添い寝、或いは狐娘
「……皇子さま、寝られませんか?」
そんな言葉をかけてくる少女に向けて、いや、そんなこと無いよと目線を合わせないように天井を見て、おれは呟く。
ところで、何故こうなったんだ。
そう、天井のシミ……って数えられるようなものが無いのでただ天井を見ながら、おれは自問する。
折角毛布を渡したというのに、毛布ごとお泊まりだよ?と1つしかない二人用……より大きいが普段は二人の少女が使っているベッドに潜り込んでくる狐少女によって、無意識に腕を自傷する危険があるから離れようとしたおれはあっさりとベッドに捕まった。
いや、抜け出そうと思えば抜けられる。だが……
「えっと、アステール……さん?」
「そう。アステール。本人はステラって自分の事を呼ぶけれど、アナはちゃんとアステールって呼んであげてくれよな?」
と、おれの左袖をきゅっと掴み、おれの左足にそのふかふかした尻尾の1本を逃げないでーと絡めて安らかな寝息をたてる狐娘の尻尾を振りほどくことはしにくくて。
きっと起こしてしまうから。
「……ステラちゃんじゃなくて?えっと、わたしのアナっていうのも愛称ですけど、何かあるんですか?」
……そういえば、アナとゆっくり話をする時間も最近あまり無かったろうか。
おれがずっとベッドの上にいた頃は、少しすると逃げてってしまったからな。
「アステールって名前の愛称がステラなのは分かるよな?」
「はい。わたしの名前も、場所によってはアーニャって愛称になったりするんですよね?」
不意に少女が珍しく悪戯っぽい笑顔で視界に映る。
「アナじゃなくて、アーニャの方が嬉しい?」
おれとしては、正直どちらでも良いから、そう聞いてみる。
アルヴィナは名前より姓の方を親しい間柄で呼ばれたがるちょっと良く分からない感性だし…ううん、実は滅茶苦茶嫌いだから名前を呼ぶなって話ではないと信じている。
アステールに関しては、それこそユーゴ相手に冗談か本気かその呼び方1つで命より恩を取った……いや流石にあそこはユーゴ嫌いすぎて言った冗談であって欲しいってくらいに気にしてた案件だけど、アナにもアーニャにも特に侮蔑の要素はない。
アーニャにはにゃという猫っぽい名前の響きからこの人間様に媚びるだけの愛玩獣人野郎が!的な侮蔑の意味があったりしたら最低の発言なんだが……いや、無いよな?
「……いえ、わたしはアナで良いです。
皇子さまに、最初に名乗ったときの名前で。ずっとそうだったから、アナが良いです」
「じゃ、アナ。何でアステールが、自分を愛称のステラって呼ぶか知ってる?」
その言葉に、おれの横で上半身を起こした少女は、こてんと小首を傾げた。
「わたしが、わたしの事をアーニャって言ってるようなものですよね?
そっちの方が印象に残るから、ですか?名前も覚えて貰いやすいですし……」
わたしは良く知らないんですけど、偉い人なんですよね?なら、覚えやすい方が良いのかなー、って、と少女は難しそうに目をつむって考え込む。
「そういう考えも……アリかな?
でも、そうじゃないんだ。あの娘は……自分をステラって呼んでたからアステールって名前になったんだ」
「……わたしみたいに、最初は名前が無かったんですか?」
その言葉に、しまったなと思う。
アナは孤児だ。孤児の中には、両親や引き取ってくれる相手を何らかの事情で喪って、愛されていたのに孤児になる者も居る。そういう子供は当然ながら親の付けた名前がある筈だ。
だが、そうではない子も当然居る。名前すら無く、要らないから捨てる、家の恥だから捨てる、面倒なんて見てる余裕がないから捨てる。そういった形で、親の勝手な言いぐさで捨てられていく子供に、親は名前なんて用意しない。
ボロでも奴隷育成用でも何でも良いから孤児院に拾われたら運が良い方なのが捨て子だ。アナの過去なんて全然知らないから、その地雷を踏み抜いた。
「……ごめんな、アナ。辛いだろう事を思い出させて」
「い、いえ。わたしは良いんです。ちゃんとアナスタシアって名前だって貰いましたし。わたしの血の繋がった本当の家族の事は、何にも知りませんけど……わたしには、同じ孤児院のみんながいましたから一人ぼっちじゃなくて」
それに、と少女は微笑む。
「皇子さまにも会えました。皇子さまに助けられて、それだけじゃなく良くして貰って。わたしには勿体無いくらいに、恵まれていて。
お父さんもお母さんも、ちょっと羨ましいことはありますけど」
その綺麗な瞳が、おれをじっと覗き込む。
「それでも、わたしは自信を持って言えます。きっと、今のわたしの方が、捨てられずに普通にお家で過ごしてた時のわたしより、恵まれて、幸せですって」
皇子さまのお陰ですよ?と。
おれの右手をきゅっと柔らかな両手で握って、少女は呟いた。
「っと、話を戻して良い?」
「はい」
その瞳に、ちょっと焦って話を無理矢理に軌道修正する。あまり、少女の瞳を見てたくなくて。
アナもそれは分かるのだろうか。おれの横で、アステールに変な対抗心でも起こしたのか、きゅっと握ったおれの右手を離すことなく、柔らかな枕に頭を沈める。
「そう、彼女には名前がなかった。
だってさ。アナは別に気にしてないかもしれないけど、一般的には、亜人獣人って汚く卑しい存在だからさ」
「……はい」
沈んだ同意の声。
リラード初め何人か孤児院には獣人が居るからな。仮にも一緒に育った家族を馬鹿にされてる気がして、万が一にも快くは思えないだろう。
おれも、ニホン人の知識のせいか、それとも原作ゼノからして忌み子って獣人以下だしなと思ってたせいか、差別意識とかあんまり持てないから普通に接するんだけど、割と珍しい事らしいしな。
「アステールは、教皇の娘で。現教皇が、可愛いからって亜人に手を出して産まれた、亜人の娘なんだ」
「あ、だから不思議な眼なんですね?」
「そう。結構目立つだろ、瞳に星が入ってるの。あれ、『流星の魔眼』って言って、七大天の言葉を聞くことが出来る教皇に、もう一個七大天が与えたっていう特殊な眼なんだ」
効果は知らないけど、と苦笑して、おれは話を続ける。
実際、あの眼の効果は知らない。もしかしたら、枢機卿のオリハルコングラデーションと同じで、特異な存在であると端的に示す外見だけのものなのかもしれない。
ゲームでは教皇自体居るけど出てこないしな。話も良く知らない。
「そんな眼を持ってるから、捨ててもバレるんで捨てられない。流石に殺すのは気が引ける。でも、亜人な娘なんて、表に絶対に出せない。
だから、アステールは子供の頃から監禁されていたらしいんだ。名前もなく、外にも出られず。捨てられた子と、極一部の世話する人間から呼ばれて。
ま、そこら辺は父さんが一言で全部解決したんだけど。
だからさ、アナ。今はもうそうじゃないって、そんな意味を込めて、アステールって呼んでやってくれないか」
「はい」
やはり、この娘は優しいのだろう。
結構はしょった解説に、少女は優しく頷いた。
「それで、皇子さま。アステールちゃんとはどうやって知り合ったんですか?」
「ああ、そういえば、そこもアナ知らなかったっけ、あれは……」




