俺の少し変わった幼馴染
「おーい、雅都くーん! 朝ですよー! 起きなされー!」
耳元で女の声がする。よく小説とかなら、この声を小鳥のさえずりのよう、とか表現するのだろうけど、残念ながら俺にはそうは思えなかった。どちらかというと小鳥のさえずりというよりも、カラスの鳴き声のような声だ。
「起きましょーう! 朝ですよー! 遅刻しますよー!」
おかしい。毛布を頭から被ったのに、カラスの鳴き声は止まる気配がしない。むしろより一層大きくなった気がする。
「…………」
仕方ないので、俺はモゾモゾと芋虫のように毛布の中から這い出す。顔を上げると、目の前にあった女の顔と目が合った。
「あ、やっと起きたぁ。前々から思ってたけど、雅都くんってなかなかに低血圧だよね。何度叫んだって起きないんだもん」
「……別に毎日起こさなくてもいいって言ってるだろ、友理」
俺はあくび混じりに、先ほどまでカーカーと鳴いていた女の名を呼ぶ。
彼女━━━「夢上 友理」は、空色の瞳をコチラに向けていた。肩の下辺りまで伸ばした髪と、小さめの顔がチャームポイントである(本人談)。
「そういう訳にはいかないよ。なんたって私は、雅都くんの幼なじみですから! 私はいつも雅都くんを幸せにするために頑張ってるんですよ!」
「俺を幸せにしたいのなら、このまま寝かせていてほしかった」
何故か胸を張る友里を尻目に、俺は背骨をパキパキと鳴らしながらまだ名残が残るベッドを抜け出した。やや睡眠時間をとりすぎたためか頭がふらついて歩きにくい。
階段をノロノロと降りる俺の後ろを、友里はトコトコと着いてきた。
俺と友里は幼稚園の頃に初めて知り合い、今も一緒にいる。一般的には俺たちの関係は『幼馴染』と呼ばれるものなのだろう。
幼稚園の頃の俺は、今よりは社交性があり友達もそれなりに多かった。友里もその友達の一人で、子供特有の無邪気さで異性の壁を越えて仲良くしていたと記憶している。
その幼稚園年長の時のある出来事がきっかけで、俺と友里は会えなくなってしまっていたのだが、俺が高校生になった時、急にふらっと友里の方から俺のもとにやってきたのだ。もちろん最初は戸惑いまくった。しかし状況を飲み込めた後では、俺が友里を拒む理由はないので普通に接している。
そうして三ヶ月ほど過ぎた結果、今の友里は完全に俺の目覚まし時計代わりだ。
二発目のあくびをしながらリビングに向かうと、すでに朝食が盛り付けられた皿が机の上に並んでいた。美味しそうな匂いと、ご飯に目玉焼きとベーコンという王道の組み合わせが食欲をそそる。
やっべ、朝からテンション上がりそう。
「ああ雅都。やっと起きたの?」
そんな俺の胸の高鳴りに水を差す存在が一人。振り向くと先程まで顔を洗っていたのか、タオルを片手にぶら下げた俺の母親が立っていた。
やっば、テンション下がってきた。
「起きたんなら早く朝ご飯食べちゃいなさい。遅刻するわよ」
さらに食欲の下がるセリフ。友里は母親のセリフに同調するようにうんうんと頷いている。
「大丈夫だよ、俺歩くの早いから。ちゃんとHRには間に合うって」
「前もそう言って遅刻したんでしょ!」
母親の憤怒の声に思わず顔を背ける。
その後ろでは友里が「そーだそーだー!」と野次を飛ばしている。うるさい。
あと、母親は一つ勘違いしているようだが、あれは遅刻じゃない。友里が調子にのって車の前に飛び出したり、通りすがった坊さんとひと悶着あったりしたせいで、時間を食われてしまったんだ。車の前に飛び出したのはともかく、坊さんとひと悶着あったときにはさすがに焦った。
まぁ、そんな事を母親に言っても、ただ笑い飛ばされるだけだろうし別に言わないのだが。
これ以上母親を怒らせるのも嫌なので、俺はさっさと飯を食った。途中で尻目に見たテレビでは、幼稚園児が交通事故で死亡したことを報じるニュースが映し出されている。
俺と同じようにそのニュースを見ていた母親が「あなたそういえば幼稚園の頃……」と呟いていたが、俺は無視して友里を連れてさっさと家を出た。
