表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
三.二章 神谷神奈と究極の魔導書
93/608

38 兄貴――こいつは俺が倒す――

2025/10/01 文章一部修正









 朝、日光が照らす隼家の庭。

 木の枝に吊るされた的に速人が手裏剣を投げると、丸い的の右端にかろうじて刺さる。

 経験が浅い、当時六歳である速人には、手裏剣を的の中心に当てるのが難しかった。それでも手裏剣を投げ始めてから三週間。最初はあらぬ方向に飛んでいた手裏剣も、次第に的に掠るようになり、今では刺さるようになった。


「速人、また手裏剣が上手く使えるようになったんじゃないか? 上達速度が早いなあ、流石俺の弟だ」


 上達ぶりを見せる速人の頭を、片目を長い黒髪で隠す少年が手で撫でる。それを嬉しそうに受け入れて速人は無邪気な笑顔を浮かべた。


「ありがとう兄貴。でもいつか俺も兄貴みたいに強くなりたいんだ! こんな程度じゃまだまだだ!」


 まだ速人が六歳、小学一年生だった頃。

 確かに兄という存在が身近にいた。

 幼い頃はよく手裏剣の投げ方や、その他の修行も兄である(はやぶさ)(ひかる)に教えられていた。優しかった兄は心から慕う眩しい存在であり、兄を目指して修行をして、日に日に強くなっていくのが楽しいとも思っていた。


「ははっ、そっか。俺みたいにかあ、弟にそう言われると照れるなあ」


「だって兄貴は俺の自慢だもん! 手裏剣投げるの上手だし、足速いし、カッコいいし!」


「さすがに褒めすぎだろ。まあいいや、じゃあちょこっとアドバイス! 速人、コントロールはもうちょっと左に寄せて、投げる時は腕で投げないで、手首で投げるんだ。ちょっと難しいかな……」


「分かった! そりゃっ!」


 アドバイスを聞いてすぐ速人は手裏剣を投げる。その動きは先程までのボールを投げるような投げ方ではなく、手首のスナップをきかせた一投だ。

 まっすぐ回転しながら飛んだ手裏剣は、丸い的の中心にトンッと音を立てて刺さった。


「よっしゃああ!」


「……いや、さすがに上達早くね? でも凄いな速人。ど真ん中!」


 満面の笑みを浮かべた速人は跳び上がる。地面から足が離れて浮遊感を感じ、グッと拳を握ってガッツポーズする。

 上達が早すぎる弟の才能に驚く輝だが、嫉妬せず、自分のことのようにはしゃぎ出す。やがて落ち着いた輝は歩き出し、的の中心に刺さる手裏剣を抜くと、速人のもとに戻って差し出す。


「よし、じゃあこれはお守りだ。この手裏剣はお前の頑張りの証だからな」


「ありがとう、兄貴!」


 優しい口調の輝から、速人は自らが投げた手裏剣を受け取る。

 お守りなどは速人にとってはどうでもいい。ただ、憧れの兄からの贈り物という事実が心を躍らせた。


「よっし、じゃあじゃあ、次は剣術だ! 刀の使い方教えてよ! それか忍術!」


「おいおい焦るなよ速人、時間なんてたっぷりあるんだぞ?」


「えええ! 兄貴はいつも忙しそうじゃんか、時間なんてあんまりないよ! それに俺も早く兄貴みたいにしゃかいのゴミを減らしたいよ!」


「弟がなんかヤバい!」


 深いため息が輝の口から出される。直後、目を輝かせて手裏剣を握っている速人の両肩に、輝がポンと手を置いて膝を曲げる。

 少し高くて合わなかった目線を合わせ、輝は語り出す。


「いいか速人。この家にいて、殺しが普通と感じている今は理解出来ないかもしれない。でもいつか理解出来る。俺の仕事はいいことなんかじゃない。それでも俺が殺しの仕事をしているのは、守りたい人がいるからなんだ。この家は人を殺しすぎたから恨む者が多いしな。そういった連中からも、汚い大人達からも、守りたいから俺はこの仕事をしているんだ」


「……兄貴の守りたい人って?」


「そりゃあ、もちろん……お前や母さん、最近生まれた弟や妹もだな。要は家族とか友達だよ。そしてそれは増える。大事なモノは生きていれば増え続ける。そんな当たり前にいつか速人も気付くさ。速人、将来守りたい人が出来たら必ず、どんなことをしてでも守ってやれ。じゃなきゃ後悔することになるからな……」


