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←2020

作者: 西荻麦

 このタイムカプセルは過去へ宛てようと思う。なぜかって、僕には、いや世界には、いやいや地球には未来なんて存在しないことがわかっているからだ。

 小学生のころ、大多数に漏れず、僕は秘密基地というものにあこがれた。完全なる都会ならビルの空き部屋、途方もない田舎なら森に隠れただけで、そこが根城になる。だけど、僕が住んでいた町は都会にも田舎にも振り切れない中途半端な位置にあって、コンビニはないくせに粘着質な人の目はそこかしこに散らばっていた。

 だから、僕は家の庭の片隅に穴を掘った。地下に潜れる秘密基地を作ろうと思ったのだ。ちょうど地下には一大帝国を築く生命体がいる。そんな映画を観たあとだったせいもあるだろう。学校から帰ると、毎日毎日せっせとスコップで土をほじくり返した。小学生の体力じゃあ、穴はのろのろとしか深く大きくならない。

 体育座りをしたらようやく頭まで隠れるくらいの穴になれば、次の日には跡形もなく埋め立てられていた。穴の存在に気がついた両親か大家のしわざだろう(僕の家は貸家だった)。昨日までの努力があっけなく水の泡になり、僕の秘密基地への憧憬も途端に蒸発した。そもそも最初からあったのかどうか、今となっては怪しい。

 穴を掘った収穫は、謎の瓶だけだった。体育座りをした足元で、顔をのぞかせていたのを引っ張りだしたのだ。

 緑がかったガラスの向こうには、丸められた紙が収まっている。長く埋まっていたのだろう、土が蓋の部分にこびりついて、すっかり錆びている。瓶をたたき割る、なんて破壊行為は当時の僕には思いつかなかった。とにかく律儀に蓋を回す。力の限り蓋と格闘する。何時間か、もしかしたら何日間かもしれないけど、長い格闘の末どうにかこうにか蓋は開いた。入っていた紙を広げて読むと、そこには衝撃的な文面がつづられていた。

【これは未来からの手紙です】

 鳥肌が立った。昔、誰かが埋めたまま忘れたものだと思いこんでいたが、まだ誰も知らない誰かからのメッセージだなんて、それを自分が手にしているなんて、興奮しすぎて鼻血が出たのを覚えている。チョコレートの食べ過ぎでしょう、と母に濡れ衣を着せられたのを覚えている。

 そこにはまさにこれから起こることすべてが記されていた。大規模なテーマパークが開園すること。ネット世界がもっと発展していくこと。地震や台風などの天災に見舞われること。世界各地で紛争やテロが多発すること。誰かが誰かを殺すこと。

 手紙には宛名も差出人も明記されていなかった。僕は選ばれし者なのだ、と誇りに思った。と同時に、ひどいプレッシャーにさいなまれて夜はろくに眠れなかった。これから起こる不運な出来事に関して、知っている僕がどうにかするしかない。でも、どうやって?

 そんなふうに布団の中で何度も寝返りを打った。数日後、近所に初めてコンビニができる、というビッグニュースがすぐに不安を吹き飛ばしてくれたけど。不安どころか記憶さえも。

 着色料のおかげで鮮やかな色味のジュースを飲みながら、僕はみるみる大人になった。あの手紙に書いてあったことを時折思い出したり、まるで忘れてしまったりしながら、天災や人災を横目で見て素通りしてきた。

 僕は選ばれし者ではなかった。選ばれし者より先に、未来からのメッセージを奪ってしまった人間なのだ。

 これから過去へ届くことを祈りながら、僕もタイムカプセルを試みる。僕のような人間にだけは届かないことを願う。傍観してきた二十年間なんかより、はるかに恐ろしい未来に僕はいる。たった一人で。

 そう、二〇二〇年現在、この地球に生命体は僕しかいない。だから未来に手紙を宛てても仕方がない。過去に宛てて、時空のねじれに乗って、常識の隙間を縫って、警鐘を鳴らすしかないのだ。


