374 『腕輪』――君がいなかった世界――
「いや私ですよ、テンです。万能腕輪ああああとも言います。ほら由治さんが言っていたじゃないですか。私って実は元が腕輪じゃなくってですね、一応人型だったりするんですよ」
テンという名前を確かに神奈は思い出した。神代由治が口にしていた名前というのも分かっている。しかしあんな不思議な腕輪だったものが黒髪巨乳美女になっている現実を受け入れられない。
「だってあの腕輪がだぞ。あの腕輪がお前みたいな美女になるとかさあ、最近の擬人化キャラみたいに原型残ってないじゃなん。だいたいあのボディのどこにそんなおっぱいが存在してたんですかあ!?」
「そんなにおかしいですかね? まあ神奈さん、巨乳といっても面倒なことは多々あるものです。持たざる神奈さんには分からないかもしれませんが」
「よし、お前は宇宙追放の刑に処す」
テンは「物騒すぎません!?」と叫ぶ。
見た者を底冷えさせる笑みを浮かべながら神奈はテンを引き離し、そのまま窓の外へ投げ飛ばした――はずだった。神奈本来の身体能力も魔力も発揮されずテンは僅かにしか動かなかったのである。
「ふふふっ、神奈さーん。どうやらこの世界では普通の女の子程度の力しかないようですねえ。それに引き換え私は管理者時代の実力をフルで発揮出来ますよお。これはもう日頃の仕返しをしろという誰かからのメッセージではないでしょうかねえ」
「……さて、話をしようか。神代由治について」
今まではなまじ強大な力があったからこそ自由にテンを弄ることが出来た神奈。だがこの世界では完全に力関係が逆転してしまっているので、仕返しなどという思考からずらさなければ碌な目に遭わないだろう。
「話をすり替えようとしても無駄です。左腕を見てみてください」
真剣な話だったというのにすり替えられなかった。仕方なく左腕を見やると――制服や肌着の袖が破られており、素肌には大量の黒い点が存在していた。
「うわ何だこれ気持ち悪っ!」
「仕返しといってもあまり思いつかなかったので、とりあえず油性マーカーで大量のほくろを描かせてもらいました。まさか描いたことにも袖を破ったことにも気がつかないなんて……本当にただの子供ですね」
「くそっ、思いつかないわりに地味に嫌なことしやがる……。油性だから擦っても落ちないし。ああもうシャワー浴びないと落ちないなこれ」
大量の黒点が描かれた左腕を眺めてげんなりとした表情をする神奈。一先ずお湯で洗わなければ消えそうにないので、リビングから出ようと歩いて行く。そんな時、リビングの扉が開いて――隼速人が無遠慮に入って来る。
「隼……? お前なんで……」
「神谷神奈、どうやら思い出したよう……だ……なんだその左腕気持ち悪っ!」
「腕輪ああ! こいつにも同じことをやっておけええ!」
入室してきた速人にも大量の黒点を描いておけと命令する神奈。だが今のテンに神奈の願いを聞く義理はあっても義務はない。特に速人は今回協力してくれた恩人でもあるのだからしょうもない悪戯などしない。
結局、重要な話は神奈のシャワーを待ってからということになった。
* * *
左腕に油性マーカーで落書きされた神奈。少し早いが夕方にシャワーを浴びて、袖の破れた制服ではなく私服のパーカーに着替えてリビングに戻る。
シャワーを浴びただけでは落ち度が今一つだったので、日焼け止めを塗ってから流すことで対処した。油性のインクが肌についた場合はそういったものが使えるという豆知識を、以前才華から聞いていたのだ。使い道などないと思っていたが役立ったので感謝しておく。
リビングでは男女一人ずつが椅子に座っていた。腕輪の元の姿だというテンという女性に黒髪で首から下は黒い忍服を着用している隼速人だ。
二人は戻って来た神奈を一瞥するだけに留める。神奈が頷いて空いていた席に腰を下ろすと、テンも頷いて話を始める。
「さて、遅刻者も集まったところで話を始めましょうか」
「おい何で私が悪いみたいになってんだよ。全部お前のせいだろ」
「そこはもういいだろう。話を進めろ」
速人の言う通り話は進めた方がいい。微妙に納得がいかない神奈だが、神代由治の件については知らないことが多すぎるので話は聞かなければならない。そう理解している。
「簡単に現状をまとめましょう。隼さんは神音さんからある程度聞いているでしょうが、おさらいのようなものとしてお聞きください」
初めに神奈の元へ由治がやって来て、腕輪もといテンの相棒はどちらかという話をする。その結果、腕輪の記憶は封じられていることが発覚した。だが、それは由治の手によってテンとして過ごした記憶が現在は戻っている。
