386 勝敗――あと一つの方法――
激闘を繰り広げている二人が元々いた、激しく亀裂の入った草原。
何層にも重ねられた乳白色の球体障壁の中で神音、速人、ゴッデス、テンの四人が宇宙を見上げていた。
「……今、どうなっているんだろうか」
宇宙で繰り広げられている戦闘を地上からでは誰も見ることが出来ない。
「押していますね。信じられないことにあの少女が」
いや、一人だけ戦況を把握している者がいた。――ゴッデスだけは宇宙が崩壊しかねない規模の戦闘をリアルタイムで把握している。
「本当か!? 勝てるのか!?」
神音は嬉しそうな笑みを浮かべて叫ぶ。
信頼関係など築いていなくてもゴッデスの言葉を神音は信じた。何よりも神奈が負けているのではと疑いたくないからと、妄信的に。
「……戦闘終了まで気を抜くな。結果はまだ分からんぞ」
「隼さんの言う通りです。それにゴッデスさん、あなたが見ているのはおそらく過去の戦闘ですよ。星の光が長い時をかけて地球に届くように、あの二人の戦闘も実際どうなっているか分かりません」
そこに冷静な指摘をしたのは速人とテンの二人。
あそこまでの超人的な戦闘になってしまうと何が起こってもおかしくない。たとえ今優勢だったとしても、あっという間に劣勢になることだってありえる。
「通常ならそうでしょうが私には把握の加護がある。この私なら宇宙の果てで何が起きているかすら把握出来るのです。……今、押し返されている状況もね」
「な、何だって……? 嘘だろう? だって彼女が負けるとなれば私達には絶望しか残らないんだ。勝ってもらわないと……。大丈夫、彼女はこれまでいくつも危機を乗り越えてきたんだ。……きっと、勝てるさ」
「……どうだかな」
やけに消極的な速人に対しテンが告げる。
「大丈夫。神奈さんには神の加護があるんですから」
自由の加護は強大だが、それに対抗出来る加護を神奈は持っている。
テンは神の加護が上位のものゆえに上回れると考えていた。実際のところそれは間違いであり、いくら神の加護といっても自由の加護が相手だと優位性はない。そうとは知らず必ず勝てると妄信しているテンの言葉で、速人の険しい表情が変わることはなかった。
「……落ちてきます」
ゴッデスがボソッと呟いた直後――草原に何かが着弾した。
轟音を立て、土煙が高く昇り、四方八方に地割れが起きて完全に大地が分断される。僅かに宙に浮いている障壁の中にいたからこそ四人には何の影響もない。
土煙が晴れてくると落下した存在が明らかになる。
割れた草原には無傷の神代由治と――仰向けに倒れている神奈がいた。
「神奈さん!」
「神谷!」
テンと神音が叫ぶ。ゴッデスは無言で、速人は「やはり……」と呟き見据える。
「決着はついた。汝では我を殺せぬ」
仰向けに倒れている神奈を見下ろして由治が告げる。
実際これが現実だろう。神奈は悲し気な目つきをしており、奧にある深い悲痛を顔で語っていた。
「そんな……彼女が負けるというのか? なら私達に残されるのは絶望しかないじゃないか……。世界は……世界の命運は彼女の手に……頼むから、立ってくれ……勝ってくれ……!」
「ありえませんよ、神の加護は全ての加護を上回る特別なものなんですよ!? いくら相手が規格外とはいえ、それを宿し、由治さんを殺す気でいる神奈さんが負けるはずないんです! 神奈さんなら勝てる、勝てるはずなんです」
「――無理だな」
神音とテンの二人が焦り、速人が否定する。
この状況で神奈という希望が負けると断言するなど誰も思わなかった。しかも神奈の強さを一番知っているはずの速人が言うなど二人は信じられない。
相変わらずゴッデスは無言だが、それでも神奈に可能性を感じていたので視線を速人へ向ける。誰もが負けてほしくないと考えているのだ。希望は現況たった一つしかないのだから。
「な、何を言うんですか隼さん。あなたは加護について知識が浅い、何も分かっていない。神の加護の力なら負けないはずなんです!」
「確かに俺は加護とやらを詳しく知らん、興味もない。だが俺にもお前と同じくらい知っていることがある。……神谷神奈について。あいつは昔っから甘い。奴が完全に悪人なら殺す気になれたんだろうが、過去を聞かされたことで殺気すら出せなくなっている。あんな結果になって当然だろ」
隼速人はよく知っている。相手が善であるならば殺せず、殺気も出せず、本当なら攻撃もしたくないと思う少女のことを知っている。
長いもので約八年。そんな付き合いの長さで、理由はともあれ観察していた速人だから断言出来る。
どうしようもない状況にならなければ、神奈は悪ではない相手を殺すことはない。
