373 『 』――君のいない世界4――
帰宅した神奈は現状を簡潔に整理しようとする。
学校から帰ってくると速人が神奈の両親を連れてどこかへ出掛けていくのを見た。行ったのを確認してから無人であるはずの家に入り、寛ごうとリビングに入ってみればテンがテーブルの上に立っていた。
訳の分からない状況である。いくら今日少しおかしいと自覚していた神奈でも、今日会ったばかりのよく知らない女性が自宅のテーブルに立っているような状況が異常だと理解出来る。
「えっと、テン……さんだっけ? ねえマジで何してんの? なんで他人の家のリビングにいて、しかもテーブルの上に立ってるの? 頭大丈夫?」
「あ、もういいですかね。初めまして、私はテンです。あなたが神谷神奈さんですよね? これから相棒としてよろしくお願いします!」
「……やべぇ、何だこれ。何この状況意味分かんないんだけど。えっと、何? もしかしてアンタも豆腐の角に頭ぶつけて記憶障害起こしちゃったの?」
知り合って少しの女性がいきなり相棒になるという常識外れの出来事に神奈はついていけない。仮に記憶障害だとしても無理がある現状に戸惑うしかない。
戸惑いの中、神奈の脳裏にまたしても奇妙な映像が流れてくる。
ぼやけている何かに向かって自分が叫んでいる映像だった。どことなく状況は今と似ているような気がしないでもない。
「残念ですが一度決定した選択は覆らないのです。ここはほら、素直に私を相棒にしてこれからを過ごしましょう。クリスマスプレゼント的な感じで私を受け取ってください」
「嫌だよそんなプレゼント。ねえ、ほんと何があったの?」
「だからあっちゃんと。それが嫌ならあーちゃんと、ハートもつけてお呼びください」
「会話が噛み合わねえなおい! あとアンタってテンって名前だったよね!? 今言われた名前と掠りもしてないんですけど!」
あだ名の方は難易度が高すぎる。そもそもあだ名で呼ぶほど親しくもないので、混乱している神奈はテンという本名のみを呼ぼうと思う。
そんな時、またしても映像が流れてくる。
『はぁ、神奈さんにはがっかりですよ。こちらが妥協しているというのに。変なプライドを持っているからこんな簡単なことも言えないんですよ』
『なんだと、なら言ってやるよ。あーたんはふはっふうぅヒャッハー!』
頭の中で流れる映像の自分がとんでもないことを言いだした。あまりの醜態に思わず頭を抱えると、不自然にぼやけている何かから発せられた声とテンの声が似ていることに気付く。もっとも声が似ているだけの者など広い世界の中にはいて自然だが、奇妙な現象に現在の不自然な状況が全くの無関係だとは思えない。
(この映像……テンさんと何か関係が……?)
「実のところ神奈さん、とある人からあなたの相棒になるよう言われたんです。だいたい私みたいな美女が相棒になるというのになぜそんな乗り気じゃないんですか」
「いや状況が異常すぎて混乱してんだよ。……じゃあ訊くけど、アンタ何が出来るわけ? 単に相棒って言われてもよく分かんないんだけど」
「そうですねぇ、念力による掃除、洗濯、料理。……天気予報も出来ますし、簡単な魔法ならば使えます。やれることと言われても多すぎて一度には言えませんね……」
「家政婦か……いや家政婦は天気予報やんないし」
予想以上にふざけているほど優秀な性能を告げられた。家事をしてくれるというのなら家政婦なので、両親が雇ったと考えれば解決なのに違うと断言出来る。両親はこういったことをちゃんと事前に知らせてくれるので、サプライズにしたってこの状況はありえない。
「私は相棒歴数億年のベテランですよ? もはやこの生のなかで見てきた相棒達など足蹴りにしても許されるレベルです。その気になれば私はファラオの魂でさえ蹴ります」
「数億年ってなんだよ。アンタもう生きてないじゃん、人間じゃないじゃん。何なんだよもう、会話してくだけでつっこみだらけだよ」
「おっ、いい感じのつっこみですね。私のことを何か思い出しましたか?」
「非常識なバカってことだけは今身をもって知ってるよ」
不満そうに「えー?」と呟くテン。神奈としてはもういい加減警察に通報した方がいいのではないかと思っている……というかもう通報しようと思う。
ため息を吐いた神奈は制服のポケットから携帯電話を取り出す。