「じゃあ、このまま強くなればいいんだね」


「大事なのは強さじゃない……ここだよ」


 速人の心臓部分に、輝は軽く拳を当てる。


「守りたい人と、人に向ける優しさを忘れない。強さに呑まれてはいけない。それが俺の心掛けていることだよ。速人もそれだけは忘れないでくれ」


 目線を合わせて言われた言葉を、速人は忘れないよう心に刻み込む。

 優しくて強い兄。そんな兄であるから速人は兄を目標とした。自分に確かにあるだろう優しさを大事に抱え、殺しの仕事をしてもそれだけは忘れないと心掛ける。


 非情な殺し屋の家系にしては平穏で、一般家庭の兄弟のような日常だった。しかし日常では優しい輝も仕事の時は別人のように変化し、黙々と標的を殺す。輝のことを知っていく程に速人の憧れは膨れていく。


 ――ある日、輝は家に帰って来なくなった。

 両親は幼い速人に輝が死んだとは言えず、遠い場所に依頼で行っていると言い張る。だが速人は両親の表情や雰囲気から、なんとなく輝が死んだことを察していた。


 殺し屋家業をしていれば、無傷で帰れる日は少ない。場合によっては死も覚悟しなければいけないのが裏社会の仕事。


「兄貴でも死んだんだ。もっと強くならなきゃ、ダメだ……優しさなんて役に立たない、強さだ、強くなきゃ殺される……! 冷徹に、冷酷に、冷血に……俺は守るべき家族以外への優しさを捨てることで強くなる」


 兄のような人間を目指すのではなく、兄の強さを超える。それは速人の中で当たり前の目標になっていた。


 豪雨が降る日も、強風が吹く日も、冷たく白い雪が積もっても、速人はひたすらに修行を重ねる。

 手裏剣を投げ続けて今では的の中心に百発百中。更なる強さを求めて剣術を勉強し、爆弾作りも覚え始める。


 三年の月日が経った頃、速人の強さは当初の何十倍にもなっていた。


「こんな手裏剣、もういらないな……今となっては忌まわしい思い出だ」


 速人は自分の部屋の机に置いてあった手裏剣を手に取る。輝と一緒に修行していた頃、初めて中心に当たって喜んだ日に貰った手裏剣だ。


「求めるのは強さだけでいい。俺は強くなる、強くならなければいけない。守るのなら強さだけあれば十分だ」


 手首の動きを意識しながら、机に向かい合ったまま手裏剣を真横に投げる。開いていた窓から出ていった手裏剣は、三年前から変わらず立つ丸い的に命中した。

 当然の如く、命中した場所は中心であった。



 * * * 



 狩屋率いる魔法生物と戦闘していた速人が意識を取り戻すと、不思議なことに自分の家の玄関前に突っ立っていた。覚えているのは妙な桜吹雪に呑まれてしまったことのみ。現況を把握しようと冷静に頭を働かせる。


 神奈と関わりを持ってから、数は少ないが不思議な力を使う者達に会っている。今更何をされても驚きは軽いもので済む。


「いったいどうなっている? 転移か、それとも……」


「速人」


「チッ、誰だおま、え……は?」


 しかし、今回の驚きは軽いものでは済まなかった。

 背後から声を掛けられて振り向いた速人の目は、信じられないという思いから大きく開かれる。


「バカな、なぜ……あ――兄貴?」


「なんだどうした? ボケッとして」


 背後に立っていた男は、垂れた黒髪で片目を隠している。彼の姿はどう見ても、三年前に死んだはずの速人の兄であった。会えなくなって三年経つが実の兄は見間違わない。

 目の前の死者から速人は後退り、震える唇から声が漏れる。


「兄貴、どうしてここに……」


「なんだ? まるで俺がここにいちゃおかしいみたいじゃないか。聞いてただろ? 遠い場所で依頼があったって」


「……死んだのでは」


「おいおい、俺はまだ十八だぜ? さすがにまだ死ねないって」


 三年前にいなくなったあの日から何も変わらない輝のことを速人は悩む。


(兄貴は本当に生きていたのか? 俺の勘違い、早とちりだったのか……? いやしかし……)


 それから時間が経ち静かな夜となる。

 食卓には輝帰還を祝う豪華な食事が並び、隼家全員でそれを囲う。


「今日からまた輝が帰ってきたわ、速人は覚えてるわよね? みんなのお兄ちゃん」


 まだ現実かどうか怪しんでいる速人は「当たり前だ」と返す。

 あの行方不明になった時から、速人が兄を忘れたことは一度もなかった。強さが足りずに死んだ兄のことを忘れたら、強くなる理由がなくなってしまうと常に思っていたからだ。


 誰かを守るためというのは変わらない。ただ速人は輝のように死にたくないのだ。呆気ない死を迎えて誰かを悲しませるくらいなら……強くならなければいけない。

 何をしてでも最強の強さを手に入れると、心には決意が刻み込まれている。


 過去に願い玉を使用してしまったのは、何もしていないのに強い神奈への嫉妬が五割。その強さを超えて最強にならなければ、輝のように死んでしまうという思いが五割に分かれている。


