第三話:自覚
両親が流行病でいなくなってしまった。
眠っているように死んでいる両親を見つめていた姉さんの顔を覚えている。感情が欠落してしまったような表情を。
その表情をどうしようもなく恐れてしまった。だから姉さんと離れないように、あんな表情を見たくないと思って走り続けてきた。
でも、私の走る速度では皆の速度には追いつけなくて、私は結局一人になった。
死ぬのは怖い。何もかも失ってしまうのは耐えられない。なのに、大事にしたかったものは私の手から離れていってしまう。
誰も私を必要としない。姉さんだけが、ただ私を必要としてくれた。
だけど、姉さんだって私の手を離した。誰も私の手を握る人はいない。
苦しかった時、助けて欲しかった時にあの人たちは助けてくれなかった。
私の人生は置いていかれて、手を離されるだけの人生だ。
――私は、幸せだったのかな?
一度、問いかけてしまえばダメだ。一度迎えた死の間際で止めていた感情が溢れ出していく。
私が私じゃなくなっていきそうな感覚。底無しの闇に落ちて、泥のような闇が身体に纏わり付いていくようだ。
私が不幸だったのは、私が悪かったの? 私には姉さんしかいなかったのに。
実力が足りないから悪い? そんなの私が望んだことじゃないのに。私が望まれただろう才能は姉さんが持っていた。私には何もなかった。
誰からも必要とされなくなった私に、一体何が残ってるっていうの?
慰み者として売り飛ばされそうになって、自分への恨みじゃない当て付けで人生が滅茶苦茶になった。
許せなくて当然だ。そんな自分の囁きが聞こえて来る。この声だ、この声を聞きたくなくて私はずっと耳を塞いでいた。
目も閉じて、自分が変わってしまわないように堪えるので精一杯だった。
罅割れていく。また自覚してしまった心はもう止まらない。
一度迎えた死の間際で止めていた感情が、戒めを解いて吼えているかのようだった。
憎い、憎い、憎い。私を見捨てた、私に何も与えなかった人たちが、世界が、全てが。
そんな風に思う私こそ、消えてしまうべきなんじゃないかって。それでも私は死ぬのが怖かった。
――私は、変わり果ててしまった私が嫌いだ。
* * *
……そんな夢を見た。私が目を背けていた自分を見つめ直す夢を。
後頭部には柔らかい感触。目を開けば、ルクスリアの胸が見えた。どうやら私は彼女に膝枕をされていたみたいだ。
「あら、起きた?」
「……ルクスリア」
「気分はどう?」
「……最悪」
私の頭を撫でるルクスリアの手を払い除けて、私は勢い良く身を起こした。その勢いだけで吐いてしまいそうになる程に気持ち悪かった。
「……これがルクスリアの言う荒療治?」
「えぇ、自覚出来たでしょう?」
「こんな感情を自覚したくなかった」
胸を掴むように押さえて、私は背を丸めるように身を縮める。こんなに煮えたぎるような感情、どうしたって持て余してしまう。
何を思ってルクスリアは私に自覚させようなんてしたんだろう? そんな思いからルクスリアを睨み付けてしまう。
「怖い目で睨まないの。いえ、良い傾向だけどね」
「これのどこが良い傾向だって言うの?」
「わからない?」
逆に問い返されて私は言葉に詰まってしまう。私がわからないから聞いたのに、逆に聞かれたって答えられる訳がない。
するとルクスリアは私へと近づいて来て、私を抱き寄せるように捕まえてきた。
「人が生きたいと思うのに本能だけでは足らないからよ。それは死んでいないだけ。アーネを二ヶ月、見守ってきた結論よ。貴方はただ死んでないだけ、私が命を拾い上げたあの時から時間が止まっていたようにね。でもね、そんなのは私がつまらないの」
ルクスリアの手が私の頭を撫でる。抱き寄せながら頭を撫でられるとルクスリアの存在を嫌でも感じることになる。
「今までは正しくないと生きられなかった。貴方には最悪か最善しか選べなかった。でも最善を選び続けてこんなに傷ついたなら……いいじゃない。最悪を選んでも」
「……それは」
「怖いんでしょう? 今まで拠にしてきたものを否定するのは。正しくなければ傍にいられなかった。正しくないと愛されなかった。でも、そうやって痛めつけた所で貴方は何も得られなかった。貴方は正しくありたいんじゃない。何も失いたくないから目を逸らしているのよ。もう、その手には何も残ってないのにね」
