幕間:花は枯れ落ちていた 前編
※ここから心情的に辛い展開が続く場合があります。ご注意ください。
覆水盆に返らず。
一度、盆より流れ出た水はもう戻ることはない。
水を汲むことはおろか、元の水に戻すことなど出来はしないのだから。
* * *
『黄金の鷹』が本拠地としていたニューデールから遠征を始めて、二ヶ月が経過した。
予定より早めにニューデールを戻ることを決めたのはガレットだった。アネモネの様子が気にかかるから、という理由に誰も反対の声を上げることはなかった。
「離れてみると、色々と恋しくなるものだね!」
ミルーニがどこか明るい調子で言う。しかし、その声に応じる声はまばらだった。
ニューデールが近づくにつれて、ガレットとカトレアの言葉数は少なくなり、雰囲気がぴりぴりとし出す。
それを察してしまったミルーニが明るく振る舞うものの、それすらも萎むように言葉を無くしてしまうという繰り返しだった。
そんなメンバーの調子を見ながら、ダグリアスは溜息を吐いた。
(……アイツももうちょっと上手いこと、立ち回れたらなぁ)
ダグリアスの脳裏に思い描く人物は、カトレアの妹にして自分たちが追い出したアネモネのことだ。
ダグリアス個人の思いだけで言えば、彼はアネモネのパーティー離脱は眉を顰めるものだった。
確かにアネモネは戦場では役に立たないし、危険も伴う。だが、パーティーから外す必要まではあるのか? と問われればやりようはあったと思っている。
例えば、現場まで着いてこなくても拠点の街までは同行して、街で過ごしてもらいながら一緒に旅を続けるということも出来た筈だ。
アネモネの魔術はあれば嬉しい、なくても困らないというものだとガレットは言っていたが、それが無駄なのかと聞かれれば疑問を覚える。
それにアネモネはカトレアの妹だ。両親を流行病で亡くして二人で育ってきた姉妹を引き離すことは良いことなのか?
(とはいえ、あのままでも関係がめちゃくちゃになってたかもしれねぇしな)
だから、ガレットからアネモネを離す必要はあった。冷静に見えてお互いに冷静じゃない。すでに理屈ではなく感情の話になっている以上、話をしたところで上手くいくかもわからない。
だからこそ、ダグリアスは折衝案を出した。一度離れてみて自分たちはやっていけるのか。アネモネは本当にここに残りたいと思うのか。
それを確かめるための遠征だった。結果として、連携は出来ても空気が悪くなった『黄金の鷹』に、そら見た事か、と彼は思っていた。
ダグリアスはドワーフだ。ドワーフの多くは特性と先祖からの伝統で鍛冶職に手をつけることが多い。
しかし、武器は鍛冶だけでは成り立たないことも多い。ここに魔術が絡んでくるからだ。
ドワーフは頑固者が多いし、頑迷な気質が多い。そんなドワーフに多種多様に変化し、複雑な理解を要する魔術とは相性が悪いことが多い。
好きこそ者の上手なれ、で魔術を嗜むドワーフもいないこともないが、それはあくまで鍛冶関係なことが多い。
ダグリアスのように冒険者を目指すようなドワーフは、魔術に頼り切りになってしまうのは軟弱に思えてしまう。
だが、それは自分が使う場合だ。だからこそ、ダグリアスはアネモネの戦闘以外での働きを評価していた。
武器を作るのに鎚を振ってれば出来るものじゃない。素材や環境、設備。揃えなければいけないものは山ほどある。
手入れを怠れば武器はどんな名のある武器であっても劣化する。それは人も同じだ。
(ただ剣を振ってれば良いんじゃねぇって、ガレットもわかっていた筈なんだがな)
如何せん、そこは恋の病だ。判断を誤ったとしても、気持ちがわかるだけに責めきれない。つける薬もないのが悩ましい所だ。
なら、一度思い切ってみる必要はあった。ダグリアスは自分の判断は間違っていなかったと思っている。
そう、きっと誰かが間違っていた訳じゃない。間違っていたとしても、それは足りていなかっただけ。
もう少し早く、この問題が表に出ていれば。アネモネを外さなければ改善の兆しが見えないほどに混迷しなければ。
望みは繋げる筈だった。それでも叶わないことがある。
それを人は、きっと不幸だったのだと嘆くことしか出来ないのだろう。
* * *
『黄金の鷹』がニューデールの冒険者ギルドに姿を見せた時、中にいた者たちは誰もが息を呑んだ。
声を潜めて小声で話し合う者や、ガレットたちから目を逸らす者。その反応はどう見ても久しぶりに戻って来た冒険者パーティーに向けるようなものではない。
(……何?)
