うさぎ耳のカチューシャ
嵌められたと気付いた時には遅かった。住宅街を歩く自身の姿は最低だ。
途中から街の人々の目線に違和感を覚えていた。
募集を目にしたのは、あるサイトだった。日頃の運動不足解消の為になるものはないかと、そんな想いだった。
〖速さだけが全てじゃない!ゴールまでの道程が勝負をわける!〗
と記してあった。何か運動をやろうと思ってはいたものの、日頃からそういう事は苦手だった。学生時代から今に至るまで何かのスポーツに打ち込んだ事なども無く、若い時分ならともかく、代謝が落ちてしまっている今では意識して身体を動かさないと太っていくいっぽうだ。そんな時にこの大会の事を知ることとなった。速さを争わないのならば何となく手軽に参加できそうな気がしたし、なによりも面白そうだった。
事務局からの返信メールには必須事項が書いてあった。
無理はしない事。
アピール力が大事です。
他の参加者を圧倒しましょう。
大会の模様はインターネットで生配信。
とあった。体力には自信がないものの、それ以外で頑張ればなんとかなる。そんな訳のわからない自信はあった。
大会当日まで何度も試行錯誤を繰り返し着地点の見えない自分との葛藤の日々だった。本当にこれで良いのか?自分は物凄い勘違いをしてるのじゃないか?他の参加者達はどんな感じなのか?そんな事を考えてこの日を迎えた。
荷物を手に玄関を出ようとした時に一抹の不安が頭を過った。
本当にこんな大会あるのだろうか?
そんな時に携帯電話からメールを受信した音がした。大会運営局からのものだった。
本日、天候にも恵まれ快晴で候。予定通り大会開催につきスタート地点である梟公園に午前9時までにお越しくだ候。尚、梟公園に脱衣所のようなものは無い為に、お着替え済みでお越しくだ候。
というちょっと変な感じのメールだったけど、大会の開催を確認してひと安心した。梟公園の最寄り駅である亀谷駅に着くとトイレへ向かった。するとトイレの前にはちょっとした列が出来ていて、トイレから出てくる者達は奇抜な格好をしていた。大会参加者達だ。
にわとりのコスプレをした者、警察官、よくわからないアニメのキャラクター、かなり無理がある女子高生、褌に紙製の丁髷を結った力士、魚屋、マジで何なのかわからない者などが次々とトイレから出て改札に向かってる。まるで季節外れの出来の悪いハロウィーンだ。その者達は、そんな出で立ちなのに普通に会話をしていた。
「巨人また負けたじゃんかよ」「リンゴジュース?オレンジ?どっち?」「有り無しで言うなら無しやわぁ」「はい、今、出先でしてはい、社に戻りましたら折り返し御連絡差し上げますんで」
そんな事を、にわとりや女子高生、警察官達が言っていた。順番が来たからトイレに入った。イケると思った。みんなコスプレの域を脱していない。日々の葛藤が実を結ぶ時が来た。
先ず服を脱いだ。白の全身タイツを装着し亀の甲羅を背負った。まぶたに目を描いた。基本の髭、皺、鼻水、汗を顔に施して額には肉と書いた。全身タイツ前面にはリアルに陰茎を描き、胸にはヴァギナマークを、右腕に五寸釘が無数に埋め込まれているリストバンド、左腕はトンカツを12枚ほどくっ付けた。右足にワラジを履き、左足はロンドンブーツの中に突っ込んだ。深く息を吐き最後にうさぎ耳のカチューシャを装着。カオスの極み誕生である。
トイレから出ると他の参加者達が黙り込んだ。改札を抜け駅を出たところで小学生に泣かれ、気品のある御婦人が散歩させていた犬に左腕のトンカツを1枚食べられた。御婦人は犬ばかりを叱って、けっしてこっちを見ることはなかった。
集合場所の梟公園は駅の直ぐ裏手にあって、そこまでの道のりは訳のわからないコスプレイヤー達で溢れていた。ロンドンブーツとワラジの高さが違う為にかなり歩き辛かった。途中知らない間にトンカツをもう1枚食べられていた。
受付を済ませるとスタート地点へ移動し、その時を待った。変なファンファーレみたいなのがラジカセから流れ中途半端に大会は始まった。参加者達はゆるりとスタートし何の緊張感も無かった。カクンカクンと歩き辛かったけどちょっと走ってみると、軽く走っているだけなのにいきなり先頭になった。
これは、ひょっとして優勝するんじゃないか?
そんな期待がヌラヌラと湧いてきてカクンカクンカクンカクンと走った。速さが勝負じゃないとはいえ速い事にこしたことはないだろうと、たまに五寸釘がお腹に刺さるのを我慢しながらゴールを目指した。
駅前を抜け、商店街を抜け、住宅街に差し掛かった。流石に疲れて、もう歩いていたけど後ろを振り返っても追従してくる者は無く、はっきり言って独走態勢だ。ぶっちぎりだ。優勝だと高を括っていると閑静な住宅街の道をかなりカオスな感じで歩いている自分が我に返った。
いやいやいやいや違う。これは大会であって他の参加者達だって負けず劣らずの格好だ。玄関先で掃除をしていた奥さんがいきなり家の中に入った。ベランダで洗濯物を干していた高校生の目がヤバかった。笑う者、逃げる者、泣き出す子供、トンカツを食いにくる動物達、竹刀を持って威嚇するお父さん、その他全員が敵に思えた。
これはちょっとアレだから少し休んで後から来る者達と合流しよう。
そう思った。けど誰も来なかった。ゴールの鶴望橋は見えていた。マンションのベランダから笑い声が聞こえる。
「やべっ、マジかよ、居るじゃん」
さっきから煩いなと思っていたのはドローンだった。笑い声は多くなり大きくなった。鶴望橋には、此処がゴールですよ感など何も無く、戸建ての家やマンション、学生寮なんかでスマートフォンやタブレットを手にした者達がしきりに騒いでいた。
嵌められた。
大会なんて嘘だったんだ。あいつら全員グルだったのか、こんなカオスな姿を世界中に生配信されていた。左腕のトンカツはラスイチになっていた。うさぎ耳のカチューシャが虚しかった。
鶴望橋に着くと川まで降りた。ワラジとロンドンブーツと五寸釘のリストバンドを外し、最後のトンカツは自分で食べた。そして入水した。亀の甲羅は背負ったまま竜宮城を目指そうと思った。
川を下りはじめて暫くしてから気付いた。
うさぎ耳のカチューシャを外してなかった。トホホホ。
終