第四話:悪意
「あれ、かな?」
ギルド長に依頼されて、土砂崩れで露出した地層の、未発見の遺跡の入り口にやってきた。
入り口を見つけたのは山で採れる山菜を採りにきた子供たちで、入り口を見つけるなりすぐさま引き返して親に報告し、その親からギルドに情報が回ってきたという経緯らしい。
ニューデールはたまにこうした遺跡の入り口を見つけることがある。そして、遺跡の位置によっては難易度がまったく異なる為、未発見の遺跡には原則立ち入らないことが周知されている。
相手は古代文明の遺跡、何が飛び出してくるかわからない。それこそ熟練の冒険者パーティーでもなければあっさり命を落とすことだって有り得る。
「まぁ、私には関係ないか」
今回の私の仕事は入り口の安全確保と、行ける所まで遺跡内部の調査。深入りするつもりはないので、少し探ったら戻るつもりだ。
まず入り口付近まで気配に気をつけながら近づいて行く。入り口周辺に魔術で使う魔術文字を用いた陣を描いていき、魔物避けの結界を張っていく。
私の力を上回る魔物が来ると結界そのものが消えてしまうけれど、小物なら私の実力でも十分だ。
それからギルド長から預かっていた、調査中の為に立ち入り禁止の看板を立てる。これで偶然、ここを見つけた冒険者がいても入り込む可能性は下がる筈。
「あとは……中か」
魔術で聴力を補助して耳を澄ましても物音は聞こえない。ハズレの遺跡もあるみたいだけど、そればかりは中に入ってみないとわからない。
慎重に気をつけながら遺跡の中へと進んでいく。踏みしめる足下が土ではなく、奇妙な材質の床へと変わっていく。これはニューデールの古代遺跡に共通した特徴だ。
「うーん……やっぱり内部に魔術をかけるのは難しそう。この床、魔力が通ってるから魔術を弾くんだよね」
ニューデールの古代遺跡はまだ生きている。だから侵入者を排除する仕組みなどは時間が経てば修復されてしまう。
遺跡が今でもその姿を保っている理由として、壁や床そのものに魔力を通して状態維持の魔術をかけているんだと思う。だから力量が低い私だと遺跡内部に向けて魔術をかけることは出来ない。
それだけ古代の魔術が今よりも発達していたんじゃないか、と言われている。そして魔術が廃れるようになったのは魔法の登場が原因だと言う説もある。
実際の所、真実はわからない。古代文明と今の時代を繋ぐ伝承は途絶えたものも多く、なかなか遡るのが難しいのだとか。
「エルフの中でも特に長命なハイ・エルフとか、古竜とかなら何か知ってるかもしれないけど……」
私にとっては雲の上の相手だ。直接お目通りになる機会もないだろう、求める人には凄く偉大なロマンなんだろうけど、私は古代文明にも古代の魔術にも興味はない。
やっぱり入り口を確認するぐらいしか私には出来ないか。変に何かあっても嫌だから、引き返そう。
――そんな時だった。何か嫌な気配がして、私は勢い良く振り返った。
「――おぉ、そんな怖い顔するなよ。なぁ? アネモネ」
「……誰?」
私が入って来た入り口を塞ぐように立っているのは、冒険者風の装束を纏った人相の悪い男だった。それも一人じゃない、他にも何人か冒険者と思わしき人たちが立ち塞がっている。
数は……三人。男が二人、女が一人。私を見る目に好意的な色はなくて、蔑むような感情を向けているのがわかる。私は咄嗟に腰の剣に手を伸ばしてしまう。
「おい、俺は話をしに来ただぜ? 剣なんて抜かれたら……何をするかわからねぇな?」
「……冒険者同士の諍いはギルドでは御法度だよ」
「そうだ。だからちゃんとお話しようぜ?」
ニタニタと笑みを浮かべたリーダーらしき男が言う。その男に付き従うもう一人の男は無表情で、女の方は苛々した様子だ。
「……話?」
「そうだよ。お前、ガレットに捨てられたんだろ?」
「――だから、何?」
私が『黄金の鷹』を抜けたのを、私がガレットにとって邪魔になったから追い出されたと言っている人たちがいるのは知っていた。
