33.7 砂漠――砂の王女――
2025/09/27 文章一部修正
砂漠のとあるオアシス。
その場所に敵がいると分かっている神奈達はまたも徒歩で砂漠を歩く。
もうサンディア城下町内ではないので目立っても問題ない。もはや神奈達の中で砂漠の必需品となった日傘代わりの葉を使って暑さを軽減している。
「しっかし、砂嵐来ないな……。定期的に来るってなんだったんだ。まさか一日に一度とかその程度なのか? それなら普通に行商人も来られそうだけどな」
物語では定期的に強い砂嵐が発生して行商人が来られず、貿易が不可能になり食料が輸入出来ないため問題になっていた。しかし神奈達が砂漠に来て合計で五時間は経とうとしている。本当に誰も来ることが出来ないなら、神奈達も主人公もサンディアに行くことは不可能なはずだ。後者は物語上の都合だろうが、神奈達にそんなものはない。霧雨が主人公の立場だから仮に補正があるとしても、砂嵐が全く発生しないのはおかしい。
「……確かに、何もなさすぎる。私達がここに来てもうかなり経つけど砂嵐なんか一回も発生してないし」
「それって良いことなんじゃないの?」
夢咲の呟きに笑里が疑問を投げかける。
「この世界の人達にすれば良いことだけど、私達にとっては都合が悪いよ。だって物語が正常かどうか分からないんだもん。まあ、既にまもとにストーリーが流れているとは思ってないけど」
「サンディア王が熱井君だったからな、あれは酷かった。……あれ? なあ、もしかしてだけど、今回の敵にも誰かが成り代わっているんじゃないのか? それなら砂嵐が来ない理由も納得出来るよな?」
「なるほど、つまり俺や熱井のように誰かが敵になってしまっているということか。全くの他人ならば悪さをしないのにも頷ける。砂嵐を発生させる理由がないんだ」
物語の主要人物に成り代わる前例がある以上誰も否定出来ない。寧ろ納得出来る推測。
「荻原のやつ、ポンポン人を入れるからこんなことになってるんじゃないのか」
「そうかもね。さ、話はここまでにしようよ。オアシスが見えてきたし」
歩いていた一行の視界に水たまりのようなものが映る。遠いからその程度の大きさに見えるが、近くに行けば市民プールのような大きさだ。
決戦は近いので誰も話すことなく警戒し、オアシスまで辿り着いた。
水があるおかげでその地点だけ他の場所より僅かに温度が下がっている。
オアシスは地下水だけでなく、川や雪解け水を水源とするものもある。後者の方がより大きなものが作れるが、この場所にあるのは前者だ。それでもどんな大きさだろうと砂漠地帯ではありがたすぎる場所で、神奈達もそこに誰もいなければ休もうとしていた。
「ようこそ、私のオアシスへ」
先客がいるのには近付いて行くうちに気付いたが、それが知り合いだったことに驚愕する。ただの知り合いなら少し驚く程度だろうが、想定外すぎる人物だったから露骨と言えるくらい顔に驚きが表れている。
「ああ、それで……どういうつもりだよ。……荻原」
荻原ララ。今回の事件の元凶がそこにいた。
荻原は敵意がこもる視線を送ってくる。神奈達はどうしてそんな目をしているのかを不思議に思う。本の世界に送り出したのは紛れもなく荻原本人であり、物語を捻じ曲げたといっても修正が効くレベルでだ。登場人物への成り代わりで物語が変化したとしても荻原の自業自得。元凶に睨まれるのは釈然としない。
「どういうつもり、というのは?」
「寝ぼけんなよ、なんでお前がこの場所にいるのかって言ってんだ! どうしてお前までこの世界に入ってきてんだよ!」
「そうだぞ荻原、お前がここに入って来るのはあまり良くないはずだ。物語が捻じれる可能性が上がってしまうのだからな」
