385 激闘――神谷神奈VS神代由治――
神奈の右拳は由治の胸部に直撃する。
十歩分ほど草原に足をつけたまま後退した由治は、白いコートの胸辺りの埃を手で払うような仕草をするほど余裕を見せている。
「こんなものか。やはり期待などするものでは――」
唐突に由治の視界が揺れて、立っていられなかったので片膝を地面につく。
(これは……主に内部にダメージが発生している。まるで正義の加護のような効果だが似ているようで全くの別物。これを喰らい続ければ我は……)
「言ったろ、お前のちっぽけな期待に応えてやるって。なあ戦うなら本気で来いよ。どうせお前は負けるんだから」
由治は口角を上げ「面白い」と呟いてから立ち上がる。
銀色の魔力が由治の体から放出され始め、次第に全身を覆っていく。
(……やべえ、ちょっと調子乗った。本気出さないでください)
早くも先程の発言を後悔するほど恐ろしく強大な魔力。
ゴッデスとの戦いで何度も超越し返したせいで、現在の由治の魔力量は数値にして一京に達するほどにまで大幅に増強されている。対して神奈の魔力量は三十万にも満たない。実力を数値だけで見るなら勝利など夢のまた夢だ。
しかしこの勝負に数値の差などあってないようなものである。
「神の加護。願うぞ、あいつを倒せるくらい私を強くしてくれ」
黄金の魔力がさらに体から噴き出て神奈の魔力量は一気に由治以上になる。気付いた由治は再び「面白い」と声を零し、初めて身構えた。
「本気を出すも出さないも我の自由」
「そうだな。お前の自由さ」
「……一応言っておこう。汝が本気を出せるよう、我の攻撃は汝以外には全くの無力とする。友への被害について心配する必要はない」
「どうもご親切に。そんじゃそろそろ本気で行こうか」
二人の距離が一瞬でゼロになって殴り合う。
超高速の連撃。本来なら拳同士がぶつかり合った余波で星が砕けるところだ。しかし由治の攻撃は全衝撃が神奈に集中するため、実質被害を及ぼすのは神奈のみ。それも一応同様になるべく衝撃を集中させているので被害は最小限となる。
最小限となった衝撃波が広がり――二人を中心として草原全体に亀裂が広がっていく。
「み、見えない……。いやそれよも滅茶苦茶だ。隼、私から離れると命の保証はないよ。……ってテンはどこだ!? まさか今ので死んで――」
一方、神音が視線を戦闘中の二人から逸らしてみればテンは消えていた。
「いや死んでないですよ! ちょっと彼を拾っていたんです」
消えたと思っていた神音の真横にテンが現れる。
彼女が両手で抱えているのは一人の青年。白を基調とした聖職者のようなローブを纏っており、首には金のネックレスがかけられている彼、ゴッデスだ。
「ゴッデスか。彼も災難だな、こんなラグナロクのような戦いに巻き込まれるなんて……。まあとにかく、この戦いの中で私の傍を離れれば死ぬと考えてくれ。今から究極の防御魔法を発動させる!」
神音を中心として乳白色の魔力障壁が一枚、二枚と重ねられていく。合計十層にもなったそれを破るには特殊な力でなければ不可能。少なくとも激闘の余波で破壊されるほどの代物ではない。
「……ここは、いったい」
「目が覚めたんですね。それじゃあ下ろします」
ゴッデスの両目が開かれたのに気付いてテンは亀裂だらけの草原へと下ろす。だが草原までは届かず、乳白色の障壁で止められた。障壁は全方位をカバーできる球体となっていることに気付いたテンは、神音が最大限の警戒をしていると理解する。
(これでいい、正解ですよ神音さん。この星が持つかすら怪しいですからね)
十層にも重ねられた乳白色の障壁内で目覚めたゴッデスは「え」と声を漏らす。
「何ですか……あれは……」
ゴッデスの目に飛び込んできたのは二人の打撃の嵐。
愕然とする彼は戦闘に目が釘付けになり、最初から目を離していない速人以外の全員もハイレベルすぎる戦闘に集中し始める。
超高速の打撃を放ち続ける二人。
フェイントを織り交ぜながら相手へ打ち込み続けることだけを考える二人。
そんな二人の乱撃も終わりを迎えた。神奈の蹴りが由治の顎に入って宙へ飛ばしたのだ。
縦回転しながら空中へ飛んだ由治は高所で急停止してから両手を上げる。
