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別れ、或いは身勝手

ノア姫と共に、愛馬に暫く走らせて、夕方頃には、遠き山に辿り着く。

 

 「……来てしまったわね。

 まあ、滞在しなければ良いのかしら」

 と、少しだけ居心地悪そうにノア姫がおれの背後で身震いした。

 

 「ノア姫」

 確かに、此処は肌寒い。

 アウィルと一度泊まったあの小屋の所までで一度移動を止め、明日にすべきだったろうか。

 そんなことを思いつつ、おれは背後のエルフの姫に、自分の羽織っていたコートを渡し……

 

 「要らないわ。

 単純に、エルフの一族の姫として、儀式の為に訪れる筈の場所に居るのが心の棘というだけよ。

 あまりワタシを舐めないでくれるかしら。体調に問題なんて無いわよ。自分で羽織っていなさい」

 その言葉に頷いて羽織り直し、愛馬から飛び降りる。

 

 此処は、かつてアステールや師匠、あとはウィズ等と泊まった雲の上。空気も薄く、重力は妙に強い神に近い場所。

 

 けれども、これが天狼の住まう故郷。幼いアウィルは、水を得た魚というかおれとじゃらしで遊んでいた時のようにご機嫌に周囲を走り回っていて、それを兄であるラインハルトがじっと見ている感じ。

 時折ぴょんと跳び跳ねておれとアミュを飛び越えていくのが、いかにも最強格の幻獣種らしくて。

 

 「それで、何しに来たのかしら?」

 「アウィル等を預かっていたのは、あくまでも成長するまでの話。本当は、おれたちを助けてくれたあの母狼がやりたかった事を、助けられたおれが代行していただけ。

 十分成長したなら、家族のところに帰るべきだ」

 

 アナ達だって、時折寂しそうな顔をすることがあるんだから。

 どれだけ優しくても、孤児院が家のようなものでも。ふとしたとき……例えば、見知らぬ誰かが親と仲良く歩いている時等に、寂しそうな目をしてそれを追っているのを見掛ける。

 家族への想い、そういったものは……誰にでもあるんだろう。

 

 おれは、父も兄も妹も居て、恵まれまくっているからそんなことはあまり無いけれども。

 

 『……ルグゥ』

 おれ達の存在を見ていたのだろう。白い巨狼がその姿を山頂付近から見せた。

 

 「ラインハルトさん、アウィル」

 そう呼ぶと、兄天狼は即座に父の元へと駆け出し……

 

 『キュウ?』

 妹天狼は、不思議そうにおれを見上げた。

 

 「アウィル、お父さんのところにお帰り。君の本当の家族の居る場所へ。

 本当の形は、おれが……欠けさせてしまったけれど」

 腰に取り付けた刀の柄を握り込む。

 

 そうだ。

 忘れるな。

 おれは……

 

 『ルォン!』

 娘を呼ぶように、少しだけおれから離れた位置で父たる狼は一声吠える。

 

 それを受けて、おれの横に居た小さな狼は、一度おれを振り向いて……

 「アウィル。おれは、大丈夫だから。

 心配してくれたんだろ?ありがとうな」

 『クゥ?』

 そして、兄よりは遅い歩みで、父の方へと歩き出した。


 それで良い、とおれは頷いて……

 

 『クゥ!』

 けれど、途中でおれを振り返り、まだまだ仔天狼はおれへと駆け寄ってくる。

 それを、特に呼ぶでもなく父狼は眺めていて。

 

 『ククゥ?』

 その真っ直ぐな瞳は、おれの左手辺りを見ていた。

 

 「ああ、そうか。

 お別れを言わなきゃな」

 その視線に、おれは言いたいことを何となく理解して、鞘から刃を抜き放つ。

 そして、薄く桜色の雷を纏った刃の腹を、アウィルの額の角に軽く当てた。

 

 「お母さんの形見とお別れだもんな。寂しいよな」

 ……本当は置いていくべきだ。

 

 けれど、それは出来ない。おれは罪を背負わなきゃいけない。

 本当は、その都合の良い理屈で力を手離さないだけで。

 

 『クルゥ!』

 そんなおれの手に、優しい牙が触れる。

 アルヴィナが時折戯れにやってきたような、力の入っていない甘咬み。

 

 「……って、心配かけさせちゃったな、アウィル」

 お別れは済んだ?という言葉に、無言の返答を返す天狼を見て、おれは刀を鞘に納める。

 そして……

 

 『ルキュウ!』

 なおも甘咬みしてくるアウィルの眼が、おれの左手に付けたブレスレットを見ていることに気が付いた。

 

 「……欲しいのか?」

 『クゥ!』

 元気良く帰ってくる鳴き声。

 