                    ○


 何が原因だったのか、あたしにはさっぱりわからない。ところどころ瓦礫の山と化した一帯を見れば地震が発生したのかと思う。コンクリートに溜まった血だまりを発見すると、凶悪な犯罪者が大量殺人を犯したのかとも思う。ビル群が無傷で林立したまま静まり返っていると、人間だけ息絶えてしまうウイルスでもばらまかれたんじゃないか、そういう新兵器で狙われたんじゃないか、世界の国々に、あるいは地球外生命体に。

 考えれば考えるほど現実味のない、突拍子もない発想ばかりが湧いてくる。笑い飛ばしてくれたり怒ってくれる人もいないのだ。あたしは独りぼっちだった。

 元から独りぼっちだったよね、と言われればそれまでだけど。周りに誰かがいて独りなのと、周りに誰もいなくて独りなのは違う。うまく説明できないけど、違う。誰もいないなら独りに決まっているのだから、言い訳もしなくて済む。いい人がいないんです、とか。特にあせってないんです、とか。 

 言い訳に気を遣わなくてもいいのなら、今の状態のほうがいいってことになる。ううん、それは違う。さすがに地球上に独りぼっちはまずい。これもうまく説明できないけど、絶対にまずい。だって子孫とか残せないし。未来がないし。

 なんてプレッシャーも感じなくていいのか。独りぼっちなのだし。

 ただ、独りは退屈だし、正気を保つのが難しくなってくる。話し相手が欲しい。誰でもいい。あのとき確かに目の前が真っ白になって、あたしの目がおかしいのかと思ったけどそうじゃなくて。上司も同僚もすべて白に覆われてしまうような、強烈な光が差しこんできたのだ。

 そして気がついたら、独りぼっちになっていた。あの光は何だったのか。それを話し合う相手が欲しい。食糧確保も兼ねて、今日はあてもなく歩き回っている。

 足が棒になってきたころ、あたし以外に別の人間がいる、という確信を得られた。無人のコンビニのドア付近、書きかけの手紙が落ちていた。

【これは未来からの手紙です】

 書き出しはそんなふうにつづられていた。


                    ○


 祭りだ、祭りだってバカの一つ覚えみたいに騒いでたから、どっかの国に攻撃されたんじゃねえの。

 まず俺が思ったのはそんなことだった。そんなふうにはしゃいでいいのはサブちゃんくらいだ。あのくらい大御所なら、何をやったって許される雰囲気がある。例えば不倫だって、それがダブルだって問題ないだろう。人によるんだ。

 だけど置かれた状況をきちんと把握していくと、そういうレベルでは収まらない、もっと謎めいた、もっと巨大な力が働いたんじゃねえか。そんなふうに思う。

 何だか映画みたいだ。地球に残された、ただ一人の人間。コンビニの前で蛾みたいに群がって、くたびれたおっさんをからかって小遣い稼ぎするだけだった俺が映画の主人公。興奮。高揚。下半身がうずく。

 具体的な欲求に体が反応してしまうと、俺はさっさと主人公役を降りたくなった。一人じゃあ、誰かとつながれない。といっても、いつぞやの絆、絆ってバカの一つ覚えみたいに騒いでたようなもんじゃなく、ちゃんと体と体でつながりたい。

 何だかきれいごとばかり好きなこの国が、俺にはもともと性に合わなかった。いっそのこと、これを機に海を越えてやるか、と思う。誰もいないんなら、金がなくてもどこへだって行ける。そう決心して駅までたどり着いて、無人の電車を見てから気づく。誰もいないんなら、金があってもどこへも行けないのだ。

 やっぱり絆かよ。くさくさした気持ちで、俺は結局いつものコンビニへ向かう。共にカツアゲをして、バカ笑いしていたやつらももういない。

 ろくに買い物もしなかった店内へ入ろうとしたところで、紙切れが落ちているのが目に留まった。何気なく斜め読みしてから、俺はそれをつかみとった。もう一度、しっかりと読む。

