33.3 映像――ヒント――
2025/09/23 文章一部修正
朝早くの一限目前。
宝生小学校の廊下を駆ける者がいた。狐色の髪で小さい狐の耳が出るような髪型の少年、斎藤凪斗は他の生徒を避けながら廊下を駆ける。自分の教室から隣の教室までの短い距離を駆けた斎藤は、開いていた扉から大声で神奈と夢咲を呼ぶ。
「神谷さん、夢咲さん! 霧雨君が!」
尋常ではない程焦った様子の斎藤に視線が集まる。
友人と談笑していた神奈と、自分の机に突っ伏して寝る体勢になっていた夢咲は立ち上がる。目を丸くしてお互いの顔を見合わせると、斎藤と一緒に隣の教室にまで駆けた。
隣の教室である四年二組まで来た神奈と夢咲は、斎藤に対して説明を求める視線を送る。
「どういうことかはすぐに分かるよ。霧雨君の様子がおかしいんだ、まるで鬱の生徒みたいで」
自分の席に座っている霧雨の目は虚ろだった。なんの感情もないような無表情も他の鬱になっている生徒と一致する。椅子に座っている霧雨の傍では泉が手を目前で振ったり、頬を抓ったり引っ張ったりしているが全く気にしない。神奈達が傍に行って話しかけても反応しない。まるで何に対しても興味を失った、魂の抜け殻のようだった。
「これは完全に頭イッてるな。私達のこと見えてないぞ」
「どうして? 昨日までは普通だったのに」
泉が霧雨の両手の人差し指を持って、鼻の穴に突っ込ませても反応しない。
「普通に考えて部活が終わった後で何かあったんだろうな。それが何かは分からないけど」
後ろに回り込んだ泉が霧雨の髪を一本引き抜いたり、両頬を押して変顔させてみても反応はない。正確には霧雨の反応がなくても斎藤は吹き出していた。
「ていうか泉さんやりすぎだよ。自分でやったこと見てみろよ、シリアスな話してるのに霧雨がギャグみたいな見た目になってるから。何やっても反応ないのは分かったから止めなよ」
「ごめ、ん。でも、ここまでやっても反応しないのはおかしい、ね」
言葉だけで反省の色は全く見せない泉はまじまじと霧雨を観察している。
何をしても反応しないのは意識がないも同然だ。両方の鼻の穴に指を入れられたり、強制的に変顔させられれば何かしらの反応……嫌悪すらしないのはおかしい。そんな様子の霧雨をジッと見て斎藤は暗い顔で呟く。
「……僕は、心のどこかで関係ないと思っていた。でも霧雨君が、自分と関わっている人がこうなって始めて気付いた。誰にでも起こりうる以上、日常が壊されないなんてことはないんだね。家族じゃない誰かに何かあって悲しいと思うなんて、今朝気付かされたよ」
斎藤が同じクラスで仲の良い生徒は霧雨と泉しかいない。二人以外の、自分と関わりがあまりない生徒が鬱になっていても、どこか他人事のように考えてしまうのは仕方がない。
テレビで流れる殺人などのニュースでいちいち心を痛める人間の方が稀である。見知らぬ誰かの体調が悪くなったら心配はするが、それは底が浅いもの。見知らぬ誰かと友達が酷い目に遭い、どちらかしか助けられないとすれば、ほとんどの人間がより大切な方……関わりのある友達を優先するだろう。所詮、斎藤の中の他人に対する心配などその程度でしかない。
「悲しいってことは友達だと思っている証拠じゃない? 文芸部内だと男子は二人だし自然に仲良くなるよね」
本を読むだけの部活でも一緒にいて、話をして、たったそれだけで斎藤は霧雨を友達と認定した。同じ部活ということで、同じクラスということで、泉も含めた三人はたまに話をする間柄だ。
文芸部の部員はいつからか全員を友達だと思っていた。
霧雨を原因不明の状態に陥いらせた元凶に全員が怒りを抱いている。
「とにかく犯人を……まだ人の仕業と決まったわけじゃないけど、元凶を探そう。こうなった原因を取り除けば元に戻るかもしれない」
「そうね、きっと……戻る。まずはなんとしても原因を突き止めないと」