これから来るだろう攻撃に対して神奈は直感で防御のための障壁を張る。その判断は間違っておらず、瞬く間に由治の頭上に巨大な銀色の魔力弾が生成され、両手を下ろすと同時に神奈目掛けて落下していく。
あちこちがスパークしている銀色魔力弾が神奈が張った黄金の障壁と衝突する。
銀色魔力弾は大爆発を起こし、障壁を破壊して神奈をその銀のエネルギーの奔流に巻き込んだ。
「ぐっ……おおっ……!」
神奈の全身の皮膚あちこちが剥がれ、筋組織が見えるほどの重傷を負う。衣服や大地が無事なのは由治の攻撃が神奈にしか影響を及ぼさないからである。
怪我の箇所から流血した神奈は――自身が治るよう願う。
神の加護は強い願いを叶える加護。祈りは天に通じるのと同様に、誰かの願いが加護に通じて叶えられる。
――願いにより神奈の傷が全回復した。
「本当に私にしかダメージいかないのか……」
衣服も、大地も、何より神音達が無事なのを見て安心する。
「といっても押され気味だからヤバい。もっと本気出そうぜ私」
お返しとばかりに神奈も右手を由治へ向けて魔力を放つ。
放ったのは魔力弾ではなく極大の光線だ。黄金の光線が由治目掛けて飛ぶ。
当たれば相当なダメージを与えるだろう黄金光線だがそう易々と当たってくれる相手ではない。由治は空中を移動することで躱し、宇宙へと飛んでいく光線は月を貫通して破壊した。
それから次々と黄金光線を放ち続けるが中々当たらない。その度に宇宙のどこかにある星やスペースデプリなどが塵と化していく。
(当たらない……いや、願えば当たる!)
願ったことで初めて黄金光線が由治を呑みこむ。
今まで神奈は神の加護を最大限利用しきれていなかった。従来の通りにただ撃つだけよりも、願いを込めた方が加護を活かせるのだ。
「ぐっ……おおおおっ!」
黄金に呑まれた由治に外傷はほぼない。精々頬が少し焦げたくらいだ。
神の加護によるダメージは目に見えないところに溜まっていく。あまり効いていないように見えても実際は体を業火で焼かれるような痛みが襲っている。
体を両手で抱くような仕草をする由治を、神奈は接近して殴り飛ばす。
由治を殴り飛ばした先は宇宙。闇の中で星々が煌めく空間。
人間の生きることの出来ない空間でもお構いなしに二人の戦闘は続く。
殴り飛ばす。殴り飛ばす。蹴り飛ばす。殴り飛ばす。蹴り飛ばす。
追いついては当たるよう願いながら神奈が攻撃を加えていく。十以上打撃を与えて勢いに乗っていたそんな時、願いを込めた攻撃が初めて外れた。渾身の拳が由治の顔面から逸れた。
(外れた!? いや外された!?)
「攻撃を受けるも受けないも……我の……自由」
突如、神奈の腹部に衝撃が奔って軽く距離が開く。
「痛ってえ……! つうか宇宙で喋れるのか……って私もかよ」
「宇宙で会話するもしないも我の自由」
停止した由治は常識のように告げた。
自由の加護や神の加護は規格外。常識は当て嵌まらない。
「汝のおかげで一つ理解したことがある。神の加護は確かに自由の加護より上位のものだが、願いについては後出しじゃんけんのようなものだ。先に願っても、後から強く願われれば後者の方が優先される。いくら汝が直撃を願っても我が逸らせばいい話」
「なるほどな。種が分かれば単純だ。つまりこういうことだろ?」
神奈は拳を胸に当てて笑みを浮かべる。
「――より強く願った方が勝つ」
「そういうことだ。もっとも我の敗北はありえないが」
広大な宇宙空間に漂う二人の距離は瞬時に殴り合える程度に縮まる。
再度始まった打撃の応酬。荒れ狂う拳や蹴りの数々は金と銀の光を纏っており、二つの光が混ざり合って新たな星のような輝きを放つ。
強く願った方の攻撃が当たると理解した今、両者の一撃一撃には強き想いが込められている。それを喰らえばやはりただでは済まないのだろうと神奈は思う。予想のような形なのは互いの攻撃が一度も当たっていないからである。
当たれと強く願った拳を神奈が引き絞り、力強く放った瞬間。
――由治が分裂して二人になった。拳は彼らの間に入って空振ってしまう。
「はあ!? なんっだそれっ!」
驚愕した神奈の胸部に二人分の拳がめり込んだ。予想していた通り腹が千切れそうなほどに痛かった。神奈は吹き飛んで距離がどんどん離れていく。
光の矢のように飛ぶ神奈は痛みに耐えつつ徐々に速度を落として止まる。