「うわー兄ちゃんかー」

「兄ちゃんおんぶしてー」

「あはは、よろしくな弟に妹よ! ところで父さんはどこに?」

「あの人なら警察に捕まりましたよ」

「え? 捕まった!?」


 家族団欒(だんらん)であるはずだが当主の隼走矢だけはいない。そこだけは何一つ現実と変わらない。


(またこうして兄貴と一緒にいられるなんて夢みたい、だ? 待て、本当にこれは現実なのか? だが頬をつねっても覚めることはない。弱い兄貴は本当に生きていた。もう、それで、いいじゃないか……)


 徐々に速人は心地良い夢を受け入れ始めてしまう。


「速人、学校はどうだ?」


「学校? そうだな、大して面白くもない」


「おいおい、そんなんでいいのか?」


「授業など聞かなくてもこの先苦労しない」


 言っていることは事実だ。裏社会に所属するなら外国語を少し話せれば問題ない。そもそも簡単な計算くらい今の速人でも出来るし、国語だって文字さえ書けて言葉さえ話せればいいのだ。社会や理科などは殺し屋家業に役立たない。よって勉強をする意味がない。


「そういえば速人は部活動に入ったのよね? 確か文芸部だったかしら」


 現当主代理である隼冬美が部活名を出した瞬間、輝は飲んでいたお茶を勢いよく噴き出す。


「お前っ! 文芸部って……似合わねえなあ! あははは!」


「笑うなっ! 俺には目的があるんだ!」


「へえ、それはなんだ? 女か?」


(女、確かに奴の性別は女だが……! 色恋沙汰に発展させる気はない、そもそもそんな対象として見ることなど不可能だ。超えるべき相手を好きになれるわけないじゃないか)


 その思考は神奈にも言えることだ。ただ神奈の場合はしつこいストーカーとしか思っていない。


「確かにそうだがそうじゃない。俺はただ奴を超えたいんだ」


「おいおい、お前より強いのがいるのか? 信じられないな」


「会えば分かるさ、あの化け物の凄さがな。だがいつかは俺が倒す」


「そうか、頑張れよ」


 応援の言葉に速人は「ああ」と返事をして、少し頬を緩ませる。

 兄が戻ってきただけで速人の中の何かが戻っていく。



 翌日。世界を明るく照らす太陽が昇り始めた頃、速人と輝は模擬戦をしていた。

 それは輝からの提案で、速人としても望むところであった。久しぶりに会ったことと、血の滲むような修行をしたこともあり、輝の実力にどれだけ近づいているのか気になっていたのだ。


 互いに拳と蹴りだけで戦闘を繰り広げたが互角で進む。しかし、全力で動く速人に対して、輝は余裕を持って相手をしている。年季の差が技術の差になってしまうのは仕方ない。


「どうした速人? もうお終いか?」


「まだまだだ兄貴。俺の力はこんなもんじゃない……!」


 多用する傾向にある分身の術を速人が使用して、八人に増えて輝の周囲を取り囲む。


「ほう、分身の術か。出来るようになってたんだな」


「まだまだ、手裏剣包囲の陣!」


 包囲してから速人は手裏剣を次々と投げつける。投げて躱されたものは直線状にいる自分がキャッチし、またすぐに投げつける。輝はなんとか避け続けているが、体力の消耗は避けられない。

 やがて動きが鈍くなり、輝の肩に手裏剣が突き刺さり……姿が丸太に変わった。


「身代わりの術。惜しかったな、速人」

「うっ……」


 丸太がドンッと音を立てて地面に落ちた瞬間、速人は首筋に刀を突きつけられた。

 結果を見れば速人の完敗だ。体力が削られても輝にダメージはない。


「兄貴にはまだ敵わないな。おかしい、強くなっているのは確かなのに、何で超えられないんだ。……兄貴も、あの女も」


 宇宙人であるディストとの戦いで速人の戦闘力はかなり上昇している。それでも足りないのかと焦りを感じさせていた。


「でもいい感じの動きはしてたぞ? あともうちょっと足りないものがあったけどな」


「足りないもの?」


「それはな速人……冷徹さだよ。言い換えればお前はまだ甘いんだ」


「俺が甘い、だと? そんなことはない。俺は敵への情など持ち合わせていない。甘さなど捨てたはずだ、そのはずなんだ。そもそも甘さを持っていたのは兄貴の方……! そうだ兄貴、兄貴だからだよ。攻撃する相手が兄貴だったから俺も甘さが出たのかもしれない」