「……さっきから、何を言っているのか分からない。私とあなた達に面識なんかないはず」
「本気で、言っているのか?」
白々しい態度だ。この世界に送り込んだ張本人が、神奈達を知らないと言い張っても噓にしか聞こえない。霧雨は荻原と最近毎日会っていたのでショックを受けている。
「この世界……女王シリーズを貸してくれたのはお前だろう? 本の素晴らしさを理解させたいんじゃなかったのか? 俺と休み時間に感想を言い合ったことまで、知らないって、言うのか……?」
「知らないし、興味もない」
「そんなわけが……」
本当に目の前の人間が荻原なのか神奈達が疑い出す中、腕輪だけが真相に辿り着く。
「なるほど、そういうことですか」
「どういうことか説明頼むぞ。分かりやすくな」
「ええ、まず、目の前にいる少女は紛れもなく荻原ララさん本人ですよ」
「し、しかしそれなら俺のことを知らないなんて言うはずがない!」
矛盾していると霧雨は腕輪に食ってかかる。
神奈の腕に話しかける霧雨を見て事情を知らない荻原は首を傾げる。
「そうだよね、私達をここに送り込んだわけだし、知らないなんてありえない。でもあの表情は本当に知らないみたい」
「私達を忘れちゃったってこと!?」
「そうではないんです。本人なのは間違いないですが、その本人が二人いるんですよ。今の神奈さん達と同じ状態なんです。ずっと前からこの世界に来てしまっているんですよ」
「ずっと、前から……? まさか……」
全員が気付いた。同じ状態と言われれば一つしかない。荻原ララも神奈達と同じように、本に魂を吸い取られたのだ。それには一つの疑問が残る。ずっと前からこの世界にいたのなら、どうして現実世界で自分の意思を持てていたのか。
本の中に魂を吸われた人間は、霧雨や熱井のように意思なき人形のような状態になる。無意識に刻まれた日常の行動を行うだけの存在に成り果てるはずなのだ。しかし、元の世界で荻原は自由に喋り動けている。被害者と同じ状態とは思えない。
そもそも自分を本の世界に送り込む必要がない。荻原の目的は本を雑に扱った人間に対して、不器用ながら本の素晴らしさを伝えたいというもの。自分を送ったところで目標の邪魔にしかならないだろう。
「もういい? どうせ敵だろうし、干からびてもらう」
風が吹いていないのに砂が舞う。
物語の敵である彼女が使える力は砂を操る力。
細かい砂一粒一粒を手足のように自在に動かせる。
そんな力があれば、砂嵐だろうと自由に引き起こせる。
「やばっ、全員口と目を閉じろ! 砂嵐だ!」
砂が上空へと巻き上げられ、回転して渦となる。
視界が砂の一色に染まる。口や目を開けば異物が入るのは確実なので、笑里と夢咲は蹲って両手で鼻などを押さえる。神奈は二人と違い棒立ちのままだが、加護の力で砂嵐という環境を防げるので砂を届かせない。霧雨は屈んで防御しようとしたが、頭の中にローラの声が聞こえてきて指示に従う。
『太いツタをイメージして! 植物で周囲を囲んで身を守るの!』
ローラの能力は植物操作と生成。たとえ緑が何もない場所でさえ、植物を生やすことが出来るので砂漠でも不利にならない。主人公に相応しい便利な力だ。
霧雨は指示された通り太いツタをイメージしながら、地を踏みつけて植物を足元から生やす。数秒で十メートル以上に育った太いツタを操作して自分達を包み込む。そうすることで砂が入らない安全地帯を作り出した。
突然出てきたツタは霧雨もといローラの能力だと神奈は理解する。
目を閉じているせいで何も見えない笑里と夢咲はツタに守られると、砂が来ないことに気付きゆっくりと目を開ける。視界に飛び込むのは円状に展開されたツタの防壁。
