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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
二.六章 神谷神奈とクリスマス
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31.8 プレゼントすり替え事件~前編~


 ――宝生警察署。


 警察署のトップともなれば多忙な身。彼、倉間(くらま)全公(ぜんこう)の前には顔立ちの整った男が一人立っている。その男こそ全公の息子である倉間(くらま)繕海(ぜんかい)だ。


 繕海は「なぜですか!」と叫び、全公の前にある机を両手で叩く。

 衝撃で端に置いてあった書類が床に落ちた。それを一瞥した全公が繕海へ険しい視線を向ける。


「なぜ俺をメトロノーム殺人事件の捜査に加えてくれないんですか!」


 全公は「なぜ……か」と重い口調で呟く。


「二十二回。これが何の回数か分かるか」


「……父さんの車のローン分割回数か」


「違う。いや違くはないんだがそうじゃない。それに父さんとは呼ぶな。……二十二回というのはお前の――誤認逮捕の数だ」


「む、そういえば……そうですね」


「そうですねじゃない。二十二回中、二十回は未遂のようなものとはいえ多すぎる。警察機関としては大打撃だ。クビになっていないだけでも感謝してほしいところなんだが」


 本来なら一回でクビになるところを、全公は周囲の反対意見を押しきって守ってきた。ゆえにもう繕海を重要な捜査には加えない。

 一度のミスなら仕方ない。だが二十二回、未遂が交ざっていたとしても、それだけミスしたなら信用度はゼロどころかマイナスである。しかも誤認逮捕という警察にあるまじきミスなのだから余計に信用を失う。


 当然繕海だって感謝はしている。

 しかし自分が正しいと思うと突き進む(たち)であり、誤認逮捕の原因であるそれを直さないと同じ過ちを繰り返すだろう。


「お前を捜査に加えるわけにはいかない。メトロノーム殺人事件の犯人は狡猾で残虐。誤認逮捕などされて真犯人を逃せば甚大な被害を生む」


「うっ、では他の事件の担当に――」


「それで、また誤認逮捕か? お前は今やっている事務仕事に不満でも?」


 全公に睨まれて繕海は息を呑む。

 正直なところ言い返せる立場でないことは理解している。だが繕海には夢があった。いつか犯罪者を全員捕まえて平和な世にするという子供染みた夢が。


 夢のためなら全てを捧げる覚悟が繕海にはある。強い意思を秘めた瞳を逸らさないで向け続けた結果、全公がため息を吐いて告げる。


「……分かった、最後のチャンスだ。失敗すればクビにするがそれでもいいか」


「もちろんです!」


「その自信はどこから来るのやら。まあいい、内容は――」


 全公が語った内容に、繕海も許せないとまだ見ぬ犯人へ怒りを露わにする。

 こうして倉間繕海単独の事件捜査が始まったのであった。



 * * * 



 クリスマスの翌日。十二月二十六日。

 神谷神奈は死んだ魚のような瞳をしながら通学路を歩いている。


「あのー、神奈さん。もう立ち直りましょうよ。所詮玩具でしょう?」


 理由を分かっている腕輪はそう元気づけようとする。


「ああ所詮玩具さ。でもその玩具は小学生の金じゃ買えないんだぜ。へへっ、それが何で……何で……あんなに楽しみにしてたのに……何でだよう……」


 そう、事件は前日。クリスマスという聖夜の日。

 サンタの服装をして子供達にプレゼントを渡すという町内会の活動日。神奈は才華と共に協力し、いいことをしたなと気分よくその日を終えられるはずだった。しかし神奈が願った魔法少女ゴリキュアレッドのステッキはどこにもなく、才華から受け取ったプレゼントの中身はただのポケットティッシュであった。


 欲しかったのは魔法少女アニメの玩具であって、断じてスーパーなどでいつでも手に入るポケットティッシュなどではない。当然似てもいないし、明らかに誰かがわざとプレゼントを変えたのだ。怪しいのはプレゼントを持っていた才華だがそんなことをする人間ではないと知っている。


「へっ、知ってるか腕輪。希望を抱いてから絶望に堕とされると精神的ダメージは数倍に膨れ上がるんだぜ。私の心は今、エベレスト級に高く聳え立っていた希望が、深海の底くらいにまで落下して絶望へと変化しているんだ。もうダメだ、お終いだあ。生きる希望なんて欠片もないんだあ」