「僕、昨日霧雨君の様子がおかしくなかったか訊いて回ってみるよ。たぶん一番関わっていたのは僕達だろうけど、見落としている何かがあるかもしれない」
「それ私も協力する、ね」
神奈達はそれぞれが興味や危機感より、友達を助けたい思いで行動を開始する。
授業が始まっても、鬱病者のことばかり考えていて頭に内容が入ってこない。鬱の生徒は親に病院へ連れて行かれたり、大事をとって休んでいる。教師も休む生徒が多くなっていくのにはうんざりしていた。そのうち生徒全員、果ては学校の人間全員が同じ状態になるのではと思うと恐怖で体が震える。
休み時間を利用して斎藤と泉は聞き込みをするが、返ってくる答えは「知らない」や「一番傍にいたのはお前らだろ」などしかない。確かに一番傍にいたのは文芸部の仲間だ。もしも霧雨が人にも言えない何かを抱えていたとしたら、傍にいながら気付けなかった自分達のせいだと二人は思ってしまう。
一方、神奈と夢咲は同じクラスで友達でもある才華に呼び止められていた。元々神奈は笑里と才華の三人で文芸部よりも早く調査に乗り出していたので、進展があったのかと思い話を聞く態勢になる。
「実は鬱の人達に一つの共通点が見つかったの」
才華は自分の机にある引き出しの中からノートパソコンを取り出す。スリープ状態を解除して真っ暗な画面が明るくなると、複数の映像が映し出された。
「これって確か、盗難事件の時の」
一年前に宝生小学校内で起きた盗難事件。
才華は犯人を特定しようと学校に監視カメラを設置していた。それが解決の手がかりになったこともあり、外すのが勿体ないので才華は監視カメラをそのまま設置しておいたのだ。
さらに、盗難事件を解決したこともあり防犯カメラの数は増えている。五台しかなかったものが、現在では校舎内に二十台以上の防犯カメラが設置されている。それらの映像は全て一台のパソコンに集まっていた。
パソコンの画面に映っているのは現在のものではなく、全てが四日前のものだ。
「そう、あの時に設置した防犯カメラよ。学校側にも許可を取っていたことだし、せっかくだからあのまま設置していたの。問題はこの右上の映像よ、よく見ておいてね」
「ね、ねえ、この左下の映像って男子トイレじゃないの? あ、チャ、チャック開けてごそごそしてる。な、何か今見えたような気が……一瞬男の子の」
「プライバシーもへったくれもないなあ……って右下から二番目の映像、家庭科室で誰かがプリン食ってる! これこの前の料理実習の日だよな。余ったプリンが消えたのこいつの仕業か! 余ったのはみんなで分けるはずだったのに!」
「どこ見てるのよ……はぁ、しょうがないわね」
集中出来ていない二人に才華はため息を吐くと、目当ての右上の映像一つに絞り画面全体に表示させた。映像が一つになったことで二人は「ああ!」と悲鳴をあげるが、自分達の真の目的を思い出して気を引き締める。
「それで、この映像を見ていればいいんだな?」
「ええそうよ、もう少し早くその真剣さが欲しかったけれどね。まったく、防犯カメラの映像はジロジロ見ていいものじゃないのよ? プライバシーはしっかりと保護しないといけないんだから」
「カメラ仕掛けた人間に言われたくないな」
「ねえ……もしかしてこれって、図書室?」
監視カメラが映している場所は図書室の入口だ。真剣に見ていた夢咲がいち早くそれに気付く。
「正解、この扉は図書室よ。本は期限内に返すことって近くの壁の貼り紙に書いてあるでしょ? この貼り紙は図書室入口付近にしか貼られていないものだから分かるわよね」
「……てかなんでさっきの男子トイレは中につけてて図書室は外なんだよ。才華ってそういう趣味が」
「ちょっと誤解よ! わ、私がそんな、卑猥な目的で防犯カメラを設置しているわけないでしょ!?」
振り返って顔を赤らめ、両手を激しく動かして否定する才華に神奈は疑いの目を向けたままだ。
