6 黄金――温かい光――
なぜか神奈には意識があった。腕輪の声もしっかりと聞こえている。
憑依されたというのは事実だろう。神奈の体は動く気配がないし、そもそも動かそうとしても動かないのだから。
薄緑の空間がただ広がっていて、神奈はそこに立っている。というより浮かんでいるというのが正しいか。とにかくこの場所が現実とかではなく、自分の体内ということだけはなんとなく理解していた。
いったい何が起きているのか、どうしたらいいのか、これからのことを考えているとふいに声が届く。
「見るがいい、この霊力が広がっていくさまを。でたらめな強さを持っていようと、憑依の前には無力だということを知れ」
誰かを確認などしなくても分かる……藤堂だ。
薄緑の空間が広がっていくのが神奈からは見えるので、これが霊力なのだと分かった。声の主である藤堂はぼやけた姿を晒し、そこからはっきりとした姿になるまで数秒をようした。高身長、若緑の髪、鋭い目つき、特徴といえばそんなところだろう。
「憑依か……なんだか不思議な感覚だ。私が汚染されていくような感じがする」
「汚染とか汚そうな言葉を使うのは止せ。これから貴様は素晴らしい俺様の肉体として使われることになるのだから、主である俺様の機嫌を損ねるな」
「えぇ、嫌だなお前の肉体として動くの……どうにかならないのか?」
神奈は腕輪に訊ねてみたが、腕には何もなかったので答えは返ってこない。
いや、答えが返ってはきた……目の前の男から。
「どうにもならんさ。並の霊ならどうにかなったかもしれないが、この俺様の霊力は世界一と自称しても自称にならないだろうレベルだ。まあそこで大人しくしていればいい。憑依が終わるのを待っているのも暇だろう? 俺様の話でも聞いていろ」
「なんでだよ、話したがりか。まあ聞くしかないんだけどね」
「藤堂という家系は代々霊能力を持っていたらしい。俺様は生まれた時から高い霊力を持っていたので、それを活かせる霊能力者になった。数々の悪霊を払い、人々を助けていた内に弟子も出来た。人生は正に順調、不満なことなどなかった。しかし、ある日突然母が他界してしまい俺様は天涯孤独の身となった。その時だ、年を取るというものに恐怖し始めたのは」
生前は良い人間だったのか。だが本当に心の根が良い人だというのなら、悪霊になんてなっていないだろう。
(年をとることに恐怖ねえ。若いときに死んだからなあ、肉体的な老化に恐怖するときはまだ先かな。いつしかこの神谷神奈としての体も、シワだらけのお婆さんになってしまうんだろうけど、そのときはもう老化を受け入れるしかないよな……)
「年を取れば当然病にかかる可能性も上がるし、寿命でポックリ逝ってしまうかもしれない。そんな当たり前のことに恐怖して、永遠に若さを保つにはどうすればいいのか考えた。そして閃いた、幽霊になればいいという簡単なことに。霊体ならば年など取らず永遠に若いままだ」
「発想がもうおかしいだろ。なんだよ幽霊になればいいって……人間、年をとる生き物なんだから素直に受け入れとけばいいのに」
正論でもある発言に藤堂の顔は強張る。
「黙れ、誰だって若い頃の方がいいものだろう? まあ話を戻すと、やっと閃いた方法だが問題は他にある。もうその頃の俺様はすでに四十代後半であり、お世辞にも若いなどとは言えない。そのまま死んで幽霊になっても若さなど手に入らない。そこで俺様は若さを取り戻すことができる何かを探した」
「若さを取り戻したいと思うのはいいけどなあ。もし取り戻したいなら健康薬品とか使えよ。人に迷惑をかけるなんて最悪だぞ」
若さを取り戻せる道具などあるのかと神奈は訝しむ。だが藤堂の容姿は二十代前半の男性のもの。つまり若返る方法は本当にあって、藤堂はそれを使用したということになる。
「何かあると確信していたわけではない。しかし諦めはしなかった。そして十五年がたったとき俺様はとある書物を見つけた。そこに書かれていたのはにわかには信じ難い内容だったが、ずっと探し求めていたものを見つけたと、喜びという感情だけが溢れ出ていた」
「それでその探し求めていたものってのは?」
「ふふ、その書物にはどんな願いも叶うという馬鹿げた内容が記されていたが、俺様はそれを盲目的に信じていたさ。それは願いの大きさに対して、必要なエネルギーを奪い願いを叶えるらしい。俺様ならば霊力という莫大なエネルギーがあるが、もし幽霊になったあとで弱ければ除霊されてしまう。だから霊力を他者から奪うことにした。俺は霊力を操ったりすることの技量が高く、吸収することすら可能だから簡単だ」