「二人に増えるって……自由すぎる……」
呟いてからハッと右方に目を向けると――直径十メートルほどの岩が急接近していた。
いきなりすぎて躱す余裕もなければ、加護に願う余裕もない。結果無防備に飛来した岩石の直撃を受けることになる。
「ぐっ、あんのやろおおおお!」
偶然岩石が飛んで来たのか? 否。自由人に願われたのだ。
地上に降っていたなら隕石と呼ばれていただろう岩に押されていくが、願いを込めた拳で跡形もなく粉砕する。
「次が来る……!」
左方から五個。今粉砕したものと全く同じものが飛来した。
生きているかのように統率された動きで複雑な軌道を描きながら神奈へ迫る。
しかしそれを砕くのに大した労力はない。一個から五個に増えたところで全て瞬時に砕くことなどわけないことだ。
(これは囮だ。おそらく岩のすぐ後ろにあいつがいる)
神奈は連続して飛来する岩石を拳と蹴りで軽々と粉々に砕く。だが砕いた先に由治の姿はない。
「……汝の心を読むも読まないも我の自由」
背後から聞こえた声に神奈は目を見開いて、全力で横に移動する。
――直後、先程砕いた岩石が復元し、さらに一つの巨石となって由治を襲った。
「その魔力の大きさじゃ不意打ちなんて無理だっての」
巨石を作り上げて襲わせたのは神奈だ。
魔力感知で背後にいることは声を掛けられる直前に分かっていたので、後はお返しとばかりに反撃したのだ。もう一人に戻っている由治を巨石が押し、巨石の方が僅かな時間で塵と化す。
「……まあ、これもあんまり意味ないよな!」
攻撃全てに願いを込めているとはいえ、道具を使って攻撃するよりも打撃や魔力の攻撃の方が由治に対しては効果的。魔力を直接叩き込もうと思った神奈は黄金の光線を放つ。
願いの強弱によって当たるか外れるかが決まる攻防にも慣れた……とはいえ、神奈の方が圧倒的に初心者なので光線が直撃するのは数十発撃って二発程度。
当たらなかった黄金光線は数々の惑星を破壊していた。水星、金星、火星、木星、土星など太陽系のものから、遥か先に存在している未知の惑星まで全て貫通して爆散した。
激闘が繰り広げられている宇宙空間で、綺麗な星の大きな花火が数えきれないほどに広がっていく。
「デッパー!」
由治へ接近しながら神奈は魔法を唱える。
「デッパーデッパーデッパーデッパーデッパーデッパーデッパー」
前歯が伸びる効果を持つ魔法。それが連続で唱えられたことで伸びて伸びて、顎先より下にまで伸びた時。困惑している由治の顔面に神奈の拳がめり込んだ。
伸びた前歯が折れ、由治はあまりの激痛に口元を手で押さえる。
「意識が戦闘から逸れてるぞ」
隙を突いた神奈は由治の首を掴んで目的地へと突き進む。
その目的地とは紅蓮の熱の塊――太陽。
飛ぶ先に何があるのか気付いた由治は首を掴む手を取ろうとするが、神奈は絶対放すものかと言わんばかりに全力で掴み続けている。
たとえ太陽に突っ込んでも由治に大したダメージはない。だが神奈が持つ加護の力が、神代由治特効の力が太陽に伝われば計り知れないダメージを与えることが出来る。
「まさか太陽を利用しようとは……! だが汝の力で我を殺すことは出来ん……!」
炎の塊のような太陽まで後数秒で突っ込めるといったところ。
逃げられないよう全力で掴み、全力で宇宙空間を突き進む神奈の手が――滑る。
「殺せないとはいえ痛みはある。抜けさせてもらおうか」
「いいや抜け出せやしねえよ!」
手が滑ったことで由治が解放されてしまった。しかし完全に逃げられる前に回し蹴りを放つことで、太陽目掛けて蹴り落とす。
直径約百四十万キロメートル。温度二百万度以上。紅蓮の炎と凄まじい熱気が周囲を覆うそれに由治は沈んでゆく。
単純な熱などでは由治にダメージを与えられないが、神奈は太陽に神の加護の願いを込めている。倒したいという願いはどんなものであれ無敵の由治にダメージを蓄積させていく。
「こんなもの……我には……!」
通常なら呼吸も出来ずに死ぬような環境の中で神奈は接近し、首を再度掴んでから魔力加速を発動させ――太陽を貫通した。
中心核をも貫いた後。神奈達の背後で、地球の百倍以上大きな太陽という恒星は鮮やかな大爆発を起こして飛び散った。
テン「……あなたは何も悪くない。次回『勝敗』……私の覚悟はもう決まっています」




