Section4.付人
二限目美術。学校の風景を観察し画用紙に模写するという授業で、新藤と恒崎は学校中を散策した。その結果、図書室にいき着いた。校庭の風景を描くために外に出るクラスメイトもいたが、外出するのが億劫な新藤は模写する場所を校内に限定した。授業中であったため、図書室には誰もいなかった。
新藤は誰もいないという理由で、この図書室で風景を模写することに決めた。
美術の最初の二週間は美術についての歴史などの話ばかりで退屈だった。絵を描くという実践的な授業は今日が初めてだ。
新藤が図書室内で模写する風景を探していると、恒崎は窓際の端にある六人掛けの大きい机に座った。どうやら図書室内の窓際の風景を模写するようだ。
新藤は模写する場所を探すと同時に、本棚にある本を手に取ってはペラペラめくっては読まずに本棚に戻すということをしていた。
改めて考えると図書室に来るのは、校内見学以来だな。進学校だからもっと最新の本が沢山置いてあると思ったけど、中学生の時とあまり変わらないな。あるとしても、入り口の前に最近の本が並んでいる程度だ。
新藤が窓際のほうに向かうと、恒崎は集中した様子で絵を描いていた。新藤が横から近づいても気づく様子はなかった。
「恒崎は何描いているの?」
新藤が恒崎に質問すると、恒崎は一瞬肩をびくつかせて、少し動揺した様子で答えた。
「窓から射す光が綺麗だったから、絵にしたら良い感じになるかなと思って……」
新藤は恒崎が描いている画用紙を取ってまじまじと見た。恒崎はあたふたした様子になる。
「へぇー、恒崎って絵描くの上手だね」
「ちょっと、まだ人に見せられるほど描いてないから……」
恒崎は褒められて頬が少し赤くなった。
「実は僕、芸術系の大学目指しているんだ……」と恒崎は小さく言った。
「へー、そうなんだ。でも、有名な芸術系の大学ってかなり数が絞られるから、入学するのは難しいよね。それに、もし受験失敗したら専門学校ぐらいにしか行けないね」
いつも目をそらしながら話している恒崎が新藤の方を向いた。
「でも、好きなことだから……」
「好きなことで食っていけるほど世の中は甘くはないよ。雑誌とかテレビで取り上げられているクリエイターなんて一握りだよ。恵まれた才能や、誰にも負けない努力があるならいいけど、親からお金出して貰って、結局一般企業に就職したら意味ないよね」と流暢に新藤は悪気もなく言う。
恒崎は何も言い返せず目を逸らした。
「うん……、そうだよね。親からお金出して貰って、自分の好きな事やるなんて我儘だよね……」
落ち込んだ恒崎を見て、新藤は付け足して言った。
「あ、でも俺の言っていることはあくまでも一般論だから、選ぶのは君の自由だと思うよ」
新藤はそう言って絵を描く場所を探しに戻った。
それから一時が経ち新藤が図書室内をうろうろしていると、二時限目の終わりのチャイムが鳴った。
結局、色々見たけど絵になりそうなポイントは無かったな。そもそも図書室という場所がそれほど絵を描くのに適していない場所なのかもしれない。こういう閉ざされた空間ではなく、開かれた空間のほうが絵になりそうだ。
三時限目も美術の時間だったが、新藤は図書室に恒崎を置いて、他の場所で絵を描くことにした。
放課後のチャイムが鳴った。
*
今日こそは早く帰ってゲームをしよう。
新藤が教室から出ようとしたとき、後ろから小島に呼び止められた。
「新藤、ちょっと今暇か?」とニヤニヤしながら小島が言う。
「すみません、今日は用事があるので……」
小島は新藤に特別な用事がないことを察して、帰ろうとする新藤の腕をつかんだ。
「わかった。すぐ済むからとりあえず職員室に来てくれ」
何がわかったのだろうか、俺は用事があるから早く帰らないといけないのに。逃げようとしても、小島の体育会系並みのごつい腕にはびくともしない。
新藤の肩に小島の剛腕が乗っかり、新藤はそのまま職員室に連れていかれた。その光景はさながら、校舎裏に後輩を連れていくヤンキーのようであった。
小島と新藤は職員室に入り、パーテーションで仕切られたスペースのソファーに向き合って座った。
こんなところ、問題児ぐらいしか来ないだろう。
「小島先生、何の用ですか」と新藤は不満そうに言う。
「そんな野暮なこと聞かなくても分かるだろう」
ニコニコした小島の笑顔が余計に腹立つ。
「もしかして笹浦さんの事ですか」
「そのとーり。昨日、笹浦の家に行ったんだろ。どうだった」と小島は穿ったことを言った。
「三階建ての大きな家でした」
「別に間取りの話をしてるんじゃない。笹浦一夏についてだよ」
「普通に会ってきましたよ」
ボコボコに殴られたけど。
「そうなのか。それで学校には行けそうか」
「今、絶賛リハビリ中です」
「そうか……」
「笹浦さん、なんかよく分からないですけど、学校恐怖症らしいです。本人は学校に行きたいらしいですけど、学校に対して異常なまでの拒否反応があるみたいです」