「さっきからちょいちょい自分を褒めるのが鬱陶しいな。力で勝てないから憑依という邪道に走った卑怯者のくせに」
そして藤堂は肝心なことを言わない。その探し求めていた物がなんなのか。願いを叶えてくれるらしいそれはいったいどういう代物なのか。
「さらに十年後、ようやく見つけた。なので今まで散々慕ってくれた二十人程の弟子達を、霊力と生命力を奪いつくし殺した。慕っていた師匠の役に立てるのだから喜んでいただろうさ。そのあと何人か通行者からも奪い、ついに使用してみた。するとどうだろう、俺様の容姿はシワが目立っていた年寄りの顔ではなく、まるで二十歳近くのような容姿に戻っていた。目的を達成した俺様は少ししてから自殺して幽霊になった。……まあ悪霊だったがな」
いきなり血生臭くなった説明に、神奈は思いのほか冷静でいられた。テレビの報道を聞いている時みたいに冷静で、自分を怖く思うも、他人事ならこんなものだろうとも思う。
そして悪霊だったことを残念そうに言う藤堂だが、目的のためなら手段を選ばないような性格で、悪いことしたのだから悪霊になって当然である。
「それからしばらくは除霊されないために、心霊スポットなどに現れる幽霊達の霊力を吸収して、俺様の力を高めていた。今日の心霊スポットには公園のくせに三十人近くの幽霊がいて、なかなかの糧となってくれた。そしてそろそろ霊力もだいぶ高くなったので、潮時だと思った俺様はあのガキに憑依したというわけだ」
「でもそれは失敗したな。結局、憑依先は笑里じゃなくて私になった」
「失敗というわけではない、どうせ貴様も若いことに変わりないからな。少々予定が狂ったし、多少癖毛なのは嫌だが、顔は整っているから文句も少ない」
「いや私は文句あるけどね? 喚いていても仕方ないから喚かないけど、本当ならお前今すぐぶっ飛ばしてやりたいんだからね?」
憑依という手段に神奈は対抗策を持っていない。発動すれば終わりの必殺技に、神奈は敗北したということだ。
(仕方がないよな……笑里を守れたことだけよしとしよう)
「さて、そろそろ霊力が全身を支配する頃だ。安心しろ、貴様の肉体はいずれ返してやる」
神奈は諦観する。もうどうしようもない。逆転の方法などない。
「いずれではなく、今返してくれ」
「は?」
藤堂と神奈が目を丸くして驚く。その原因は突如として、神奈の精神的な世界だというのに、第三者である男の声が聞こえてきたからだ。
(この声……知っている。この声はもしかして私自身の……でもどうして?)
「な、なんだと……? れ、霊力が消滅していく……どうなっているんだ!?」
薄緑の世界だったが、遠くから黄金の光が迫ってきて緑は塗り潰されていく。
霊力が消されているのは藤堂の勘違いではない。その原因は黄金の光だ。光に神奈は一切の心当たりがないというのが不思議である。
「もう霊力が半分以下になって……! クソ、クソッ、クソがっ! 何が起きていやがる! 俺様は確かに憑依しているんだ、優位なのは俺様のはずなのに! 貴様が何かをしているわけではない、何かをしているのは貴様の意思ではないのか……誰だ、誰なんだ俺様の邪魔をするのは!」
黄金の閃光が辺り一面に、霊力を呑みこみながら広がり続ける。光に神奈は心当たりがないが、なぜか心地良く、温かい気持ちになり始める。まるで女神に守られているような優しい光だった。
「これは……まさか。神の加護だとでもいうのか……! そうか、最初から勝てない戦いだったというわけか。神に愛されて守られて、何の努力もしていないガキがなぜ! こんな加護を持っているんだよおおおお!」
光が藤堂すら呑みこんで侵食を続ける。藤堂は気配を残すことなく完全に消滅する。
黄金の太陽が照らすような温かい光が全てを覆う。少しして、神奈は遠くに誰かのシルエットが見えた。
「……誰だ、あれ」
それが誰なのかは分からなかったが、黒い長髪の女性なのは見て分かった。
それが薄くなっていくと、僅かに笑みを浮かべていることも分かった。
それが完全に消えてしまうと、なぜか心にぽっかり穴が空いたような寂しい気持ちになる。
不思議な体験をした神奈は、その空間から弾き出されるかのように上昇していく。
* * * * * * * * * *
