待ち合わせ、或いは礼服
「今日は此処までだ、馬鹿弟子」
手にしていた訓練用の真剣(装備適正ランクD、攻撃力11、必殺補正+15、耐久20の刀である)を不意に鞘に収め、二角の男は静かにそう告げた。
「……はいっ!」
師の振ってくる真剣を捌きながら首に当てろという修行内容の為の鉄刀(此方は刃はしっかり潰してある)をその男の首筋にぴとりとくっつけるくらいで止め、おれはそう元気良く声を返す。
そして、手指で握りをくるりと逆手に持ち変え、腰から外した鞘に納め……
「早くないですか、師匠」
と、疑問を投げ掛けたのであった。
今は雷の刻の半分が過ぎた頃。約束した時間まではまだまだ半刻もある。
魔法によるエレベーターは休みのこの日は殆ど使われることはなく(何たって寮暮しはおれとアナ、アルヴィナ、アイリスの4人しか居ない)、1階まで降りようとしたら下の階層でエレベーター使われててシャフトを蹴り降りる事が出来ずに足踏みするなんて事も起きない。
余談にはなるが、上がっていく魔法の刻まれたエレベーター(ちなみに床と操作用の手を置く台だけの作りだ。魔法で動く関係で天井とか扉とか要らないのである)と降りようとするおれがかち合った場合、おれが脇に避けるようにと言われている。
まあエレベーターシャフトをエレベーター使えないし使える前提で作られているから階段もないからって壁蹴って昇降しているおれが可笑しいので、そこは当然と言えよう。
不便なように思えて、壁蹴りを連続するから空中で物蹴っての制動が上手くなるのは良いことだ。
原作のゼノって、月花迅雷で雷撃を放ちつつ雷に反応する金属を裏に仕込んだ靴を使い空中で雷を蹴って接近。勢いに任せて突きからの相手を蹴りつつ斬り上げて空中を一回転して元の位置に戻るとかいう専用のトンデモ遠隔物理攻撃モーションがあるからな……。おれも出来るようにならないと。
「まだ、剣を振れる時間は」
「無い」
「約束の時間までにはそこそこ」
「だから、無い」
「いや、どうしたんですか師匠。何時もは時間ギリギリまで……」
少し、剣を振り足りない。
こんな体たらくでは、まだまだ甘い。あの日、反応しきれずにあっさり魔法に捕まった醜態をまた演じかねない。
だから……
「時間だ、馬鹿弟子」
心底呆れたように、手にした刀を虚空に仕舞い込んで今日は本当に終わりだと見せ付けつつ、師たる半鬼は首を横に振った。
「……はい」
静かにおれも、手にした練習用の刀を手渡す。
「しかし、何故」
「正装しろ馬鹿弟子が。今日の本番はこれからだろう」
「師匠があんな事言うなんて珍しいな。
いきなりどうしたんだあの人」
そんな事を思いつつ、ハンモック横のスペースに畳んでおいてある正装の上着を手に取り、少しだけ鼻に近付けて嗅ぐ。
「……やっぱり駄目だな」
此処にあるのは新品ではない正装。何時もドレスを新調するような華美さがウリの貴族ではなし、使い回しもする。
毎回新ドレスで二度は着ない。そういう貴族の子女は居るし、勿体ないしワガママだ、と思う人も居るが、その行動は別に悪いことでもない。
みすぼらしくなるまで全貴族が同じドレスを使い続けたら、ドレス職人の方が需要の少なさに喘ぐだろう。オーダーメイドが基本なので、既製品を売る訳にもいかず、新作すら作れない。
お気に入りを使いたいなら使っても良いが、数回に1回は変えるのがマナーっぽくなっている。
実際、ヴィルジニー関連の留学中の交遊費は帝国持ちで、父にこうなっていると見せられているが、それによると彼女は2回ドレスを着たら新しいものに変えている。同じドレスは2回までで、同じアクセサリーも2回まで。アクセとドレスは別の時に変えるから、完全に同じファッションの時はない。
ただ、男にはそこら辺は関係がないというか……
ということで、シュヴァリエ邸にお邪魔した時の正装を持ち出してきたんだが。
あ、駄目だこれ。アナが頑張って手洗いだけじゃなく魔法も使ったんですけど……と申し訳なさそうに言っていたとおり、ちょっと思い切り染み込んでいた血の香りがまだする。
これは流石に使えないだろう。
……なんでおれは平民の女の子とデート?いや真面目な買い物をしに行くのに正装させられているんだろう。普通に考えてラフな服で良くないか?
