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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
終章 神谷神奈と自由人
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389 新たな約束


 上谷という表札のある家の前に速人は立つ。

 数秒立ち止まって、軽くため息を吐いてからチャイムを鳴らす。


「……出て来ないか」


 いつまで経ってもこの家の住人、神谷神奈は出て来ない。

 念のため二回押してみたものの結果は変わらない。一向に誰かが出てくる気配がない。なんとなく予想通りだったなと速人は思う。


 腕輪、もといテンが神代由治と共に消滅した事実。相棒といっていいほどに仲の良かった神奈が耐えきれないのではと危惧していたが、嫌な予想が当たってしまったと速人は独り()つ。


「邪魔するぞ」


 黒い長そでシャツとズボンの速人は腰にある鞘から抜刀して、目前の家の扉を真っ二つに斬って強引に入った。

 そのまま悪びれもせずに廊下を突き進み、鍵がかかっていなかったのでリビングの扉は普通に開けて入室する。


 カーテンが全て閉められている部屋は日光の侵入を防ぎ、昼前の時間帯にしては少し暗めの部屋になっていた。そんな部屋のソファーに座っている一人の少女がいた。

 多少跳ねている癖毛の黒髪の少女、神谷神奈だ。


 目当ての人物を見つけたことで、回り込んで近寄って前に立った速人は目を丸くする。


(こいつ……本当に神谷神奈か……?)


 一目見て抱いた印象は――死体。

 もはや生気のない暗い瞳は一片の光もない。表情も虚無であり、目前に速人が立ったことにも気付いていないように感じる。


「情けない面だ。まるで頑張って作った住処を燃やされたホームレスだぞ」


 神奈が「……隼」という声を漏らす。


「ここに来る前、あの喫茶店に寄った。……お前はこんなところで何をしている? まったくビックリしたぜ、なんせ主役がドタキャンしてるんだからな」


 速人は喫茶マインドピースに立ち寄り誕生日会に顔を出したのだが、予定時刻から三十分以上経っているにもかかわらず始まってすらいなかった。そこで神奈が塞ぎ込んでしまっている想像をして、念のため事情を笑里や才華達に話した。


 無理もないと速人は思う。

 人間でなくたって、道具であったって神奈とテンは確かに絆を結んでいた。深く、強固な絆を作り、お互いを支え合っていた。速人だってそんな相手がいなくなればショックを受ける。


「どうした? お前らしくないぞ、何を黙っている」


 だからといって引き返すわけにもいかない。時間を置けばこの鬱状態からは回復するのかもしれないが、速人にはそう上手くいかないという虫の知らせのような予感があった。

 今、神奈を立ち直らせなければ二度と元に戻らない。そんな気がした。


「…………私が、殺したんだ。あいつを殺すつもりなんてなかったのに……体が勝手に動いて、殺したんだ……」


「……知っている。見ていたしな」


 失ったものが大きいせいで神奈は塞ぎこんでしまっている。

 そんな相手を立ち直らせるにはどうすればいいのか。いったい何が必要か。

 慰めの言葉。感謝の言葉。怒りの言葉。同情の言葉。どれほどかけられる言葉の選択肢があるのか速人は見当もつかない。


「神音がお前を操作して終わらせる方法しかなかった。奴は悔いていたぞ、お前に辛い思いをさせてしまったと」


 そのため速人は率直に思っていることを告げることにした。


「過去を捨てろとは言わん。それでも、現在(いま)を生きているかぎり、前を見ろ。下も後ろも向くなとは言わないが、前を見ないと人は腐っていくだけだぞ」


「……うるさい」


「あの女がどうして死ぬことを選んだのか、それをお前は、いやお前だから知っているはずだ。お前達だけに分かる何かがあったはずだぞ。ならばあの死は乗り越えられるものだ」


「うる、さい」


「お前がそんな(てい)たらくでどうする? このまま篭って腐っていくだけか? それで本当にいいと――」


「うるさい!」


 我慢の限界が来たように神奈が声を荒げる。


「分かってるんだよ! このままじゃダメなことくらい分かってるんだ! それでも、胸が痛くて、苦しくて……この家から、出れないんだよ……。足が、肩が、頭が、体の全てが重いんだ……」