 この左手のものは、確かに天狼の毛が入っている特別製の布ブレスレットに、小さな貴金属をあしらったもの。魔法は特に掛かっていない。

 アステールに会う時はせめて皇子らしくと思った飾り、単なるお洒落だ。

 

 「ほら」

 欲しいならあげても良いだろう。少しくらい、良い感じに覚えていて欲しいしな。

 そう思っておれはブレスレットを外し……狼の足で取れるのか?と思うので後ろ足より発達した前足にはつけずに、ピン!と伸ばされた左耳に引っ掛けてやる。

 

 『クゥ!キュクゥ!』

 それが気に入ったのか、アウィルは大喜びで吠え、足取りも軽くおれから離れ、父の方へと駆けていった。

 

 『……ルォウ!』

 「……天狼よ。

 貴方の妻の想い、預かっていきます」

 その声に頷くと、天狼はおれに近づき……ちょっと所在無さげに立っていたアミュの背に載せていた何時もの土産をその尻尾でかっさらうと、双子の仔を連れて住居へと駆け去っていった。

 

 それを見送り、おれは軽く息を吐いて……

 「行こう、ノア姫、アミュ」

 アウィルも、と言いかけて、もう居ないなと思い直す。

 

 暫く居ただけなのに、居ないと……何か足りない気分になる。

 アルヴィナが居なくなった時のように。万四路を殺した後のように。

 

 その感傷を呑み込んで、おれは愛馬を……

 って駄目だな、今は夜なのに。

 「ごめん、ノア姫。明日の朝発とうか」

 「ええ、そうしてくれると助かるわ」 

 

 そうして、アミュに積んできた干し肉と野菜でもって軽くスープを作り、ビスケットのような硬くて頑丈な穀物を焼き固めたものをそれにふやかして晩御飯にする。

 アミュは馬なのでそういったものではなく、干し野菜を戻したものだ。ちょっとだけ味抜けてスープに溶けてしまったが許して欲しい。後で夜食に果物食べて良いから。

 

 それを二人で囲みつつ、素直に食べるノア姫を見ていると、不意に赤い綺麗な瞳がおれを見る。

 

 不満げに、何か言いたげに。

 

 「ノア姫?」

 だから、言いやすいように声をかけ……

 

 「相も変わらず善人ぶってるわね、アナタ」

 冷たく言い放たれるのは、そんな言葉。

 

 「……おれには一個、座右の銘があってさ」

 「ザユウノメイって何よ。真性異言語は訳してくれるかしら?」

 そんな言葉にそういやそうだと思い直して、おれは続ける。

 

 「心の中に何時もある、大事にしている言葉、かな。

 おれのそれは……『やらない善よりやる偽善』」

 

 静かに、おれより背の低い大人のエルフが、おれを見詰めた。

 

 「偽善だと分かってるなら止めなさいよ」

 「偽善を止めたら、単なる悪だ。

 例えおれは善人でなくても。場当たり的でも。例え偽善でも良い。

 購い続けろ。いつかそれが、本当に善になるかもしれないから」

 

 と、呆れたようにノア姫はおれから目線を逸らし、スープを一口飲んだ。

 「……熱っ」 

 「はい、水」

 と、おれは持ってた温い水を少女に渡して。

 

 「……ええ、ありがとう。

 あまりに馬鹿馬鹿しい言葉で、呆けすぎたわ」

 水を一口飲んで、少女エルフはおれの目を見て、そう言った。

 

 「身勝手の極意とでも呼ばれたいのかしら。

 そのアナタの行動がアナタを善人にする事なんて有り得ないわ」

 「そんなことは無いだろう。

 例え私利私欲から来た偽善でも、何かを成し続ければ……人生の最後には、少しくらい善に近付けるだろう」

 

 「馬鹿らしい。身勝手な理由で良いことをしたところで良い人間にはなれないわよ。

 身勝手を極めて、より身勝手な行動が周囲を上手く誤魔化していくだけ。何時しかそれが自分を騙して、善人だと思い込むことはあるかもしれないけれど、それは決して善人ではないわよ。

 

 今のアナタを、更に醜悪にしたもの。アナタが目指しているのは、本当にそれ?」

 

 その言葉に、おれは咄嗟には答えられなくて。

 

 「……そう。答えないのね。ごちそうさま、灰かぶりの皇子(サンドリヨン)

 何処か何時もより柔らかく、挨拶までしてエルフの少女は皿を置いて立ち上がる。

 

 「そこで即答されないだけ、アナタにはまだ期待が持てるというのは解ったわ。

 あの子をアレで振った気になっていた時はどうしてやろうかとまで思ったけれど」

 

 そう茶化してか真面目か呟く少女。

 その表情は右目の視界だけのおれからちょうど外れていて。

 

 「お休みなさい、また明日」

 「ああ、お休みなさい、ノア姫。

 ……また明日」

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