33.5 王女――私達の全力で――
2025/09/27 文章一部修正
広大な草原の中心に一つの国がある。
ネイジャー王国と呼ばれるその国周辺では、僅かに草がなびく程度の弱い風が四六時中吹いている。それを利用して国の賢く強い女王は風車と呼ばれる物を作り出し、穀物畑にある小麦を潰す工程を自然の力に任せて、人間をほぼ不要とすることで人件費を削減した。
今まで女王は数々の相談をされたり、自ら視察に行き問題を解決してきた。国民からの評判は大層良い。ほとんどの国民は彼女のことが大好きであり、国内では人形などを作成して販売する店も存在する。さすがに自分がモデルになっている、というか自分そのものな商品は複雑な気分になるので見つけ次第廃棄している。
「ここが、本の中か……」
問題は数多くあるが今日も快晴。争い事は少ないネイジャー王国城下町で、この世界では浮いた服装をして、おかしなことを呟く少女達がいた。
「わあぁ、なんだか絵本の世界に入っちゃったみたいだね」
「うん、だってその通りだから。ここ本の中の世界だから」
四方八方に伸びた黒髪の少女、神谷神奈。
オレンジの髪の活発そうな少女、秋野笑里。
「それで夢咲さん、ここから出るには物語を終わらせればいいって荻原は言ってたけど……どんな本か知ってる?」
そしてボリュームある髪が首に巻き付いている少女、夢咲夜知留。
「表紙とタイトルを見ていたから知ってるよ。タイトルは女王と砂漠の王。女王シリーズ最新作ね」
「最近霧雨が読んでいたやつか、それで内容は?」
「ここはネイジャー王国、主人公がいる国ね。ローラという女王が主人公で、今作の砂漠の王では遠く離れた砂漠の国の王からとある手紙が届くの。その内容は国同士の同盟、そしてローラに砂漠の国サンディアの王と結婚をしてほしいというものよ。ローラは結婚が嫌ではなかったけれど、何か事情があると睨んでサンディアまで視察しに行くわ」
城下町で立ち止まるのも迷惑なので神奈達は歩きながら話す。神奈はそれなりに想像出来ているが、笑里は難しい顔で内容を理解しようと必死になっていた。
「サンディアに身分を隠して行ったローラは事情を調べるの。サンディアでは原因不明の砂嵐が定期的に発生していて、そのせいで他国から輸入した食料が到着するのが遅れたり、来なかったりしていた。他にも食べる物はあれど、国内の食べ物は限られているから他国を当てにしていた。つまりサンディアで起きていた問題は食糧問題だったの。ローラと結婚しようとした目的は、自然が多いネイジャー王国を我が物として、食糧をサンディアに回そうという魂胆よ」
「……まさか私達は食糧問題を解決しなきゃダメなのか?」
「砂漠っていえばあれがいっぱいあるよね……サボテン!」
「大丈夫よ、結局食糧問題の原因となる砂嵐を止めればよかったんだから。それが自然の驚異なら不可能だけど、ローラはそれを起こしている人物を見つけるのよ。砂嵐を起こしていたのは先代サンディア王の浮気してできた娘。浮気相手の女が妊娠したと分かると先代は国から追い出して、不祥事の証拠隠滅を図ったの。でもそれで始末出来たと思ったのが甘くて、オアシスを利用して盗賊紛いのことをして生きていた」
そこまで聞けば神奈達は大まかに推測出来る。
感情移入したのか笑里は眉を顰め、右頬を膨らませて怒っていた。
「関係性はサンディア王の腹違いの姉か妹か、まあどちらにせよ追い出されたことで恨みを持ったってことだな?」
「むぅ、許せない。私だったらその人に正拳突きをお見舞いするね!」
「まあそういうこと。悪魔と契約して砂を操る力を得た彼女は、憎しみを糧に強くなってサンディア王国へ復讐を始めたの。それをローラが実力行使で止めさせて、彼女をネイジャー王国に引き取ろうとするけれど……彼女は母親が眠る砂漠で自分も死ぬことを決意していたの。そういう結末でサンディアには今まで通りの生活が戻り、結婚も白紙になってめでたしめでたしって感じかな。思い出したら泣けてきちゃった」
涙を流しそうになって目を擦る夢咲だが、それよりも涙を溢れさせていたのが笑里だ。特に敵役の女の話に感動したようで鼻水をすすっている。感動するかどうかは置いておき、物語の大まかな流れを聞いた神奈は情報を整理する。
