雷光、或いは案内
火の刻の終わり。未だ朝日の昇らぬ頃。
すやすやとおれの横で眠る狐娘の肩を優しく揺すり、水で淹れておいた目の覚める茶を一杯。
そうして、行ってこいとばかりに禅の姿勢を崩さない師が頷いたのを確認して、修業用の高下駄は五月蝿いから履かずに素足で歩き出す。
「おーじさま、へーきなの?」
「大丈夫。オルフェ達だって素足だろ?」
蹄だけど、と茶化すように言って、気にせず歩く。
岩肌と言えそうな斜面は確かに素足で歩くものではないが、そんなことを言ったら肉球付きの素足な魔物達は何なんだという話。
防御が50あれば、こんなもの実は屁でもない。
気にせずに狐の少女の手を引いて、おれは……
「お前も行くか、アミュ」
音もなく寄ってくる白い愛馬に、そう聞き返した。
賢い馬は、嘶くことなく首を振って首肯する。
でも、馬に景色が分かるのか?いや、馬にもレースの一位の景色とか勝つ心地よさとかが分かるから、レースに出すと全力で走ってくれるのだろう。ならば絶景だって分かるかもしれない。
横にズレながらルンルンステップ(オルフェステップ……ではなく得意技としていた昔のネオサラブレッドの名からカイザーステップと呼ばれる)で寄ってくるオルフェゴールドにお前は来るよなと呟いて。
おれは、暫く歩みを進め、此処だという場所で止まる。
暗いから多少は線を越えても誤差として見逃してくれるだろうが、そんな善意につけ込まないように、余裕をもって止まり、少しだけ待つと……
「おや、何処に行くのかな?」
「私にも見せてくれと言っていたと思ったんだが?」
姿を現したのは天狼……ではなく、二人の少年。エルフのウィズと頼勇である。
「竪神。また明日以降でも見られるから、今日はと思ってたんだが……」
「どうせならば、皆で一気に見た方が記憶に残らないか?」
トントン、と左手を叩き語る少年に、まあそうかもなと返して。
「ウィズ。おれ達は、ちょっと上、蛇王の躯の更に先から、日の出の景色を見に行こうと思っているんだ。
そこは、帝国で有名な絵画が描かれた場所」
「おーじさま、ステラの誕生日にそれを見よーって言ってくれたんだよー
ろまんちっくで良いよねー」
と、アステール。
……あ、出てきたら話をぶつ切りにしそうだと思っているのか、何時でも飛び降りて姿を現せるくらいの気配が上に感じられるな。
流石は天狼。空気の読める幻獸である。
「面白そうだね、僕も良いかい?」
「えー、ステラの誕生日なのにー?」
「アステール。絵画と同じ景色をただ見るより、エルフと見るという特別な何かがあった方が面白くないか?
不満なら、もう一個何か考えるしさ。天空山でおれが出来ることに限るけど」
例えば、天狼との魔法で風景を切り取るツーショットとか……ってさすがに無理かな。
「おーじさま、この山でステラの言うこと一個聞いてくれるの?ならいーよー」
「分かったよ、出来ないと思ったらそれは駄目って言うけど」
「おっけー!」
で、何でおれはアステールに変な許可取ってるんだ?
いや、アステールの誕生日プレゼントを迷って景色にしたのはおれなんだけどさ。
いやだってそうだろう?縁があるから誕生日に何かは贈るべきで。けれども、金で解決できるようなもの、どれだけ高級でも喜ばないのは分かってる。
アナはぬいぐるみでも本でも勉強道具ですら喜んでくれる安上がりで、アイリスは猫ならそれでok。
アルヴィナは……アナが貰ったんです!と飾っていたおれの愛馬2頭のぬいぐるみをじっと見ていて、けれども馬自体に興味がある訳では無さそうだったので、迷った果てに次の誕生日のために天狼ぬいぐるみを注文した。
まだ届いてないがアルヴィナが何故か気に入っている男物の帽子を被った特注品だ。狼の耳を持つ彼女をモチーフに子供にも人気の天狼に仕上げたと言えば、喜んでくれるだろうか。
まあ、アルヴィナは全体的に黒いし、白中心の天狼とは色合いが逆なんだが。
と、其処で漸く天狼が姿を現す。
今回は雌だろう。干し果物を持っていった方だ。
「天狼よ。
皆で朝焼けを見たい。貴女方がかつて人に見せたという、蛇王を越えた先の黄金と来光の朝焼けを、彼女らに見せてやりたい。
だから、通してくれないだろうか」
暫く、天狼はそんなおれ達をじっとその蒼い瞳で見つめる。
まるで、おれ達を見透かすかのように。
おれの横で、アステールがきゅっとおれの手を握って、オルフェゴールドが危機を感じて身震いする。
だが、あくまでも値踏みだったようで、一声吠えると白い巨狼は背を向け、鮮やかな桜色の雷光を帯状に残して駆け去っていった。
消えない雷光に、興味深げに頼勇が近づく。
「ゼノ皇子、これは?」
「多分だけど、絵画の景色が見たいと言ったから、彼が絵を書いた場所までの道案内……だと思う」
「サービスが行き届いてるねぇ……」
因にだが、ここまでしてくれるのは……多分、果物を最初に貢いだお陰だろうな。
前回の邂逅をしっかり覚えていたということで、それなりの親しさで対応してくれたのだろう。流石の幻獣、人間越えてても可笑しくない知能と言われるだけある。
そんなこんなで、連れ立って桜の雷を誘導に巨大な蛇がのたうち回ったと言われても信じられる抉られてどう通るべきか迷路のようにも思える天狼の住処を越え、更に上へと半刻かけて登る。
おれ一人で、天狼が許せば抉られたものを登って上を駆け抜ければ通り抜けられるが、アステール達を連れてはそれは厳しい。
なので、一切迷わなくて良い道案内は有り難く使わせて貰った。
「ふぅ」
台地に辿り着いて息を吐く。
「お疲れ様、オルフェ」
途中から傾斜の厳しさに足を滑らせかけたアステールを乗せて移動してくれた愛馬と、特にそんなことはないがちゃんとついてきたもう一頭の為に汲み取って背負ってきたキャンプ地近くの山の湧き水に濃縮した果汁を混ぜて置いて、おれは二頭の額を撫でる。
「おいオルフェ、噛むな噛むな」
蹴られないだけ良いが、アステールを背中から下ろすのに愚図る女好きで優秀な駄馬を宥めて。
こいつ……レースの時は終わったらとっとと騎手降りろとばかりに嘶くのに乗ってるのが美少女となると現金な奴め……
そんな馬を見て、エルフの少年は可笑しそうに笑っていた。
「ノア姉が居たら怒られてしまうね。人間と近付きすぎだと。
でも、本当に人間は面白いね」
「……さて。天狼の案内とオルフェがアステールを乗せたお陰で、予定より結構早く着いてしまったんだが」
「駄目じゃないか」
「おーじさま、日の出の時間に起こしてー」
と、アステールはオルフェゴールドの背にもう一度登ると、その首に抱きついてリラックスし、すやすやと寝息を立て始めた。
「まあ、まだ1/6刻近く、日の出まであるしな……」