 荒げた声が徐々に落ち込んで暗くなっていく。


「そうだ、ずっとあいつがいたことでどれだけ救われたか……失う前から気付いていたんだ、かけがえのない大切なものだって。……失うなんて考えてなかったんだ、考えたくなかったんだ。四年前はちゃんと帰って来てくれたのに……帰って来てくれて嬉しかったのに……なのに、それなのに……私は、私が、俺が、私が……私、が……」


「ここまでショックを受けるとは……」


 もう壊れかけのロボットのようだった。いくらなんでも精神的ダメージを受けすぎている。ここまでダメージを受けた原因はやはり神奈自身が殺してしまったことだろう。

 神音の究極魔法は確かに神奈の肉体を支配したが意識まではコントロール出来なかった。本来なら精神面も支配出来ていたはずが、神音自身も焦りのせいで完全に支配しきる前に操作してしまったのだ。


 家族といえる相手を自分の手で、しかも体が勝手に操作されて殺してしまうなど精神へのダメージは計り知れない。ただ失うのとはわけが違う。


「……もう、失いたくないんだよ。……私は守れなかった。誰もが私を置いていく。……だからもう、いい。……私は最初から、一人でいい」


「つまりお前は、俺達を守れる自信がないから、どうせ先に死んでしまうから関わるのを止めると……そう言うのか」


 誰か、由治並にとんでもない敵が現れた時、神奈ではもう守れない。

 神の加護はあの時、由治とテンもろとも消えてしまった。消滅したのか、それとも誰かがあの瞬間に奪ったのか、何にせよ加護が消えた現時点の神奈は弱体化している。素で速人と互角レベルだろう。


 もし守れずに神奈だけが生き残ってしまえば悲しみが膨れ上がる。その身で抱えきれないほどの、海のように大きな悲しみに沈んでしまう。

 最初から一人なら失うものなどない。誰かを失う悲しみに比べれば孤独の悲しみの方がマシだ。神奈はもう誰かと関わる気力すら失っている。


「――ふざけるな!」


 全身を震わせる速人は怒りのままに叫ぶ。


「人は死ぬ、当たり前だ! 寿命以外に病、事故、誰かに殺されることだってある。唐突に死ぬこともある。お前だってこんなことになるくらいには分かっているはずだ」


「……ああ、分かってるよ。だから……もう嫌なんだ。……失うのは」


「いいや分かっていない、お前は何も分かっていない。誰かが死ぬのを気にして関わりを絶つ? そんなのはバカの考えだ! 俺達はいつ死ぬか分からない、ああそうだとも! だからこそ俺達は今を精一杯生きるんだろうが!」


 速人の言う通り、誰かが死ぬ原因なんてものは山ほどある。

 こうして口論しているうちに世界では何人、何十人もの命が失われている。知らないどこかで知らない誰かの命が消えていっている。大切な神奈の友達だってそうなる可能性はゼロではない。しかし誰かの死を怖がったが最後、誰とも関われなくなってしまう。