 俺以外にも生き残っているやつらがいる。そいつらはどうにかこの最悪な未来を変えようと、過去へ助けを求めているようだ。

【誰か、話したいです】

 とりとめのない文章の中、その一文は切実なようであり、やたらとのんきにも見えた。そうか、絆ってのは多分、ずいぶんと自分本位なもんなんだ。

 日付がわからないまま、バックナンバーと化した成人誌を読みふける。欲求は定期的に吐きだしてやらないと、いとも簡単に誰かを傷つけてしまう。少なくとも、俺は。


                    ○


 誰かがカップ麺の棚を漁った形跡がある。自分一人だけが生き残ったという衝撃よりも、ほかに誰かがいて私の食糧をさらっているという事実のほうが、絶望的で胸をかきむしられる思いだった。

 朝の眠気覚まし、昼休憩、サービス残業の帰り道。一日三回通うコンビニは、私だけのものだと信じていたのに、過去への手紙らしき文面は騒がしくなる一方である。そのくせ、まだ誰とも顔を合わさないのは幸か不幸か微妙なところだった。

 しかしもし対面したら、真っ先にこう文句を言ってやりたい。君には計画性というものはないのか? と。

 私が上から耳にタコができるほど言われてきた注意だ。私だってスケジュールどおりに回していきたい。評判の手帳を買って、人気のアプリを使って、分刻みの予定を管理している。押してしまうのは、いつも上の都合じゃないか。

 二〇二〇年の夏は一大イベントで世界中が熱くなるはずだった。数ある施設のうちの一つ、娯楽関係の運営を担うことは重責であるが勲章でもあった。経済を、外交を、この手で転がしているような感覚があった。たとえ、財源の無駄、安全の崩壊、予定の杜撰を揶揄する声が日々炎上していてもだ。

 壮大な計画が実現するまで、あと数日。そんなときに人類は消えた。あまりにも忽然と消えた。もしかして私のほうが消えたんじゃないか、などとSF的な発想さえ、頭の中をよぎった。

 実は皆、地下帝国でも築き上げていて、私だけが地上に残された。実は皆、宇宙に避難していて、私だけが地球に残された。どれだけ想像をめぐらせても、結局自分のほうが置いてけぼりにされたという結論は変わらない。そのうち、ミサイルや放射能、紫外線や黄砂、ありとあらゆるものが空から降ってきて、私だけがそれを浴びるんじゃないか。

 未来的だな、と遠目に見ていた攻撃は、現在にきちんと寄りそっていた。たまたま表面化しなかっただけだ。兆候はあったのかもしれない。けれど、私はここ七年くらい、ずっとそういう面倒な事柄に蓋をしてきたのだ。いつかの厄介な手紙だって、緑色の瓶の中にもう一度閉じこめた。

 サラダスパの賞味期限を確認する。もうすぐその日付を通り過ぎて、恐らく二週間。そろそろ限界か、と見切りをつけて私は今日の食糧を決める。長く生き延びるためには、食糧の確保が第一だ。カップ麺なんか余裕で三年はもつだろう。そこから手をつけている輩は馬鹿なのだろうか。

 スパゲティは絡まったまま強張って、一本ずつほどこうとしてもフォークは麺全体を持ち上げてしまう。固まりにかぶりつく。美味しいとか不味いとか、そういった基準は一切必要ない。

 食事はすぐに済んでしまう。私はそもそも早食いなのだ。世界中を巻きこんで行うイベントに携わるには、時間がいくらあっても足りない。食欲、性欲、睡眠欲の順に削っていった。

 外の空気を吸いに、駐車場へ出る。夜があたりを包みこみはじめて、街灯のない世界では星がきれいにまたたいている。

 深呼吸と同時に、誰かが書いた手紙が再び視界に入る。小さな文字、丸まった文字、雑な文字。

【きれいごとばっか言ってる場合じゃねえぞ】

 何か大きなことを成し遂げるには、きれいごとを並べる必要があるんだよ、若造。

 この文字を書いたのが男なのか女なのか、年上なのか年下なのかもわからないのに、自分には何かあると信じている若者のような気がして、私はひどく腹を立てた。

 カップ麺から荒らしていった無計画な馬鹿も、きっとこいつだ。


                    ○


 宇宙人かなあ。パパもママもおじいちゃんもおばあちゃんも、ららちゃんもみなとくんも、いつもでんちゅうにかくれるのらねこも、みんな宇宙人に連れていかれたのかもしれない。