そんな疑問を持ちつつ、少し頭のなかで試算する。
この服以外はというと……やっぱり自室にしかないな。
いや、自室にまだあるんだろうか。家のメイドはおれを舐めてる感あるからな……おれ自身は舐められても仕方ないと思っているから良いんだが、割と問題児かもしれない。
ああ、これで師匠はとっとと終わらせたのか。どうせ王城まで取りに行かされるからって。
……いや、だから何でだ。
そんなこんなで、王城外れの自室へ正面からではなく、城壁を蹴り昇ることで向かう。
途中、どうせ安全だよと壁上でサボって同僚と勇者と魔王【魔神剣帝版】という名前の、勇者デッキと魔王デッキという互いに全く違うカードで構成されたデッキで戦う二人対戦カードゲームで賭けをやっていた多分男爵家くらいの貴族だろう兵士……いや騎士か?二人を見かけ
「御苦労様です。ちょっと騎士団にその仕事ぶりを報告させて貰うから」
と、冷やかしを送っておいた。
にしても、魔神剣帝版なんて出てたのかあのカードゲーム。勇者カードがスカーレットゼノンに差し替えられ、独自のカードが3枚勇者デッキのカードと入れ替わったコラボ版らしい。
……マーケティングの幅が広いなアステール。
これは余談になるが、後日調べたところ、このコラボ版、切り札1枚微妙なカード2枚を大外れ1枚と変身カード(切り札)2枚に差し替えた関係で勝率五分五分から勇者側5.5くらいになったとボードゲームガチ勢等から不評であった。
突貫工事で作って刷ったが故だろう多分。バランス調整はちゃんとしてくれアステール。
あと、ギミックの関係で変身カードがどこにあるか、魔力の流れに聡い人間ならバレバレだとか。
その分、勇者カードの上に変身カードを重ねて置いてカードをひっくり返すと魔法が反応して、共通の裏面だったはずの場所が燃え落ちるような演出と共に変身形態の勇者カードになるって演出が、楽しくカードで遊んでた勢には大ウケしたらしい。
それが受けた結果、5年後には勇者と魔王はというと……特定の4枚のイベントカードが場に出たら瞬間魔王カードとH字に合体して邪神が復活したりと派手な演出付きカード入りの拡張コラボデッキが複数種類出た演出カードゲームと化すのだが、それはおれとは無関係の別の話である。そもそもあれ、絵ついてるせいで高いしな。
閑話休題。
ちょこっと兵士をからかいつつ、自室で正装を探すも用意されておらず、仕方ないので乳母兄であるレオンの礼服を借りる。
本人は明後日までバカンスなので無断でだが、許してほしい。
そうして、火傷が見えにくいように左寄りにツバを下ろして目深に帽子を被り、塔の入り口へ向かう。
時刻はそろそろ雷の刻が終わりに差し掛かる頃。日本的な感覚で言えば、約束の30分前。
「……誰だ?」
其所には、薄い空色の服を着た一人の見知らぬ少女が少し不安げに小さく立っていた。
帯は桜色で、空色を基本とした服は西方の仕立て。師匠たる半鬼が何時も着ているようなこの国ではとても珍しい服だ。
端的に言えば、浴衣の亜種のような……
伸ばせば肩くらいだろう淡い色合いの綺麗な銀の髪は、一部伸ばされて花の簪で結わえられ、リボンで止められていて。幼い少女特有の大きく丸みのある瞳は透き通った碧い色。きゅっと結ばれた幼い唇には、淡い桜色のリップが背伸びのように引かれ、幼さ故かまだ胸元にほぼ起伏はないが、その女の子らしい少し丸みのあるシルエットは、和……といっても倭克ではなくニホンという異世界の国のテイストを感じさせる袖の大きな服には良く似合っていて。
「あ、皇子さま!」
と、おれがそんな見知らぬ美少女を西方の王族……師匠の姪か従姉妹か誰かだろうかと思って少し遠くから眺めていたところ。
謎の美少女はおれの姿を見つけるやぱっと顔を明るくして、小さな歩幅で駆け寄って来た。
……アナだった。
うんまあ、伸ばしている一部をサイドテールに纏めた雪のような銀の髪も、くりっとした深い蒼い目も、10人男が居れば9人は振り返りそうな可愛らしい顔立ちもアナそのものだわな!
