369 潜入――夢と精神の世界へ――
「……というわけだよ」
緑豊かな草原にて景色からは考えられないような絶望的な状況の最中。
神音は元の世界から、状況を少しでも変えられるだろうと思い隼速人を召喚していた。もちろん単純な戦力としては心許ないので戦わせる気などないが、夢世界へと閉じ込められた神奈だけでも助けられないかとあれこれ思索したのだ。そうして悩み抜いた結果召喚した速人へ大まかな事情と展開を話して聞かせていた。
「色々と一気に話してしまって悪かったね、君のキャパシティーは大丈夫かい? まあでも元の世界のことも気になるだろうけど今はこっちに集中してくれ。どうやら私達の世界にいる奴等は光天使などに滅ぼされはしないらしい」
異世界すら見通す禁術で状況を把握した神音は安心させるように話す。
当初こそ光天使という異質な存在と強さに驚きこそしたが、神音達の世界にはそれらと対等に渡り合える程の実力者達が少なからずいるのだ。現地人と転生者、誰だろうと自らの世界のために戦っている。
「……そうか、あいつでも負けたのか」
突然呼ばれたにもかかわらず説明を早く呑み込んだ速人は呟く。
色々と理解が及ばない点もあるが最悪な状況ということはしっかり理解している。
「転生云々についてはどうとも思わないかい? 人生二回目なんて言わばズルみたいなものだろう。もし彼女が神の系譜でなければ、転生者でなければ、君は彼女に勝てていたかもしれないよ」
意外にも転生関係の話を聞いた速人は落ち着いていた。
神音の言う通り、転生者達の実力は一度目の人生をプラスしたもの。チートだのズルだのと非難されてもおかしくない、神の系譜ともなれば尚更だろう。ずっと速人は与えられた力を振りかざす存在に勝負を挑み続けていたのだ。
「……かもしれないが、奴は奴だ。俺は奴の前世とやらを知らん。俺にとって神谷神奈は神谷神奈でしかなく、どこまでいってもライバルであり続ける。俺達はそういう関係だ、これからもな」
「君のように努力していたわけじゃないのにかい」
「当然、一生変わらないと信じている。それに努力をしていないわけじゃないぞ。奴は奴なりに頑張ってきたことを俺は知っている」
「本当に羨ましくなる関係だね君達は。……さて、話を戻すけど」
元々転生云々の話は前置きにすぎない。重要なのは由治の目的と強さ、そしてこの絶望的な状況についてのみ。
現状神奈が気絶したうえ精神世界に閉じ込められ、ゴッデスは戦意喪失。神音が戦おうにも実力不足。何やら関係があるらしい腕輪は痛みで喘ぎ続けている。圧倒的な力を持つ由治に対して有効な対処法が未だ見つからない。それでも神音が自身より遥かに弱い速人を召喚したのには理由がある。
「君には神谷の閉じ込められた世界に入ってほしい」
「精神世界のようなものにか。俺が入って連れ戻せとでも?」
「そうだ、強い絆のある君になら出来ると思ったんだ」
「お前が絆とやらを口にするとはな……いやお前だからか。まあいいだろう、奴をあのままにはしておけん。助けられるというのなら協力してやる」
夢世界がどういったものなのか二人は想像もついていない。もしかしたらおどろおどろしい世界かもしれない、もしかしたら平和で楽しそうな世界かもしれない。結局生物によって変わるのでどういったものか想像しても意味がない。だが心に強い衝撃を与えることが出来れば脱出させることが可能だと、神音は確信している。
問題はタイミングだ。由治が易々と侵入させてくれると神音は思えない。
寸分の隙すら見逃さないよう慎重に二人は神奈達の様子を窺い続ける。
「うっぐはあっ……ぐうあっ……あがっ……」
腕輪は相変わらず苦痛に悲鳴を上げている。
「ぐう……うああ……あああああっ!」
「抵抗するも汝の自由だが受け入れろ。我との記憶を思い出せ」
「はぐうあっ……があうあっ……くうぅ……」
「なぜそうも抵抗する? 別になんら害はない、早々に浮上する記憶を受け入れた方がいい。そうしなければいつまでもその痛みが続くのだから」
