380 エピソードオブ神代由治6
――テンがいなくなってから三十日。
神代由治は脱力し、自宅の椅子にもたれかかるように座っている。その瞳は死者と同じような無機質なものに変化していた。
熱中していた古代兵器探しもピタリと止め、食事すら取っていない。睡眠だけはしているものの椅子で寝ては起きてを繰り返している。
(テンが……いない……)
そんな過ごし方でまだ五体満足で生きていられるのは加護のおかげだ。自由の加護なら願うだけで空腹は満腹になり、一日の体感時間も早められる。加護があれば実のところ睡眠すら必要ない。何もしなくても健康に生きていられる。
(テンが……いない……)
町に滞在している以上、さすがに数日もギルドに顔を出さなければ心配はされる。特に由治は最近までテンと一緒に情報集めをしていたのに、ある日を境にピタッと来なくなれば知り合いは全員心配するだろう。
(テンが……いない……)
冒険者仲間が家の前で由治の名前を呼んだこともあった。何も答えなければ、町での知り合いも追加してやって来た。傷心中の由治が何も答えないでいると、鍵を掛けていなかった扉を開けて入って来た。
普段なら友人に対して邪険な態度をとらなかったし、明るく世間話でもしていただろう。だが彼ら、あるいは彼女らに対し由治は無言で加護を使用してしまう。この家から出て行けと願えば友人達は外に瞬間移動させられ、もう踏み入るなと願えば再び入れらることもない。
(帰って来る……そのはずだ……帰って来るはずなんだ。……だって、この家は……この家は二人で買って、二人で過ごしてきた……帰るべき場所なんだ)
あれから三十日経ったにもかかわらず、由治はまだテンが帰宅してくると思い込んでいる。
ここまできて初めて理解させられたのはテンへの依存性と執着心。愛を持っているのは自覚していたが、それは想像よりも深く強いものであった。
(テン……テン……どうしてまだ帰って来ないのさ)
思考の末、由治はその日をスキップした。
何も唐突に踊り出したわけではなく、その一日の時間をゼロにしたのだ。朝に日が出て、夜に日が沈む。その一連の時間を飛ばしてしまったのは時間操作の一種である。
(今日も帰らない。帰って……来ない)
翌日も、その翌日も、そのまた翌日も体感時間をゼロにした。
一瞬で数日が過ぎ去っていく中、由治はふと思う。
(……そうだ。帰って来るのを待っているだけなんて嫌だ。……会おう、僕からテンのところへ会いに行くんだ)
いつまでも待っているだけでは埒が明かないと感じた由治は行動を開始する。
由治の目前に小さな白い点が出来上がる。それはぐんぐんと大きくなっていき、人間一人は余裕で入る白い渦が完成した。
異空間へと繋がっているその渦に由治は躊躇なく飛び込んだ。
* * *
惑星並に広大な白い空間――管理世界。
白の地面以外何もないその場所に、世界の正常を保つよう管理し続けている存在総勢七人が一堂に会していた。
「それでえ、本当ならまだ経過観察するべき転生者の前から逃げて来たというわけですかあ。人間との恋愛も良いと思うんですけどねえ」
ふわふわしている触り心地のよさそうな金髪の女性――祝福の管理者。
「ダメに決まっているだろう。管理者とは秘匿すべき存在なんだぞ」
眼鏡を掛けている青髪の青年――情報の管理者。
「情報に同意。こっちが辛くなるなら止めた方がいいって意味だけど」
両目を閉じているのに本を読む銀髪の少女――運命の管理者。
「ねえねえ! 恋愛って何かな!? 楽しいかな!?」
無邪気で人懐っこそうな緑髪の少年――加護の管理者。
「知らんが筋トレは楽しいぞ!」
腕立て伏せをしている赤髪の筋肉モリモリマッチョマン――法則の管理者。
「ぐあああああ! 儂のリザードマンがあんな亀如きにいい! 命中率下げたのになんでハイドロポンプが外れないんじゃあああ!」
ゲーム機を持ちながら思いっきり叫んでいる、白く長い顎鬚を垂らしている白髪の老人――魂の管理者。
「あの、四人はともかく、法則と魂は私の話聞いてました?」
困り顔の黒髪女性――転生の管理者もとい、テン。
白いローブを着ている七人が話し合っているのは……実際話しているのは五人だが、彼女達の話題は最近テンがサポートしていた一人の転生者についてと、途中で役目を放り出した理由について。
神代由治は輪廻の輪で転生する際、不運になるよう設定された魂が再度転生した少年。本来なら再度転生する前に不運が抹消され、幼くして自由なく死んだ彼には幸運が付与されるはずだった。しかし前世の罪が重すぎたせいで不運が消えなかったのである。そのためテンは彼と共に行動し、後十年以上は経過観察する予定だったのだが帰還してしまった。
少々予定と違くなったもののテンを責める者は誰もいない。
件の転生者には自由の加護を預けてある。制限はあれどほぼ全能のようなものなので、使い方を心得ていれば大抵の不運はなんとかなる。テンが傍で見守っていなくても問題なしと全員が判断した。
ただ、仕事の途中放棄理由は語る必要がある。
テンは包み隠さず全てを話した。由治と過ごした日々を。その日常で恋愛感情を抱かれたことも、自身も確定ではないが恋をしてしまったかもしれないことも。