俺が学校恐怖症に拍車をかけたなんて言えない。
「やっぱり自己紹介の時のことを気にしているのか……」
「そう、みたいです…… というか知っていて俺を行かせたんですか?」
「うん、まあな。あの年頃の女の子はナイーブだから傷つきやすいんだよ」
そんなに図々しくて、女々しさのかけらもない奴に女心が分かるわけがない。
「傷つきやすいなら、俺より適任者がいっぱいいたでしょう?」
「笹浦の中で一番嫌いなのは新藤だと思って、まずは新藤と笹浦の関係を改善しない限りは学校に来れないと思ってな」
「先生、もしかして入学式での出来事のことを知っていて合わせたんですか?」
「逆に知らないで笹浦の家に行ったのか?」
お互い驚いた顔で見合わせる。
「しかし、それぐらいで学校恐怖症になるものかな。もしかしたら中学生の時に何かあったのかもしれないな」
「学校恐怖症ってなんだ?」
「笹浦がそう言っていたんです。恐らくただのトラウマか何かです」
「まあとりあえず、新藤は笹浦のサポートをしてやってくれ」
「ああ、はい」
新藤は渋々返事をして、手の平を小島に向けて差し出す。
「ん、なんだその手は」
「そんな野暮なこと聞かないで下さいよ。もちろん次の労働の対価ですよ」
小島は渋々自分の財布から五百円を取り出して新藤に渡した。
「お前に善意というものはないのか」
*
今日は臨時収入が入ったから、少し高めのアイスでも買いに最寄りのコンビニに行くか。いや、待てよ、確か少し離れたところにスーパーがあったはずだ。そこで多種多様なアイスを品定めしてから買うのも悪くない。
新藤は駅の方向とは少しずれた道を通って、スーパーマーケットに向かった。新藤がスーパーマーケットに向かっている途中、公園に蒲月高校の女子生徒がブランコに座ったまま、下を見つめていてボーっとしている様子が見えた。よく見るとブランコに座っているのは笹浦だった。
新藤は近づいて声掛けた。
「おい、ここで何してんだ」
「ごめんなさい。今どきます」
笹浦は怯えた様子でブランコから立ち上がり、顔を上げて声の主が新藤だと気づくと、眉間に皺を寄せて、ムッとした表情になった。
「驚かせないでよ」
「別に驚かせたつもりはないよ。で、何でこんなところにいたんだ」
「……」
「その制服を着たままということは、もしかして朝から家に帰ってないのか」
「親に心配かけたくないから」
「そんな事したら学校から電話が家に掛かってくるだろ」
「私の携帯で先生に休むって伝えたから大丈夫」
ここまで来ると不登校者のプロだな。
「あんたこそ、ここで何してるの」
「俺はこれからスーパーに行って、アイスを買いに行くんだよ」
新藤が自慢げに言うと、笹浦の表情が獲物を捕らえる目つきに変わった。
「えーいいなあ。私にもアイスを奢りなさい」
「えー、なんでお前にアイスを奢らなければならないんだよ」
笹浦は新藤の胸倉を掴み軽く浮かせた。
同じ種族だとは思えないほどの力だ。笹浦は地球外生命体と人間とのハーフなのではないだろうか。
「喜んで買わせて頂きます」と新藤は苦笑いで言った。
結局、笹浦はアイス以外にミルクティーとドーナツ二つ、バナナ一房を俺に購入させた。夕食は大丈夫なのか聞くと、「全然平気だから」と口をもぐもぐさせながら答えた。
今回の実験によって、凶暴な性格に加えて暴食という生態が判明した。
笹浦が美味しそうにバナナを頬張る姿はまるで……
新藤がまじまじと笹浦を観察していると、それに気づいた笹浦は頬張りながら威嚇して、食べ物を抱え込んだ。
いや、別に取らないから。そもそも、それ俺のお金だし。
笹浦は10分もかからないうちに食べ終わって、ミルクティーを一口飲み一息ついた。それを見て新藤は質問をした。
「なんで学校恐怖症なんかになったんだ。きっかけはないのか」
新藤は笹浦に唐突に質問すると、笹浦は硬い表情になった。
「あんたのせいよ」
笹浦はそっぽを向いて答える。
「入学式で学校に来た時から学校恐怖症になったと言っていたじゃないか。ということは学校恐怖症のそもそもの原因は俺じゃない」
笹浦は黙り込む。続けて新藤はこう言った。
「どうせ中学生のときに、トラウマになるようなことがあったんじゃないのか」
笹浦は度肝を抜かれて、顔が強張った。
「中学三年生の頃、一部の女子生徒から嫌われていたのよ。たぶんそれがトラウマになってるのね……」
俗に言う「いじめ」というやつか。
「そうか……」
まあ、いじめなんてどこの学校でもあることだ。珍しい事じゃない。
こいつのことだから、我儘な行動や言動をしてしまって、カースト上位の女子に標的の的にでもされたのだろう。いじめは良くないことだが、こいつに限っては自業自得としか言いようがない。
新藤と笹浦との間に気まずい空気が流れた。
そのあとは何事もなく帰ることになり、別れ際に明日の朝も迎えに来いと念を押された。
まるで付人だな。