耳が塞ぎたくなるほどに痛い言葉なのに、ルクスリアの声は耳を抜けて頭に染み渡るようだった。
だから抵抗が出来ない。これはルクスリアの甘言だとわかっても、その甘言を払い除ける力が私にはない。
「私は貴方のお姉さんとは違うわ。私にとって貴方は唯一だもの、だから私たちは運命を共にする同胞よ」
「……こんな私でもですか?」
「悪魔にそれを問うの? 世界を破滅にすら導きかねない者よ、私は。だからね、アーネ。私は貴方の全てを肯定してあげる。あなたの美徳も、悪徳も、歪さも、全部、ぜーんぶね。だから――堕ちちゃいなさい?」
優しく、甘く、蕩けるような声でルクスリアが言う。身体から力が抜けてルクスリアに身を預けてしまう。
私の視界がルクスリアの手で覆い隠されてしまう。視界が真っ暗になると、ルクスリアの声はもっと私に染み渡ってくるように響く。
「少しずつでいいわ。正しくあろうとしなくても、綺麗な存在であろうとしなくても良いわ。貴方は貴方らしく生きて、幸せになりなさい? 私は貴方の思いを肯定してあげる。だから、もっと私に依存して、私と一緒に生きてね? 面白おかしく、この世界を生きていきましょう?」
「……ルクスリア」
「なに?」
「……今の貴方、もの凄く悪魔っぽいです」
「当然でしょう? ――悪魔だもの」
* * *
その後、今後の方針をルクスリアと話し合った結果、近場の街を探して情報収集をすることにした。
二ヶ月間、ずっと人がいる場所を避けるようにして移動していたから現在の位置が定かじゃない。仮に私の足取りを追われたとしても私を見つけるのは難しい筈だ。
街に向かうのは現在位置を知ることと、今後も旅に必要なものを揃えること。そして、他の悪魔のいるだろう遺跡の情報を得ることだ。
他の悪魔がいる可能性がある遺跡の位置はルクスリアがだいたい知っているらしいので、現在位置を把握して地図を用意すれば探しにいくことは出来る。
目を逸らしていた自分自身を自覚したのは気分的には良くないけれど、気は楽になったと思う。変に取り繕う、という意識が消えたからだ。
だから、これなら街に入っても大丈夫だし、私はもうどこかに根を下ろして生活しようとは思わない。なら人の縁も程々に結ぶのが良いだろう。
そう割り切ってしまえば人を避けようという気持ちも薄くなってきた。そうして気持ちを切り替えた私は更に一週間ほど旅を続けて、森の傍に続いていた街道を辿って街へと辿り着いた。
街の名前はカンファー、その名前は私も聞いたことがあった。ここは植林の街と呼ばれていて、近くの森から良質な木材を取ることが出来て、昔から森を伐採しすぎないように植林にも力を入れている街だ。
そして、カンファーには他にも観光地としての側面もある。その理由は、ルクスリアも知っていた。
『……あぁ、ここフォートレリスの近くなのね』
「ルクスリアも知っていたんですか?」
『昔から変わってないみたいだしね』
カンファーの木材を伐採している森林、その奥に広がっている更なる大森林の奧にはエルフ発祥の地とも言われているフォートレリスという地が存在する。
エルフの中でも特に長命で、特別なエルフであるとされているハイエルフが暮らしている土地としても知られていて、エルフにとっては聖地のような扱いになっている。
エルフの他にもリカントのような獣人たちの集落もあるので、彼等の文化を保護するための世界からも保護区として認定され、古代からの文化と姿を残し続けている。
デミ・エルフとはいえ、私もエルフなので名前は知っている程に有名な場所だ。
『流石に私たちが神と共にあった時代から生きてるエルフや亜人はいないと思うけど』
「でも、悪魔について何か知ってるかもしれませんよ? 尋ねてみますか?」
『止めた方がいいわよ。災厄としての悪魔しか伝えられていなかったら討伐されるわよ』
「…………それもそうですか」
『それに地図と現在位置さえわかれば、だいたいの推測は立てられるわよ。それは後にして、まずは一休みしましょう?』
ルクスリアの提案に私は頷いた。この二ヶ月間、ずっと野営だった。久しぶりに手料理らしい料理も味わえるし、ベッドで寝ることも出来る。
そう思うとお腹の腹の虫が鳴いた。ルクスリアに荒療治されるまで、空腹感も曖昧だったのに現金なものだな、と思いながら私は宿を探すことにするのだった。