外に出た瞬間、ムワッとした空気が顔を包み込んだ。季節は既に六月の下旬。そろそろ天候も梅雨から夏へとクラスチェンジを始める頃合いであり、それゆえに今の大気は湿気と暑さが混じった非常に気持ち悪いモノとなっている。
恐らく学校に着く頃には、今着ているカッターシャツは汗でぐっしょりと濡れていることだろう。
「いい加減高校は徒歩通学、自転車通学に続く第三の通学方法、自動車通学を採用するべきだと思うんだが」
「なにバカなこと言ってんのさ。あたしらはまだまだ風の子なんだから、もっと歩かないと」
アホなことを言い合いながら友里といつもの通学路を歩く。ここ数週間でようやく慣れてきた光景だ。
「ほらほら、雅都くん遅刻しそうなんだからもっと走って! 熱くなれよォ!」
血圧高めに叫びながら俺の前を走る幼馴染にはため息を吐くしかない。
昼間からならともかく、朝っぱらからこのテンションに付き合うのはなかなかにキツイ。高校に入ってから気付いた友里の特徴だ。
そんな彼女の体をよく見てみれば、彼女は顔に汗一つ浮かべていない。便利な体だな。
「ったく、友里は━━━」
「ちぃーっす、雅都」
友里へ文句の一つでも言おうとした時、後ろから彼女とはまた別の声が耳に届いた。慌てて言いかけていたセリフを飲み込む。
友里とは別の声の主は、彼女の脇をすり抜けて俺の肩を叩いた。助走アリの肩叩きなだけあって少し痛い。
「おお。ういっす」
あいさつを返して、俺はすぐに前を向いた。俺と友里の間に割り込むようにして並んだその男は、俺よりも少し高い位置から目線を向けてきた。
「そろそろ本格的に暑くなってきたな。いい加減高校は自動車通学を採用するべきだと思うんだが、どう思う雅都?」
「俺と同レベルの思考やめてくれません?」
自分のアホさ加減を改めて見せつけられたようで、メチャクチャ恥ずかしくなってきた。バカ騒ぎをしているときに、隣でもっとバカな事をしているヤツを見て、頭がスッと冷えていくようなあの感覚に近い。
この男とは、テストで常に赤点ラインぎりぎりを共に飛行しあう戦友なのだが、最近それに不安を覚えてきてもいる。こんなアホな会話をしていて、俺らは無事に社会へ飛び立てるのだろうか。
と、自分とコイツの双方の未来について心配していると、
「ねね、雅都くん。この人ってなんて名前だっけ?」
いつの間にか俺の反対側に回り込んでいた友里が小声でそんな質問をしてきた。ご丁寧に口の横辺りに手を添えて。
小声とはいえ、本人を前にしてなかなか失礼なことを言うものだ。いくら友里はコイツに気を使う必要が無いからってさ。
「いい加減覚えろよ。中学の頃からの知り合いの笹鐘だ」
友里に合わせて俺も小声で説明する。
どうでもいいが、例え知り合いでも自分の両隣を挟み込まれるのは、何とも言えない息苦しさのようなものを感じる。
「あーっ! 中学の頃の知り合いか~。どーりで私の思い出に記録がないわけだよ~」
幼稚園と高校のはだいたい把握してるんだけどな~、と言いながら有里はコツン☆と自分の頭を小突いてみせた。正直に言おう、全く可愛くない。
「思い出とか把握とかって、お前は俺のオカンか」
「雅都くんのことならだいたいは知ってるよ~。幼稚園での出来事とか、高校からの試験の点数とか、本棚の奥に隠しているブツのこととか」
「オイこらテメェ。思春期男子のゴミ箱と本棚の奥を見るのは万死に値する罪だぞ」
「さっきから何をブツブツ言ってんだ?」
ついヒートアップして声を荒げてしまい、隣の笹鐘が不審そうな目を向けてきた。
「ああいや、なんでもねぇよ」
「べ、別になんでもないって」
口に出したセリフ、タイミング、共に友里とかぶってしまった。これが幼馴染関係の成せる技……かは知らない。
「ふーん……? まぁいいが。それよりも雅都、俺まだ数学の課題やってねぇんだよ~。後で見せてくれよ」
「お、おう。いいぜ」
やや目に不審の色を残しながらも、笹鐘はいつもの会話を展開し始めた。そのことに安堵しつつ、俺は横目で友里を睨む。友里はごめんごめん、と言いながら顔の前で手を合わせた。とりあえず家に帰ったらすぐさま例のブツを処分するか隠し場所を変えるかしよう。友里に見つかるよりも早く。光よりも早く。