甘さという点ならテンにも心当たりはいくつかあった。
敵を助けたりしたこともあった。前世で酷い行いをしたからと、今世では善性を強く持とうとしている神奈は時に甘さを出してしまう。考えが温いのだ。
「なるほど……私の、せい……」
「別にお前のせいというわけではない。全て甘いあいつが悪い」
二人は神奈と由治の元へと行くため乳白色の障壁から出ていく。
障壁はあくまで外からの衝撃などを防ぐもので、中から出ようとするのは自由なのだ。神音の意思関係なしに誰でも外へ出れる。
「ま、待て! 隼、テン! 行くな!」
「……バカなのですか、あの二人は。今さら何をしたところで無意味でしょうに。神代由治とあの少女の戦いは異次元中の異次元、神に選ばれた私ですら介入出来ない。……あの二人では戦いのステージにすら立てませんよ」
止まるよう叫ぶ神音に耳を傾けず二人は真っ直ぐに歩く。
「ああ……バカだ。……異常だ」
二人はついに由治の前に立つ。ただ助けたい一心で。
神奈は視界に映る速人を見て「隼……?」と不思議そうに呟いた。
顔を上げた由治は己の前に立つ敵意なき二人に目を向ける。
「汝の行動が理解出来ない……いや、今理解した。汝は死ぬ気なのか。我に殺されることで神谷神奈の怒りを引き出そうとするなど、正気とは思えない選択だな」
そう、神奈は甘いがたった一つだけ殺す気にさせる方法がある。
誰か。誰でもいいわけじゃなく絆を結び仲の深まった誰か。一人でも、二人でも、何人でも構わないが敵に殺させること。そうすれば怒りで殺意が引き出せて由治も殺せるだろう。
「神谷神奈、なんでお前はこんな奴に押されている。願いを叶えるというのなら、俺にこれ以上無様な姿を見せるなよ」
「だって、だって……だってこんなの、悲しいじゃないか。誰も悪くないのに、なんで最低な終わり方しか出来ないんだよ……!」
神代由治は悪だと言いきれない。死という一つの目的のために行動している彼を、実行しようとしている方法を正義とも呼べないが方法があれば一人で死んでいただろう。一人で死ぬ方法がないからこそ、彼は諦めて全世界ごと自分を消滅させようとしている。
もう今までに地獄すら生温い悲惨な現実を味わってきただろう。そんな相手に、ただ死にたいとしか思っていない相手を悪と断言出来るだろうか。だいたい方法なら今しがた存在していたのだ。神奈が持つ神の加護なら所有者の願いの力で殺せたはずだったのだ。
方法ならあったのに、神奈だけが持っていたのに実行出来なかった。
由治だけが死に、他は生き残る最善の選択だったのに殺せなかった。
「他の方法が……きっと……あるかもしれないじゃんかよ」
テンに殺してくれと頼まれても神奈は考えてしまう。
本当に由治が死んだ時、果たしてテンはこの先笑って過ごせるのだろうか。過去を聞いてから神奈は由治にまだ生きていてほしいと思ってしまったのだ。死ねばテンが悲しむのは明白なのだから、捻じ曲がった精神を治して共に生きる方法がないかずっと考えてしまっていた。
口に出していたらテンあたりに考えが甘いと一蹴されるだろう。
不老不死による永遠の時。生まれる悲しみなど。それを味わっていない神奈では由治の苦しみを真に理解しきれない。
本心から死を望む彼の願いを今の神奈では一生納得出来ない。
そんな神奈の隠された本心を理解した由治は落胆するような視線を送る。
「もし、隼速人。汝が神の加護を宿していれば我は死ねただろう。最後の最後、やはり我に死は訪れなかった。……加護が宿りし者が……悪かった」
「神奈さん、すみませんでした。私、相棒として失格ですね。あなたのことを理解しきれず負担をかけてしまったんですから。あなたは思ってしまったんですよね? 由治さんが正常に戻って、私と仲良く過ごせる方法はないかと」
図星を突かれた神奈は「……ああ」と声を零して立ち上がる。
「お前には幸せになってもらいたかったからな。もしこいつを殺してしまったら、お前は深い悲しみに襲われていたと思う。……バカだな私。チャンスを無駄にしちゃったんだから……バカだな」
「……いいえ。お気持ちは嬉しいですから、悔やむ必要なんてありませんよ」
テンは柔らかい笑みを浮かべてそう告げる。
それを見た神奈は申し訳なさそうな顔をしてから、何かを強く込めた真剣な表情へと変化させて由治を見やる。
「……一つ、お前が死ぬ方法があるよ」
「ああ、しかしそれは叶わない。汝が我を殺したくないのだから」
神の加護を利用するという点では間違っていない。だが由治が言っているのは神奈の願いを起点とした方法であり、神奈が宣言したのは同じようで全く違う解決策であった。