ふと目が覚めたことに神奈は気がつく。先程までの景色はないことから、現実に戻ってきたのだと理解する。ここは公園だ。戦闘のせいで遊具が全て転がっている、酷い有様の公園だ。
消える前に藤堂は色々と言っていたが、神奈にはなんのことか分からない。それは分からないが、今回の戦いがこれで終わったということだけは分かる。
「か、神奈ちゃん! 大丈夫かい!」
「ダメです! おそらく藤堂ですよ、憑依したんです! 藤堂、神奈さんを解放しなさい! さもなければ寝るときに念仏を永遠に唱えて精神破壊させてやりますよ!」
「お前何言ってんの?」
立ち上がる神奈は腕輪にジト目を向ける。
「君は、神奈ちゃんだね? なんとなく分かるよ。君は憑依されなかったのかい? それに藤堂はどこに?」
「……消滅したよ、私の中で。奴は自滅したんだ」
「藤堂、神奈さんの振りをするのはやめなさい! 見ていて虫唾が走ります!」
理解してくれる風助のおかげで話は停滞しない。
憑依されかかったのは事実で心配されることは嫌ではないが、神奈は平気である自分のことよりも、心配してほしい少女のことを口に出す。
「それよりも笑里は大丈夫なのか?」
「どうやら気絶しているようだ。命に別状はなさそうだよ」
「藤堂、もしあなたが神奈さんだと言い張るのなら、私が初めて教えた魔法を唱えてみなさい!」
「いい加減うるせえよ! 藤堂じゃないし、あの魔法は二度と口にしないからな! 分かってていってないかお前!?」
「おお、そのツッコミはまさしく神奈さん!」
「お前どこで私を判断してんだよ!」
そうこう言っている内に、気絶していた笑里の目がゆっくりと開く。状況が分かっていないので周囲を見回していると、あるところで突然固まってしまう。
「お、お父さん!?」
「え、笑里? 僕が見えているのか?」
「おそらく藤堂が遠隔操作のために残しておいた霊力が笑里さんに定着してしまったようですね。これからは幽霊も当たり前のように見えるでしょう」
笑里は俯いて動かなくなってしまった。
ずっと会いたかった父親に会えたのはいいが、自分が何かしたわけでもない。期待していた結果が突然出てきたら、誰だってびっくりするだろう。ゆえに言いたかった言葉はすぐには出てこない。
しばらくすると笑里は俯いていた顔を上げ、まっすぐに風助へと歩いていく。
「……また会えて、うれしい」
「僕もだよ。愛しの娘とまた話ができるなんて、これほど嬉しいことはないさ」
親子の距離が限りなくゼロになると、笑里が風助へと抱きつく。
「触れるし、幽霊じゃないんだよね」
「……ごめん、僕は幽霊だ」
「……ずっと、寂しかった。私、一人だった」
「ずっと見ていたよ。……一人にして、すまなかった」
意図していない結果とはいえ、会いたがっていた親子が再会できたことはいいことだ。神奈は少し羨ましくすら思う。
「お父さああああん! 会いたかったんだよおおお!」
涙を勢いよく溢れさせた少女に、父親は優しい笑みを浮かべて一層強く抱きしめた。
地面には親子から零れた雫の跡がしっかりとついていた。
* * *
自宅に帰ってきた神奈はリビングで過ごしていると、気になることを思い出し腕輪に話し出す。
「なあ、そういえばさ……藤堂に憑依されたとき、誰だか分からない人を見たんだ。それになんだか前世の自分の声も聞こえたし、藤堂は神に愛されてるとか神の加護がどうとかって言ってた。なあ、神の加護ってなんなんだ?」
黒髪の女性。前世の自分。そして消滅した藤堂。
分からないことだらけのあの憑依された瞬間。神奈は笑里の件が解決してもどこかすっきりしていなかった。
「あ、そういえば加護について話そうと思っていたんでした。色々解析と考察が終わったので……聞きたいですか? あくまで仮説なんですが」
「別にいいよ。それでいいから教えてくんない?」
「分かりました。ではこれから神奈さんの三つの謎を解明したいと思います」
「謎多い多い、なんでそんなに謎あるんだ。一つくらいでいいよ、ミステリアスってレベルじゃないぞ」
謎が多いとはいえ、こればかりは仕方ない。
なにせ、転生、異世界、神奈の持つ力に関しては謎でしかない。まさに謎の塊である。
転生の明確な資格。あの転生の間での説明に納得はしていたが、この世界で暮らしていくうちに疑問を抱くようになった。特に自身の魔法についての未練が、風助の未練の強さに負けているということで、何かしら資格のようなものが必要だったのではないかと思っている。
この世界についても、自分の身体能力、魔力についても同様に疑問に思うことは多い。
