42 召喚者――最大の隙――
2025/10/04 文章一部修正
武者震いをしながらも斎藤は結界に触れ、侵入する。
その瞬間……目前に大きな炎の塊が迫っていた。
「燃えて灰になれ」
斎藤は高熱に身の危険を感じ、横に転がって躱すことに成功する。
いきなりの奇襲に驚きを隠せないが、この勝負に始まりの合図なんてものはない。あるとすれば結界に入ったことが合図だ。戦場であることを忘れていたわけではないが、どこかスポーツの試合のような感覚が強かった。命の危険を感じた斎藤は油断を恥じ、気を引き締める。
「はっ、上手く躱したな。だがそれで終わりじゃないぞ。殺せ、炎の魔人!」
「炎の魔人……?」
何かに叫ぶ狩屋だが、それらしき影はどこにも見当たらない。
「後ろ!」
「え?」
神奈達の焦った叫びを聞いた斎藤は後ろを振り向く。斎藤の後方では、成人男性を大きく上回る炎の巨人が、高熱の拳を振り下ろそうとしていた。
「WOOO!」
「くそっ!」
バックステップでなんとか避けた斎藤は、炎の魔人の正体に勘付く。
結界内への侵入時に襲ってきた炎。狩屋が魔法を使用したのだと思い込んでいたが、初手で召喚した魔法生物に襲わせたのだ。
攻撃に使用されたエネルギーが本当に魔法なのか、戦闘中は注意する必要がある。もしかしたら魔法ではなく生物かもしれない。それは常に最大限の警戒をしなければ見極められない。
「少しは戦えるな。なら、もう少し大物を呼び出してみようか。来い……フローズンドラゴン!」
「なっ、嘘だろ……」
召喚の魔導書を、狩屋のことを斎藤は甘く見ていた。召喚出来るのは一体のみと思い込んでいたのだ。
魔力に余裕がある限り、召喚の魔導書は魔法生物を何体でも召喚出来る。そもそもスプリやサマー達は魔導書から召喚されている生物なので、一体しか呼び出せないという予想は最初から的外れである。
「GUOOO!」
狩屋の傍に四メートル弱の竜が出現する。体は水色の鱗に覆われており、口から漏れ出る吐息は周囲の気温を低下させる。
正面には炎の魔人。背面には狩屋とフローズンドラゴン。斎藤の実力では炎の魔人と戦うのでも精一杯で、絶望的な状況だ。
しかし状況は悪化の一途を辿る。
「いたっ!」
打開策を思索する斎藤は右膝の辺りから痛みを訴えられる。
顔を痛みで歪めながらも見下ろすと、数十匹の蟻が地面を這い回り、数匹の蟻が斎藤の足を登って肉を齧っていた。
「人喰い蟻。肉を齧られて痛いだろう?」
「うぐっ、このっ!」
足にいた蟻を手で払い落すと斎藤は顔を上げる。
正面にいる炎の魔人が拳を振り上げていたのを見た斎藤は、迎撃の術を持たないので、またもバックステップで距離をとる。そうすれば狩屋との距離が近くなるが気にする余裕はない。
後ろに跳んだのはいいが、二メートル弱はある氷柱が勢いよく斎藤に向かって来ていた。フローズンドラゴンから放たれたものだ。尖った先端に直撃すれば人体を貫通してしまう。
斎藤は背後から迫る敵に気付き、着地すると同時に腰を捻って躱す。氷柱が頬に掠ってしまったので線状の傷が出来て血が滲む。氷柱は炎の魔人に当たって溶け、蒸発して完全消失した。
「どうした、逃げるだけか? まあこの俺相手じゃしょうがない。お前も使ったらどうだ、その攻撃の魔導書を」
防戦一方なことは斎藤もよく分かっている。
それでも究極魔法は使わない。
斎藤の魔力の少なさと実力、究極魔法の魔力消費の膨大さを考えて、一発しか撃てないことを狩屋は予測している。安易に使って動けなくなったところを叩くつもりなのだ。
切り札はとっておけとレイにも忠告されている。
