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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
三.二章 神谷神奈と究極の魔導書
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34.4 牛丼――守ってくれ――

2025/09/28 文章一部修正










 レイの民家に二人の少年が近付いていた。

 少年達はレイの同居人、グラヴィーとディスト。

 二人は夕飯を買いに行った帰りで、杉屋と書かれた白いビニール袋をグラヴィーが持っている。


 杉屋という牛丼のチェーン店は有名で、現在は肉が三割増しになるキャンペーンを開催中。いつもなら牛丼を購入しても三人で一個を分け合う形なのだが、レイ達はこの日だけ奮発して、贅沢にも一人一個ずつ牛丼を食べようとしていた。


 浮かれて鼻歌を歌う二人は、レイとウィンを見て鼻歌を止める。


「レイ、何があった。そいつは誰だ」


 ディストは真剣な瞳になってレイに問いかける。


「さあ、誰かは知らないんだけれどね……いきなり襲われたんだ」


「誰か知らない? 自己紹介したと思うんだけどねえ。なら初めましての人もいるしもう一度。私はウィン、召喚の魔導書により召喚された冬の精霊。だからこんなことも出来るのよ……〈瞬間氷結(モーメントフリーズ)〉!」


 突如、春なのに猛烈な吹雪がグラヴィーとディストに向かう。

 まだ抵抗すると思っていなかったレイは油断しており、みすみす攻撃を許してしまった。


「グラヴィー!」


 迫る吹雪に危険を感じたディストは、牛丼入りビニール袋を持つグラヴィーを突き飛ばす。

 ディストが吹雪に感じた危険は正しいものだ。激しくぶつかる細かい雪が原因か、ディストの体は足先から冷たく凍っていく。氷結速度はかなりのもので早くも首元まで凍っている。


「なっ、ディスト!?」

「俺もまだまだだな、こんな技にやられるとは。グラヴィー、後は頼んだぞ……俺達の大切な……」


 完全に凍りつく寸前、ディストは叫んだ。


「牛丼を守ってくれ!」


「分かった、必ず……必ず僕達の牛丼は守ってみせる!」


「いや牛丼の話!?」


 最後に守るべきものを告げたディストは、満足気な表情で氷像と化す。


「誇りじゃなくて牛丼なの!? そんなに食べ物を守りたかったの!?」


「何を言っているんだレイ、この三つの牛丼は何よりも重い。誇りで飯が食えるのか!」


「その台詞はちょっと違うんじゃないかな! 明らかにこの状況で言う台詞じゃなかったよね!」


 そんなやり取りをしているとグラヴィーはあることに気付く。


「待て、どうして今こんなに寒いんだ? 今は春だぞ、これじゃ牛丼が冷めてしまう!」


 現状の戦いは、牛丼を無事に守る戦いになっていた。

 牛丼第一に考えるグラヴィーにレイがつっこみを入れようとする。


「いつまで牛ど――」


「いつまで牛丼を引っ張るのよ!」


 そして痺れを切らしたウィンがレイよりも先にツッコんだ。

 先程まで真剣な戦いだった。敵わないからと人質を取り、追い詰めていたはずだった。なのに、なぜかこの場は牛丼という言葉に侵食されていた。意味が分からない。


「ええ!? まさかの人からつっこみ入ったよ!」


「いい加減にしなさい、氷像になったボウヤを見てなんとも思わないの? そのボウヤはあと十分もしないうちに凍死する。……だというのに、牛丼牛丼うるさいのよ! なんなのよボウヤ達は、少しは仲間の心配をしなさいよ!」


「すごいごもっともな意見を敵から頂いた! グラヴィー、早くこの人を倒さなきゃマズイんだ! ディストの件もそうだけど、今降っている雪は触れ続けると体が崩れるらしい!」


 別の技をウィンが使おうと〈自由を奪う雪〉は継続して降り続けている。衣類など生命がないものには効かないが、長時間人間が触れ続ければ死ぬ雪だ。そんなレイの忠告を聞いたグラヴィーは驚くべき行動に出る。