「ごおっ……くかはっ……ぐ、ぐう、ううう」
「いつまで苦しむのか自由の加護で受け入れる時間を調べよう。汝の記憶が戻る時間は……その、時間は……もう過ぎている!? 汝、テン! 汝はもう我との記憶を思い出しているな!?」
「……まあさすがにバレますか。所詮時間稼ぎですし」
先程までの苦しみようが嘘のように腕輪は態度を急変させた。
「なぜだ、なぜ思い出したのに何も言わなかった。ああも苦しむ演技をし続けることになんの意味があるというのだ」
由治には分からなかったが神音は何となく察する。腕輪は腕輪なりの方法で由治が次の行動に移るのを遅延させていたのだと。
「時間稼ぎと言ったでしょう? 記憶が戻るまで由治さんは次の行動に移れない。神奈さんへの攻撃も、全世界の生命を死へ導く方法を行使することも出来ない。それまでに何かが起こるかもしれない。こんなところですよ」
説明により全員理解したが由治だけは納得出来ない。
不気味なほどに動かなかった表情が僅かに不快そうに歪められる。
「なぜだ、なぜ……テン、汝のパートナーは我だろう? なぜこの少女を助ける必要がある? この少女にいったいどんな価値がある?」
「確かに私のパートナーは由治さんです、今もそれは変わらない。でも、今では神奈さんも私の……大切な人です。彼女をこのままいつ目覚めるかも分からない世界に放置するつもりはありません。お願いですから助けてあげてください」
由治の表情がもっと歪んで不快を露わにする。
見守っている神音はその変化で表情を恐怖に染めた。
「却下だ、我はこの少女を起こさない。たとえ汝の願いでも聞き入れられない」
「それなら私を夢世界へ送り込んでください。私が連れ戻します」
「却下だ、テンへの気持ちを確かめるための夢世界だというのに汝が入ってどうする。……そっちにいる隼速人ならば許可しよう」
唐突に話に出された速人は眉を顰め、神音は「いいのかい?」と問う。
隙を窺うも何もなく普通に許可してくれたのだから疑いたくもなる。神音としては罠の可能性も考えたが、わざわざ由治が罠を仕掛ける必要もないので結局分からなくなる。
「言っただろう、神谷神奈を閉じ込めた世界はテンの存在しておらず、それでも偽りの幸福溢れる世界。テン以外が入り込むのなら何も問題ない」
「それなら――私を元の姿に戻してから送ってください」
由治の顔に出ていた不快の感情が掻き消えて驚きに変わる。
「神奈さんが知っているのは万能腕輪として過ごしてきた私のみ。元の姿、腕輪に変えられる前のテンとしての姿を彼女は知りません。これなら夢世界に影響はないはずです」
「……戻りたいと思うのは汝の自由。しかしその姿に変えた理由を汝は理解しているはず。それでも我に戻せというのか」
「どうせ遠くないうちに死ぬつもりなんでしょう? だったら妻本来の姿くらい目に焼き付けておいたらどうです?」
また表情を消した由治はしばらくして「いいだろう」と告げる。
神音と速人が妻という単語に困惑しているなか、腕輪が白い光に包まれて神奈の右腕から外れる。そして空中でさらに白光が眩くなり広がっていく。
十秒もの間光り続けた場所で――腕輪の代わりに女性が佇む。
胸上から太ももまでの短めの白いワンピースを着ており、背中には蝶々のような形の長いリボンがついている。膝上から下は薄紅の二―ソックス。靴はワンピースと同色でシンプルなもの。衣服で隠していない部分は透き通るような白い肌。艶のある滑らかな黒髪は風で優雅に靡く。
その女性――テンは由治に向かって優しく微笑んだ。
「……やはり、その姿がいい」
「ありがとうございます由治さん。でも腕輪の姿に変えた理由を知っているからこそごめんなさいと思う気持ちもあります。元に戻すことにかなり葛藤していましたもんね」
由治も軽く微笑む。神音はそんな二人がなんとなく仲睦まじい夫婦に見えた。
しかしすぐに笑みを消した由治は速人の方へと視線を向ける。
「……では、隼速人。汝を神谷神奈の夢と精神の世界へと送ろう」
「ちょっ、ちょっと由治さん? 私は?」
