りがする髪や、特に柔らかくて触れてはいけない気分になる二つの膨らみから逃げようとする。
が、我が物顔でゴーレム気分か上に乗るアイリスを振り落とすわけにもいかずに四苦八苦。アナだけなら拘束とも言えない拘束も、二人合わされば十分な枷だ。
「お兄、ちゃん……」
少しだけ寝苦しそうな妹の寝顔。
良く魘されていて、熱も出して。初等部の頃はこうした時、アナの用意してくれていたほっとする花蜜を溶かしたお湯とかを暖めて持っていったりしたっけ。
随分と久し振りだ。5年ぶりくらいか。
……そんな再会なんだから、一回くらい良いんじゃないか?
そんな弱きに流れる心に苦笑しながら、気持ちを入れ換えようとして……
「ふーっ」
どこまでも優しい吐息が左耳を擽る。
「……アナ」
振り返れば、ぱっちりと目を開けた少女のアイスブルーの瞳と視線が真っ直ぐにぶつかった。
「えへへ、寝ちゃうくらい気持ち良かったですか、皇子さま?」
小さく首を左に倒し、何時ものサイドテールを肩に擦らせて傾けて、距離の近い彼女は微笑う。
「……ああ、すまない」
「良いんです。ゴリゴリカリカリするよりも、もっと優しくて。リラックスして眠れちゃうような気持ち良さだからって、あの耳かき棒を頑張って手に入れたんですし。
寧ろ皇子さまみたいに強い人だと、変に耳が硬くて気持ち良くなかったらどうしようってずっと心配してたんですから、気持ち良さそうで嬉しかったです」
枕元に置いたのだろう耳かき棒は手に持たず、何かを握るような手だけを小さく振って少女はおれに向けてどこまでも優しく微笑む。
「おれを恨んでないのか、アナ」
「どうしてですか?」
「おれは、君達の未来を暗くした。
孤児院の皆、大事だって言ってたろ?」
あれはアナと出会って割と直ぐの話。アイアンゴーレム事件の後の頃。雇うことで更に何か護れないかと思ったおれに、この孤児院がわたしの家だからと一人で雇われるのは嫌だと返した。
……それだけ家族のように思っていた皆がばらばらにされて、思い出の家も跡形もなく消し去られて今では他の施設に変えられていて。辛くない訳がない。
「そんなことはありません。
皇子さま。皇子さまが居なかったら、わたし達は……もっと昔にばらばらどころか、お墓すら作って貰えずに土の下だったんですよ?」
背中から回される暖かな手。手の甲を覆おうとしてサイズ差から指をかけるように包んでくるなめらかで傷の殆ど無い掌。
「確かに、お家はなくなっちゃいましたけど……皇子さまに悪いところなんて、何にもないんですよ?
だから、自分を責めないでください。わたしを、皇子さまの頭の中のとっても厳しい貴方だけの基準では不幸にしたと思っているとしても……っ」
とん、と背中と首の境目に額が当てられる。少しだけ硬くて尖った、おれが選んで父があげた雪の髪飾りが皮膚に沈む。
「本当のわたしは、貴方のお陰でそれなりに幸せになれたんです。
護れなかった、不幸にしてしまったアナなんて皇子さまが見てる悪い夢で、現実のわたしは……貴方が居たから、長い間経営難の孤児院で皆と幸せに過ごせてっ!生きていくことも出来たんです。
貴方が居なかったら、助けてくれなかったら、わたしは此処にそもそも居ないんですよ?
皇子さま、第七皇子のゼノ様」
肩に、濡れた暖かなものが触れる。
「貴方の悪夢じゃなく、わたしを見てください」
その言葉はどこまでも蜜のように甘くて……
心を腐らせる。
「止めろ」
「止めません」
「頼むから、おれを許そうとしないでくれ」
「許しません」
ほっと、息を吐く。
「皇子さまは、許されなきゃいけないような酷い事なんて、なんにもしてませんから。許す許さないなんて話、最初から出来ませんよ?
わたしに出来るのは、皇子さまの見る悪い夢を、頑張って見ないように側でぎゅってしてあげる事くらいです」
ふわりと少女がおれを背後から抱き締める。
「止めてくれ、アナ。
汚い」
「ご、ごめんなさい服を着替えてなかったから臭いですか!?