「何を、しているんだい?」


 手に持っていた牛丼を道路に置き、グラヴィーが牛丼を庇うように蹲る。

 それはまるで身を挺して雛を守る親鳥。


「見て分からないのか。牛丼が崩れ去ったら大変だ。だから僕が死んでも守る!」


「頼むからこんなところで死なないでくれ! それにこの雪は非生物には効かないから!」


「なにぃ! それを早く言ってくれればいいのに……」


 首後ろと顔半分が真っ白になったグラヴィーは立ち上がる。白くなっているのは〈自由を奪う雪〉の効力で、顔や首全体が白くなれば脆くなり、風に吹かれただけで首が飛ぶ可能性がある。本格的に戦う前から厄介な技を喰らってしまった。


「とりあえずこの雪もだけど厄介だ。……そうだ! その牛丼を盾にして――」


「そんな酷いことは出来ない!」


「……まあ、分かってたよ」


 その会話に頬を引きつらせて、口元をひくつかせている者が一人。


「ああ……もういいわ。この後に及んでまだ牛丼を引っ張るなら、二人まとめて雪にしてやる!」


 直後、この場に降る季節外れの雪が増量された。

 ウィンが〈自由を奪う雪〉を降らせているので、降らせる量もコントロール可能なのだ。空が白で覆われて、まるで雪崩が起きているかのような雪の波がレイ達を襲おうと降りてくる。


「〈重力(グラヴィティー)操作(コントロール)〉」


 真上を向いたグラヴィーが右手を頭上に上げると、雪崩の進行方向が反転する。降るはずの雪は昇っていき、果てしなく広がる暗闇へと追い出された。雪崩は終わらないが、生み出された全てが天の川のように広がり遠ざかっていく。

 異常を感じたウィンは空を見上げて、目を見開く。


「……は? どういう……どうして、雪が……昇っていく?」


「あの大量の雪にかかる重力を反転させた。もうあの雪がこちらに来ることはない。これで安心して戦えるだろう、レイ」


「ふっ、流石(さすが)だね、トルバで上位の戦士だっただけはある」


「バカな、こんなバカなことがあるはずが……。だって私達はドーマでは恐れられた魔導書の……いいえ、まだ私の力はこんなものではない!」


 ウィンの体から放出される冷気が強くなる。白い霧がさらに広がる。もはや周囲の気温は氷点下百度を下回っていた。一般人なら呼吸すら出来ず、呼吸出来ても肺が耐えられず出血する。

 トルバ人であるレイ達もそんな低気温では手がかじかむ。多少体が震えるので、戦闘に影響を及ぼすだろう。


「なんの防寒具もなしに耐えるのは素直に褒めてあげるわ。でもね、寒ければ体の動きは衰える。その状態で私最大の技を受けて、砕け散れ……!」


 いくつもの小さな氷が生み出され、みるみると大きくなっていく。ウィンの傍ら、上空、レイ達の背後に生み出されてレイ達を完全包囲する。逃げ場はどこにもない。

 氷は拳に変形していく。その数は数百を超えていた。


「〈千氷拳(せんひょうけん)〉! 物理的な破壊力では私が持つ技で一番。さあ、その身を一時の冬として砕け散る覚悟はできたかしら!」


 全ての氷の拳が一斉にレイを打ち砕こうと動き出す。グラヴィーよりレイの方が強いと分かっているからだ。大技で強敵を排除すれば戦いが楽になる。

 迫る無数の氷をレイは拳で砕くが、氷は増殖を続けて補充されていく。


「グラヴィー、この氷にかかる重力を――」


「すまないが無理だ。僕の力量では真上の雪にしか集中して力を発揮出来ない。ディストならば出来たかもしれないが……!」


「なら、しょうがないかな。……〈流星、乱打〉!」


 赤紫に光る両腕により、一瞬で数百の氷が砕け散った。


「なっ、まだ速度を増せるというの? まさかさっきよりも速度が上がっている?」


 真下以外の全方向から迫る氷の拳を、レイは涼し気な表情でひたすら砕く。


「……でもね、氷は大小関わらず操作出来るのよ」


 レイが背後に迫る氷の拳を砕いて、次に到達するであろう氷の拳に向かって突きを繰り出そうと振り向く。その時、地面に散らばる砕けた氷の全破片がレイに向けて動き出した。氷の礫となったそれらが顔目掛けて飛来するのを察知し、レイは両腕での攻撃を中断して防御に徹する。