「さあ立て、あの場所へ向かえ! さもないとこの場で殺す!」


 速人は刀を神奈の首に添える。

 少しでも右に動かせば傷が出来て流血するだろう。


「ふっ、ははっ! もう、いっそ、それでいいかもしれない。殺せよ……なあ殺してくれよ。殺せるもんなら頼むから殺してくれ……。もう、嫌なんだよ……」


 死んだ瞳と歪んだ笑みを向けられて速人は「うっ」と動揺の声を零し、力なく刀を下ろす。このままでは自棄になった神奈が自ら斬られにいきそうだと直感したからだ。


「……いいんだな。……お前を友だと呼んだ奴らを悲しませて、関わらずに見捨てて。本当に……! いいんだな!?」


 どうしようもなくなった速人はただ叫ぶ。


「よく思い出せ! お前を待っている奴等のことを……思い出せよ……なあ……さっさといつものお前に戻りやがれえええええ!」


 この勢いで元気が戻ってくれればいいのにと速人は思う。

 そうして叫んだ速人の声は神奈の頭に響く。歪んだ笑みが消え、死んでいたはずの瞳に生気が戻ってから動揺で揺れる。


「待っている、奴等……」


 頭の中で声がする。神奈は思わず頭を押さえた。

 痛みはない。苦しさもないし、不思議と悪い気分ではない。


『よろしくね神奈ちゃん!』

『私は神奈さんの中身を知って友達になるって決めたの。どれだけ力があっても、神奈さんが誰かの為に動けて、助けられることを知っているから、いま一緒にいるのよ』


「笑里、才華……」


 一人ずつ、これまで関わった大切な者達の声と姿が脳裏をよぎる。


『俺は、もうお前以外に負けない』


『相変わらず、君達は面白いね。神奈』

『神谷、僕は自分で思っているよりも……地球が好きなようだ』

『このまま負けたのでは前と同じだ。俺はこの恐怖を超えていく!』


『部活は終わっても私達の絆は不滅よ』

『神谷、君に一ついいことを教えよう。ロボットは素晴らしい!』

『それでも僕はこの本を読む。これだけが僕の目標なんだから』

『絶対に仲良くなりたい人がいるん、だ。だからこの本は私にとって聖書みたいなものな、の』


『私の……負けだよ。もう一度だ、本当にもう一度信じよう。人の心ってやつを』


『俺にとってあなたは女神。守護しようと思うのは至極当然』

『な、名前です。坂下勇気、僕の名前……』

『一番信用してた男に裏切られて尚、俺はまだ一人は嫌だと思っちまう。一人でいれば裏切られる心配なんかしなくていいのによ』

『それまであなた達と一緒に学生ごっこしてあげる』


『この世界にあったからって全ての世界に魔法があるか? いいや、ないに決まってる。前世の世界じゃ魔法なんてもんないんだよ』


『最善を尽くしたはずさ。だから自分を責めちゃダメだ。きっとそう考えたらこれからずっと何があっても自分のせいだと思ってしまう』

『二人の愛の前ではそんなもの無力よ!』


『貴女が弱い私を励まそうとしてくれるのは迷惑じゃない。でも嘘を吐かれるのは嫌い』

『ワタチはマテリアル・パンダレイ。古代の大発明家キリサメ様に作られた戦闘用兼――時空超越機械生命体』

『できることならまだ母上父上の子供でいたかった』

『俺は游奈と二人暮らしだからな』

『ごめんね……誠二、こんなお別れになるなんて……』


『ホウケンの民はいつでもあなたと共にある』

『この私にあんな醜態を晒させたらどうなるか、その身をもって思い知ったでしょう』

『いや、俺達も共に行く。今の不安定なお前を一人には出来ん』


『カンナ、あなたは邪血。それでも正しい生き方をしてくれると……私は信じてる。この世界は不自由で、どうしても生きづらいけれど……魔法だとか、環境だとか……そういったものに、振り回されないでね』


 神奈の両目が潤み、涙が溢れ出る。

 頬を垂れていった雫はソファーへと落ちて小さなシミをいくつも作った。

 声はまだ止まらない。何人も何人も今まで出会った者達の声が響いてきて、そして最後にはテンの言葉が聞こえてくる。



『……申し訳ありません。神奈さん、確かに私はもうあなたと一緒に生きられません。でも、あなたは一人じゃないでしょう? 笑里さんや才華さん、それにこれまで出会ってきた友達はあなたから離れたりしませんよ。私は管理者の一人。転生の管理者の仕事はまだ幼い転生者の支援と、温かく見守って問題がないか確かめること。私の役目は当に終わっていたのです。もう神奈さんは私がいなくても大丈夫だと信じています』



 関わりたくないというのは決して嘘ではない。もう失いたくないから関わりたくないのだが、それでも関わって楽しく過ごしたいという想いも確かにある。

 そこまで自分の気持ちを理解していて尚――トラウマに打ち勝てない。


「あいつらは良い奴だよ、本当に。私なんかと仲良くしてくれて嬉しいさ。でもさ……私、あいつらまで死んだらもう立ち直れないよ」


 笑里や才華達まで死んでしまえば神奈は一生鬱のようなままだろう。

 誰かが死ぬということなら今までもあったのに、テンが消えてからはっきりと自覚してしまった。ここまで酷く喪失を怖がる己の精神の弱さを。


「……なあ神奈、誰かを失うのは辛いよな。悲しいよな。それなら……傍に居る誰かとそういうのを分け合えばいい。ごちゃごちゃになった感情をぶちまけるだけでも少しは楽になるもんさ」