戦いになるも由治の力、自由の加護と不老不死の力は圧倒的。大賢者とも呼ばれた神音や、加護を複数持ち異常な戦闘力を秘めているゴッデスでさえ敗北した。神奈も挑んだが結果は惨敗。そこで由治は本当にテンの相棒に相応しいかどうかを見極めるべく、神奈の意識を精神と夢の世界に閉じ込めた。
腕輪というものが存在しない世界で過ごしていた偽りの記憶を植えつけられた神奈だが、なんとか記憶を取り戻して今に至る。
「さてこれからが問題です。由治さんを殺さなければ、ありとあらゆる世界が一瞬で崩れ去って生命は途絶えるのです」
恐ろしい事実に神奈はゴクリと息を呑み、熟考した後で「詰んでね?」と言う。
実質お手上げ状態だと告げる神奈に速人は「はっ!」と鼻を鳴らす。
「臆したか。俺は戦うぞ。転生者だとか不老不死だとかどうでもいい、奴が俺達を殺す気なら俺は戦う。たとえ一パーセントすら勝機がなくてもな」
「私だって戦うのには賛成だよ。でも殺すとなるとさすがに無理だ。はっきり言っちゃえば私でも今の神音と戦えば瞬殺される。その神音が戦意喪失するレベルの奴を私達が殺すってのは、到底不可能だろ」
「いいえ、希望はあります。神奈さん、希望というのはあなたです」
真剣な目に射抜かれて神奈はたじろぐ。
「いや希望も何も、私だって全然敵わなかったじゃん」
由治に二回攻撃したとはいえ、その二回は全て由治の意思で受けたもの。躱す気になればいくらでも躱せるだろうし、無力化したいならいつでも無力化出来るだろう。
「神奈さん、あなたの加護はいったい何か理解していますか?」
「加護? ……加護って、それは」
記憶が確かなら神奈はテンに語られている。
防護の加護。あらゆる害を防ぐ防御重視の加護だ。
「自分への魔法とか環境含めた害となるものを防ぐ……って感じじゃなかったか?」
「概ね正解ですよ。ただし注釈で今のところはと付きますが」
「今のところは? じゃあ何か、加護ってのは進化でもするってのか?」
「いいえ、加護が新たな力に目覚めるなんてことありません。でもね、神奈さんの場合は元から持っていた力のほぼ全てを発揮していないんです。私達は根本的な勘違いをしていたんですよ。あなたの加護は防護の加護ではなかった、全くの別物」
ご都合主義にも程があると神奈は思うが今はありがたい。しかし秘められた力があるといっても神奈自信全く心当たりがないうえ、どうやって引き出せばいいのかも不明なまま。テンの言葉は信じるに値するが現時点では何も出来そうにない。
「神の加護。加護全般をそう呼びますが、一つだけその名を持つ加護が存在しています。それこそ神奈さんに宿っている力、自由の加護を上回る力。全加護の元とも言える神の力の一部です」
「……神の加護。そんな力が私に」
「それは願いを叶える力。ホウケン村で重傷の神奈さんがほぼ完治したのは、エミリーさん達が触れて強く願ったからだったのです。おそらく他にも無意識に使用されたことはあると思われます」
願いを叶える加護と言われ、神奈は自由の加護を思い浮かべる。どちらも所持者の願いを叶えるものだろうと推測出来る。少なくとも同等の力を得て、対等に戦える可能性は生まれた。
「神奈さんが今考えている通り自由の加護と似た力です。これなら由治さんに後れを取ることなどありません。原初の加護といってもいいそれは格が違う」
どちらも願いを叶えるのなら結果は分からない。後れを取らないとテンは告げたが、同じような力を持つ以上先に動いた方が有利になる。後手後手になれば敗北する可能性などいくらでもある。
「待て、俺は奴が不老不死だと聞いたぞ」
「そうだ、何であいつ加護を二つも持ってるんだよ。ゴッデスといい、いくらなんでもチートもいいところだ。不公平だろ」
速人の発言で神奈は複数の加護を持っていたことを思い出す。
不老不死である以上、細胞の一片まで世界ごと消滅しても生きているなど殺す手段がないも同じ。心臓や脳が飾りになっている時点でもはや人間を超越したナニカだ。
「ゴッデスさんの方はバックにいる管理者達が与えたのでしょう。ですが由治さんの方は……」
顔に影を落としたテンは思い詰めた表情になる。
由治の言葉通りなら長い付き合いであったことは明らかで、何か知っていると見て間違いない。思い出しているのが辛いことなのかテンは二人から目を逸らし、数秒俯く。二人は急かすことなくただ待つことにした。
「……話すべきでしょうね、由治さんがああなった理由を。彼は決して最初からあんなことをするような人ではなかった」
それからテンが語ったのは――神代由治という一人の転生者の物語。
テン「そう、あれは今から数億年も前の話。腕輪ではなくテンとして存在し、由治さんと出会い過ごしたその一部分。次回……エピソードオブ神代由治1。途中途中で省きますがそこそこ長いのでご覚悟を」