「そうやって必死に否定するのがますます怪しい」
「違うから! だ、だいたいこのカメラを設置したのはあの時の護衛なのよ。つまり私は無実なの! 帰ったらその人は護衛から左遷させておくから安心してね!」
「前も護衛を一人左遷しなかったか? てか左遷ってなんなんだよ、ほんと謎なんだけど」
「二人共静かにして」
さっきまでの立場が嘘のように逆転し、騒ぐ神奈と才華を一番真剣な夢咲が注意する。二人は「はい」と元気なく返事をして、画面に映る映像に再び目をやる。
図書室前に一人の男子生徒が歩いて来る。特にこれといった特徴もない男子生徒は怪しい素振りもなく、ごく普通に図書室へと入っていった。
「この男子生徒も今は鬱になっているわ。ご両親に事情を話して協力してもらって、この男子生徒を検査させてもらったけど、特にこれといった発見はなかった。彼自身にはね」
「その言い方だと、この映像がヒントってわけか。こいつの身体にも記憶にも新しい発見がなかった、原因がなかったって言うんなら、こいつの行動には発見があったってことだろ?」
「ええ、ほら……出てきたわ」
図書室から先程入った男子生徒が出てきた。中にいたのは三分かそこらであったが、変化は劇的なものだ。生きる屍というのが第一印象だった。生気のない瞳。とぼとぼと歩く元気のなさ。無気力そうな表情や仕草。図書室に入る前の男子と同一人物と言われても信じられない程、雰囲気が変化していた。
「入る前は普通だったのに、出てきてからは鬱モードか……」
映像から図書室内で何かがあったのは確実だ。しかし図書室内は映っておらず、ずっと廊下しか映っていないので何が起きているのか分からない。せっかくヒントになる映像なのに、肝心なところが映らないことに夢咲は軽く苛立っている。
「図書室内部の映像はないの?」
「残念だけど、防犯カメラの存在を思い出したのが今日なのよ。カメラを設置し直すには最低でも明日にならないと厳しいから、中で何があったのかは分からないわ」
防犯カメラの設置は才華一人で行えない。天井の隅などに設置するので、誰か大人の力を借りる必要がある。
「でも、私をあまり舐めないで。確かにこれは今日発見した映像なのもあってヒント程度のものでしかないけれど……この日の映像全てを見直した結果、図書室には他に二人しか出入りしていなかったの」
「二人? まさかその二人のどちらか、もしくは両方が生徒を鬱にさせている?」
「その可能性は十分にあるわ。でも実質一人よ、だって一人は霧雨和樹君だから。文芸部が今日慌てて調査していたのは彼が鬱状態になったからでしょう? それなら残るは一人、図書委員の荻原ララさんだけだもの」
才華は映像を切ってパソコンをスリープ状態にすると、神奈と夢咲に情報を与えた。可能性という段階ではあるが、犯人の目星がついたことで夢咲は黒い感情を煮えたぎらせる。
「……彼をおかしくした犯人は、その女」
「待て待て、まだ確実じゃないんだ。彼氏奪われたみたいなこと言わないで落ち着こうよ」
「今日も図書委員の活動で図書室にいるはずよ。そっちには笑里さんを行かせているから話はスムーズにいく……スムーズに……いくと、思うわ」
「明らかな人選ミス! 話拗れそうで怖いんだけど! ……夢咲さん?」
夢咲は席からゆっくり立ちあがり、神奈達の前から勢いよく走り去った。
「えええええ! やばっ、たぶん図書室だ! 話の途中で悪いけど私は夢咲さんを追いかける、情報提供ありがとう!」
神奈も慌てて教室を飛び出す……が、また戻る。
「それと才華、できれば文芸部の斎藤君と泉さんにも今の話を伝えておいてくれ! 図書室に行くよう伝えてくれればいいから!」
今度こそ風のように走り去る神奈を見て、才華は嬉しそうに笑い「しょうがないなあ」と呟く。その後、窓から校庭を見下ろすと、運動部に聞き込みをする男女を見つけたので教室を出た。




