370 『 』――君のいない世界1――
神奈は夢を見ていた。
前世で両親が事故死して一人になって、親友になれたかもしれない少年とは仲違いする。もう過ぎたはずの過去を体験している状態なので夢であるはずだ。
明晰夢。今が夢と認識していながら見続けている夢。
仮に明晰夢ならある程度自由が利くはずなのだが神奈の意思は何も影響を及ぼさない。ただ過ぎ行く時を体験し続けるだけで、辛く後悔している前世の記憶が隅々まで再度脳に焼きつく。
嫌な夢だ、そう思った。
明晰夢の内容が今世へと移行する。
一応の親である上谷周達に申し訳なく思いながらも自分が転生者だということを話した。それにあまり驚かず父も母も受け入れてくれた。そういったところは今世で最初から縁に恵まれていたと感じさせる。
それから小学校に通い、色々な出会いがあった。
前世の記憶がある以外平凡で、少し容姿がいい程度しか取り柄のない神奈にはもったいないくらいの良い友人達。今度こそ人との繋がりを大切にすると決意して過ごしていく。
良い夢だ、そう思った。
そう思ったはずなのになぜか何かが足りない気がしてならない。でも何が足りないのか靄がかかったように思い出せない。きっと勘違いだと神奈は考えるのを止める。
そして――現実で両目が開かれた。
「良いのか悪いのか、まったく訳分かんない夢だったな」
そう言ってベッドで上体を起こすと嫌な予感が頭を駆け抜ける。
明晰夢なんて珍しいものを見れたのは別にいいことだ。しかしそんなぐっすり眠ってしまっていたということは、学生の朝として危険なものである。
「今日、何曜だっけ……日曜だよな? そうだよな、昨日が日曜だった気がするけど二回目が来ることもきっとあるよな? 断じて月曜じゃないよな? そうさ、きっと今日は奇跡の二連続日曜日さ」
ベッドから床に足を着けて立ち上がると大きな窓へ歩いて行く。
窓の外からは眩しいくらいの太陽光が入っており、目を細めながら外を覗くと学生が登校しているのが見える。
「朝からコスプレイヤーが学校指定制服を着て何をしてるんだ、学生ごっこか? へっ、わざわざ日曜にご苦労なこって。まったく奇跡的な二連続の日曜にいったい何してるんだか」
窓から離れてベッドへ戻ろうとする神奈は立ち止まる。
壁にあるカレンダーをジッと見て、昨日の日付の数字が赤いことに注目する。日曜日なのだから赤い、このカレンダーでは当たり前の色だ。では昨日が赤いのに対して次、つまり今日の日付は赤いか否か。当然黒である。
「……うん、月曜だよね。普通に考えて」
神奈は苦い顔で現実を直視した。
「二連続で来る日曜ってなんだよ。明らかに現実逃避じゃねーかよおい、普通に今日学校だよ、そして遅刻だよ。なあおいなんで起こしてくれなかったんだよ」
そう言いながら自身の右手首辺りを見やる神奈だがそこに変わったものはない。自身の細めの右手首があるだけだ。
「……私、誰に話してんだ? あーもう、寝ぼけてんのかなあ」
ただでさえ癖があるのに寝癖が追加された黒髪を弄り、後頭部を掻いていると階段から誰かが上がる音が聞こえてくる。
足音だけでは誰か分からないので警戒する。張り詰めた表情で自室の扉を注視していると、ゆっくりと扉が開かれた。
「神奈、起きてるー?」
黒い長髪。優しさが滲み出ている穏やかな表情。土色の長袖シャツと若緑のロングスカートを着用しているその女性。
紛れもなく部屋に入って来たのは母である――アイギスだ。
目にした神奈の警戒していた心と表情は緩んでホッと息を吐き出す。
「なんだ母さんか、脅かさないでよ」
「普通に声を掛けただけでしょ? もう起きてるなら一階に下りてきなさい。今が何時だと思っているの?」
「そう思うならどうして起こしてくれなかったんですかね。いつもはちゃんと起こしてくれるじゃん、どうして今日は起こしてくれなかったのさ」
「何言ってるの、私は一度もあなたを起こしたことがないでしょ。ある程度子供を自由にさせるのが我が家の方針だからね。まあ寝ぼけてないで早く着替えて下りてきてよ」
部屋からアイギスが出て行った後、神奈は違和感を覚える。
なぜ一階から人が来るのにああも警戒してしまったのか。普通は下にいる両親のどちらかが上がって来たのだと推測出来るはずなのに、まるで家に誰もいないのが当前のように思ってしまっていた。