それからしばらくは、俺は笹鐘の言葉に相槌を打ちながら学校への道を歩いた。友里は俺に話しかけるようなことはせず、ただ黙々と歩き、時々木にへばりつくセミに目を留めたりしていた。友里は基本的に俺と二人でいる時しか話しかけてこないのだ。
(そういえば友里って、幼稚園で初めて知り合ったときから、人見知りな面があったな)
関係ないことなのに、何故かそんなことを思い出した。
結局学校に着いたのは、HR開始の一分前だった。
聞く気のない授業ほど長く、退屈に感じるものはない。
24時間にも思えた授業が終わると、俺はそそくさと弁当を準備し始めた。
朝まで俺と行動を共にしていた笹鐘は別行動で学食へと行っている。曰く、笹鐘の母は味オンチだから弁当はあまり作らないらしい。学食まで着いていくのも面倒なので、俺は基本的に教室で一人飯をするようにしている。
寂しくないかって? 慣れればどうということはない。……たまに寂しくなるが。
まぁそんなことよりも、今は昼飯だ。高校生にとって、昼の弁当はまさしく燃料である。
弁当箱を開けると、中身は卵焼きや肉、野菜とでバランスよく彩られていた。
朝食同様、見るだけでもう腹が満たされそうになる。
「わー、すっごい美味しそうだねぇ」
視覚的にも優しい弁当は友里にも好評価のようだ。回りの連中がそれぞれのグループで机を繋げているなか、友里は特に机も動かさず俺の机に張り付いていた。
「いただきます」
しっかりと手を合わせ、ゆったりとした口調で言う。
「どうぞめしあがれ~」
「別に友里が作った訳じゃないだろ」
「そうだけどさ、なんか言いたくならない?」
「ならない」
「あれー?」
適当に言いながら、俺は弁当の具を口に放り込んでいった。具の中に冷凍食品はほとんど存在せず、逆にもう少しサボってもいいんじゃないかと思うほどに一品ずつしっかりと作られている。見た目によらず真面目だな、オカン。ありがとう。
心の中で、別の意味で手を合わせながらだし巻き玉子を食べようとすると、急に友里がクスクスと笑いだした。
「どうしたんだ急に笑って。気持ち悪いぞ」
その台詞に反応してか、近くで食べていた女子グループの一人が━━━俺の対面に位置する女子だ━━━不審者を見る目を寄こしてきた。しまった、いらぬ誤解を与えてしまったかもしれない。
まぁそれはともかくとして。
「その玉子焼きを二分割して食べる雅都くんの癖、幼稚園の頃から変わってないなぁって」
「そうだったか?」
一先ず友里との会話に戻り、俺は首を捻った。
自分の癖なんて他人に言われなきゃなかなか気付かない。でも言われてみれば、確かにこの食べ方は幼稚園児の頃からしていた気がする。
「私に力説してたじゃん。『なぁ夢上、知ってるか? 美味しいものって、半分こにすれば二回食えるんだぜ』て」
かなり痛いことを言ってたんだな当時の俺。今になって恥ずかしくなってきたぞ。
あと俺の声真似が妙に上手くてなんかムカつく。
「よく覚えてんなぁ」
「幼稚園のころの和真くんのことならたくさん覚えてるよ~。アブラゼミ捕まえに行ったり、スイカ一緒に食べたり~」
幼稚園のころの出来事など記憶の彼方なので、そこら辺の話で盛り上がられても困るのが正直なところなのだが……まぁ友里が楽しそうだし黙っとこう。
友里が俺と語り合えることなんて幼稚園のことまでなんだし。
半分ほど聞き流しながら俺はまた玉子焼きを二分割した、ちょうどその時。
「ね、アイツさ……」「今日もやってるよ……」「これ放っといて大丈夫なの……?」「気持ち悪いんだよ……」
息を潜めて話しているような様子の声が俺の耳に届いてきた。
なにかと思って辺りを見回してみると、先ほど俺に視線を寄越した女子が所属するグループが、俺を見て話していた。こちらには聞こえていないつもりで話しているのだろうが、声の音量調節が出来ておらず丸聞こえである。
そうして視線を回りに向けてみると、彼女らだけでなく他のグループでも俺を見てヒソヒソと話しているような声があった。
……人の陰口を話すのは別に構わないが、それなら本人に聞こえないように話すのがマナーじゃないのか?