「いいじゃないですかあ。恋は必ずしも幸福しかもたらさないわけではありません。辛いことの一つや二つあったところで愛する気持ちに蓋をするというのはあ、ちょおーっと勿体ない気がしますけどねえ。ただでさえ私達は出会いがないんですからあ」
祝福の管理者は呑気に恋について語る。
「いや、私の気持ちが恋愛感情かは分からないんですって。私が帰って来た一番の理由は、由治さんがこれ以上私に執着しないようにというだけで……」
「執着も愛の形ですう。私は祝福しますよー?」
そこに情報の管理者が眼鏡をクイッと上げて口を挿む。
「認められん。第一、その男は不老不死になろうとしたんだろう? 結局はいずれ精神崩壊してしまうだけだ。狂った番いを一生面倒見なければならなくなる。それに我々に誰かが近付くというのがあってはならない」
「別にいいじゃないですかあ。全ての世界を見てみれば、私達の存在を認識している個体生命がどれ程いることやらあ」
「不老不死になり、我々に近付くことが問題だと言っているんだ。世界管理の弊害になる可能性は十分ある。ただでさえ、今は不老不死の怪物が増殖して別個体の魂を侵食しているんだぞ。確か名前は――」
運命の管理者が本のページを捲りながら小声で「ミヤマ」と呟く。
「そうだ、超次元生命体ミヤマ。我々の仕事を増やしやがったあの怪物め……」
不老不死になれば己を鍛え続けて結果的に世界に害をもたらす存在も出る。
一つの問題。ミヤマは自分の他に、別生命の魂を自身のものへと上書きすることで増殖している。そんなことをされれば元の魂が消えてしまうので、調整するために情報の管理者が元の魂を事前に複製しておくことで対処していた。当然誰の魂が上書きされるのか不明なので世界に存在する魂全てだ。羽虫や動植物などでも上書きされてミヤマになるので、世界一つに存在する魂の複製は想像を絶する労力になってしまう。
目の上のたん瘤はミヤマだが、仕事を増やす存在はそれだけではない。そしてそういった存在に限って不老不死が多い。
「情報は反対派ですねえ。じゃあ他はどうですかあ?」
祝福の管理者がそう問いかければ全員が答えを出す。
「反対。むやみに私達と関わる生命を増やしたくない」
「いいんじゃない? だって楽しくなりそうだもん!」
「筋トレ仲間が出来そうだしいいぞ!」
「もしや夢にまでみた交換進化が……儂はプレイヤーを増やすのに賛成じゃぞ!」
一度頷いた祝福の管理者は情報の管理者へと笑顔を向ける。
「じゃあ多数決でオッケーってことでえ」
「いや待て待て待て! まともに理解して答えているのは運命だけだろう! 筋トレ馬鹿とゲーム馬鹿、それに純粋な子供の票は無効票だ!」
文句を叫ぶのに対し祝福の管理者は「うわウザいなあ」と笑顔で告げる。情報の管理者は額に青筋を浮かばせて眼鏡の位置を上げては下げるのを繰り返す。
「じゃあ私は賛成でいい」
そう発言をしたのは運命の管理者だ。
これには情報の管理者も眼鏡カチャカチャを止めて目を丸くする。
「は? おい運命、何を言っている?」
「正直、言い争いが面倒だから。私と祝福と転生が賛成だから多数決で結婚オッケー。おめでとう転生……いや、テンって呼んだ方がいいのかな」
「よーし分からず屋は多数派の力で論破しましたしい、これから神代由治とテンの結婚プランを考えていきましょー」
ノリノリな祝福の管理者と違い、明らかに情報の管理者が苛ついているのをテンは見て分かった。運命の管理者は相変わらず本を読み進めていて、法則の管理者は筋トレ、魂の管理者は家庭用ゲームと我関さずのような状態だ。唯一加護の管理者だけは首を傾げており状況を理解していない。
この状況を相変わらずと言えてしまうのが異常だが、強い個性を持つ面々の言動や行動にテンは「あはは」と苦笑いを浮かべている。しかし苦笑いしているといっても、こうして全員が揃うのは数万年に一度か二度だが集まるのもいいものだとテンは思う。
「まず結婚プランその一として――」
その時、真面目な顔をした情報の管理者が「ストップ」と告げる。
彼の真面目な声に今まで好き勝手していた全員が一点を見つめる。そこには次元に視認出来ない歪みが出来ていた。
「何者かが管理世界に侵入しようとしている」
「誰だろねー? 仲良くしたいな」
「タイミング悪いですねえ」
「へぇ、こんな辺鄙なとこにまで筋トレしに来る奴が俺ら以外にいるとはな」
「ほぅ、どうやら儂と赤外線通信しにここまで来たようじゃな」
「……たぶん違う。あと筋トレしてるのは法則だけ」
「運命、そこは百パーセント否定してくださいよ」
見つめていた一点辺りの空間が目に見えて歪み始める。
次第に白い点が生まれ、大きな渦として展開されていく。白い渦が次元跳躍の力であると全員はすぐに察する。
「あれ? これって……自由の加護の気配だ! 懐かしいなあ!」
そう加護の管理者が無邪気に叫び、テン、情報、祝福、運命には誰がこれから来るのかを予想出来た。その予想通り、白い渦の中を遠くから歩いてくる青年にテンは見覚えがあった。
「由治さん……」
渦から歩いて出て来たのは話にも出ていた転生者――神代由治本人だ。
テン「管理者は互いのことをそれぞれの役目に関連したもので呼びます。私の場合は転生と呼ばれますね。……次回、エピソードオブ神代由治7」