その一発は勝利の希望。絶対に当てられる時にだけ使うべきである。斎藤は安い挑発には乗らず、親指と人差し指を銃のような形にして炎をイメージする。
「行け! 魔技、〈炎の矢〉!」
炎で作られた一本の矢が手に沿うように現れて、振り向き様に発射した矢は狩屋へと向かう。その速度は銃弾に近い。並みの人間なら反応出来ずに貫かれるだろう。
魔技〈炎の矢〉。それこそ斎藤がレイに教えてもらった、究極魔法以外で唯一の攻撃。
弱い魔技だ。魔力消費を考えると、強い魔技を使えば究極魔法が使えなくなる。究極魔法を活かすために最下級の魔技を教えられた。弱いと言っても生身の人間を貫くのは容易く、シンプルで使いやすい。
形成を立て直すつもりでいた斎藤だが現実は甘くない。
直線の軌道は読みやすく躱しやすい。斎藤よりも遥かに強い狩屋は簡単に躱せるが、敢えて炎の魔人を呼び戻して盾とする。真っ直ぐ向かっていった矢は炎の魔人に呑み込まれ、あっさりと消失した。全身炎の生物に火属性攻撃が効くはずない。
「まさか今のが反撃か? やっぱりガキだな、攻撃とはこういうものだ。来い、アサルトバード! あのガキをお前の羽で殺してやれ!」
「な、まだ出せるのか……!」
召喚の限度はどこなのか。スプリとウィンは消えているが、サマーとフォウは健在。それに加えて炎の魔人、人喰い蟻、フローズンドラゴン、新たに出てきたアサルトバード。合計六体の生物が召喚されている。限界が見えず、無限に召喚出来るのではとすら思えてしまう。
新たに出現した敵はカラスのように真っ黒な鳥。だが大きさはその十倍はある。
アサルトバードが斎藤に向かって羽ばたくと、数十枚の黒い羽が襲い掛かり、それは鋭利な刃物のような鋭さで地面に刺さる。
黒い羽を躱すと、今度は続けて先程の氷柱。その次は炎の球が襲い掛かって来る。さらに立ち止まればどこからともなく蟻が現れる。敵の数が多すぎて、斎藤が休む暇は全くない。
(もう心が折れそうだ。こんなことあっていいのか? 勝てるなんて思ってた自分が恥ずかしい。 ……みんな。そうだ、諦めるな。足りない分は気合でどうにかカバーするんだ……!)
足りない実力を斎藤はとっくに自覚している。元々魔法の基礎修行すら不十分で、生まれてこのかた喧嘩もしたことがない戦闘経験の薄さ。何年も修行すれば狩屋にも究極魔法なしで勝てるくらい強くなれたかもしれないが、今回はあまりにも時間がなかった。
怒涛の攻撃を斎藤が躱し続けていると隙が生まれ、何度目か分からないが人喰い蟻に噛まれる。
「痛い! でもそれがなんだってんだ、〈炎の矢〉!」
斎藤は自分の足に向かって〈炎の矢〉を放つ。
足をよじ登る蟻は燃えて力を失うと、紫色の淡い光に包まれて消える。
自分の足に〈炎の矢〉を撃ったことで当然足も燃えてしまい、近くの噴水へと飛び込む。大量の水により消火されたが、火傷を負った足がヒリヒリと痛みを訴える。
「まさか自分の足ごと燃やすとはな。……だが蟻を殺したくらいで良い気になっているな? お前は圧倒的弱者の位置にいることを忘れるな!」
フローズンドラゴンが息を吸い込む。
これから何をしてくるのかを察知した斎藤は噴水から飛び出て離れる。
咆哮が結界内に響くと同時、フローズンドラゴンから直線状の地面が凍りついて固まった。噴水も完全に凍っている。もし噴水から離れなければ氷像にされていた。斎藤は冷や汗を流し、走り回る。立ち止まれば攻撃の餌食になるからだ。
「ぐあっ!」
周囲に誰の姿もないのに、斎藤は誰かに殴られてよろける。
「な、殴られた? 誰もいないのに……まさか、透明人間か!」