「とりあえず私達がやらなきゃいけないことを纏めよう。まずはできれば女王と接触してサンディアに付いていくこと。物語がそっちで進むなら、私達が向かうべきはサンディアだ。でもその前にしっかりと異変が起きていないか確認した方がいい。もしも異常事態が起きていて、王女がサンディアに行けなかったら物語がその時点で詰みだし」
ローラがサンディアに行かなかったり、手紙が届かなかったりすればその時点で物語が崩壊する。そうなれば荻原が言っていた通り二度と現実へ戻れない。だからこそ、ローラのすぐ近くで異常がないか確かめるべきである。
「確かに、真っ先に注意すべきはそこね」
「そして一番重要なのが敵の討伐。まあこれに関しては別に私が倒してしまっても構わないだろ? どうせ作中で死ぬんなら誰が倒しても一緒だろ」
「ダメだよ神奈ちゃん、可哀想だよ!」
「倒さなきゃ元の世界に帰れないだろ。説得出来るとも思えないし」
完全な部外者が説得出来るなら原作で主人公が説得出来ている。いい加減な言葉は薄っぺらく心に響かない。最初から神奈は大して関わりのない相手を説得出来るなんて思っていない。
「誰が倒しても一緒か。今回に限ってはそうかもね。ローラは彼女を救えなかったし、ただ砂嵐を止めただけだから。それでも物語として破綻するのはおそらくアウト。形だけでも付いて来てもらった方がいいかも」
「まあそこは女王に直接会えばいいだろ。それで同行させてもらうよう掛け合う。もしダメならこっそり付いて行く」
「そうだね、じゃあお城へ行こうよ! 美味しい料理食べられるかも……じゅる、涎垂れそう」
「垂れてる垂れてる! ていうか料理なんか食べられるわけないだろ!」
指摘された笑里は口元を慌てて袖で拭く。彼女がいてこの先上手くやっていけるのか不安になる神奈と夢咲だが、気にしたところで今さらなので考えないようにする。
神奈達は国内で一番大きい建物である王城へと向かう。
服装が元の世界で着ていた服のままなので、通行人は珍妙なものを見るかのような目線を送ってくる。居心地が悪いと思いつつ、神奈達は歩き続けて王城前まで辿り着く。
一直線に向かったはいいが……ネイジャー王国で明らかに浮いている怪しい三人に、しかもまだ幼い少女達に、門番の騎士が門を通らせてくれるわけがなかった。
全身鎧で立つ騎士は優し気な口調で注意してくる。
「君達、ここから先は王城だから入ったらダメだよ」
「あの、女王様に会わせてくれませんか? お話するだけでもいいんです」
「あはは、ダメダメ、女王様はお忙しい方だからね。それに今は立て込んでいるみたいなんだ。なんでもサンディア王から婚約の申し出があったとか……人気者で困るね女王様は」
ダメ元で夢咲が女王と会えるよう掛け合ってみるが当然ダメ。
神奈達は仕方なく王城から少し離れて木陰で休む。
「どうやらもうサンディアの王様から手紙が来てたみたいだな。……てことはもう少ししたら女王様視察に出発するんじゃないのか?」
「そうね、手紙が来てから何日経っているのかは分からないけど、すぐローラはサンディアに行くはずだから。護衛も連れて行ったから私達が近寄るのはやっぱり無理かな」
「まあそれならこっそり付いていけば問題ないさ」
「ねえ、それなら私達が護衛になればいいんじゃない?」
名案なのではと問いかける笑里に対して神奈と夢咲は苦笑する。
護衛というのは対象を守らなければいけない仕事だ。守るだけなら強さという点で神奈と笑里は申し分ないが、そういった仕事は普通なら兵士や騎士に任せるだろう。どこの誰とも分からない少女に護衛を頼むなど自殺行為に等しい。女王という立場上狙われることが多そうなので、神奈達が暗殺者に間違われる可能性もある。
「護衛は普通王城に勤めてる騎士とか、金で雇われる兵士の役目だろ。私達がなれる可能性なんて」
「でもこんな紙が貼ってあったよ?」
太陽の光を木の葉が遮って見えづらいが、笑里が差し出す紙を二人はじっと見る。四方が破けているので、無理に剥がしてしまったらしいその紙には、神奈達に都合のいいことが書かれていた。
「護衛の、募集……」
急募という文字が目立つ。その内容はサンディア王国に行くので護衛を募集するというもので、騎士団長と勝負して見所のある者を護衛として同行させると書かれている。