「そいつが死んだら……どうする? 結局一人じゃんか」


「俺は死なない。俺がお前を一人にしない。奴は神代由治と死ぬ約束で死んだわけだが、俺は違う。なんせ目的はお前を超えることだからな。……まあ、奴の代わりというわけじゃないが、俺が傍にいてやる」


 神奈の涙が溢れ続けている目を真っ直ぐに見て速人が告げた。


「――約束だ。俺はお前が死ぬまで生きると約束する」


 静かに泣いている神奈の目は僅かに見開く。

 無理だろ、という否定の言葉は出なかった。

 速人の実力は神奈が一番知っている。強いといえば強いが最強レベルではない。トップクラスに強い相手からすればその命など一瞬で消し飛ぶ。というか一度死んでいる。

 ――無理なのは分かっているのに否定の声を出せなかった。


「……一つ、訂正しろ」


 神奈は涙を手の甲で拭ってから立ち上がる。

 そして静かに目を閉じて、優しく速人を抱きしめる。


「私が死んでもお前は生きろ。……もちろん、私だってすぐに死んでやるつもりはない。ちゃんと天寿を全う出来ればいいと思う。だから精々お前も長生きしてくれ。私はあと八十年以上は生きていたい」


 微笑んでいるのが何となく速人には分かった。自分も目を閉じて優しく抱きしめようと手を動かし、ハッと目を開け、慌てて両手を元の位置に戻した。

 今無意識にやろうとしたことを片隅に置いた速人は「ふん」と鼻を鳴らす。


「ようやく立ち直りやがったか」


「いや、まだ立ち直ってはいないな。心は曇ったままでまだ完全復活したわけじゃない。それでもいくらかマシになったよ。だから待ってるあいつらの元に行ける……お前のおかげだよ」


 神奈は一先ず速人を抱きしめるのを止めて離れた。

 互いが向き合い、そして速人は照れたように顔を逸らす。


「勘違いするな。俺が万全のお前を超えるために、このまま落ち込み続けられていたら困るというだけだ」


「はは、そういうことにしとく。……それじゃ、私は行くよ。みんなのところに行ってまず謝らないと。誕生日パーティーに主役が大遅刻だし」


 今日は神奈の誕生日会が喫茶店で開かれる予定になっていた。本来ならもう始まっていたはずなのに、神奈が自宅に引き篭もっていたせいでいつまでも始まらない。さすがにこれで罪悪感を覚えない者はいないだろう。


 急ぎ出発しようと神奈が身を翻した時、速人が「待て」と止める。


「誕生日会なんだぞ。まさか主役がそんな顔で行くつもりか?」


「へっ? あ、あれ? あ、そっかあ、さっきまで泣いてたもんなあ」


 神奈の顔は涙の痕が頬にくっきり残っているうえ、未だに目は潤んでいる。こんな顔を友人達の元に出してもさらに心配させるだけだ。場合によっては速人が強引に引っ張り出したと勘違いされるかもしれない。


 面倒はごめんなので速人は「使え」と言い、ズボンのポケットから黒いハンカチを取り出して差し出す。


「え、なにお前、ハンカチ常備してんの?」


「殺し屋なら持っていて当然だ」


「聞いたことないよそんな常識」


 意外だというような表情で受け取った神奈は遠慮せず顔を拭く。


「血を拭いたりするために必要だからな」


 そして「ぶっ!」と吹き出して咄嗟にハンカチを顔から離す。


「なんてもん使わせてんだお前は! それ余計に顔が汚れないか!?」


「洗濯済みだバカが! 洗ってもいないものを使わせるわけがないだろ!」


 口論というまでいかないがちょっとした言い争いのようなもの。

 速人はこんなやり取りをしながら、ああいつもの神谷神奈が戻って来たと心の中で思っている。その証拠として速人の目は少し輝き、喜びが顔に漲っていた。


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