「うぅ……どうなったの?」
「うわぁ、髪とか服が砂まみれだあ。ザラザラしてて気持ち悪いよお」
「我慢しないとね。……これって、もしかしてローラの植物操作? そういえば小説でもツタを生やして砂嵐を防御していたっけ」
笑里と夢咲は体や服に付着した砂を叩いて落とす。
霧雨は安全を確保したのか不安に思い脳内でローラと会話する。
「これでいいんだな?」
『ええ、でもこれだけじゃ破られるわ。砂嵐から身を守るだけならこれでいいとしても、他の攻撃をされたらツタが千切れちゃうと思う』
「どうすればいいんだ、ぺっ! 砂が口に入ったな」
「ぺっぺっ! 本当だね!」
『汚いわね。どうすればいいのかすぐには思いつかないわ。植物を利用すれば色んな戦闘方法があるけど……』
砂の竜巻は太いツタにも傷を付けられる。
ツタの中に閉じ篭っていても安全ではない。
「全く、最新巻を読んでおけばどう勝ったのか分かるというのに……」
「ごめん、私も戦闘は詳しく覚えてない」
『あんまりそういうことを当てにしない方がいいと思うわよ。その、信じられないけど本当に私が本の登場人物だとしても、その本の通りに物事が進むなんてことはないと思った方がいいわ。現実がどうやって進むのか、誰も決められはしないんだから』
「……まあ既に崩壊気味だからな。しかし、何も知らないよりは遥かにマシだと思うんだが」
『逆でしょ。知らないからこそ人生楽しめるのよ。……ってちょっと待って! 植物の中の気配がみんなの数と合わない、誰か守れてないでしょ! あの黒髪の子よ!』
植物で囲んだ中に生命反応が足りない。そんなことも分かるのかと霧雨は感心しつつ、状況の悪さに頭を抱える。
「外は砂嵐プラス竜巻……普通に考えてマズい状態だろう。神谷の命が危ない……!」
『砂の竜巻はかなりの攻撃力を誇っているはずよ。まだ子供のあなた達が外にいれば間違いなく吹き飛ばされて、空から地に叩き落される。死んじゃうわよ!』
砂嵐に加えて竜巻も発生している環境で平然としていられるわけがない。もしかすれば既に死んでいるか、重傷を負っているかもしれない。そんなふうに霧雨は考えるが。
――外にいる神奈は全くの無傷だった。
「砂嵐ってのは初めてだな……こうなるのか、不思議な気分だ」
加護によりどんな環境でも生きられる神奈にとって、今の状況は問題視しなくてもいいもの。人間を簡単に吹き飛ばす暴風も、激しく叩きつけられる砂も神奈には一切届かない。体から一ミリメートルという極小範囲が安全地帯になっているのだ。
視界は砂一色になるはずなのに、ツタの防壁がある場所や荻原が見えている。神奈にとって砂は背景で、その他のものが前に出て見えるのだ。加護の力は本当に便利で凄まじい。
「神奈さん、神奈さんも守られなくてよかったんですか?」
「守られる? お前誰に向かって言ってんだ? 私は最強の戦闘民族すら倒したんだぞ。誰かに守られる必要なんてあるわけないだろ。私は……守る側だ!」
思いっきり、神奈は拳を前に振った。
その一振りだけで砂嵐は吹き飛び、暴風が吹き荒れて竜巻は消し飛んだ。後方にある緑の大きなツタの防壁も揺れる。ツタの根が足場の砂ごと浮き上がり、霧雨達を守る物がどこかへ飛んでいってしまう。
一撃で全ての状況を覆したのを見た荻原は目を丸くして、動くことを忘れる。
「相変わらずでたらめね、神奈さんは」
「凄いね神奈ちゃん! 私こんなこと出来ないよ!」
「……いや、そんな呑気に褒められるレベルか? 凄すぎて褒めるに褒めれないんだが。何したら砂嵐も竜巻も足下の砂も吹き飛ばせるんだ? クレーターが足下にできてるし」