「そんな時こそ元気が出る魔法! その名も〈パルプルペル〉!」


 文字通り元気がない神奈は歩きながら「……何それ」と問う。


「説明しましょう。なんと〈パルプルペル〉を使うと何か良いことが起こるんです! 魔力消費はバカでかいですがイメージはいらない最高の魔法ですよ! さあ、良いことを起こして気分を高めていきましょう!」


 いつもなら絶対に何かしらつっこんでいただろう。

 いかにも曖昧すぎる効果説明に今の神奈は何も感じない。ただただ言われるがままに「〈パルプルペル〉」と呟き、腕輪が紹介する魔法を発動させてしまった。


「……特に何も起きないな」


 数秒経っても神奈はゆっくり歩いているだけだ。変化がない。

 このまま何も起こらないというのも良いことなのかもしれない。基本的に腕輪が教える魔法はろくな効果が発揮されず、出っ歯になったり、木の棒を生み出したり、一ミリ宙に浮くなどその程度のものだ。何も効果がないならないでそういった魔法に苛立つこともない。


 しかし、神奈の認識は甘かった。

 腕輪も優秀なのだ。効力を発揮しない魔法など教えない。

 歩いていた神奈は唐突に――転んだ。障害物など何もない歩道で。


 思いっきり顎を強打した神奈は顎を擦りながら起き上がり、ふと歩道の地面に何か落ちていることに気付く。足元に落ちているそれは正真正銘ただの百円玉であった。


「……百円玉? これって」


 とりあえず拾って立ち上がった神奈は先程唱えた魔法の効力を思い出す。

 何か良いことが起こる。百円とはいえ金を拾った事実は一応良いことだったのだろう。神奈にとってまったくありがたみのない現象だったとしても、世間一般の判断基準なのか良いことに含まれていたのだろう。


「おめでとうございます神奈さん。これこそが〈パルプルペル〉の効力、お金を拾うとは当たりを引きましたね!」


「……しょぼい。良いことの範囲がしょっぼい」


「えー、でも良かったじゃありませんか。この魔法は様々な効果が引き起こされる可能性がありまして。運が悪いと魔神が召喚されて視界に映る全てを蹂躙したりしますんで」


「欠片も良いことじゃないじゃん! 魔神召喚良いことじゃないよね!?」


「神奈さんにとっての良いこととは限りませんからね」


 要するに〈パルプルペル〉の効果は完全なランダム。

 先程神奈に起きた百円玉を拾うという現象はお金に困っている貧困層にとって良いこと。腕輪が例に出した魔神召喚は、こんな世界消えちまえと常日頃から考えている者にとって良いこと。つまり最悪それ以上の効果を引いてしまえば神奈のせいで世界は消滅していた。


「くそっ、金輪際使わない魔法がまた増えてしまった……」


「運が良ければ億万長者になれるんですけどねえ」


 あくまでも運に左右されるので、下手したら世界規模の悪影響が出る魔法など恐ろしくて使えはしない。最初から詳しく説明してくれれば絶対に使っていなかった。


「おーい神奈ちゃーん!」


 落胆している神奈に元気よく手を振りながら声を掛けてきた少女が一人。

 背後へ振り向いた神奈には、オレンジ髪の活発そうな少女が百メートル以上離れた場所にいるのが見えた。その少女、笑里は遠くから走ってグングンと距離を詰めてくる。あっという間に隣に並んだ彼女は「偶然だねー」と言って一緒に歩き出す。