「なるほどな、それもあるかもな」


 守る対象である身内だから、無意識に手加減してしまったのだと速人は思い込む。


「でも速人、お前はやっぱり甘さが残ってると思うよ。それとも甘さが生まれたのは周りのせいかな? 文芸部とやらをやっているんだろう? そいつらは光だ。俺たちは闇。生きている世界が違うんだよ。だから仲良く部活動なんてやらなくていい」


「いや、俺はあんな部活どうでも――」


 言葉の途中、速人の視界は自宅の庭から、下校してくる道路へと変わった。あまりにも唐突な変化に速人は動揺を隠しきれない。


「おい隼お前はどうなんだよ」


 声が聞こえて速人の動揺が少し増したが、知り合いの声だと分かってホッとする。後ろを見れば文芸部部員が全員揃っていた。


「か、神谷神奈か。何がだ」


「だからお前の好きな本は何だって話! 文芸部に入った以上お前も本を読めよな」


 文芸部に入ってからというもの、速人が読書をしたことは一度もない。部長である夢咲も、他の部員も、何も言わないができれば読んでほしいと思っているだろう。


「うぐっ、確かに郷に入っては郷に従えと言うしな……。そうだ、あの有名なミステリーを」


「泉さんにネタバレされるぞ」


「あの女は許さん。文芸部のくせに本を読む楽しみを奪う極悪非道な女め。……ならばライトノベルというやつでも読むか。あれはいい技のヒントになる」


「夢咲さんが怒ってたぞ。ラノベは本じゃなくて、ラノベというものなんだってさ。分別するのは何かが気に食わないんだろうな。過去に何かあったのかも」


「夢咲とかいう女も許さん。文芸部部長のくせに好き嫌いしやがって」


 文芸部。読書する部活のはずなのに、読める本が少ない致命的な欠点を抱えていた。大半はネタバレする泉のせいである。


(こうした他愛ない会話も始まればなかなかおもし……暇つぶし程度にはなるな。こんな日常も悪くは……待て、甘い、甘いぞ? こんなことを考えるようになったのはいつからだ? ……神谷神奈だ、この女が俺を変えるんだ。何か分からないが、神谷神奈には人を惹きつけて変える力があるのだ。さっきのやり取り、まるで俺がこいつらと友達みたいじゃないか!)


 心の中で否定するが速人と神奈達の関係性は友達といっても許されるレベル。ほんの少しのきっかけがあれば、素直に友人だと認められるだろう。そのきっかけは速人の心が変わらなければ作れない。


「な? こんなふうに仲良しこよしで話していると、こっちまでおかしくなるんだ」


「兄貴!」


「兄貴ってお前何言ってんだ。急にどうした? 兄貴症候群?」


 背後から輝の声が聞こえたので速人は勢いよく振り向く。最後尾を歩く夢咲の後ろに輝の姿があり、驚愕の表情になってしまう。


 輝のことは速人以外に見えていない。神奈は周囲を見渡して不思議そうな顔をしている。振り向いた方向もあり、斎藤が「兄貴って僕のことかな」と口にしているがそれに構う余裕が速人からは失われている。


「俺たちは闇だ。裏に生きる非道な殺し屋……なのにこんな光の中にいる奴等とつるむと甘さが移る。実際この神谷神奈って子はどうだ。甘いんじゃないか? 殺しはするのか? いや、しないね。目を見れば分かる、この子は甘い」


 殺人は犯罪である。殺人にいい考えを持たない神奈は基本相手を殺さない。どうしようもない相手の場合は殺すこともあるが、直接手を下した相手といえば吸血鬼やアンナくらいである。


 神奈が誰かを殺したところを速人は見たことがない。グラヴィーも、ディストも、速人が実際に相対した敵で死んだ者はいないのだ。アンナを殺したところも見ていないため、速人の中では生死が不明なまま。