違和感は一つではなく、もう一つが神奈の思い込み。
いつも登校する朝などは誰かが起こしてくれていたとなぜか思い込んでいた。アイギスの言う通り一度も家族が起こしてくれたことはないというのに、まるで誰かに起こしてもらえるのが当然のような気でいた。
「……今日、なんか寝ぼけてる時間長くないか?」
そう神妙な顔で呟くと神奈は、壁にハンガーで掛けてあった高校指定制服へと寝間着から着替えるため動き出した。
寝間着姿から伊世高校の指定制服に着替えた神奈は、一階へと下りてリビングにて朝食をとっていた。
四人席テーブルのうち埋まっているのは三席。神奈にアイギス、そしてスーツ姿の上谷周である。どこか違和感を覚えた神奈だが無視して朝食を食べ終える。
食べ終わってから神奈はすぐに登校支度をして玄関へ向かう。見送りなのか両親も玄関へ着いて来た。
「神奈、学校生活はどうだい? 楽しくやってるかい?」
「やってるやってる。てか父さん普通に遅刻じゃね」
「問題ないよ、なんか今日は休みになったからね」
「なんかってなんだよ、会社の事情ちゃんと把握しとけよ」
親子でよくある世間話をしながら神奈は玄関で靴を履く。
二足履いた神奈は立ち上がり、傍に設置されている姿見で身だしなみチェックを行う。寝癖がついているが普段から多少癖のある髪なのであまり変わらない。
「相変わらず癖毛ねえ、誰に似たのかな。私も周さんも癖毛じゃないしねー」
「こういうのって聞いたことがあるな。ああそうだ、動物とかのニュースでたまに見る突然変異ってやつじゃないかな」
「そんな突然変異あってたまるか。嫌すぎるわ」
身だしなみチェックを終了させた神奈は二人に向き合い、いつも通り挨拶をして出発しようとしたその時――頭に一つの映像が流れてくる。
変わらない自宅だが出発する際に少女は何も言っていない。代わりに誰かと話しながら玄関の扉を開けて出ていく映像。右手首だけがなぜか霞んでいる少女は紛れもなく神奈本人だ。
突然流れてきた映像によって硬直した神奈は顔を青褪めさせる。
悲しそうではなかったが両親がいない生活など辛いものだろう。もし自分がそうなったらと思うと前世の両親のことを思い出してしまい無意識に体が震える。
「神奈? どうしたの?」
「……あっ、いや、何でもない」
体の震えはすぐに止まった。青褪めた顔も元に戻った。しかし心の隅にしこりが出来たような違和感はなくならない。
「何でもないようには見えなかったけど……」
「そうだね、顔色が悪かったし震えていた。どこか体調が悪いなら無理して学校に行く必要ないんだよ? 学校にはなんか調子悪そうだからとか言って連絡するから」
「ふわっとした連絡に突っ込まれるの面倒だからいい。それに体調悪いわけじゃないし、心配しすぎだよ二人共。私が風邪とか引いたことないの知ってるでしょ、至って健康体だよ」
「……ならいいよ。でも本当に具合が悪かったら言うんだよ?」
アイギスの心配そうな声に神奈は「分かってる」とだけ短く返す。
どう言葉にしていいか分からなかったのだ。まだ漠然とした不安のようで上手く言葉に出来そうにもなく、戸惑いの強い今では言葉以外でも伝えられそうにない。誰にも相談出来ない。
『神奈さん、何かあったら何でも言ってくださいよ。私と神奈さんは絆で結ばれたパートナーなんですから、何でも来いです!』
相談出来ないと思った時、不思議な声が聞こえた。
どこか心地良くなるのと同時に不気味にも思う。反応してあまり心配をかけるのもどうかと思うので神奈は早々に登校することにする。
「それじゃあ父さん、母さん、いってきます」
「「いってらっしゃい」」
二人の挨拶を背に受けて神奈は玄関の扉を開けて家を出る。
早く学校に行こうと走り出し塀ブロックの壁横を駆け抜けたところで、塀ブロックに寄りかかっている少年から「待て」と止められる。
「お、お前……神人?」
少年の名は神神楽神人。神奈の前世で関わった親友になれたかもしれない男であり、今世で再会した強い繋がりを持つ者だった。
テン「神神楽神人……前世の名前は咬座真人、神奈さんが友達になれなかった男。かつて死亡したはずですがなぜここに……。さて、神奈さんに優しいこの世界。本当の記憶を取り戻すトリガーになるのは彼なのか、それとも私なのか……。次回『 』――君のいない世界2――」