「笑里、お前は朝から元気だな」


「……元気だね。空元気だけど」


 突然、先程までの笑顔が嘘のように無表情へ変化する。さすがに急な変化すぎて「うおっ!?」と神奈は驚きの声を上げる。


「な、何があった?」


「実はね、昨日サンタさんがクリスマスプレゼントをくれたんだ。けど頼んでたお菓子じゃなくてポケットティッシュだったんだ」


 実際にプレゼントを届けたサンタは目前にいるのであるが。

 細かい話は置いておいて神奈は届けたプレゼントを手に取った時、妙に軽かったのを思い出す。今思えばあの瞬間に入っていたのはポケットティッシュだったのだろう。


「ティッシュって意外と甘いんだね」


「食べたの!?」


「いやあ、ついティッシュの形をしてるだけのお菓子かと思って」


 さすがにそれは無理があるだろと神奈は内心呟く。

 暗い表情をしていた笑里はぷくっと右頬を膨らませた。可愛らしいが彼女なりに相当怒っているのが神奈には伝わる。


「良い子にしている私のプレゼントを間違えるなんて、おっちょこちょいなサンタさんに会ったら正拳突きしちゃうよ!」


「ソウダネー。オッチョコチョイダヨネー」


 サンタの正体を意地でも隠そうと神奈は決意した。いや元から夢を壊さないために隠す気だったのだが、正拳突きを喰らうと分かっていれば隠蔽の本気度は全く違くなる。


「サンタさんの居場所はこの私、名探偵笑里が突き止めるんだから!」


 相当頭に来ている笑里は「もうっ!」と落ちていた空き缶を蹴り飛ばす。

 弾丸のような速度で飛ぶそれは、偶然曲がり角を曲がってきた少年の腕に直撃した。黒髪黒目の少年、隼速人であったことは不幸中の幸いである。彼でなければ直撃した者は腕を骨折していただろう。


「ぐわあああああああああ! なぜ急に空き缶があああ!」


 ――とはいえ五体満足で済むはずもない。

 速人は直撃した箇所を手で押さえて悲鳴を上げていた。


「……お前、本当に良い子か?」


 そう神奈が問いかけると笑里は目を逸らした。



 * * * 



 宝生小学校の三年生の教室にて。

 昼食で給食を食べている神奈達に一つの知らせを女教師から告げられる。


「か、神奈ちゃん。才華ちゃん。二人は急いで校長室に行ってください」


 カレーライスを食べようとスプーンを口へ持っていく途中、そんなことを言われた。それはそれとして結局食べるのだが。

 一口食べた後、神奈は離れた場所にいる才華の方を見やる。あちらも心当たりがないためか目があった。


 校長室に呼ばれるのは何かやらかした時くらいだろう。

 二人には何かミスをした記憶がない。だが記憶がなくとも呼ばれたのなら行かなければならない。互いに首を傾げた二人は立ち上がって教室を出ていき、初めて校長室へと足を踏み入れる。


 校長室に入ってみるとそこには二人の男性。

 一人はハゲかけている校長。もう一人は警察の服装をしている、顔立ちの整ったイケメンの謎の男。少なくとも後者は学校関係者ではない。

 なめらかな革のソファーに座っているその男が神奈達に視線を送る。


「あれ誰だ?」


「さあ……警察、よね?」


 二人は顔を近付けて小声で相談する。

 そうしていると奥にある窓際の椅子に座る校長が「座りなさい」と言うので、遠慮気味に男の向かい側へ歩いて腰を下ろす。


「君達が神谷神奈に藤原才華だね」


 無駄にイケメンな男がそう話を切り出した。


「そう、ですけど……あなたは?」


「俺は倉間繕海。宝生警察署に勤めているエリート警察官さ。今日はとある事件の捜査のためお邪魔させてもらっている」


「倉間? もしかして倉間全公さんの身内の方ですか?」


 名前に反応した才華が問いかけ、目を丸くした意外そうな表情で繕海が答える。


「確かに俺はその息子だが。父さんなのことを知っているのか?」


「はい、パパと会ったことがあって」


「才華知ってんの?」


「倉間全公さんは宝生警察署で一番上の役職に就いているの。彼は息子だし、エリートっていうのも納得だわ」


 何でも知っている才華に感心して、神奈は聞こえないレベルの声で「さす才」と呟く。

 ただ、警察なのは予想していたが警視署トップの息子とは予想外であった。そんか人物がいったい何の用なのか気になって仕方ないので神奈は問う。


「それで、さっき言ってた事件っていうのは……」


「――プレゼントすり替え事件」


 繕海は真剣な表情で語る。


「クリスマスに町内会が子供達へ配っているプレゼント。それが何者かの手によって、六割ほどがポケットティッシュにすり替えられていた。俺はプレゼントを配っていた人間が怪しいと睨んでいる」


 今朝、笑里が愚痴を言っていたことを神奈は思い出す。

 神奈自身もそうなのだがプレゼントの中身がポケットティッシュになっていたことは事実。何者かの手によるなら神奈は犯人を許さないつもりだ。


「それで配達していた私達にも話を訊きたいと?」


「ああ。一応これから詳しい話を訊かせてもらうつもりだよ」


 繕海の推測は神奈も正しいと思う。

 プレゼントをすり替えるとなれば関係者でなければ不可能に近い。部外者が犯人だという確率は低いだろう。配達する人間ならすり替えるタイミングはいくらでもあるし、用意した人間ならそもそも最初からポケットティッシュを用意出来る。


