投影、或いは降伏勧告
「ノア姫、アミュ」
おれの顔を見て小さく嘶く愛馬と、おれを静かに見つめるエルフの姫を呼ぶ。
「やっぱり生きてたのね。死んだとも思ってなかったけれど」
「……ノア姫、現状は?ゴブリン達はどうなった?」
「無事よ。だから、今はそんなことを話している時間じゃないの。
後悔したくないなら、急ぐしかないわ」
言いつつ、その少女はエルフ故に何一つ変わらないその整った顔立ちを少しだけ曇らせる。
そして、少しだけ重そうに腰につけていた銀色の鞘をおれに向けて差し出した。
「……必要でしょう?」
「月花迅雷の鞘……有り難う、ノア姫」
受け取り、愛刀を鞘に納める。抜き身でも問題がないと言えば問題はないが……やはり、抜刀術は鞘あってのもの。それに、オリハルコン製のずしりとした重さの鞘は、無限に吹き出す雷撃を溜め込んで切り札に変える意味も持つ。
やはり、あるに越したことはない。
「ええ、感謝してくれるかしら?溶かして武器に鍛え直すべきだという主張を、ワタシが貰っていくからって押し通して護ってあげたんだもの」
「ああ、有り難う。助かるよ」
というか、溶かすって話が出てたのか……と、おれはずしりとした鞘を見て思う。
いや、オリハルコンだものな。刀身の無い鞘として私蔵する位ならば、武器に加工した方が役立つという理屈は通る。というか、実際問題オリハルコンの剣ってかなりの高級品な訳で、それをわざわざ鞘なんかにするというのがまず驚愕の無駄遣いっぷりに見えるのは仕方がない。
「ノア姫には助けられてばかりだな、おれは」
「その為に、ワタシに協力を頼んだ……違うのかしら?
助けて当然よ。お礼は要らないとは言わないけれども、気後れする必要なんて無いわ」
「ああ、そうだな」
左腰に久し振りに鞘をマウントし、おれはひらりと愛馬の背に飛び乗る。
ノア姫の後ろからという形だが……
「遅かったわね」
不意に、少女が空を見上げた。
合わせて、おれも朝焼けの空を見る。
空に、大きなビジョンが映っていた。
それは、おれがここ一ヶ月で見慣れた魔神の顔。そして……
「『聞け、抵抗を続ける人間達』」
魔法で空から響いてくる音が、おれたちに向けて降り注ぐ。
映像が切り替わり、二つの結晶製の十字架を映し出した。
「『お前達の長を捕らえた』」
そこに映し出されたのは、脇腹を大きく抉られて項垂れ十字架にかけられた、一人の青年の姿。そして、少し離れた十字架には、一人の少女……プリシラの姿もある。
「……ゴルド団長」
長と言っても、そちらか。
まあ、それはそうだ。魔神族の砦とは別方向に飛んでいった天馬を追い掛けてルー姐を捕らえるのは無理だろう。
というか、あの人おれより強いから影のカラドリウスなら返り討ちにするだろう。おれと違って、あの人魔鎧で空飛べるしな。
「『人類よ。俺の名はアドラー。アドラー・カラドリウス。
魔神王四天王』」
朗々と語るカラドリウス。
それを見上げながら、おれは背後からノア姫の肩を軽く叩いた。
「分かってるわよ」
ノア姫の合図と共に、白馬が走り出す。砦へ向かうのだ。
今ならば、当然ながらレオンは追い抜ける。ネオサラブレッドの速度は人間とは比べ物にならないし、おれと比べても5倍差があるのだから。
「抱き付かないのかしら?」
と、冗談めかしてノア姫。
「大丈夫、足だけでバランスは取れる」
「ええ、その方がワタシも楽だけど、落ちたら笑い者よ?」
「ならないさ」
二人乗りを安定させるとしても、女の子に抱きつくのってどうかと思うしな。
ん?それならノア姫を後ろにするようにした方が良かったのか?
