5 憑依――永遠の若さ――
家からいつもの道を通り、神奈は夜見野公園に着いた。
その静まり返った公園には倒れ伏す風助と――不気味に微笑む笑里の姿があった。異常なのは笑里が風助の顔面を踏みつけていることだ。
「雑魚が、この俺様に歯向かったことを後悔するんだな」
公園での状況が分からず混乱していると、神奈は公園内に幽霊が一人しかいないことに気付く。
三十人近くいた幽霊がどこにもいなくなっていた。いるのは倒れている風助だけだ。予想も出来ない何かが起こっていると理解し、誰か説明してくれと神奈は心から願う。
幽霊達がいなくなったことにより静かな公園で、邪悪な笑みを浮かべる笑里は風助を軽く蹴り飛ばす。
飛んできた風助をスルーして、神奈は別人のような笑里を睨む。
「お前、誰だ……!」
昨日まで落ち込んでいた人物が急に悪役のような台詞を吐いたのだ。少女は笑里ではない。もしこれで本物ならば神奈はショックを受ける。
「神奈さん、どうやら笑里さんは悪りょ――」
「笑里が悪霊に体を乗っ取られてしまったっ!」
「――って私の台詞!」
「悪霊に乗っ取られたってつまり、憑依されたってことか。秋野さんは負けて、その負かした悪霊が笑里の中に入っているんだな?」
全くと言っていいほど神奈は危機感を感じていない。風助の実力など神奈と比べれば大したことがないからだ。すぐに追い出して終わりにしてやろうと、状況を楽観視していた。
「……てか秋野さん喋れたのか? てっきり死んでしまったんじゃないかと」
「いや僕はもう死んでいるんだけど」
「あ、そうか……幽霊だからもう死んでるんだった。じゃあもしかして不死身なのか?」
「神奈さん! 幽霊だって不死身ではありません。消滅するんです! そのことを神は――」
「おい! さっきからうるさいぞ貴様ら。死にたいのか?」
「――なんでさっきから被るんでしょう」
「後で聞いてやるって。それでお前が誰か知らないけど、とっとと笑里の体から出てってよ」
おかしいことを言われたかのように笑里はくつくつと笑う。
「クックックッ、なぜ出ていかなければならない? この体は霊力がないから扱いやすい。加えて身体機能の潜在能力も高い。憑依する肉体でこれほど良い体は手放したくはないな」
「なんだそれ、そんなこと知るか……出てけ」
笑里に憑りついた悪霊に、少女の体から出たとは思えない低い声で言い放つ。
自分勝手に他人の身体を奪おうとするやつは最低である。笑里の未来を守るためにも、神奈はこんな悪霊はさっさと追い出してやらないといけないと考える。
(くっ……! なんだ、このプレッシャーは……!)
(これはまさか、魔力圧? 練った分だけの魔力を相手に向かい放出し続け威圧する技術。まだ教えていないのに、神奈さんは無意識の内に使っているということですか。これは……才能がありますね)
(なんか悪霊が汗かいてるけど、私なにもしてないぞ)
無意識での行為に、腕輪は感心して神奈は困惑する。
「……邪魔だ。貴様はこの俺様にとって害になるようだ。ここで消してやろう」
そう言葉を発した直後、笑里の体を奪った悪霊は、常人では視認さえできない速さで突進する。しかし神奈にとって、その程度の速さは大したものではない。神奈が自動車だとするなら、悪霊は歩行者のようなものであり、両者の身体能力ではそれほどの差があるのだ。これは悪霊が弱いわけではなく神奈が強すぎるだけだ。元々の能力が違いすぎている。
迫る拳を神奈は避けて、自分の拳を軽く突き出す。
「なっ! 速すがっっはっ!」
地面を滑って悪霊は十五メートルほど後方にのけぞる悪霊。
実力の差は明白だが、神奈の方がいくら強くても勝負に勝てるかは別だ。敵は笑里の体を使っているので本気で殴るわけにいかない。もし力加減を間違えようものならば、まるで高い所から落としたトマトみたいに弾け飛ぶ。ようするにこの勝負は笑里から悪霊を追い出さないと神奈には勝ち目がない。
また突っ込んできた敵の拳でのラッシュを躱しながら、神奈は腕輪に問いただす。
「なにか追い出す方法とかないかな、塩でもぶつけるか?」