 数だけは氷の拳よりも多い破片を両腕で防御するが、そのせいで対処が遅れた氷の拳が右肩に直撃。数歩分吹き飛ばされる。


「……〈流星乱舞〉」


 今度はレイの四肢が赤紫色の光を放った。迎撃の動きは先程よりも速く、鋭い。さらに両手だけでなく両足でも攻撃しているので手数もあって対処が容易くなる。


「まだ上が……。でも……!」


 ウィンは氷の拳と破片の両方を同時操作してレイを襲わせる。

 先程と同じ結果にはならない。レイは〈流星乱舞〉により迫る全ての氷を瞬時に粉々にして防ぎきった。ただ、違ったことはもう一つ。次にレイの背後に迫る氷とウィンが位置を入れ替えていた。


(さっきは正面だったから、規格外の反応速度でやられたけれど……。背後に移動すれば死角ゆえに目視は不可能! 私が〈自由を奪う雪〉に変質させた右手で触れれば、いくらボウヤが強かろうと一撃で私が勝つ! そう、もう勝ったも同然!)


 ウィンの体は人間のように見えるが実は氷で作られている。その体はウィンの意思次第で、どんな氷にも変質させることが出来て、全身を〈自由を奪う雪〉に変えることすら可能である。


 心の中で勝利を叫ぶウィンは右手が届きそうになったところで、あともう少しで勝てるというのに、ギョッとして体が硬直してしまう。

 ――レイが、振り向こうとしていた。


「ダメだね。勝利を確信するのは結構だけど、その僅かに漏れる敵意が消えたことは戦闘中一度もなかった!」


 殺意よりも敵意の制御は難しい。少しでも戦おうという意思があれば敵意となり、超一流の戦士なら感じ取れる。様々な惑星の代表と戦ってきたレイも、その一人である。

 経験がある。技術がある。だからこそ、遥か格下のウィンが勝てる理由はない。


「〈流星拳〉!」


 ウィンの動体視力では、レイの放つ〈流星拳〉を目視出来ない。それでも明確な死が迫ってくる予感があり、レイの拳の光が今までよりさらに強くなった瞬間、死のイメージが現実になると理解してしまう。


 振り向いて放たれたその拳はまさに、速度、威力を比べても流星と同等。いや、それすら僅かに超えていた。

 隕石は大小様々だが地球に衝突すれば被害はどれも大きい。一軒家ほどの大きさなら核爆弾以上の爆発が起こり、サッカー場ほどの大きさなら落下地点から千六百キロメートル以上の場所でも地震の揺れを感じ取れる。さらに巨大なものなら、落下の衝撃と爆発により塵が巻き上がり、太陽光が遮られて気温が急速に降下……人類が滅亡することもありえてしまう。


 レイの全力で放つ拳の威力は、地球に多大な被害を及ぼす巨大隕石と同等以上。

 それが届く前に、〈流星拳〉が放たれる直前に、ウィンは「デポート」という言葉を口にしていた。ウィンドルという風を操っていた少年も、その言葉を口にしたら光となってどこかへ飛んでいっている。しかし問題は〈流星拳〉到達前にデポートが発動されるかどうか。


(ま、間に合え、間に合え間に合え! これが直撃すれば私は跡形もなく消し飛ぶ!)


 ウィンの体が光り始めて、光の球が形成されていく。あとは飛び立つだけだが、〈流星拳〉は肌に触れるかどうかというところまで来ている。


(間に――)


 赤紫に光る拳が振り抜かれた時、そこには殴る対象がいなかった。

 光に包まれたウィンは脱出に成功したのだ。レイの拳は(くう)を切り、その拳圧で(そら)にあった雪と雲全てを吹き飛ばす。


「……逃げられた。さっきの光は逃走用の力かな。でもあれに関しては魔技というより魔法だった」


「ああああああああああ!」


 背後から悲鳴が聞こえた。レイが急いで振り向くと、グラヴィーがまだ凍りついている道路に手足をつけていた。落ち込んでいるように見えるので、どうしたのかと思い駆け寄る。


「どうしたんだい! まさかどこか怪我をしたんじゃ」


「牛丼が、牛丼が凍っているううう! これではもう食べることが出来ないいい!」


 牛丼の入る袋を大切そうに抱えてグラヴィーは叫ぶ。

 レイはなんと声を掛ければいいのか分からず沈黙する。

 それから数秒でディストの氷が溶けて自由になり、三人は一度家に帰ることにした。

 凍りついた牛丼はゆっくり熱湯などで熱して美味しく頂いた。


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