私は同意の上でパーティーを抜けたと思っているし、ガレットに捨てられたとは思ってない。だから勝手な言葉に怒りが沸き上がりそうになる。
「なぁ、アネモネ。俺たちは仲良く出来ると思うぜ?」
「……はぁ?」
「――俺たちと組んでガレットに復讐しようぜ」
……復讐? この男は何を言ってるんだろう? 私がガレットに復讐する? 一体どうしてそんな誘いが私に来るのかがわからない。
「あのスカした野郎は前から気に入らなかったんだ。どうにか一泡吹かせてやりてぇ。だから俺たちと手を組もうぜ? お前だってあのスカした野郎に思うことが一つや二つはあるだろ?」
「……貴方が誰か知らないけれど、そんな事に頷けると思ってるの? 第一、なんでそんな復讐なんて、気に入らないからって理由で……!」
「ほら、見なさいよ。結局、仲間はずれにされたからって良い子ちゃんの仲間は良い子ちゃんって事でしょ?」
私が憤りに声を荒らげると、面倒臭そうに男の仲間である女が溜息交じりにそう言った。
「だからさっさと黙らせて、売り飛ばしちゃいましょうよ」
「……は? う、売り飛ばす……?」
「デミ・エルフって一部の好事家の間では人気なのよ。自分の子供にエルフの形質を受け継がせたい、っていう貴族様とかね。普通のエルフやハーフエルフよりは値段が落ちちゃうんだけどね?」
つつ、と唇を指でなぞりながら女が言った。その言葉の内容に背筋に悪寒が走って、肌が粟立つ。
女が私を見つめる目には、暗い愉悦の色が宿っていた。まるで私の反応を楽しんでいるかのような悪趣味さだ。
「ど、どうして私が売られないといけないの!?」
「それは貴方が、あの忌々しい女の、カトレアの妹だからよ!」
……意味がわからない。わかるのは、この女が姉さんに対して良からぬ感情を抱いているということだけだ。
でも、その苛立ちの矛先が私に向けられている。彼等に捕まれば、本当に売り飛ばされてしまうんじゃないかという危機感が私の脳裏で警鐘を鳴らしている。
「断られたら仕方ねぇよなぁ。この話を誰かに話されても困るしなぁ……」
「こ、こんな事が許されると思ってるの!?」
「バレなきゃいいんだよ! バレても、アイツ等が自分が追い出した元仲間が酷い目に遭えばどんな顔するか見物だなぁ! 泣くか? 怒るか? それとも、もう捨てた仲間なんてどうでも良いって忘れちまうかなぁ!?」
血走った目で私を見つめながらリーダー格の男が笑っている。その表情には、もう狂気しか宿っていない。
ダメだ、話し合いなんて出来そうにもない。入り口も塞がれているし、相手は三人。
……突破出来る? いや、多分無理だ。この人たち、どうしようもなく最低だけど実力だけは私以上にありそうだ。
となると、逃げ道がない。……いや、あるにはあるけれど、それはつまり、未探索の古代遺跡の奥に進むという選択肢だ。
もし逃げた先に罠があったら? もしその先が行き止まりだったら? それでも、差し違える覚悟で入り口に向かっても逃げられるとは思えない。
「わかってるよな? わかっちまうよなぁ……? もうお前は袋の鼠なんだよ! 黙って従ってればまだ痛い思いもしなくてすんだのかもしれないのになぁ!」
「ッ……!」
「これも全部ガレットのせいだ! カトレアのせいだ! あの二人が傍にいて守ってくれれば、こんな事にはならなかったのになぁ!? なぁ、落ちこぼれのデミ・エルフちゃん!」
……悔しい……! でも、何も言い返せない。私は、ずっとあの二人に、『黄金の鷹』に守ってもらった。
パーティーから外れた途端にこれだ。なんで、と思う気持ちがある。こんな理不尽な目に遭わなければならないのか全然理解出来ない。
このままアイツ等に従って、顔も知らない貴族の慰み者として売られる? 悪いことなんて私、何もしてないのに。そんな目に遭わなきゃいけない理由なんてない。
ガレットが憎まれていたから? 姉さんが恨まれていたから? なんでそんな理不尽を私が受けなきゃいけないの?