 おじいちゃんが青汁をのんだような顔をして言っていたっけ。あいつらは宇宙人だって。

 ぼくの学校の金ぱつの先生にも、近所に引っこしてきた黒いはだの友だちにも、たいりょうにおみやげを買うかんこうきゃくにも、おじいちゃんは冷たかった。あいつらは宇宙人だ。あいつらの考えてることなんてさっぱりわからない。

 ぼくはおじいちゃんの考えてることがさっぱりわからない。じゃあ、ぼくも宇宙人だったのかなあ。もうすぐ始まるはずだったお祭りにも、おじいちゃんはつばをとばすばかりだった。けっきょく始まる前に息を止めてしまったけど。けっきょく始める前に、みんな終わってしまったのだけど。

 色とりどりのかみの毛、肌、目。何を言っているのかわからない、ありとあらゆることばたち。それらがあつまって、とびはねて、泳いで、走る。そんなうつくしい景色を、ぼくはおじいちゃんにかくれて一人でわくわくきたいしていた。

 始まりまであと少し。カウントダウンに入ったところで、仲間はずれがいることに気がついた。おじいちゃんの冷たいしせんの先にもいない、お祭りに参加もできない、じつは地図にものっていない、そんな宇宙人がいるってことに。

 そうしたらむねのドキドキは落ちついて、目の前がまっ白になって、ぼく以外だれもいなくなった。

 頭の中をはてなマークがうめつくしてパンクしそうになったとき、よくママが連れていってくれたコンビニに行った。のどがかわいたので、ふだんは買ってもらえない緑色のジュースをのんだ。すきとおったさわやかな色味は、ぬるくなっていてまずかった。

 ごみばこの近くに手紙みたいなものを見つけた。ひっせきからして大人だ。漢字の多さからして大人だ。ぼく以外にもだれかいるのだ。

【世界が手と手を取って一つになって、計画性を持って、この窮地を脱しなければいけません】

 いちばん下に書かれている文は、まったく読めない。どんな人が、どんな宇宙人が書いたのだろう。

 まだ会ったことのない宇宙人は、きっと未来のぼくたちとよくにている。


                    ○


【宇宙人へ、たすけてください】

【過去の過ちを今すぐ正せ】

【戦争始めたのが間違いなく過ちです】

【あれは戦争じゃない。防衛だ】

【生ぬるい考えやめてね】

【地下シェルターとか準備してみたり】

【原発廃止しろ】

【みんな仲良くして】

【夏でも冬でもエアコンつけんといて】

【もっと子どもを作らんかい】

【No more war.】

【マジちゃんと未来考えてよね】

【AIをもっと発展させましょう】

【一旦解散】

【一旦鎖国】

【?★&@○*▽%##?】


                    ○


 何でもそろったコンビニが、だんだん空っぽになってきた。だったら、また別のコンビニに移動すればいい。小学生のころとは違う。近所のコンビニに世界のすべてが詰まってる、近所のコンビニ以外に正解はない。そう思いこんでいたときとは違う。僕は大人なのだ。

 だけど大人になるにつれ、コンビニの数が増えて、タイムカプセルとどんなに遭遇しようとも、気づくことさえできなくなっていた。ずっと気もそぞろに、何色ものジュースを飲み、つながる誰かを求めて、実際につながって、愛をささやいて、一方通行だと思い知る。

 過去に宛てるタイムカプセル。緑色に透ける瓶に勝手な二十個の願いをこめる。これだけ絶望的に未来がなくても、まだ僕はたった一人で過去を信じている。うかうかと通り過ぎていく今を信じている。

 一瞬先も一瞬後も見知らぬ誰か。宇宙人でも何でもいい。

 二〇二〇年より、至急再考求む。

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