「いえ、悪霊を体から追い出すには、その悪霊よりも強い霊力で無理やり追い出すしかありません。ちなみに神奈さんの霊力はゼロなので無理です」
「なんとか出来ないのか?」
「……もしかすれば魔力で肩代わりできるかもしれません。ですが追い出すにはエネルギーの繊細な制御が重要です。まだ神奈さんの技量では九十七パーセントの確率で失敗しますよ」
「それしかできないならやるしかないだろ! 大丈夫だこういう場合は絶対に成功するパターンなんだ! 漫画とかだとだいたい成功する展開だからたぶんいける。私は自分を信じるぞ、この目の前の危険な悪霊を追い出してみせるさ」
「人の攻撃を避けながら話をするな! むかつくぞ貴様!」
突然重い金属同士がぶつかるような音がする。それと同時に神奈は後頭部を叩かれたのを理解した。しかし悪霊は目の前にいるままで、攻撃してきたのは悪霊ではない。後ろからの攻撃の正体を確かめるべく振り向くと――拳を振り下ろした状態で、口をポカンと開けている風助がいた。
「いや何驚いてんだ、驚いたのはこっちだぞ! なんで私の方を殴ったんだよ、敵はあっちだぞ!?」
「え? いや、どうして……僕にも分からない。体が勝手に……!」
錆びついたロボットのようなぎこちない動きで、風助は再び神奈に攻撃を開始する。本当に本人の意思ではないらしく、神奈はまるで誰かに操られているようだと感想を抱いた。
「霊力遠隔操作。この俺様の霊力を対象の全身に送り込み、その霊力で物体に干渉することで操作し、俺様の思い通りに動かす切り札だ。……まあ貴様にもさっきからやっているんだが、何かに阻まれているようだな」
このままでは面倒になると考え、神奈は風助から距離をとる。そして腕輪に聞いた方法を試すことにした。
漲る魔力を笑里に向けて放出し、その力の奔流で悪霊を追い出すように操作する。
「ん? ぬぐっ!? むうううぅ……! はあああ!」
神奈の体から出た薄紫色のオーラが勢いよく向かい、笑里に纏わりついて悪霊を閉じ込めた。そこから念じた通りに魔力が上に動いていき、悪霊の顔だけが笑里の顔から出てきて、成功かと思えばすぐに笑里の中に戻ってしまった。
確かに神奈は追い出すように操作したが、悪霊はまだ笑里の体に留まったまま……失敗である。
「フンッ、俺様を強制的に追い出そうとしたのか。霊力ではないが込められたエネルギーは俺様を追い出すには十分だった、貴様の修行不足ということだ。まあ生まれてちょっとのガキがこの藤堂零様に勝てるわけがない……諦めるんだな」
(もう一回さっきのをやってもいいけど……たぶんまた失敗するのがオチだ、正直舐めてた。強い攻撃もできない、追い出すこともできない。どうすればいいんだ……)
どうしたものかと神奈が悩んでいると、すぐ横に歩いてきた風助が呟く。
「藤堂零……まさか」
「秋野さんあいつ知ってんの?」
「もし記憶が確かなら……大量殺人犯だよ。少し前になるけど、当時は有名な霊能力者だった人が弟子を皆殺しにしたと、ニュースで連日報道されていたんだ」
その言葉に神奈は息をするのも忘れて絶句する。予想以上に悪霊が危険人物だったからだ。以前に風助を襲っていた悪霊と比べても、藤堂の方が格上であると確信できる。
悪霊というものは生前で未練を持ち、さらにその未練が邪悪なものでなければいけない。藤堂は悪霊になる素養を充分すぎるほどに持っていた。そこまでの悪意を持つ者に神奈が会ったのは初めてだった。
「ほう、この俺様のことを知っていたのか。いかにもそれは俺様で間違いないな。だが安心しろ、もう人を殺す予定はない。もともと奴等は霊力を高める餌だったのだ。……俺様は若さが欲しかった、老いることもない永遠の若さがな。そこで俺様は自身が幽霊になればいいと気付いた。霊体は年を取らないからな。だがやはり生身の肉体が恋しいので、こうして憑依することにしたのだ」
「憑依された笑里のことはどうなる。その体は笑里のものだぞ、ずっと憑依し続けるのか? まだ未来ある子供の体を、永遠に乗っ取り続けるっていうのかよ!」
「いや違う、俺が欲しいのは若さだ。そのために二十歳くらいになったら出ていき、別の子供に憑依する。それを延々と繰り返す。だからお前は邪魔だ。この俺でさえ対応しきれない、膨大なエネルギーを持つ貴様がなあ!」