「正解だ」
「やっぱりがっ! ぐっ……! 姿が見えないだけでもこんなに厄介なのか!」
透明だから居場所が分からない。
攻撃の軌道が予測出来ないので躱しようがない。
そして斎藤は透明人間に殴られて……立ち止まってしまう。
夢咲ではなくてもこの後の展開が分かった。
鋼鉄のような羽が、貫こうとしてくる鋭い氷柱が、燃やそうとしてくる炎の球が一斉に斎藤へと襲い掛かる。
太ももから先に十枚以上の羽が刺さり、肩には尖った氷柱が刺さる。首を捻って避けようとしたが、真っ赤な炎は顔の左側に当たって少し焦げた匂いがする。トドメとばかりに見えない何かに殴られて斎藤は地面に倒れ伏した。
文芸部員達はあまりの悲惨な状況に言葉を失う。心配の声すら出ない。
「立た、ないと……」
倒れた斎藤は攻撃が来てもすぐに動けない。このままでは死んでしまうと強く思い、ふらつきながらもなんとか立ち上がると異常に気付く。
「攻撃が、来ない……?」
数秒も立つことに時間をかけた斎藤が攻撃されないのはおかしい。もう体のあちこちから血液が流れ、あと数発も攻撃を喰らえば死ぬかもしれないのだ。その好機を逃すほど間抜けな相手ではないはずなのに、トドメの攻撃は一向に来る気配がない。
空を見ればアサルトバードはいない。周りを見渡すと、フローズンドラゴンも炎の魔人も見当たらない。最初から姿は見えないが透明人間もいなくなっているのだろう。
「はあ、やっぱりこの程度か。究極魔法も使わないしガッカリだ」
声の方に斎藤が目を向ければ狩屋が佇んでいた。
「俺としては究極魔法を見ておきたいんだが、どうすれば使ってくれるのか」
狩屋は戦闘中にもかかわらず目を閉じて考える。
無防備すぎる姿に戸惑いつつ斎藤は〈炎の矢〉を放つ。
直線状に向かっていく〈炎の矢〉は、魔力が少し多く集まった狩屋の拳で軽々と弾かれた。攻撃された狩屋の目は開いており、落胆のため息を吐く。
「なっ……」
「お前、召喚した生物がいなければ勝てるとでも思ったのか? だったら俺を甘く見すぎだろう。さて、お前が一矢報いるには究極魔法を使うしかないわけだが、その状態でも使えるか?」
「バカに、するな……」
「するさ。だってお前は斎藤鍵斗の息子だろ?」
「父さんを、知っている……のか?」
予想外にも、狩屋の口から出たのは斎藤の父の名前であった。
「何も知らないのか? なら教えてやるよ。あれはフィンランドの遺跡での出来事だったか……。お前が持つ攻撃の魔導書を探すべく、俺は遺跡を巡っていた。やっとのことで見つけたと思えば、俺より先に見つけて回収しようとしている奴らがいた。それがお前の父親さ」
誰も教えてくれなかった過去が語られる。
「俺より先に究極の魔導書を取るなんて許されない。すぐに襲撃したが、あの男達もそこそこやり手で手こずったよ。最後には遺跡の天井を崩して生き埋めにしてやったが、魔導書は隠れていた生き残りに奪われてしまった」
「父さんを、殺した……? 死んだのは、事故じゃ……ない」
仕事仲間が家を訪ねて来た時、斎藤は父親の死を事故だと聞かされていた。明らかになる衝撃の事実に斎藤の顔は青ざめる。
「お前が息子だと分かったのは、あの男が最期まで大事そうに持っていた写真のおかげだ。魔導書の行方を調べていたが手がかりがない。途方に暮れていたがお前のことを思い出して、この町まで来てみればビンゴだったというわけだ。全くバカな奴だよお前の父親は。お大事に抱えてた写真が原因で、大切な息子へ被害がいくんだからなあ」
「……どうして、そんなにこの本を」