「それじゃあ署へご同行願おうか」


 拒否権はあってないようなものであるし、事件の犯人には早く捕まってもらいたい。協力しない選択肢が初めからない二人はこくりと頷いた。


 そういった経緯で繕海の乗ってきたパトカーに乗り込み、二人は初めて警察署という場所へ向かう。

 一度は内部を見てみたいと思う場所であるが、まさか事件に巻き込まれて連れていかれるとは神奈も思わなかった。仮に逮捕されたとしても逃走出来る自信があるので一応心に余裕はある。


 宝生警察署の奥にある部屋。

 一面のみがコンクリートではなくガラス張りで、警官達は部屋の外から中の人物の様子を見ることが出来る。灰色の机には小さめのスタンドライトだけが置かれている殺風景な部屋だ。


 部屋の内装を神奈はどこかで見た気がしたので首を傾げ、才華はどこかを理解したようで引き気味な顔になっていた。

 灰色の机を前にして座っている二人は正面にいる繕海の瞳をジッと見る。


「あの、ここって……取調室なのでは」


 取調室といえば容疑者の言動を調べるための場所。ドラマやアニメではよくカツ丼が出てくる場所である。ここがそうだと気付いた神奈は「え」と、疑問をぶつけた才華に驚きの顔を向けた。


「そうだね。ここは取調室さ」


 また「え」と神奈が声を漏らし、今度は繕海の方へと目を丸くした顔を向ける。

 話をするのに取調室に来る羽目になるとは思わなかったのだ。いや、確かに取調室ならゆっくりと話せるが、これではまるで犯罪者のような扱いに思えて仕方がない。


「ここでの会話は録音している。言動には気を付けて話してくれ。さあ、まずは君達が町内会の仕事を手伝った経緯を聞こうか」


「はい。私達が手伝った理由は――」


 冷静な才華が動機を説明する。

 友達の一人がサンタを信じているという話をきっかけに、二人でプレゼントを届けてみたいと思ったこと。あと純粋にやってみたかったこと。特に事件に関わるような理由でもないが一言一句丁寧に才華は暴露した。


「――と、こんなところです」


「ふむ、それ別に友達のためとかじゃないよね。なんか最初友達のためっぽく話し始めたのに、最後まで聞くと全然違うからびっくりしたよ」


 笑里のためにやろうとは思った二人だが、実際の理由は楽しそうというだけ。

 少し想定と違ったようで繕海は真面目な表情を崩さずに内面を素直に話す。


「あの、倉間さん。私達を疑っているんですよね」


「おいおい才華、何言ってんだよ。さすがに小学生を疑わないだろ」


 小学生などまだまだ子供。幼い内から犯罪に手を染める者がいないわけではないと神奈も分かっているが、今回全く疑われるようなことをしていないと断言出来るので、これがただの関係者への事情聴取だと信じて疑っていない。バカらしいとばかりに呆れた表情を向ける……が、次の繕海の言葉で余裕は完全に消え去った。


「正直なところ犯人だと思っているよ」


「はあああああああああああああ!?」


 咄嗟に才華と繕海は両手で両耳を塞ぐ。

 叫び声をもろに喰らっていれば相当なダメージが入る。下手すれば鼓膜が破けるほどの圧倒的声量で驚愕した神奈に対し、繕海は再び口を開く。


「鼓膜を破ろうとした罪で懲役一年ってところか」


「いやごめんなさい! でも驚くでしょ、私達はまだ小学生ですよ!? こんな事件起こさないでしょ普通!」


「小学生だからさ。神谷神奈ちゃん、君が頼んだのは魔法少女ゴリキュアの玩具だった。随分と高価なものだし君じゃ買えないだろう。そこで君は他人のプレゼントを売り払って玩具を手に入れたってとこだろう。違うかな?」


 完全に犯人だと思われていたので神奈は「え、ええ……」と放心した。

 犯人と決めつけているからか、理由もポンポンと浮き上がってくるものだ。こじつけと言えばそれまでだろうがいくら神奈が否定しようと、周囲が信じてしまえば繕海の一人勝ちといってもいい。世間が神奈のことを犯人だと思ったら、たとえ真実が明らかになっていなくとも警察の勝利になる。


