371 『 』――君のいない世界2――
針のようなツンツン黒髪で、黒い男子用セーラー服を着ている彼はゆっくりとした動きで、塀ブロックに寄りかかるのを止めて姿勢を正す。
「まったくよお、どんだけ寝坊してんだテメエは。もう二限目終わってんぞ」
「神神楽……神人……」
再び神奈の頭に映像が流れてくる。
人間とはかけ離れた緑色の怪物と成り果てた神人を、超速の拳で貫いて殺した映像だった。やけに生々しいそれに吐き気を覚えて神奈は口を押さえる。
「ああ? おい大丈夫か神谷」
「……うん、もう平気だ。一瞬お前の顔見たら気持ち悪くなった」
「テメエ酷すぎんだろそれは! もう一回喧嘩するかおい!」
確かに色々説明が足りなかったので悪いのはこちらだと神奈は思う。だがそれは置いておいて今は流れてきた映像を元に神人へと質問する方が大事だ。
「なあ、お前私に胸を貫かれなかったか?」
「それじゃ俺死んでるじゃねえか! 今日のテメエ本当に頭大丈夫か!?」
「いや悪い、忘れてくれ……」
神人の言う通り今日は頭がおかしくなっていると神奈も思う。
流れてきた映像に振り回されているからダメなのだ。もっとしっかりしなければと神奈は首を横に振る。
「なんだよ、毒気抜けるな。もういいから行こうぜ」
そう言って歩き出す神人に神奈は付いていく。
口は悪いが神人はなんだかんだ良い人間だと改めて実感する。こうして神奈が寝坊しているのに、わざわざ一緒に高校へ行くために家の前で待っていたのだから。良い人間と思う度に前世で裏切ったことを後悔してしまう。
そんな後悔を引きずりながら神奈が辿り着いたのは高校――ではなく喫茶店。
思わず「は?」と口から漏れるくらい驚いてしまった。学校に向かっていたはずなのに喫茶店に辿り着くなど明らかにおかしい。
「お前学校に行くんじゃないのかよ」
「はっ、まずはテメエの心落ち着けた方がいいだろうがよ。朝から変だし、マインドピースでオレンジジュースでも飲んどけよ」
「よく私がオレンジジュース頼んでるって知ってたな」
「苦いの苦手だろうがよテメエは。子供の時から趣向も胸も変わってねえよ」
「ははっ、喧嘩なら買ってやろうか?」
趣向はともかく体は成長してると神奈は胸を張って言いたい。尚言いたいだけなので実際どうなのか正確なところは分からない。
未だ消えない違和感に異常を感じつつ店内に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ……って神奈? 今日は平日だし学校なんじゃ」
そう声を掛けてきたのはマインドピースの店員であるレイだ。
「ああまあそうなんだけどさ。こいつがどうしてもここに来たかったみたいでな」
「さらっと俺のせいにするなよ」
「いやお前のせいだよね。何責任から逃れようとしてんだよ」
神奈は一度も喫茶店に行きたいと言っていない。これだけは胸を張って言える。
そもそも学校に行こうとしていたのだから百パーセント神人が悪い。
「二人共いつものでいいのかい?」
「ああ、適当に座っとくから持って来てくれ」
いつもの、という言葉にどこか引っかかりを覚える。
別に神奈だけならいつもオレンジジュースを頼んでいるため通じるのは分かる。だが果たして神人のいつものとは何なのか。そもそも二人で喫茶店に来たことなどあっただろうかと神奈は思い悩む。
適当に座るという神人の言葉通りに近くの四人席に座り、神奈は他の席に座っている客達を見やる。
ピンク髪の女性と、妹だろうよく似ている少女達。一人が友人のゼータ・フローリアであると気付く。仲睦まじそうだなと考えていると、ふと、再び神奈の脳内に映像が流れ込んでくる。
ゼータと二人で過ごしている様子で、神奈の右手首はまた白くぼやけていた。
いったい何なのかと思考しているとレイが注文した品を持って来る。
「オレンジジュース、そしてトロピカルパイナップルグランドパフェをお持ちしました。ごゆっくりどうぞ」
「来た来た、やっぱこれだよな」
「いや名前すご……量もすご……」
やたら大きい容器に溢れんばかりに盛られているパフェ。パイナップルなど南国っぽい果実が綺麗に乗せられていて、アイスクリームの上には生クリームやメレンゲなども加えられている豪華な一品だ。
「お前朝からこれかよ……」
「ああ? 俺は一日一食はこれだろ、忘れたのか」
「そんな常識は初耳だよ!? お前マジで体壊すんじゃね!?」
さらっと告げられた初情報に驚いているとマインドピースの扉が開かれる。
