383 エピソードオブ神代由治9
「……事情は理解した。予想より遥かに早く最悪な事態が起きたらしい」
全てが白に包まれている管理世界にて。
神代由治の正面に白いローブを着た青年が立っており、見下ろしながらそう答えた。その青年、情報の管理者は眼鏡をクイッと上げてからため息を吐く。
見下ろしたのは由治か、それともその隣で寝かせているテンの遺体か。どちらにせよ彼の態度に普段なら苛立ちを覚えたところだが今はない。自分でも驚くほどに怒りが湧いてこなかった。
少し前、由治は確かに死人の手招きを心臓へと突き刺した。
不老不死である管理者を殺した剣ならば自身も死ねるだろうと考え、突き刺したのだが――由治の死はいつまで経っても訪れない。
暫く呆然としていた由治はとある約束を思い出して管理世界に来た。
以前、雑な結婚式を挙げた日。正面にいる情報の管理者と由治は一つ約束をしている。
精神に異常が発生し続けて廃人になりかけたなら不老不死を取り除くというものだ。現在、廃人になってはいないものの、テンが死んだ世界に未練などないため不老不死を消してもらおうと由治は思っている。
「あの剣じゃ……僕は死ねなかった。どうしてでしょうか」
「我々と貴様の不老不死は根本から質が違いすぎる。貴様が自由の加護に不老不死を望んだ結果、得たのはもう一つの加護だった。その加護は神の不死性を強く宿しているもの。本来なら誰かに与えることなどなかったはずなんだがな」
「テンやあなたよりも、凄い……ってことですか」
「当然だ。貴様に宿ったのは神の不死性を強く宿した不老不死の加護。自害、事故、他殺、何であろうと貴様はもう死ねない。俺の力でも改竄出来ないし、テンを殺した武器も意味を成さない。たとえ自由の加護に願おうと死ぬことはない」
「え……? あなたの力でもって……そんなっ、それじゃあ、約束が違うじゃ……ないですか。……なら、なら、どうやって僕は……死ねばいいんですか」
本当なら情報の管理者が消してくれる手筈だったのに、出来ないというのならもう由治には当てがない。
早く死にたいという願いを胸に方法の有無を問いかける。
「神が誰かに殺されたりしたら全生命が困るだろう。貴様は死ねん、絶対にだ。いくら自由の加護に願おうと死ねないし、方法も分かりはしない」
しかし返答は由治を絶望へ叩き落とすようなものであった。
(……と、言ったものの方法は一つだけある。今の神代由治には不可能だろうし、それをさせるつもりもないが神は自害出来る。神の大半の力を宿す神の加護ならば、不老不死の加護を打ち消して自害可能。だが世界を守るため……あれは誰かに与えてはならない)
唯一の希望のようなものを情報の管理者へ抱いていたのに打ち砕かれた。彼がここまで断言するのだから本当に方法などないのだろう。自由の加護の利用で方法を知ろうとすることは無駄になりそうなので試す気はなくなった。
(自由の加護、僕を殺してくれ。いつ死のうと僕の自由だろう?)
当然というべきか何も起こらない。由治の顔から表情が抜け落ちる。
もう何をしても無駄かもしれないと考えていたところ、やぶれかぶれだが由治は一つハッピーエンドに終わる方法を思いつく。
「……それなら、テンを生き返らせてください。転生なんてことをしているあなた達、管理者なら生命の蘇生だって出来るはずだ」
隣で寝ているテンの遺体を一瞥してから由治は頼み込む。
「不可能だ……完全に魂が消失している。テンはもうどの世界にも存在しない。輪廻転生や蘇生すら封じられ、彼女は完全に殺された」
蘇生を願いつつも――最初からあまり期待していなかった。
もう何をしても無駄なのだ。期待して裏切られるのも胸が痛くなる。
「皮肉なものだな。……貴様はいつまでも不運に牙を剥かれる」
そう告げると情報の管理者はどこかへ歩き去ってしまった。
由治は「皮肉か……」と呟く。
自由に憧れて、自分の意思を最優先に行動してきた。テンとは色々あったが自らの意思で不老不死になることを決めた。その結果、愛していた者を失い、自分だけが残った。実に救いがない結末だと由治は思う。
由治は「不運……」と口から零す。
異常なほどに由治が不運だとテンは言っていた。