「ね、これなら私達でもなれるよね!」
「ああ、騎士団長をぶっ飛ばせば護衛になれそうだな!」
「……ちょっと待って」
喜ぶ神奈と笑里に、紙を睨視しながら夢咲が声を掛ける。
「こんなもの、本には登場していなかった。それにこれ日本語だよ……これを貼ったのは間違いなく私達と同じ日本人。しかも、私達みたいに荻原さんに同意して送られていないなら、誰かに成り代わっているはずよ。そしてそれは……」
権限を持たない人間が貼っても、同意を得ていないなら貼り紙の内容は全て嘘になる。そんな無駄なことをする間抜けはいないだろう。よく紙を見れば、紙の右下に【ローラ】という名前が書かれている。
「……女王か。つまり女王はこの世界に閉じ込められた宝生の生徒ってことだな」
脱出条件を知っているのかは不明。ただ、どこかも分からない国の女王になっているわけの分からない状況で、同じ境遇の人間を見つけようと日本語の貼り紙を貼ったのだろうと神奈は当たりをつける。
「マズいな。女王が別人なら、ストーリーが破綻する可能性が大幅に上がってる」
主人公がそのままなら特定の行動をサポートすれば、後は勝手に物語を終わらせてくれる。しかし中身が別人なら気品や強さなど、様々なものが主人公と違ってしまう。些細なズレでも物語に影響を及ぼす可能性は十分にある。最悪の想像をしてしまえばキリがない。
夢咲は悪いことばかりを考えてしまい、俯くと頭を抱える。
「どこで支障が生じるか分からない。私達がどれだけサポートしても、一手で覆される可能性が……」
「……夜知留ちゃん。難しいこと考えすぎだよ、私達は自分にできる精一杯をやればいいだけだと思う」
「笑里の言う通りだ。どう足掻いても達成出来ないとしても、全力でやらなきゃ後悔するだけだ」
神奈と笑里の言葉に夢咲はハッと顔を上げる。
大事なことを忘れていた。やらなければいけないことの大きさに光を見失っていた。暗い未来ばかり想像していた夢咲は、二人の言葉がきっかけで嫌なことを考えるのを止めた。
「……少しの間だけ情けないところ見せたよね、でももう大丈夫。私達の全力で霧雨君も、他の人達も助けてみせましょう!」
胸元で拳を強く握る夢咲に、神奈と笑里も同意する。
三人は拳を胸元で握ってから拳を合わせ、突き上げる。
弱っていた心に喝を入れ、強い意志を持って再び王城へと向かった。
王城の門前に再び歩いて来た神奈達に、門番の騎士は「またか」と呟きため息を吐く。どんな理由なのかは気になるが、どうせ女王に会う以外に目的などないのだろうと理由を決めつけていた。
今までに何人も、女王への興味本位で王城入口にやって来た者がいた。そういった輩は目前の少女達のように幼くなかったが、純粋な憧れを抱いていることは変わらない。どんな容姿であろうと、どんな役職の人間であろうと、門番を任されている以上は納得出来る理由以外で入口を通すわけにはいかない。
「私達、護衛に立候補します!」
――と思っていた。
信念は強固だが、目の前の少女三人にどういう対処をしようか迷う。どこから見ても華奢な少女が護衛とはなんの冗談か。しかも女王の護衛など、お遊びで務まらない重要な仕事だ。
「あ、あのね君達……護衛の意味が分かっているかい? 護衛っていうのは女王様を守らなければいけないんだ。野盗とかの犯罪者から君達が守らなきゃいけないんだよ。女王様自身は強いけど、守らなければいけない身分のお方だ」
「知ってます!」
「げ、元気はいいね……でも本当に危ないからね? 君達は戦えるかい? 無理だろう?」
「戦えます! 私は空手を習ってます!」
門番の騎士はなんとか説得して帰らせようとするが、笑里は元気な声で護衛が出来ると言うだけだ。諦める気が微塵もないのだけは分かる。
「カ、カラテ? 何かは分からないけれど止めた方がいい。きっとお父さんお母さんが心配しているよ、危ないことをすると死んじゃうかもしれないんだ。ほら、早いとこ御両親の所へかえ――」
「両親はいません」
「私もいないな」
「私はお母さんがいるよ!」
両親が心配しているよ作戦も全く通用しない。そうなれば、最後の手段だ。