カランカランと来客を知らせるベルが鳴り、レイが何やら対応していると二人の方へと歩いて来た。そして困り顔で話し出す。
「ごめん二人共、相席いいかな? 向こうにいるお客さん二人が君達と相席したいって言ってるんだ。あの二人……隼君と……あの女性は誰かな、知り合い?」
意外なことに来店したのは同じ学校の生徒であり、今は登校して授業を受けているはずの隼速人だった。わざわざされた相席の提案に対する心当たりもだが、一緒にいる黒髪の女性に覚えがなく首を傾げる。
胸上から太ももまでの短めの白いワンピースを着ており、背中には蝶々のような形の長いリボンがついている。膝上から下は薄紅の二―ソックスで、靴はワンピースと同色。衣服で隠していない部分は透き通るような白い肌。ぱっと見て美しいと思えるその女性は神奈を見やって微笑む。
「知らない。でも別に相席くらいいいよ。なあ?」
「まあ俺はいいぜ。パフェタイムの邪魔をしなければな」
「パフェタイムってなんだ。まあそういうことで相席はオッケーだ」
レイは頷いて「分かったよ」と告げると速人達に伝えに戻る。
話は纏まったようで神奈達の席に速人達二人がやって来て腰を下ろす。
「相席、許可してくれてありがとうございます」
「いえいえ全然。ところで隼とはどういった関係で?」
会釈されたので神奈は会釈し返す。そして疑問だった関係性を問う。
速人とは長い付き合いだと神奈は思っている。だがそんな長い付き合いの中で女性のことを一目でも見たことがない。
「ああ失礼しました。私の名は『 』です」
自己紹介の名前部分が意図的に削られていた。名を口にしている時、声を出しているだろうに神奈には全く聞こえなかった。
不思議な現象に目を丸くしながら「え、なんて?」とリピートを要求する。
「……やはり。いえなんでも、私はテンです」
「俺は隼速人だ」
「いやお前は知ってんだよ。……テンさんは隼の友達なんですか?」
「友達、そうですね。私は隼さんとも友達です」
その奇妙な言い方に神奈は内心「とも?」と疑問に思うがつっこまない。知らない女性に根掘り葉掘り聞くというのも少し失礼かと踏み止まったのだ。
「おい、それより俺の隣でパフェを食っている奴は誰だ」
速人が左に指を向けて問いかける。
奇妙なのは速人もだった。少なくとも速人と神人は面識があるはずだ。何せ小学校から高校まで同じであるし、神奈と友好関係にある存在を速人が全く知らないはずがない。
「誰って、神神楽神人だよ。お前も知ってんだろ」
「……ああ、知らんがいたかもなそんな奴」
「おいおい、記憶障害にでもなったのかよ。神人とお前はよく遊んでたろ」
「すみません神奈さん。隼さんはここに来る途中豆腐の角に頭をぶつけて一部の記憶がすっ飛んでしまったのです。だから色々変なところもあるでしょうが気にしないでください」
「本当に記憶障害かよ! ていうか原因意味分かんないし!」
つっこみを入れていると神人が最後の一口を食べ終わる。
スプーンを空になったグラスに入れて口元についたクリームを手で拭う。
「ふぅー食った食った」
「おっ、早いな食べ終わんの。これで後は……学校だよ。なあ学校、隼なんでここにいんの? 私達はもう行くけど?」
オレンジジュースはとっくに飲み干しているし、神人も巨大パフェを食べ終わった。何の目的もない場所に長く留まる必要もないので神奈は出ていくことを告げる。
「舐めるな、今頃別の俺が授業を受けているはずだ」
「何それどこのドッペルゲンガー?」
意味の分からない発言は置いておき神奈と神人は席から立つ。
注文品の代金をテーブルに置いて、二人が出て行こうと席から離れたとき速人が口を再度開く。
「おい神谷神奈。お前いつも右手首につけている『 』はどうした?」
「はい? うーん、私右手に何もつけてないけど……つか今何て言ったんだよ。さっきのテンさんもだけど二文字分くらい全然聞き取れないんだけど」
聞き取れなかったと分かった速人は小さく舌打ちして呟く。
「……耳鼻科行け馬鹿」
「聞こえてるかんな! 急になんだお前!」
別に耳が悪くなったわけではないのでアピールはしておく。
歩いて店を出て行った後。窓ガラスを外から見て二人の様子を覗くと、少し深刻そうな表情になって何やら話していた。
テン「……神奈さん、やはり私のことを覚えていないんですね。でも大丈夫、きっと私が思い出させてあげますから。隼さん、一緒に神奈さんの本当の記憶を取り戻しましょう。私に考えがあります。きっとあれを再現すれば、二人の愛で封印された記憶が元に戻るはずなんです……。次回『 』――君のいない世界3――」