「このクズがあ!」
藤堂にとって笑里の体も他の子供の体も器でしかない。情なんてないから容易く切り捨てられるし、どんなに傷ついても構わない。それに藤堂の憑依から解放されたとしても、精神的苦痛が襲うと神奈は断言できる。憑依された子供にとって、藤堂という悪霊は迷惑な存在でしかない。
「神奈ちゃんよけるんだ!」
風助の声がしたので神奈は藤堂に注意していたが、それとは関係ない方向から衝撃が伝わる。
(霊力遠隔操作のことすっかり忘れてた……。秋野さんいつまで操られてるんだよ)
殴られても痛くないが、大人に殴られれば子供の神奈は態勢を崩す。もし事前に来ると分かっていれば、魔力を使って吹き飛ばないようにすることができるが、戦闘経験が圧倒的に少ない神奈には二対一は厳しい。
態勢を崩した神奈に藤堂が接近してきて蹴りを放つ。それを防御しようと神奈は腕を顔の前でクロスさせる。しかしその防御など意味がないかのように、衝撃は脳天から伝わってくる。藤堂は蹴りの直前で跳んで、脳天に肘打ちを入れたのだとすぐに理解する。
「ぐっ……」
「くはははは! 戦闘力があっても技術がない! 俺様は数々の悪霊を除霊してきた最強の霊能力者だ。貴様のようなガキに負けてたまるかあ!」
防御に失敗したので腕が無駄になったと思ったが、その直後に結局蹴りは来たのでそちらはダメージを最小限に抑えられた。
いくら藤堂と神奈に実力差があろうと、ダメージが全く通らないほど実力が離れているわけではない。もちろん痛みなどはほとんどないが、何度も喰らってしまえば負ける可能性もある。
「神奈ちゃんよけるんだ!」
「分かったよ!」
今度は操られている風助の攻撃も神奈は避けられた。
「神奈さん前です!」
「避ければ隙が生まれるということに気付かないのか?」
腕輪の忠告で気がつけば、藤堂が神奈の目前に迫っていて、強烈なボディブローを腹部にめり込ませた。痛みはある。呑気に歩いていたら、子供が勢いよく頭突きしてきたぐらいの痛みだ。つまり大したことないので神奈は耐えられる。
「隙が生まれても問題ないってことに気がつかないか?」
「その痩せ我慢がいつまで持つか……見ものだなあああ!」
痩せ我慢という言葉はあながち間違いではない。今は問題ないが、直撃を何度も喰らってしまえば、痛みは重複して強くなっていく。そうなれば耐えきれる限界を超えてしまう場合もありえるのだ。
「神奈ちゃんよけるんだ!」
状況が最悪だった。風助がいつまでも操られているせいで、必然的に二対一になっている。
実力的にはややこしいが、神奈より弱い藤堂、藤堂より遥か格下の風助となる。つまり風助の攻撃はダメージがない。だが喰らえば態勢が崩れて、避ければ隙が生まれることにより、藤堂からの攻撃を受けるという展開が続いている。
「神奈ちゃんよけるんだ!」
今度は風助が連撃を放ってくる。……非常に鬱陶しいと神奈は思い始めていた。
「神奈ちゃんよけ――」
「鬱陶しいんじゃあ!」
「――ぐべぶば!?」
さすがに不利なので、風助には悪いと思いつつ殴り飛ばした。錆びた遊具に激突した風助は気を失った。
幽霊でも気を失うという豆知識を一つ、どうでもいいことを神奈は知った。
「ふはは、怖いな、味方を躊躇なく殴るか」
「いや味方じゃなかったよね? 明らかにあの人が戦いの邪魔してたよね?」
「そうだな、確かにそうだ。それでこれから反撃だとでも思っているのか?」
「よく分かったなその通りだよ。技術とかを正面から叩き潰す、圧倒的な力を見せてやる」
自分の発言を悪役のようだと思っていた神奈だが、笑里の顔で余裕面をしている藤堂に警戒する。一対一の状況に持ち込まれれば、藤堂は不利になると神奈は考えている。それでも余裕を見せているということは、何かの切り札があるということに他ならない。
「霊鳥化」
藤堂がそう呟いてからすぐ、緑色に淡く光り大きく力強そうな翼が笑里の背中から生えた。
天使というには緑色に光っているのが不気味だ。笑里の瞳も同じ色に光り始めており、神奈は害がないのか心配になる。
「霊力を最大限に引き出す最終形態……! 俺様が編み出しておきながら一度も使ったことがない技だ」