「では謎一。まあ最初は神奈さんが聞きたがっている神の加護についてですね。結論から言えばそれは自身への害から身体を自動で守ってくれる、防護の加護と呼ばれるものでしょう」
いまいち実感が沸かない神奈だが質問を続ける。
「……神の加護っていうくらいだし、やっぱりあの神様からか?」
「ええ、その通りです。あの人が転生する人間に対して、必要に応じて渡す特典のようなものですね。加護というのにはいくつもの種類と階級があって、数に関しては総数にして三百以上。それ一つ与えられただけで、凄まじい力を手に入れることも可能です。……この力は謎二、神奈さんの異常な身体能力。謎三、魔力の大きさにも関係しているでしょう」
未知の存在に神奈は驚き「そんなものがあるのか……」と呟く。
「防護の加護のおかげで藤堂の憑依を防げたようですね。神奈さんが見たという人物や前世の自分の声がどうとかいうのは分かりませんが、命拾いしましたね」
本当にな、と神奈は思う。
憑依を防げていなければ今頃、神奈の体は藤堂の支配下に置かれて好き勝手に使われていただろう。あまりに屈辱的なので防いでくれた加護とやらには感謝している。
「……敵の魔法とかが効かないとか?」
「いえ、完全に防げるわけではないです。防げるのは時間遅延や憑依などの特殊な攻撃。他にも特殊な力に関係なく、高温などの過酷な環境も問題ありません。マグマに浸かっても、絶対零度の空間でも大丈夫になります。台風の中でも平然としていられますし、眩しい光も何も見えない暗闇も意味を成しません。しかし仮に宇宙に行った場合、気温的な問題は大丈夫ですが、酸素が宇宙にはないので長い間いられません」
「守るってだけだから、酸素は生み出せないから無理ってことか。要するに特殊な異能をガードしたり、普通なら生きられない環境を生きられるようにするってことだな?」
「そういうことですね」
説明を聞いて、実は今までにヒントがあったのかと神奈は思い返す。
春の陽気な暖かさ。夏のじりじりとした暑さ。秋のひんやりとしてくる心地よさ。冬の凍えるような寒さ。それら全てを神奈は今までに感じたことがない。気温と呼べるものに関わらず、今日は過ごしやすい気温だなと呑気に毎日を過ごしていた。
害する特殊攻撃や環境というのがどの範囲までなのか神奈には予想もつかないが、なんだかチート染みた力だと思う。副次効果で身体能力や魔力も強化されているとなれば尚更だ。
完全に人間辞めてないかなと神奈は頭を抱えたくなる。
マグマに浸かっても大丈夫? マグマを風呂にするなど想像もつかないし神奈としてもやりたくない。絶対零度の場所? 宇宙? そんな空間に行くことは早々ない、というか人生一度生きてもおそらくない。せいぜい宇宙飛行士くらいしか行かないだろう。
「……それで、二つ目と三つ目は身体能力と魔力の強さだっけ? 加護のおかげで強くなったと」
「はい、しかしそれにしても過剰なほどです。まあ私の予想では加護以外の要因として前世が関係していると思います」
思いがけない単語が出てきて神奈は「前世が?」と口にする。
「はい、その身体能力は前世で積んだトレーニングの効果をこちらの世界の基準に合わせて修正したものでしょう。つまり簡単にすると、神奈さんの前世でいた世界で腕立て伏せを百回したとします。こちらでも百回したとして、その効果を比べてみるとこちらの世界での方が筋力が向上するのです。今までやったトレーニングが力の源。色々説明を省いてしまえば、鍛えたことがこちらで報われたということですね」
規模はどうあれ努力が報われるのはいいことだ。しかし、本当にそうであったとすれば迷惑すぎると神奈は思う。前世での頑張りのせいで、今世で暮らしづらくなるなど悲惨すぎる。
そして、神奈はその説明に納得できない。なんとなく直感で違うように思った。
確かに前世では相当な修行をしていたが、こちらの世界で影響しているなどありえるのだろうか。新しい肉体なのにかつての肉体の性能を受け継ぐなど、そんなことが起こりえるだろうか。そういった知識がない以上分かるはずもないので今は無理にでも納得するしかないのだが。
「分かるような、分からないような……って、魔力はどうした」
「謎三、前世も影響していないし防護の加護にしては強化されすぎな魔力保有量。……謎ですね!」
「おい最後謎解決してないじゃん!」
――まだまだ神奈自身も、この世界も、様々な不思議に溢れている。