「……君達の思いは分かった。ならこうしよう、僕に勝てたら城に入れようじゃないか。僕にも勝てないようじゃ到底護衛なんて務まらないからね。でもその代わり、負けたらちゃんとお家に帰るんだよ?」
門番の騎士は、相手がどうしても折れない場合実力行使で追い払うことが認められている。しかし、出来れば騎士として少女達に戦いの選択肢を与えたくなかった。まだ幼い少女達相手と戦うなんて、騎士として恥ずべきと考えているからだ。
「分かりました! じゃあいきます!」
「へぶああっ!?」
門番の騎士が気付いた時には地に倒れていた。何が起きたのか理解出来ない。
笑里が目にも留まらぬ速度で殴ったのである。開始の合図は自分からと思い、しっかり宣戦布告してから殴りかかった笑里の拳が腹に直撃していた。その威力は全身に纏う金属の鎧と、鍛えられた筋肉の鎧両方を破壊する程である。破壊した時には大きな鉄球がぶつかったかのような音が鳴っていた。
視認することすら出来ず、腹痛レベルではない痛みが騎士を襲い続ける。喰らったのは一撃だけなのに戦闘続行は不可能。現実を教えて諦めさせるつもりが、逆に教えられてしまった。所詮井の中の蛙。世の中には自分よりも強い子供も居るのだと。
「やったあ勝ったあ! それじゃあ通っちゃうね騎士さん!」
「ああその……ご愁傷様」
「……私、初めて話した時あれを喰らいそうになってたのね」
騎士になれる程に体を鍛えていたため死んではいないが、脅威の一撃を見た夢咲は戦慄し、神奈は倒れる騎士に同情の目を向ける。可哀想だが約束は約束。笑里に遅れて二人は堂々と王城に足を踏み入れる。
笑顔で先に進む笑里を追いかけると、二人は驚愕の光景を目にした。
「あれえ、どうして襲ってくるんだろう。せい!」
僅かに目を離した隙に、笑里が王城内の騎士を殴り飛ばしていたのだ。既に床には数人の騎士が倒れている。誤解がないよう説明するなら最初に襲ったのは騎士側である。しかし、門番を殴って入って来た相手は侵入者以外の何に見えるだろうか。
仲間が一人倒されたら、やはり侵入者だったと騎士全員が誤解してしまう。
「何してんだこのアホおおおお!」
「え、だって襲ってきたんだよ? 女の子に手をあげるなんて最低だよね?」
「確かにそれは最低だけど今のお前の方が最低だよ! もう少し手加減するか躱し続けて話聞いてもらえばよかったじゃん!」
叫ぶ神奈の肩に夢咲が手を置く。
「やってしまったものはしょうがないよ。私達は全力で突き進もう」
「夢咲さんはもう少し気にしろよ! 全力で助けるとは言ったけどこの人達って味方だよね!? 私達助ける側どころか倒される側になってない!?」
「神奈ちゃーん、女王様は上にいるみたい!」
左手をぶんぶんと振る笑里は、正面階段を人差し指で示して叫ぶ。
王城一階には戦闘不能の騎士が十名以上。それをやったのは笑顔で手を振る友達。神奈は状況を整理して、徐々に目が死んだ魚のように変化していく。
「……もういいよ、行こう」
平和的に交渉して女王と協力したいと神奈は思っていたが、現状それはもう不可能だ。夢咲の言う通り、もう過ぎたことは仕方がない。王城を襲撃するテロリストになってしまったがそれも仕方のないことだと流す。
階段を上がる神奈達は、何かの賊扱いで騎士に斬りかかられる。
こんな状況になってしまうと、戦闘能力のない夢咲を庇いながら戦う必要があり大変だ。最悪な状況である。先程までやる気が漲っていた夢咲も今では、本当にこれでよかったのかと頭を悩ませている。
神奈達は騎士を倒しながら玉座の間へと辿り着いた。
「……え?」
その間の抜けた声は誰の声だったか。
「……はい?」
神奈達は困惑の表情を浮かべている。行動が完全に止まるほど、思考が停止していた。
一方、女王を守ろうと集まった騎士達は今が好機と見て、神奈達を囲んで剣を向ける。
「じょ、女王って……」
「し、侵入者って……」
ありえないとばかりに震える声を出しながら神奈はゆっくりと、震える指を女王に向ける。その反応は玉座に座る女王も全く同じだった。女王もまた侵入者の正体に目を丸くして、全身が痺れたかのように驚いている。
「霧雨かよおおおお!」
「お前達かああああ!」
想定外すぎる目の前の現実をようやく声に出すことが出来た。
女王に成り代わった者の正体は……霧雨和樹だったのだ。