少し腹を立てるが、まぁアイツらの意見ももっともだと思うので何も言わないでおく。
「どうしたの雅都くん?」
「いや、なんでもない」
友里には聞こえていないのがせめてもの救いか。アイツに変に気を使われるのは困るし。
陰口が嫌なら耳を塞ぎ、聞こえないフリをすればいい。もう慣れたものだ。
その後俺は、友里との会話もそこそこに黙々と弁当を食べ続けた。
「きをつけー。ありがとうございましたー」
やる気のないクラス委員のあいさつをもって、今日の授業が終了した。特に部活に所属している訳でもないので、俺は真っ直ぐ教室を出て廊下を歩く。
友里もいつの間にか俺の後ろに着いており、俺たちはまるでカルガモの親子のように昇降口へと向かっていった。
「おーい。雅人ー」
校門をくぐると、一人の生徒が声をかけてきた。見てみると知り合いの男子生徒が俺に向かって手を振っていた。
「宮滝。どうしたんだ?」
宮滝は、始業式の日にたまたま席が近かったという理由でつるむようになった俺の数少ない友人の一人だ。背丈は俺よりも低いが、これでもバスケ部の一軍で活躍しているらしい。ホント、人の才能とか能力って平等じゃないよね。
見ると校門近くには、宮滝だけではなく笹鐘もいた。笹鐘は俺の姿を認めると、
「宮滝と話してたんだが、この後みんなでカラオケでもいかねぇ? どうせ暇だろ?」
お前は俺のことをなんだと思っているんだ。俺は別に年中暇してるわけではないんだぞ。
……まぁ、この後別に用事はないんだが。
「カラオケね……」
そう言いながら友里の方をチラリと見る。
「私のことはいいよ。気にしないで」
俺の視線に気付いた彼女はパタパタと手と首を振った。まぁ友里がそう言うならいいか。実際この後は暇だし。
「それじゃあ、俺はお呼ばれしたから行ってくるな」
「ん。それじゃあ私は適当に外をぶらついとくね~」
友里は嫌な顔一つせずそう言った。器の大きいヤツである。
「なーにブツブツ話してんだよ。ホラ、早くいこうぜ」
広滝がグイグイと引っ張ってくる。そんなに焦らなくても俺は逃げないっての。
「一人で寂しく帰るよりも、多人数でなんかする方がいいだろ? お前別に女っ気あるわけでもないし」
「言いたい放題言ってくれるな」
去る寸前、友里に向けて小さく手を振った。
友里は人目を憚ることなく、大きく手を振り返してくれた。
そして次の瞬間、友里の前を一台の車が通った後、友里の姿はもう見えなくなっていた。
まるで幽霊のように、その姿は消え去っていた。
それを見届けてから、俺は笹鐘広滝コンビとカラオケに行ったのだった……。
『続いてのニュースです。十年前に起きた女児轢き逃げ事件についての、新しい情報です』
とある家の、深夜二時。俗に丑三つ時と呼ばれる時間帯のリビングから、青白い光が灯っていた。
誰もいないはずのリビングで、何故かテレビがつけられていた。家の住人が消し忘れたわけではなかった。
「ふふっ」
ふと、暗いリビングに声が響いた。
誰もいなかったはずのテレビの前のソファーに、ある少女が座っている。先ほどまでそこにいたようには思えなかった。
少女は小さく笑いながら、テレビの光をもう少し濃くしたような空色の瞳を画面へと向けている。
その瞳には、あるニュースの映像が映っていた。
『十年前、暴走する乗用車に信号待ちをしていた一人の女児がはねられる事件がありました。
『死亡したのは、当時幼稚園児だった「夢上 友里」さんです』
『警察は捜査を続けておりますが、まだ犯人の逮捕には至っておらず━━━』
プツン、と。
そこまでキャスターが話したところで、テレビの電源は突然切られた。
切ったのは言うまでもなく、少女である。
「なぁんだ、まだ見つかってないのかぁ」
少女はそう言って、ブラブラと足を揺らした。
彼女は何がおかしいのか、クスクスと笑いながら言った。
「私をコロシタ人。早く捕まればいいのになぁ」