「確かに私は本気でお前を殺す気になれない。だから神の加護は私じゃなくて、お前に宿るべきだ。死にたいと思っている張本人なんだから願いの強さは一級品だろ」
その内容は発想の転換と同時に危険な賭けでもある。
今、由治の対抗策として神奈だけが機能している状態で、そこから神の加護を渡してしまえば由治の暴走を誰も止められない。世界を消滅させるため動き始めればもう打つ手がない。しかし不老不死は確実に無効化されるだろう。
実はこの提案は先程考えついたもの。加護が速人に宿っていれば死ねたという内容で、神奈は咄嗟に自分が戦う代案として譲渡作戦を思いついたのだ。ゆえに本人がまだ知らない穴は多い。
「ま、待ってください!」
危険度を理解し、そもそも内容に無理があるため口を挿んだのはテンだ。
「由治さんに加護を渡したら本末転倒じゃないですか! 誰も止められず、世界が消滅してもいいんですか!? いやそもそも、加護をどうやって渡すというんです!?」
「不可能じゃないだろ。だってこいつは私から奪おうとしてたんだから」
元々、由治の目的には神の加護が必須。つまり神奈から強奪するしかない。
奪う方法があるなら何も問題ない。ただ無抵抗で奪わせればいい。
「我が加護を奪う条件として汝の魂を消滅させる必要がある。汝が無事で済む未来などありはしないぞ。無抵抗で死ぬというのなら我としては問題ないが……」
魂に宿っている加護を強引に引き剥がすには魂を消す必要がある。当然そうなった場合神奈は一足先に世界から消滅するわけだが。
正攻法で取り除くには加護の管理者の手助けが必要となる。しかし譲渡する考えに賛同してくれるはずがなく、必ず戦闘行為に発展するだろう。
「――願えばいいだろ」
「願う……だと……?」
唐突な神奈の提案に由治が目を丸くする。
「自由の加護と神の加護はどちらも願いを叶える加護。そんな凄いもんが二つもあるんだから、私とお前が願えば、無傷で加護を譲渡するような無茶苦茶なもんでもきっと叶うさ」
二つの加護はどちらも宿っている本人の発想力が重要視される。
由治は一つの考えで結論を出していたため、神奈の発想に辿り着くことが出来ていなかった。そんな簡単なことにも気付かなかったため由治は目を見開いて驚愕した。
「前代未聞ですよそんなの……」
「おい、それなら俺に寄越せ。俺なら確実に殺せる」
確かに速人に宿ってくれればこの件は片付く。先程由治本人が死ねただろうと告げているのだから。……とはいえ加護の譲渡というものはテンも上手くいくか分からない。可能かもしれないが何かが狂えば失敗するだろう。
「神奈さん、神の加護なら不老不死の加護を上書き出来るでしょう。ですが、由治さんが大人しくしていると断言出来ますか?」
「断言はしない。でもこいつ、自分が死にたいだけだしさ。自分が死ねればそれでいいんだからわざわざ世界消滅に動かなくてもいいだろ。断言は出来ないけど私は信じてみるよ」
「……由治さん、それでいいですか?」
「不老不死の加護を無力化出来るのは神の加護のみ。実証済みな以上、期待は出来る。その提案に賭けてみてもいいと我は思う。仮にもし譲渡してから死ねなかった場合でも、神の加護が手に入るのなら目的は達成したようなものだ。暴れはしない」
両者が同意しているのを聞いてテンはため息を吐く。
これ以上やっても神奈が殺せないのは変わらない。それなら譲渡して、由治が無抵抗で死んでくれることに賭けてもいいだろう。
「分かりました、やってみてください。……さあ隼さんは離れて」
「なぜだ、というか譲渡とやらは俺にすればいいだろうが」
「加護の譲渡なんて本来ありえないんです。でもあの二つの加護を通してなら成功するかもしれません。ですから加護の所有者である神奈さんと由治さんの二人でなければ、成功しないと思われます。……隼さんはどうか神音さんの元へお下がりください」
一応納得した速人は「仕方ないか」と呟いて神音の元へ戻っていく。
それから神奈と由治は願い合う。神奈は神の加護を譲渡しようとし、由治はそれを受け取ろうとする。
二人の願いによって加護の譲渡についてはあっさり終了した。現在、神の加護はあっさりと由治へと渡っていた。
成功したのは確かだ。しかし譲渡から数秒後、由治は異変を感じ取る。
「……これは、加護が……戻ろうとしている!?」
テン「次回について色々と思うところがあるかもしれませんが、予め言っておくと私は何も悔いていません。結末があんなものでも私や由治さんは救われたのです。……だから、さようなら」
次回 『別れの時』