「前に言わなかったか? 究極の魔導書の力は絶大だ。一冊で二倍以上の力になり、三冊あれば想像も出来ない程の力を扱える。そうなれば俺の力に誰も太刀打ち出来ない。俺がこの世界の支配者になることも可能なのだ! 魔導書ハンターとして何をしてでも手に入れたい!」
心の中でくだらない目的だと罵る斎藤は〈炎の矢〉を放つが、またもや狩屋の拳に弾かれる。
「無駄だ、使えよ究極魔法を。俺は鬱陶しいお前を早く殺したくてウズウズしてるんだぞ」
「なら、なんで攻撃してこないんだ。死にそうなのに……」
「何言ってる? 死ぬよ、お前は。この俺の圧倒的な力に打ちのめされて」
「……もう分かったよ、とっくに打ちのめされてるよ。これ以上何をするっていうんだ」
勝ち目があるとすれば一つだけ。究極魔法だ。
使いたくても相手に隙がない今は使えない。
「究極魔法を使わないなら仕方ない。もう終わりにしよう。俺にしか使えない、召喚の魔導書の真の使い方を見せてやろう。出でよ、合成獣ワイルド! そして……〈融合〉!」
召喚の魔導書から、それに狩屋からも白く眩しい光が出始める。
白光が収まるとそこには怪物がいた。ライオンの頭、トラの胴体、尻尾にはワニの頭がついており、背中に竜の翼まで生えている。合成獣という言葉通りの生物がいた。
しかし狩屋の姿はどこにもない。
「ふはははは! 俺はここだぞ!」
「な、に?」
ワイルドが口を開く。その声は明らかに、狩屋の声そのもの。
「俺の固有魔法は〈融合〉。自分以外の生物と意識を融合することにより、意のままに体を動かし、さらにあらゆる強さも倍以上になるというオマケつきだ! これこそが真の使い方。俺にしか使えない、俺専用の魔導書なんだよこれはああ!」
「〈炎の矢〉……!」
「フン!」
斎藤が〈炎の矢〉を放つも鼻息だけで炎が散る。
生半可な攻撃は効果がない。これで斎藤がとれる選択肢は究極魔法のみ。
「この攻撃で楽にしてやる! 絶望を感じながら死にゆけ!」
狩屋が斎藤にトドメを刺そうとしたその時。
斎藤はその時をずっと待っていた。
トドメを刺そうと攻撃する瞬間、それこそが生物全てに共通する最大の隙である。それが今であり、唯一の勝ち目でもあった。今しかないと思い斎藤は究極魔法を使用する。
「〈獄炎の抱擁〉!」
「何!? だが俺の方が速い、〈破壊光線〉!」
究極魔法は発動に一瞬の隙が生まれる。そのせいで、相手が口から放出したエネルギー、黒い雷を纏った漆黒の光線が至近距離まで近付いていた。このまま直撃すれば斎藤の体は消し飛ぶ。
「よし、この俺の勝ちだ! やはり――」
狩屋が勝利を確信した時、斎藤の右手から放出された黒炎が光線を一瞬でかき消す。
未だ制御出来ない黒炎は荒れ狂い、結界内全体を焼き尽くす。制御出来ていなくても使用者には害がないので斎藤だけは魔法の影響を受けない。しかし狩屋は違う。圧倒的火力で包まれた彼の悲鳴が全員の耳に聞こえた。
しばらくして黒炎が収まる。
結界内には何も残らない……はずだった。
「グウッ、ウオオォッ、ガアァァ」
「噓、だろ……」
生きている。あの地獄の炎の中、全てを焼き尽くす業火のはずなのに狩屋は生きていた。全身が爛れて、人間だったのかも分からない状態で確かに生きている。
「ヴォォ……ハァァ……サァァ……イィィ……」
「な、なんだ……あ……れは……!」
そして、狩屋の傍にある無事な本が光り出す。
白い光が収まって斎藤が目を開ければ、そこには巨大な足が二本存在していた。見上げれば雲に届きそうな体もきちんとある。巨人だ。絶望を体現したかのように巨大な存在が斎藤を見下ろしていた。