貧民街にいた時は不自由な暮らし。いざ転生してみれば数えきれないほどの失敗と死。ようやく転生がまともに成功して自由な暮らしをしていれば不運なことに全てを失う。これじゃ最初から運命に弄ばれているみたいだとさえ思う。
「……どうして。……どうして僕がこんな目に遭わなくちゃいけない」
隣に寝ているテンの遺体に視線をやり、頬を優しく撫でる。
その後も「どうしてだ」と呟いて撫でてから抱きしめる。
強く、強く抱きしめて「どうしてなんだよ」と誰かに問いかけるように呟く。当然誰からの返答もなく、そのままの体勢で――三十日が経過した。
生きるための栄養も、死体の腐敗阻止も加護に願えばいい。
ただどうしようもない膨大なストレスは自覚出来ず、いつの間にか白髪へと変化していた。それに伴い心も荒み、感情は消え失せていく気がした。
そんな三十日が過ぎた頃、由治はある一つの願いを口にする。
「……テンの魂なくとも動き、思考や感情は生前のものをトレース。自由の加護よ、我の願いを聞き届けよ。……偽りでもいい。また我をテンと過ごさせろ」
その願いにより――テンの両目がゆっくりと開いた。
由治が抱きしめるのを止めると、彼女は上体を起こして座り込む。
「……変わりましたね、由治さん」
悲しそうな表情をして彼女は告げる。
「汝は、テンではない」
「分かっています。自分がどういった存在なのか、全て理解しています。私はあくまで生前のテン本人の思考力を植えつけられただけの人形。体温はありますし、心臓などは動いていますけど……生きてなんかない。私の中に誰かの魂は宿っていないんですから」
白いワンピース姿の彼女は見た目だけなら紛れもなくテン本人。だがその感情や思考は全て、今まで由治が過ごしてきた中で記憶しているもののトレースにすぎない。それでも二十五年も一緒に暮らしていたので本物と遜色ないと言っても過言ではない。
偽りのテン。完成度がいくら高くても偽物だ。
こうして紛い物の蘇生を試みたのは偽物だとしても共にいたいから。
「……汝は、分かるか? あの時、テンが何を謝ったのか」
テンはいったい何を思って謝り、死んでいったのか。
ずっとそれが由治の中で気にかかっていた。
「私は彼女の全てを知っているわけではありません。ですが……それでも結論を出すとするなら一つでしょう。……彼女も由治さんと一緒にいたかったのです。管理者となったその身で愛情を抱き、人間を辞めるほどの覚悟を見せた由治さんと……そう、あなたの最期まで」
由治は「……そうか」と風で飛ばされそうなほど弱い声を零す。
感情の欠片も感じさせなかった瞳から涙が溢れ、ぎこちない笑みが浮かぶ。
自分の感情が戻って来た……いや最初から失ってなどいなかったのかもしれない。テンが自分の全てだったから、彼女のいない世界が酷くつまらないものに見えてしまっただけなのだ。偽りとはいえテンと過ごしていれば世界の色も少しずつ戻るだろう。
「……だとすれば、もう汝を失うわけにはいかないな」
「ええ。今度こそ、あなたの最期までお供しましょう。約束です」
微笑んだテンの肉体が白と黒で眩く発光し始めた。白黒の光が纏わりつき、上半分が黒、下半分が白の卵のような形になっていく。
白黒の光はやがて小さくなっていき、光が消えた時にはもうテンの肉体は存在していなかった。代わりに現れたのは上半分が黒、下半分が白の丸っこい腕輪だ。
「今日から汝は腕輪になれ。もはや生きていない汝に必要かは分からないが、その腕輪の体は何をしても傷付かない。死人の手招きも刺さらない無敵の腕輪……それが汝」
「おお! 私のパーフェクトボディーが可愛く纏まりましたね。多少の不便さはあるでしょうがいずれ慣れるでしょう。ふふっ、元がパーフェクトな私ですから何でも出来る……そう、万能腕輪! ……なーんてのはどうでしょう」
「我はテンと呼ぶが好きに名乗るといい」
そうして神代由治と万能腕輪の死を求める旅が始まった。
この時、遊びで名前入力機能を付けてくれと頼んだ腕輪に、魂の管理者がふざけた名前を入力してしまうのはまだ遠い話。
テン「……というわけです。なんか終盤ちょっと手違いにより話が早まりましたが。本来ならもうちょっと時間がかかったはずなのに……。次回、帰世」