私は、もう『黄金の鷹』の一員じゃないのに!
(……嫌だ)
嫌だ、こんなの嫌だ。その思いが私に一歩を踏み出させた。
彼等に背を向けて、向かうのは遺跡の奥へ。道が繋がっていると信じて、逃げなきゃいけない。
遺跡同士で繋がってる可能性もあるし、振り切ってやりすごす事も出来るかもしれない。可能性はまだ残されてる。だから、私は走り出す。
「逃げたぞ! 追え!」
「腕一本ぐらいは飛ばしてもいいでしょう?」
ゾッとするような女の声が嫌になるほど、はっきりと聞こえた。
女がいつの間にか杖を構えている。その杖から淡い光が浮かび上がり、そして収束していく。
あの女も……魔法使いだ!
「――〝エアニードル〟」
放たれたのは風の針。螺旋を描くように空気を巻き込み、抉るように空を裂きながら私に向かって来る。
思ったよりも速度がある。心臓の音がどんどん早くなっていく。目の奧が熱くなって、涙が溢れ出す。
「あぁ、あぁぁあああ、あぁああああ――――ッ!!」
逃げなきゃ、逃げて、逃げて、助けて、誰か、誰か助けて……!
どんどん放たれる風の魔法を必死に避けながら、私は遺跡の奧へと駆けていく。幸いなのは道が複雑で、いくつも分岐があった事だった。
罠を精査している時間はない。追いかけてくる足音は早い。少しでも気を抜けばすぐに追いつかれてしまいそうだ。
(どっち……どっちに行けば良いの!?)
このまま進んで、戻ることが出来る? わからない。とにかく、今は上手くアイツ等を撒いて、入り口に戻って、外に出て街に助けを求めに行くんだ。
こんな事になったのも優柔不断だったからだ。一人で行動したからだ。切り抜けたら冒険者なんて止めよう。ギルドにいても危険かもしれない、それなら誰も知らないような街に行こう。
(だって、だっておかしいよ! どうして私が! ガレットと姉さんに恨みある人に理不尽な目に遭わされるの!?)
私はあの人たちを知らない。じゃあ、ガレットと姉さんが知らない所で買っていた因縁なんだろうとは思う。でも、そんなの私にこんな事をしていい理由にならない。
私はもう『黄金の鷹』を抜けたんだ。私には関係ない、関係ないんだ! なのにどうして売られて慰み者にされそうになってるの? わからない、わからない、わからない、わからないッ!
息を上げて、涙を零しながら全力で走る。後ろで追いかけてくる音は、もう心音に掻き消されてわからない。道もどう進んだのかわからない。ただ、直感に任せて走ってきた。
足がもつれて転びそうになる。それでも、足は止められなかった。怖い、ただ怖い。悔しくて、悲しくて、感情が滅茶苦茶になってどうしようもない。
走って、走って、ただひたすら走って――行き止まりに辿り着いてしまった。
「……う、そ」
そこには、暗闇が広がっていた。
穴だ、何もない穴。四角に切り取られた、どこまでも先が見通せない暗黒。
進む道はない。風がどこからか吹き込んでいるのか、風の音が聞こえる。
ただ茫然とその穴を見つめる。けれど、呆けている場合ではないと来た道を振り返る。
「 見 つ け た 」
そして、私が入って来た通路の先で、あの女が杖を構えて醜悪に笑っていた。
次の瞬間、私の腹部に衝撃が走った。ずぶり、と風の針が肉を抉るように貫いていた。
痛みは感じなかった。ただ、風の針が突き刺さってから意識が一瞬飛んだ。
――そして、気付いた時には宙を舞っていた。
あ、と呆けた声が漏れる。私の身体は、ぽっかりと空いた暗黒の真上にあった。
身体が闇に落ちていこうとする中、私に魔法を放った女のしまった、という顔が見えた。それを最後に私の身体は加速していき、何も見えなくなった。
(――死にたく……ない……)
力が入らない。悲鳴すらも上げることが出来ず、私は暗闇の穴の中へと落ちていった。