「ちょっっと神奈さん、何どこかへ連絡しようとしてるんですか。あっ、警察じゃないでしょうね!? ほんと警察だけはシャレになりませんって! ちゃんと相棒にしてくださいよ!」
「いやだよ、お前うるさいし」
そう冷たい言葉で突き放した瞬間、また頭に映像が流れてくる。
このテンとの会話中に何度も流れてきた映像に場所変更はない。あくまでも神奈の家だけで繰り広げられているバカバカしいコントのような何かだ。
ぼやけている何かが『自分からそっちに行きます!』と言い出し、宙に浮かぶと小学生であった神奈の元へミミズが這うような速度で向かっていく。あまりにも遅いため神奈は呆れている。そんな映像が流れてきて現実も似たような軌跡を――。
「ならもういいです! 自分からあなたの腕に抱きつきます!」
テンは目にも止まらぬ速さで神奈の右腕に抱きついた。映像とは全く違う現実、そしてやはり只者ではないテンに混乱する。
「おい何で腕に抱きついてるんだよ! くっ、離れろ!」
「嫌です! この右手首こそ私の定位置なんですよ!?」
「何その定位置邪魔なだけじゃん! くそっ振り解けない……!」
なんとか振り解こうと右腕を振り回すがテンは一向に離れない。まるで固定されているかのようにびくともせず、柔らかい感触が永遠に神奈の右腕へと伝わってくる。
「邪魔じゃありません! 私達は相棒だった、ほとんどの時を共に過ごした。私はああああ! 万能『 』ああああ! あっ、名前がああああですけど、とにかく私達は家族同然の仲じゃあないですか!」
「知るかああああ!」
「あ、今名前を呼びましたよね!?」
「叫んだだけだよややこしいんだよバカ野郎!」
頭の中では違う映像が流れていた。ぼやけが薄くなってきた不思議な丸い輪っかが右手首に付いている映像だ。全く見た目は違うはずなのに映像の輪っかとテンの姿が何度か重なってしまう。
――映像と現実が混ざる。
(なんだ……? くそ……この映像は何なんだ、どうしてこんなのが頭から離れない。でも……白いモヤ……段々取れてきてる?)
次第に丸い輪っかのぼやけが消失していき、上半分が黒、下半分が白という色使いがくっきりと見えた。それは何か。この世界では名称が存在しない道具だ。見たことがないはずなのに神奈は自然とその名前を思い浮かべることが出来た。
「とにかく神奈さん、私達は一蓮托生のザ・パートナー! その運命は誰にも変えられません。今日からよろしくお願いしますって!」
『神奈さん! 今日からよろしくお願いします!』
映像が頭から消え去り、神奈は右腕を振り回す行動を停止させる。テンは不思議そうな表情で神奈を見上げる。
神奈は揺れる黒瞳をしっかりとテンに向けて、呆然とした様子なのが自分でも分かるがぎこちなく頭の中で生まれた単語を絞り出す。
「……う……で、わ」
世界の色が変化する。赤、青、黄、緑、紫などなどカラフルに変色していく。
変色と共に神奈の頭には新たな映像が流れてきた。それは一人ぼっちになってしまった神谷神奈が不思議な腕輪と出会い、八年近くを共に過ごしてきた別世界の記憶であり、神奈本人の元の記憶でもある。
世界の色が元通りになると同時、消滅していたとある単語が復活した。
「神奈さん、今、なんて……」
「……思い出した。私の相棒は、ウザくて、ふざけてて、辛いときは寄り添ってくれて、いつも傍で見守っていてくれた。……腕輪……大切な、家族だ」
テンの瞳が潤んで涙が零れ出す。次第に洪水のように溢れる涙は収まる気配がない。
「神奈ざん……神奈ざんの記憶が戻ったあああああ!」
「おいこんな至近距離で泣くなよ」
「無理でずうう! 今は離れたくありまぜええん!」
鼻水まで出し始めたテン。涙と鼻水が制服の袖について汚れていく。
そろそろ鬱陶しいと思い始めた神奈だがとりあえず泣き止むまで待とうと決める。泣いている女性を乱暴に扱うわけにもいかないのでひたすら待つ。
「ところでさ、お前誰?」
十分後、泣き止んだのを確認して神奈はそう問いかける。
テンは「……はい?」と驚愕で目を丸くして、口をポカンと開けてまさに呆然とした様子で呟いた。
テン「ようやく思い出してくれたんですね神奈さん。まったく本当に、私がいなきゃダメなんですから。次回『腕輪』――君がいなかった世界――」