「なあ、本当にこんな部活どうでもいいと思うか?」


「あ、当たり前だろう」




「ならここでこいつらを殺せ」




 両腕を広げた輝はそう言い放つ。

 一瞬、速人は理解することを放棄した。それ程に輝の口から出た言葉だと信じられなかった。


「聞こえなかったのか? この連中を殺せと言ったんだ」


「そんな、依頼でもないのに殺す必要は――」


「だったら俺から依頼する、ここでこいつらを始末しろ」


「そんなこと……」


 速人にしてみれば甘さが移っていたのは事実。どうすればいいのか分からず言葉に詰まる。反論しようにも出来る材料が存在しない。

 憧れていた兄の言葉に従うのが正しいのか、それとも意味がない殺しをする必要はないと歯向かうか……速人は長く葛藤する。


「動けないか。仕方ないな、ならこうするしかなくなる……」


 沈黙し、俯いて動かない速人の行動を待たず、輝は夢咲の心臓部分を刀で突きさした。

 胸を貫かれた夢咲は驚愕の表情を浮かべ、胸から突き出ている凶器を見てすぐに死ぬと理解する。

 小さな悲鳴を聞いて顔を上げた速人の視界に、地に伏せて赤い水た溜まり作り出す夢咲が映る。


「はっ……?」

「まず一人目」


 なんでこんなことになったのか。そう考えている内にまた一人二人と、速人の目の前で輝が部員の心臓を貫いていった。見えない相手に気付けず、なすすべなく神奈と速人以外が凶刃の餌食となる。

 先程まで和気あいあいとした雰囲気だったのに、文芸部の部員達は倒れて、道路上を鮮やかな赤に染めていく。


「さて、あと一人」

「あ……」


 残ったのは神奈だ。輝が見えないから動揺する彼女を見て、速人は何かが吹っ切れた。


「さあ、終わりだ」

「させるか!」


 斬られそうになった神奈の前に速人が出て、自分の刀で凶刃を受け止める。動けると思っていなかったようで輝は目を丸くした。


「ほう、なんで庇うんだ? どうでもいいんじゃなかったのか?」


「どうでもいいがこいつは俺が倒すんだ! たとえ兄貴でも獲物は渡さん!」


「そう言って本当はそいつのことを大事に思ってるんじゃないのか? 倒すなんて生温い、殺すんだ!」


 本気の殺意が輝から漏れ出ている。

 彼の気迫は相当なもので速人は俯いてしまう。


「……本当は気付いていたんだ。心の奥底で、兄貴が偽者であると、俺は分かっていた」


 しかし速人は怯んで俯いたわけではなかった。徐々に顔を上げて、輝のことを優し気な瞳で見つめる。


「何を言っているんだ。偽者なわけがないだろう。俺は隼輝、お前の兄だぞ。さあ、バカなことを言っていないで、一流の殺し屋になるために命を奪おう。まずは後ろに庇う女の子から斬り捨てて、抵抗をなくしていこう」


「……兄貴はそんなことを言わない。薄々気付いていたことだが、この世界は俺の精神が生んだものらしい。それならば貴様の言動も納得がいく」


「待て、それ以上はいけない。それ以上は考えるな!」


 明らかな焦りが輝の顔に浮かび出る。


「俺は兄貴に死んでほしくなかった……。優しさを持ち、甘い性格だったから死んだのだと、俺は以前から思っていたんだ。だから兄貴が甘さを捨てて一流の殺し屋になるという、今ではありえない未来を心の奥で考えてしまっていた……」


「やめろ速人、考えるな。この世界はお前の願望が形となった世界なんだぞ。この世界にいることこそがお前の幸せなんだぞ! 俺が生きている方が幸せだろう!?」


 輝の刀に込められる力が強くなり、徐々に速人が押され始める。


「だが、やはり甘くない兄貴など気持ち悪いだけだ。甘いのは俺ではなく、兄貴の方だ。ふっ、兄貴がこいつらを見たら、きっと大切に守れだのなんだのとほざくに決まっている。礼は言わないが、今回は現実を見つめ直すいい機会だった」


 告げ終わった速人の目に敵意と殺意が込められる。腕に入る力も徐々に強くなっていく。


「それにさっきから聞こえるんだ」


『隼! 目を覚ませええぇ!』


「やかましいな。言われなくても、今から戻ってやる……!」


 現実で叫び続けている文芸部員達の中でも、神奈の叫びだけは速人の耳にしっかりと届いていた。精神世界に他の者より声が通りやすくなった原因は、速人が神奈を特別な存在だと認めているからである。


「なっ、まさか外からこの中に影響を!」


「兄貴は家族以外にも優しくて甘い奴だった。家族にしか優しくない貴様が兄貴であるはずがない。ただの……幻だあああ!」


 迷いを捨てた速人の刀が偽者の輝を斬首する。

 首は高く高く飛び上がっていく。

 はっきりと神奈の声が聞こえてからは、他の部員達の声もよく通るようになり始めていた。速人はそれを鬱陶しそうにしながらも一言一句聞き逃さない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