服装のせいで一見見知らぬ美少女だけど、外見の作りはアナそのままだ。
……ヤバい。普通に考えたら幼馴染以外である筈もないのに暫くそうだと分からなかった。着付けがちょっと甘いのか、首元に白い鎖骨がちらりと覗くのが、子供ながらに少し見るのが恥ずかしい。
「あうっ!」
と、おれが呆けて少女を眺めていると……慣れぬ服装のせいか、というか慣れぬ下駄っぽいからからと音のする木で出来た西方の靴のせいで足を踏み外し、少女の体がくらりと揺らいだ。
「っ、アナ、大丈夫か?」
間一髪。
門前の石の通りを駆け抜けて、少女の肩を左手で受け止め、その体を支える。
「あ、有り難う御座います、皇子さま」
「早いな、アナ」
まだ約束の時間まで間があるっていうのにな。
肩に触れた感触は柔らかな絹のような手触り。同じような手触りは、アイリスが何時も被っている異様に軽い羽毛布団がしている。
つまり、恐らくだが滅茶苦茶な高級品だ。この浴衣……もう名前分からないし浴衣で良いや。浴衣1着で人が1年は暮らせるくらい。
「……どうしたんだアナ。こんな服」
まさか、買ったのではないだろう。西方の服はまあ割とコアな人気はあるんだが、いかんせんそこまで流通がない。間に天空山を挟むっていうのもあるし、単純に遠いからな。
子供が買えるものではない。いや、アイリスはアナにきちんとメイドとして働かせている分の給料出してるし全額貯めてれば買えるけど、おれが不甲斐ないばかりにアナが一部の給料を自分の未来の為に貯めずに孤児院の修繕費等として仕送りしている事は知っているから有り得ない。
第一、普通に平民であるアナは、往時だからって一人でまあ身分は確かだしと色々買える皇子ではないから、金があっても信用がなくてこうした高級品の店とは交渉すら出来ないだろう。
「えへへ。皇子さまの御師匠さまから貰っちゃいました」
腕の中で少女ははにかむ。
そして、立ち上がるとくるっとターン……したそうだがまたバランスを崩すと思ったのか、その袖を軽く振って揺らして見せた。
「貰った?」
「はい。皇子さまのお師匠さま、皇子さまのことを馬鹿弟子って呼んでよく定期報告の際に話を書いてたみたいなんです」
「それは知ってる」
だから、おれは色々と西のあの国からの便宜で刀とか輸入できてる訳だしな。
向こうとしても、帝国皇子に恩売っとくのは悪い話とは思ってないのだろうか。
って、忌み子に売って意味あるのかは兎も角だけどな。
「そして、そのついでにわたしやアルヴィナちゃんの事も書いてたみたいで……
そうしたら、皇子さまのお師匠さまのお母様のお兄様が」
「アナ、上王殿下な」
ちなみに上王とは、王の上に立つ者、つまりは先代国王の事である。何でもあの国ではそう呼ぶらしい。
つまり、おれの師匠、西に帰れば前国王の妹の息子という王族の一員である。
何で普通にかなりの期間此方に居ておれに稽古付けてくれるのか、割と謎だ。あれか、父親が牛鬼だから距離を取っているのか。
「じょおうへいか?」
「じょうおう陛下。いや殿下でも陛下でもどっちでも良いんだけど」
「その陛下さんが、わたしやアルヴィナちゃんにって送ってくださったんだそうなんです。
小さなお弟子さんの小さなお友達にって」
そっか、良かったなと何時ものように少女の頭に手を伸ばそうとして……途中で思い止まる。
少女の髪は、恐らくしっかりと櫛でとかれた後だ。何時ものようにくしゃっとするのは気が引ける。
「じゃあ、おれから師匠に何か礼を考えないと」
「いえ、貰ったのはわたしですから。わたしがお返しを買います」
「いや、アナが……」
言いかけるも、いや、良いかとおれは言い直す。
「じゃあ、おれが父さんに誕生日プレゼント買う際に、一緒に選ぼうか」
「はい!」
と、少女は上目遣いでおれの目を見上げてきた。
「ところで皇子さま、このわたし、どうですか?」
……不安げに声を震わせ、小首を傾げて、銀髪の幼馴染はそう声をかけてくる。
流石に、どういう答えを返せば良いのかはおれにも分かる。
似合ってるかどうか、それを聞きたいんだろう。
「……最初、誰だこの美少女って思った」
そんなおれの精一杯の真実の誉め言葉に、何故か少し不満げに頬を膨らませて、少女は抗議してきた。
「もうっ!酷いですよ皇子さま」
「悪い、何でなんだ?」
「美少女って言ってくれたのは嬉しいですけど、何時ものわたしは可愛くないんですか?」
……あ、そうなってしまうのか。
「いや、何時も可愛いよ。でもさ、何時もと雰囲気が違って……別人に見えた」
「えへへ……」
照れたように後ろ手で手を組んで、銀の髪の幼子は悪戯っぽく邪気のない笑みを浮かべる。
「御免なさい皇子さま、意地悪なこと言っちゃって」
少女はじゃあ行きましょうと踵を返……そうとして。
「あっ」
「もう普通の靴にしたら?」
もう一度、バランスを崩した。
「勿体ないけどそうします」
そんなおれ達を、とっとと出てけこいつら……とばかりに、じとっとした目付きで門番の二人が眺めていた。