その反応にカトレアは眉を顰める。同時に、何か言い様のしれない嫌な予感が過った。
気のせいだと誤魔化すように首を振って、ギルドの中へと視線を巡らせる。そこにアネモネの姿はない。まだ家にいるのだろうか? と不安に胸をざわつかせる。
(まず、アネモネに謝らないと……)
それからちゃんと話し合おう、これからの事を。
しかし、カトレアは次の瞬間、予想もしていなかった事に言葉を失うことしか出来なかった。
「ガレット……戻って来たのか……」
ガレットも周囲の異様な空気に気付いていたのか、少し困惑している。そんな彼に声をかけてきたのはギルド長だ。
その表情に再会を喜ぶような色はない。ただ、心底申し訳なさそうに唇を噛みしめている。またカトレアの胸中に嫌な予感が脈打つように広がっていく。
「ギルド長?」
「……すまない、ガレット! カトレア! 俺の……俺の責任だ!」
深く頭を下げて、ギルド長はガレットとカトレアに謝罪を口にする。何故、謝罪されるのかわからないと二人は困惑を表情に出してしまう。
「ギルド長……? あの、一体何を……」
「……アネモネが」
「……え?」
「――アネモネが、行方不明になってもう二ヶ月経つ……生存は、もう望めないかもしれない」
何を、言っているのか理解が出来なかった。
カトレアはバラバラになってしまった思考を紙一重に繋ぎ止める。ゆっくりと積み上げるように思考を取り戻そうとして、けれど上手く行かない。
アネモネが? 行方不明? 生存は……望めない? 意味が、わからない。言葉一つ一つの意味がわかるのに、内容が繋がらない。
「…………え?」
「俺の監督責任だ……! どう罵ってくれても構わない。お前たちから預かったのに、言い訳のしようもない……!」
「ま、待ってくれ、ギルド長! アネモネが行方不明とは、どういう事だ!?」
ガレットが焦燥した声でギルド長に問い詰めている。その間、カトレアは世界がぐらぐらと揺れたように真っ直ぐ立っていられなかった。
咄嗟に誰かに支えられたかと思えば、それはダグリアスだった。ダグリアスは厳つい顔をいつもより険しくさせていた。
詳しい話は奧でする、とギルド長の執務室に通された『黄金の鷹』。ギルド長は椅子に座り、握り合わせた拳を額につけ、祈るような姿勢でガレットたちと向き合う。
「……お前たちが旅立って後、すぐの話だ。俺はアネモネに新しく発見された遺跡の入り口を保護するため、魔術をかけてもらうように依頼をしたんだ」
「新しく発見された遺跡の入り口……」
「あぁ、危険度もまだわからん。だからあくまでアネモネに頼んだのは入り口の保護だけだった。……だが、そこで事件が起きた」
「事件……?」
ギルド長は顔を上げる。苦渋を煮詰めすぎて、見ていて痛々しいほどに顔を歪めたギルド長は淡々と告げる。
「……ある冒険者パーティーがアネモネを襲った」
「は?」
「犯人は三人。……その内の一人が自首してきたよ。動機はガレットとカトレア、お前たちへの嫉妬と恨みだ」
やっぱり、意味がわからない。カトレアは先程からぼんやりとギルド長の言葉を聞くことしか出来ない。
一方で、ガレットが席を立ちそうな勢いで拳を机に叩き付けた。ミルーニが大きく肩を震わせて、小さく悲鳴を零した。
「……どういう事だ」
「言った通りだ。そいつらの動機は……いや、自首してきた奴は脅されてたのか。残りの二人はガレットとカトレアを恨んでいた。その矛先をアネモネに向けたんだ」
「何故、アネモネを!? 俺を恨んでいるなら、俺にぶつければ良い! アネモネは関係ない!」
「だが、アネモネが『黄金の鷹』の一員だったのも事実だ」
冷静に指摘したのはダグリアスだった。ガレットが弾かれたようにダグリアスを見るも、ダグリアスはガレットに視線を向けない。
「……話を続けてくれ、ギルド長。それでアネモネの生死が定かでないというのは?」
「……すまない。アネモネはお前たちへの復讐に結託を持ちかけられたが、それを断ったらしい。そうしたら、そいつ等はアネモネを捕らえて好事家に売り払おうとしたらしい。そしてアネモネは遺跡の奧へと逃げ込んだ」
「発見したばかりの遺跡にか!?」
「そうだ。……自首してきた奴は直接見た訳ではないが、アネモネを仕留め損なった、だが大怪我はさせたからすぐに死ぬだろう、と言ってたそうだ」
「そんな……!」
ミルーニが口元を抑えて、信じられないと言うように呻いた。
ギルド長は拳を固く握り締め、歯ぎしりをさせてから言葉を吐き出す。
「勿論、自首してきた奴の証言が取れた後、遺跡の探索させた。……だが、アネモネを発見することは出来なかった」
「……残りの二人はどうした?」
「自首してきた奴が密告したのを悟ったのか、逃げられた。……本当に、すまない」
ギルド長が再び、深く頭を下げた。ガレットは呆然としているし、ミルーニは信じたくないと言うように首を左右に振っている。
「……カトレア」
ダグリアスは、話を聞いているのか聞いてないのかも定かでないカトレアに声をかける。
カトレアは、表情が抜け落ちて人形のようになっていた。
「……いかなきゃ」
「カトレア……?」
「ギルド長、遺跡の場所を教えて」
「カトレア……気持ちはわかるが、もう二ヶ月だ……アネモネは……」
「――いいからッ!! 場所を教えてッ!!」
殺気すら込めた叫びに、誰もが戦闘態勢を取りそうだった。それだけカトレアの殺気が強烈なものだったからだ。
「私が……! 迎えにいかなきゃ……! アネモネを……!」
死んだって、そんなことある訳ないじゃない。
だって、私の帰りを待っていてくれてる筈だったんだもの。
信じない、絶対に信じない。だから、アネモネを迎えにいかなきゃ。
バラバラになってしまいそうな心を繋ぎ止めるには、そう信じることしかカトレアには出来なかった。