「それはありえません」


「藤原才華ちゃん、なぜありえないのかな?」


「簡単です。神奈さんのプレゼントだってポケットティッシュにすり替えられていましたから。倉間さんの推理は前提から覆ります」


「なるほど。でもまだ動機はあるね。他人への嫌がらせをしたかっただけなら自分の物は関係ない」


「彼女はそんなことをしません。近くで見てきた私だから断言しますし、彼女の周りにいる人間なら犯人というのを否定します。どうか考え直してください」


 放心から我に返った神奈は隣に座る才華へ縋るような顔を向ける。

 希望はまだ消えていない。友達が反論してくれているのだから、まだ繕海が勝手に貼った犯人というレッテルを剥がせる可能性がある。


「このままじゃ埒が明かないな……。仕方ない、あれを持ってこよう。少し出るが君達はここで待っていたまえ」


 ――二十分後。

 繕海が「戻ったよ」と取調室に帰ってきた。

 手には【カツ丼屋】と書かれたビニール袋を持っており、部屋の中に食欲をそそるトンカツや卵のいい香りが漂う。思えば給食を食べている途中で外出したわけなので神奈達は空腹状態だ。二人の腹の虫がぐうううぅと音を鳴らすと神奈の口からは涎が垂れる。才華も物欲しそうな顔で繕海を見ていた。


 ビニール袋から出されて机に置かれたのは当然カツ丼二人前。

 ごくりと喉を鳴らした神奈は垂れている涎を慌てて手の甲で拭う。


「カツ丼って常備されてないんだな」


「昔のドラマとかで見たのかい? 残念ながら警察署の常備品にカツ丼は含まれない。だけど俺は有効な方法だと思っている。こうしてお腹を空かせている相手に飯を与え、善意を見せることで犯人の気を緩められるなら手軽な方法だよ」


「それって私達に言ったらダメなのでは?」


「へっ、舐められたもんだな」


 神奈はカツ丼一つを自分の手前に寄せる。


「美味しそうとはいえこんな食べ物一つでこの私が」


 蓋を開け、中から一気に溢れ出す匂いを鼻で吸い込む。


「罪を犯したなんてアンタの出鱈目な推理を認めると」


 付属していた割り箸を割る。


「本気で思っているんなら甘い考えだぜ」


 ジューシーなトンカツを一口齧って幸せを噛みしめるような顔へ変化した。


「……いや、何ちゃっかり食べてるのよ」


「はっ!? 目の前にカツ丼があったからつい! おのれ警察め、嫌らしい罠を用意していたようだな。でも私は犯人じゃないから白状するものは何もないんだからな!」


「いいや犯人は君しか考えられない! 俺の勘がそう言ってるんだ!」


 もはや細かい取り調べなど、本人の主張関係なしに繕海の思考は固定されている。中身は別物とはいえ見た目は一応小学生である神奈を本気で犯人と思っているのだ。


「私は犯人じゃねえええええ!」


 繕海は我慢の限界だったのか強引に神奈の手首に手錠をかけた。いきなり手錠をかけられた神奈はパニックになり、両手の力のみで手錠の鎖を引き千切る。


「手錠を……! 器物損壊だぞ!」


「いえ、普通に考えて女子小学生の力で手錠は壊れません。むしろ壊れたのなら手錠の方に問題がありますよね」


「……それは、確かに」


「倉間さん、もう一度考えてください。まだ神奈さんが犯人だと思えますか?」


 自分の思考に囚われている者に何を言っても無駄だろう。結局は全否定され、自分の意見が正しいというのを他人に押しつける。

 しかし繕海はまだ救いようがあるレベルだった。才華の真剣な表情での問いに心が揺さぶられ、自分の考えが本当に正しいのかを考えて無言になる。


「――おい、繕海」


 唐突に取調室の扉が開かれて、口髭を整えているダンディーな男が現れる。

 繕海が「父さん?」と驚いた様子を見せる。そこから神奈はこの男こそがで宝生警察署のトップであり倉間繕海の実父、倉間全公であると理解した。


「早急にこの二人を解放しろ」


「しかしこの子達は事件の容疑者でして」


「命令だ。神谷神奈、及び藤原才華様両名を犯人と扱うな。早急に二人を解放して捜査に戻れ、従わなければ即刻クビになるぞ」


 クビという言葉で繕海は俯き、暗い表情で「分かりました」と返事をする。

 こうして神奈と才華の二人は現状の犯人扱いから脱することが出来たのだった。


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