驚愕して動けないのは霧雨も同じだ。しかし彼の場合、研究意欲に似た感情で脳内に推測を並べていっている。放心しているだけの荻原とは違う。
「さて、話の続きを聞かせてくれ。どうして荻原がこの世界にいるのかっていうやつ」
「え、今ですか? まあ途中でしたし話しましょう」
そんな状態を作り出した張本人は呑気に腕輪に先程の説明の続きを求める。
「荻原さんがこの世界にいつ魂を吸い込まれたのか、どういった目的なのかは本人に訊いてみなければ分かりません。私が分かることはここにいる理由だけです。だって簡単なことだったんですよ。彼女の固有魔法は本に魂を閉じ込めるもの。それは本を傷つけたら自動発動するくらいに制御が出来ないと、荻原さん本人が言っていたじゃないですか」
回りくどい説明を聞く神奈達は腕輪が答えを言う前に真相を理解する。
「まさか……自分にも通用するのか、あの魔法は……」
「願いの叶え方は異常だけど本に対する想いは正常だった。彼女が進んで本を傷つけたとは思えないし、なんらかの事故ということね」
「事故……俺と同じか」
荻原がこの世界にいる理由を知った神奈達に疑問が浮かぶ。
「でもそれならどうして荻原の意識があったんだ? 被害に遭った奴等は全員意識がないゾンビ状態だったよな?」
「え、俺の体ってそんな感じなのか!?」
「推測ですが固有魔法の維持のためでしょう。魂が全てこちらに来てしまえば、なんらかの異常が起きてしまうかもしれませんから。元から自分は完全に吸い込めないんでしょう」
「なるほどな。……さて、一応ご本人からも聞いておこうか。荻原、お前の目的はいったいなんなんだ?」
腕輪から引き出せる情報は全て引き出し、神奈は問いかける相手を荻原に変更する。
放心状態から回復してきた荻原はピクッと肩を揺らし、軽い笑みを浮かべて口を開く。
「……向こうの私から送られてきた刺客かな。その割に何も知らされていないのは可哀想だね。私の目的なんて決まってる。この世界で好きに生きること、それ以外にない」
「どういうことだ、好きに生きるって……。お前の目的は本の素晴らしさとやらを教えることじゃないのかよ」
「その気持ちも残ってる。でも一度この世界に、本の中に入ったら……嬉しさとか楽しさとかそういったものが溢れて溢れて止まらないんだよ! 偶然とはいえ夢にまで見た場所にせっかく来られたのに、どうしてわざわざつまらない現実に帰らなきゃいけないの!? 本という宝を傷つけたり、雑に扱ったりする連中がいる世界にどうして戻らなきゃいけないの!? 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ私は戻らない! 私はずっとこの世界で生きるんだあああ!」
最初は静かに、後に激しく、荻原は想いを吐き出した。
それに神奈は少し共感してしまった。魔法がある今の世界に来られたのに、前世の世界に戻れと言われれば「嫌だ」と声を大にして叫ぶだろう。せっかく理想の世界に行けたのに、離れなければいけないのは酷な選択だ。……それでも、荻原の想いに共感出来ても、譲れないものが神奈にもある。
「私達は、この世界にずっといるわけにはいかない。お互いの意見が食い違ったならすることは一つだ……そうだろ、敵役」
「後悔するぞ、身の程を知りなさい主人公役共! 私から世界を奪うやつは許さない!」
お互いが譲れない何かを持っているのなら戦うしかない。
神奈達と荻原の想いは戦いでぶつけ合うしかないのだ。
不穏な雰囲気を感じ取った夢咲は一歩下がる。それ以外の者達は一歩進む。他者と行動が真逆だった夢咲は、戦闘で自分が無力だと強く感じてしまう。そんな彼女をよそに戦いは始まる。