「止めてくれるかしら?アナタに抱きつかないとバランス取れないわよ、それ」
「あれ?口に出してたか?」
「アナタの思考くらい読めるわよ。分かりやすいもの」
……それもそうなのか。
そんなこんなで、駆け抜ける愛馬の上でカラドリウスの演説を聞く。
「『抵抗は無駄だと分かるだろう。
降伏せよ。降伏すれば、彼等は解放する。降伏しなければ、彼等を殺し……』」
苦虫を噛み潰すように、おれは奥歯を噛んで空を見上げる。
去るならば追う気はないし、これ以上戦う気も無かった。
オーリンさん等を、ナラシンハに率いられた魔神族は殺した。その事は分かっているし、割り切れはしない。
けれども、だ。それでも、相手が去るならばおあいこだ。おれだって、コカトリス等を殺したのだから。
だからこそ、やるべき事は出来ないという事を理解したカラドリウスが去ってくれるならば、これ以上戦う必要は無かった。
アルヴィナの事を考えても、大人しく去ってくれないかと思っていたんだ。
けれど……その結果は、これだ。
殺しておくべきだったのかもしれない。始水はカラドリウスの影なんて此処で始末してしまっても良いと思っていたようだし、きっと手を貸してくれたろう。
あそこで倒しておけば、今この事態は起きなかった。記憶を持ち帰らせて、アルヴィナ関連で……なんて一切考えず、相手を信じなければ。
「……馬鹿ね。
甘いのがアナタでしょう?」
「ノア姫」
愛馬の足が緩まる。軽く駆ける程度の速度。振り返れるくらいの余裕を得たエルフの少女の眼が、おれを見上げる。
「カラドリウスと共に姿を消したというアナタが、カラドリウスと共に戻ってきた。
あと、あの男女……ああ、ご免なさい。アナタの兄をそう呼ぶのも失礼ね。
あの皇子に渡されていた道具で、カラドリウスと一時共闘したということはワタシも聞いたわ」
「そう、か」
「アナタは基本的に馬鹿馬鹿くて愚かしい事を言う。そうでしょう?
ええ、それは癇に触る事も多いわよ。でも……その馬鹿馬鹿しさが、ワタシ達エルフを救う事になったのも事実。
良い?後悔するくらいなら、最初からそんな馬鹿やらない方がマシ。やるなら……とことんやりなさい」
「だけど」
「そうね。一つだけ、アナタに良いことを教えてあげる」
エルフ少女の長い耳につけられた、花飾りが揺れる。
「良い?お祖父様から聞いた限り、カラドリウスは人質なんて取らないわ。それはナラシンハのやることよ」
「でも!」
「そう、らしくない事を、彼はやってるの。ティグルお祖父様曰く、捕虜を取らず殺すものは殺すのがカラドリウス。
そんな彼が、わざわざ捕虜を捕らえて、こんな変な方法で呼び寄せてきてるの。
何かある。馬鹿馬鹿しくても、信じてみる価値は……」
と、エルフの姫は不意に言葉を切った。
「なんて、言えないわね。幾ら人間相手でも、魔神を信じてみる価値があるなんて流石にワタシが信じれない言葉を吐くのは外道。
ご免なさい、忘れてくれるかしら?」
「……いや、有り難うノア姫。
カラドリウスを信じるわけじゃない。でも、少しだけ気が楽になった」
「そう?良く分からない心境ね」
「『風の刻の終わりまで時をやろう。
200人、死ぬ者を用意し、降伏せよ。頭を垂れ、平伏し、明け渡せ。さもなければ……』」
囚われの少女の首筋から、つうと一筋の血が流れた。
「『人質を殺し、そして鏖す』」
「……帰ってくれる気は無いのか、カラドリウス」
おれは、空を見上げ……
「『一つだけ、救いをやろう。
うざったい皇族は、100人分として数えてやる』」
降ってきたのは、そんな更なる残酷な言葉だけだった。