話が違うと焦ったテンが口早に問いかけた。
視線を戻した由治は何も思うことがないのかあっさりと返答する。
「仮に神谷神奈が目覚めたとして我に影響などないのだから、テンを送る意味はない。それよりもどこか別世界にいる管理者達を見つけ出し、神の加護と共に吸収して真の神として進化する方が重要だ。そして晴れて神になれたとき、我は神の権限によって同時刻、全世界の全生命に死を与える。当然我も、テンも死ぬ。輪廻転生する対象が何もなければ誰も生まれ変わらない。さあテン、共に計画を進めよう」
完璧な計画だとテンは思う。何一つ穴がないし、成功させるだけの力もある。
転生しない完全な死を自由とする由治は不老不死。どう足掻いても死ぬ手段などないとテンは思っていたが、仮に死ぬとすれば結局輪廻転生で新たな生命へ魂が移るだけだ。しかし転生する生命が生まれなければ、ありとあらゆる世界の生命が同時消滅したとすれば、輪廻転生不可能となり魂も消滅する。
今は存在しない神の力は万能。自由の加護を超えた力を持つ神ならそんな馬鹿げたことも可能になる。だが神はおらず、神たらしめる八つの力は分離して、七つは管理者に宿っている。つまり管理者全員の力を強奪し、残る一つの加護を吸収しなければ神にはなれない。
本来なら不可能だが神代由治の実力なら確実に実行出来るだろう。
恐ろしい計画だとテンは思うが同時にその説明がヒントにもなった。
要は由治は完全な死を目指している。転生もしない完全な死は神になるしか道がなかったということだ。しかしテンはそれ以外に目的を達成出来る道を思いついた。
「……じゃあ、神奈さんが由治さんを殺せるとしたら?」
由治は一瞬反応が遅れて「なに?」と返す。
「不可能だろう、神谷神奈では我を殺せない。仮に我を殺せたところで転生してしまう以上、我が神になるしか完全に死ぬ方法はない」
「いいえ断言します。彼女なら由治さんを転生させることなく殺せます」
「そこまで言うのなら根拠があるのか。神谷神奈は我に負けたのだぞ」
「ええ、ありますとも。だって神奈さんは……」
テンは根拠を語り、聞いていた由治の目の色が変わる。
話が聞こえてきた速人は何の話か分かっていないが、神音は目を見開き驚愕を露わにしている。それだけ驚くべき事実がテンの口から語られた。
それが本当なら由治は神奈を殺さなければならない。
「なるほど、それなら多少期待出来そうではある。いいだろう、テン、汝も夢と精神の世界へと送ろう。だが長時間待っても彼女が目覚めなかった場合は強硬手段に出る」
「構いませんよ。だって私と神奈さんの愛は無限大ですからね! 私が存在しない世界でも、必ず私を思い出して目覚めてくれますとも!」
グッと拳を握ってテンは笑顔で言い放った。そして速人の方へ振り返る。
「さあ隼さん、行きましょう! ザ・スピリットワールドへ!」
展開についていけない速人はここまでの流れをあまり理解していない。精々が夢世界に向かって神奈を目覚めさせなければならない程度だ。それだけ分かっていれば十分ではあるのだが難解な説明で放心しかけていた。
話しかけられたことで速人は「ん? あ、ああ」と歯切れ悪く答える。
「頼んだよ隼。腕輪……いやテンの話が事実ならこの件は解決するかもしれない」
「……ああ。あいつを早く起こさんとな」
詳細を理解していない速人は気絶したままの神奈を見つめた。
全容を理解していなくとも助けたい気持ちだけはある。テンと同じく、速人にとって神奈は大切に思える存在なのだから。
「待っていろよ寝坊助。俺が斬り起こしてやる」
ふと呟かれた言葉を聞き、神音は斬り起こすってどういう起こし方だろうと思う。自分で呼んでおいて人選を間違えたかもと若干の後悔が生まれた。
テン「えっ、腕輪はって? やだなぁ私ですよ私、私が万能腕輪ああああですよ。これからは私ことテンが次回予告を担当させていただきます。しかしテンションは変わりませんよ! 次回『 』! 美女に大変身した私が今迎えに行きますよ神奈さん!」