「どうやら嘘ではないようです。笑里さんの身体を廻る藤堂の霊力の流れが速く、力強くなっています。おそらく先程までよりパワーアップしているはずです」
「ふぅん……技名一生懸命考えたのか? もう一生そんな技使えなくしてやるよ!」
二人は同時に駆けて激突する。小さな拳同士がぶつかり合って、押し負けたのは――神奈だ。
「どうした? まさかそんな程度か? 霊鳥化まで使ったのはやりすぎだったか?」
「ぐうっ……!」
これは舐めてかかった神奈のミスだ。腕輪の言った通り、藤堂は桁外れに強くなっている。それに対し神奈は笑里の体が相手であることもあり、手心を加えて攻撃していた。
地面を抉りながら滑っていく神奈に、藤堂が急接近してきて拳を振る。神奈は足に力を込め強制的に滑るのを止めて拳を振る。
大地に亀裂が走る。ぶつかり合った拳の勝者は神奈だ。
「どうした? まさかその程度か? パワーアップしたのにその程度なんてその技はボツだな!」
「ちいっ! いい気に……なるなよ!」
藤堂が吼えると異変が起きた。公園にある錆びついている遊具が、地面から抜けて浮き始めたのだ。ジャングルジム、シーソー、ブランコ、砂場、とにかく全ての物が、緑色に薄く光りながら浮いている。
「おいおい……なんだそりゃ」
「霊力遠隔操作。人以外に使えないなどと俺様が言ったか? 押し潰れてしまえええ!」
遊具の重さは一番軽い鉄棒でさえ成人男性よりも重い。当然すべり台やジャングルジムなどそれよりも重い。
重さはそのまま力となる。相手が神奈でさえなければ驚異的なものだった。
まず降ってきたジャングルジムを神奈は片手で受け止めて、それから続いて降ってくる遊具全てをジャングルジムで受け止める。総重量は相当なものだろうが、神奈を潰すのなら数百倍の重さがいる。
「よっと」
片手で持っている全ての遊具を神奈は藤堂に投げつける。両手で受けとめる藤堂だったが、重量に押されてブロック塀に激突した。総重量に加えて投げた時の速度もあるのだから当然だ。
勝った、そう神奈が思った時に、またもや後ろから殴られた。
霊力遠隔操作は生物でなくても作用する。つまり気絶している霊体にも作用する。また風助を操ったのかと考えるの神奈だが、今回殴ったのは風助ではなかった。
神奈が振り返ってみると――アフロの女性がいた。
「いや誰だよ! すごい髪型してん、な……って」
あまりの光景に絶句してしまう。霊体はアフロの女性だけではない。その後ろから百を超える多すぎる幽霊達が集まって、全員が緑色の淡い光を放っている。
「どうやら霊力遠隔操作という技はかなりの広範囲に使えるようですね。どこからか分からないですが幽霊が集まってきています……!」
だからってこれは酷い。数の暴力とはまさにこのことだと神奈は思う。しかしたとえ数を揃えたところで、圧倒的な一人には勝つことなど不可能だ。
奇声を上げて襲い掛かってくる幽霊全員を、神奈は高速連打で殴り飛ばしていく。殴られた幽霊達は例外なく星となって消え去った。
「かああああああっ!」
次に奇声をあげたのは藤堂だ。もう何をしようと遅いが、藤堂は砂場の入れ物に入っている砂全てを神奈にぶちまけた。
砂場は大きく深い入れ物に砂を入れている。その砂が全て神奈に向かうのだが、拳を無造作に振ると、向かってきていた砂が拳の風圧によって神奈を避けていく。
「そんな小細工、無駄だっての……!」
ぶちまけられた砂は目くらましだ。視界がほんの僅かの間のみ封じられた隙に、素早く神奈に向かう藤堂。それをもちろん神奈は迎え撃とうとする。
戦いは今、決着に向かいつつある。そう神奈が思っていた時に思わぬハプニングが起こる。
誰かが倒れる音。それは藤堂が乗っ取っていた笑里の体が倒れた音だ。
(転んだ? こんなことがあるのか?)
「はっ!? 神奈ちゃんよけるんだ!」
「もう遅い!」
目が覚めた風助の声で、神奈は後ろを振り向く。そのときには霊体の藤堂が背後に迫っていた。
若い大人が少女の体へと侵入する。少しの抵抗もなく受け入れてしまった少女は、なすすべなく地面に倒れてしまう。
「ああ……神奈さんが……憑依された」