浮気、或いは財宝
そうして……吹き荒れる風の中、不意におれは何処とも知れぬ青い空間に立っていた。
「……始水」
「はい、兄さん」
おれに向けて手を伸ばしていた少女は、少しだけ寂しそうに、ふわりと笑う。
「私は遺跡の守護の龍。この世界と異なる世界の境界を護るもの。
その気になれば、転移妨害くらい訳はないです」
でも、と少女は背の透き通った龍翼を畳み、己の手首に残っていた氷で出来た手錠の残骸を器用に手首から抜く。
「ですが、本当に兄さんがやりたいことがあるなら良いです。
でも、行く前に、もう少しくらい私と話をしていってください。これはその為の場所ですから」
「……ごめん」
「謝らないで下さいよ、兄さん。
兄さんはそういう人だって分かってたんですし
寧ろ……」
その青い髪の幼馴染は、頭一つは低い背丈で、ちょっと上目になりながら至近距離のおれを見上げた。
「本当に、あそこで帰ろうと言われた方が心配です。
だって、あれだけ独り善がりで頑固者で偽善者な兄さんが、折れて私に寄り掛からなきゃいけないくらいに疲れて苦しんでた事になるんですよ?」
その言葉に苦笑する。
「褒められてないな、おれ」
「褒めてますよ?私と契約を交わし……その事を最早覚えていなくても反古にする気が無いなんて、まともな性格じゃ無理なんです」
「そうか?」
「まあ、私が着いてくるというなら一見してとてもお買い得にも思えるかもしれませんけど……」
くるりと始水はおれの目の前で左回りに一回転して自分の姿を見せびらかす。
「確かに、始水はおれには勿体無いくらいの幼馴染だけど」
「私がこんなに兄さんの為に動くようにしたの、契約した貴方がボロボロになっていくのを見てきたからですし」
少し責めるように、小首を傾げて少女はおれを睨んだ。
「怒ってる?」
「いえ、別に怒ってませんよ。
そんな兄さんだから、私が付属する訳でもない契約を悩むこともなく交わしたんですし、そこを怒っても仕方ありません」
小さな歩幅で一歩だけ距離を取って上目遣いを止め、龍少女はおれに語る。
「私から言いたいのはそういう事ではなく……」
ふわりと、水の衣がおれに覆い被さる。
「兄さん、人間讃歌は」
「優しさの讃歌。力の強さじゃない、勇気でもない。弱いものを、小さなものを、輝かしいものを、護りたいと思う心。それをもって、立ち向かう思い」
「ゼノの受け売りですか、兄さん?」
くすり、と少女が表情を崩す。
「まあ、受け売りというより、結局兄さんですからね、同じ答えになるはずです。
力があるから、いえ、それがなくとも輝かしいものを護る。それが、多くの命の中、生き残った兄さんのやらなきゃいけないこと……って思ってるんでしょう?」
そんな言葉に、おれは静かに首肯を返した。
「でも兄さん、忘れないで下さいね。
兄さんがそうして、小さく護るべき妹を護れなかったと、妹が生きるべきだったんだと心の何処かで思っているように……」
不意に、青い瞳がおれの眼を覗き込む。
「私はあのとき、誰よりも兄さんが生き残ることを願った。兄さんは彼等の人生を重く見て、自分の罪を感じているのかもしれませんが……私にとっては、兄さんはそれだけ重要な宝物です。
良いですか兄さん、私にとっては、兄さんは他の誰かより大切なものなんです」
「……ああ」
「兄さんは兄さんだけの物じゃないんですよ」
「その割に、浮気だ何だは許してくれるんだな」
と、おれは冗談めかして返す。
「……やりたいんです?」
「いや、おれは誰とも結婚とかしないし……っていうか、呪いが遺伝するかとか分からないのか始水?」
「分かりませんよ。実験とかしたこと無いですし」
「だから、浮気とか恋愛とか、おれには縁がないけれど。
万一許してくれるってのが意外だった」
「それですか?簡単な理由です。
ドラゴンは確かに前世今世来世……何度時を過ごしても執着するくらいには執念深くて宝物を溜め込む癖がありますけど、兄さんの為ですからね
それに……知ってますか兄さん。溜め込んだ大事な大事な宝物を、他人に見せびらかしたくないドラゴンなんて居ないんですよ?」