でもでも、寝間着で耳かきはちょっと流石に恥ずかしすぎて……」
慌てるアナに、何となく怒りも上手く維持できない。
それでも、おれがおれで在るために。妹を、家族を、見ず知らずの誰かやゴブリン達にカラドリウス。そして、エーリカ達やシルヴェール兄さんにアレットにエッケハルトにルークに……どうして彼等すらそう思ったのかは、おれには理解できなくて。
けれども、彼等の未来を喪わせた罪人でありながらもせめて真っ当に生きるために。終わった時に始水にせめてやれるだけやったと、胸を張れないまでも言葉に出来るように。
「違う。おれの手が血で汚れている」
「汚れてないですよ?皇子さま、貴方の手は……誰かを護ろうとして硬くてゴツゴツして、良く血も滲んだこの手は、血が付いていても汚くなんか無いです」
「違う!おれは、誰かを護ろうとなんかしていない」
「そう、ですよね」
ぽつりと呟かれる声に、分かってくれたかと息を吐くが……ますます強く、軽い体重を預けられる。
「貴方はわたしも、ノアさんも、誰も見てないです。
悪夢の中の救わなきゃいけない誰か、それしか見てないで自己完結しちゃってる、自己満足で自己中心的でひとりぼっちの唯我独尊で……」
「塵屑だろう?それが分かっているなら」
「だからこそ、自分一人でその誰かに当てはまるかもしれない皆を、どんなになっても助けなければ自分で自分が赦せない、悪夢の囚われ人。
わたしが居ますから、ずっとこうしていますから。救われて良いんですよ?」
「彼等の命を奪ったおれが、のうのうと……」
「エルフさん達は、何人も死んじゃいました。星紋症で死んだ人も何人も居ますし、孤児だって孤児院に入れる子ばっかりじゃなくて例え入れても経営難で病気を治せず死んじゃう子も居ますよ?
なのに皇子さまに助けられてのうのうと生き残ったわたしも罪人なんですか?」
「君に責任はない。おれには責任と義務がある」
「勝手ですね」
くすりと、幼馴染は笑う。
けれど、それは何時ものように泣きそうなものではなくて。
ふわりとした感触が離れていく。
「皇子さまは勝手です」
そのまま膝でおれを跨ぎ……
「あ、ごめんねアイリスちゃん」
不満げに妹がおれの上をころりと転がって背中に回り……アナの顔が正面に来る。
「ああ、自分勝手で、自分が助かることしか考えてない屑だよ、おれは。
本質的には、ルートヴィヒ達と変わらない。いや、本気で彼等なりに運命から誰かを救おうとしてるならおれはそれ以下だ」
はっ、と調子を取り戻して自嘲ぎみに嗤う。
「君はそんな塵屑は気にせず幸せになるべきだ。君は……」
「乙女ゲームの主人公、ですよね?エッケハルトさんから聞きました」
おれから距離を少しだけ取って、けれども広いベッドからはまだ降りずに少女は微笑む。
「なら分かる筈だし、教えて貰ったろう?
君はおれに関わらない方が幸せになれる。エッケハルトとか、君を幸せに出来うる運命の相手は他に幾らでも……じゃないけど複数居る」
「皇子さま、その中には皇子さまも居ますよね?
エッケハルトさんから、『ルートはあるけど選ぼうとしていない』?ってちょっと分かりにくい言い方をされましたけど」
その言葉にはうなずく。
「ゼノルートなんて、入りやすさしか良いところの無い、最低のルートだよ。敵は強いし面倒臭いし、おれはこんな塵屑で、君は結婚も出来ず女の子としての幸せも何も無い。君が無駄に苦しんでおれがちょっぴり救われるだけの目指す価値の無い未来。
シャーフヴォル・ガルゲニアが苦慮して、エッケハルトが必死に……でもないけれど君を救うために逸らそうとしたバッドエンド」
いや、原作ではそんな訳じゃないけどな?少なくとも、ヒーローが『おれ』じゃあ駄目だろう。
「……はい、そうですよね。
皇子さま、だからもうわたしも勝手にします」
「ああ、そうすべきだ」
これで良い。こうあるべきだ。
「本当は捕まえていたかったですけど、もう良いです」
枷が外される。立ち去ろうと身を起こして……
正面から、銀の聖女に抱き締められる。
「だから、わたしが主人公だって言うなら、皇子さまが自分勝手なように、わたしも心のままに勝手にします」
頬に触れる濡れた熱い感触。
「ア、ナ……」
何を。
「乙女ゲーム?っていう未来の指針があるなら、そこで貴方を助けられる未来の可能性が語られていたなら。
迷いません。わたしは絶対絶対ぜーったいに、負けません」
少しだけ力を緩めて顔だけ距離を取り、強い光を秘めた極光の瞳がおれを射抜く。
「自分勝手なエッケハルトさんにも、救世主気取りの他のぜのぐらしあ?さんにも。
皇子さまは悪くないのに忌み子で優しいから酷いことを言う周囲の人にも、その歪さが良いんだよ?って抱き締めてあげないアステール様にも。
勿論、傷だらけで辛くて叫んでるのに、自分はこうじゃなきゃって救われちゃいけないって勝手に無い罪で自分を呪っている皇子さま自身にもっ!
絶対に負けません!わたしが主人公の物語なら、貴方が大事な人だって、分からせてあげますから!」
もう一度おれを強く抱き締めて、少女は決意と共に告げる。
「だから、これはわたしからの宣戦布告です。
わたしは自分の意志で、勝手に、必ず、貴方を攻略してみせますから。
覚悟しておいてくださいね、皇子さま?」




