363 絶望――腕輪争奪――
突然敵がいなくなった空間で神奈は神音に語りかける。
もし逃げたのなら、この場合逃げたというより見逃されたのだろうが追わなければならない。たとえ勝ち目がなかろうと由治という最大の敵を止めるため動かなければいけない。そんな思いで神奈は神音の肩を掴んで、名を口にしながら軽く揺さぶる。
「神音、神音しっかりしてくれ! あいつを追うために異空間でも移動出来るあの魔法を使ってくれ!」
「……無理だ。あれは止められない天災、私達のような一介の人間が止められるような存在じゃない。奴は復讐だとか、世界征服だとか、その程度の野望で動いているチンケな者じゃないんだ。いくら君でも今回ばかりは無謀と言わざるを得ない」
禁断の魔導書に載る理想郷への扉という魔法ならどこだろうと移動出来る。神奈はそれを使用してくれるまで説得を諦めない。
「それでもやるしかない。このまま全員死ぬまでジッとしてるなんて私は嫌なんだ。死ぬならせめて悪足掻きでもいいから必死に戦って死にたいんだよ」
「でも……それでも……」
神音の態度は煮え切らない。何かを躊躇している様子であった。
「神よ、あぁ神よ。どうか、どうかご返事を……」
「おおい、お前もずっとそうしてないで力を貸してくれ! この際お前でもいい、早く私をあの男の元へ!」
俯いて座り込んでいるゴッデスに叫ぶもこちらに関しては反応すらない。
そんな風に説得を試みている神奈、いやその場に残されていた三人が視線を一点に集中させる。
強大な力を感じ取ったのだ。突如現れた黒い渦のような穴から勢いよく由治が吹き飛んできたのを見て、三人は由治が現れたから力を感じたのだと理解した。
「あの偽獣人め……」
無様にも転がった由治は蹴り飛ばしてきた和猫に若干の怒りを覚えつつ立ち上がる。
「……神代由治」
突然現れた由治を警戒して神奈は睨みつける。
「まあいい、結局は順番が変わるだけだ。こうなればテンを先に取り戻す」
両者の視線が交錯し数秒見つめ合う。
張り詰めた緊張の中ふと神奈が瞬きをした瞬間、二人の距離はあっという間に縮まった。唐突に間合いに入られたことで神奈は恐怖で顔を歪ませ、それでも悲鳴にも似た叫びを上げながら超魔加速拳を繰り出した。
超魔加速拳は見事に由治の胸部へとクリーンヒットした。とはいえ実力差がありすぎてノーダメージ。巨大な要塞でも殴ったような感触に神奈も歪んだ表情のまま引きつった笑みを浮かべる。
「今のはいい一撃だった。汝より二倍近い戦闘能力値を持つ相手でも倒せるだろう。しかし倒れるも倒れないも我の自由」
「ほんと、どうすりゃいいんだよ……」
もう苦笑いするしかない程の実力差だ。今までも強い相手こそいたがここまで絶望的な相手はほとんどいなかった。
そんな相手へ我に返ったゴッデスが向かっていく。
「神代由治! 神々に何をしたのです!」
「もはや汝はどうでもいい」
由治は向かってきたゴッデスを見もせず裏拳で殴り飛ばす。そして気絶した彼を気にもせず由治は神奈へ問いかける。
「さあ、そろそろ我にテンを返してもいいのではないか?」
「テン……腕輪のことか。何度言われても、私の答えは変わらないぞ」
上擦った声で恐怖に耐えながら神奈は答える。由治がそれに対していい顔をしないとしても意思を曲げるわけにはいかなかった。
腕輪は今世で残った一人の家族。これで腕輪自身が望むのならともかく、由治が身勝手に奪おうとしているのなら渡すわけにはいかない。
「汝は本当にテンを必要としているのか?」
「あ、当たり前だろ! お前の方こそ必要なのかよ!?」
「当然だ。テンは我の妻なのだから共にあるのが必然だ」
「おいお前結婚してることになってるぞ」
「いやいや私全然記憶がないんですけど」
腕輪の発言に由治が「何?」と不思議そうに呟く。
「まさか我との思い出を覚えていないというのか……」
「お前記憶消したって言ってなかったっけ」
「……そうであった。では思い出させよう」
神奈と腕輪が「え」と間抜けな声を出す。
先程の戦いを見ていれば何でも出来ても不思議ではないが、あっさりと消した記憶を蘇らせると言われれば目を丸くする。
「うっ、あああああっ! 頭が、頭がああああ!」
「腕輪……! おいどっかの大佐みたいになってんだけど何をしやがった!」
「言っただろう、思い出させると。今テンは我のことを思い出している途中だ」
「神奈さん、バルスです……! あの滅びの呪文をおおお!」
「おいわりと平気そうだな。心配して損したわ」
まだふざける余裕があると分かり神奈はジト目で見やる。だがすぐに視線を由治へと戻して睨みつける。
余裕があるとはいえ腕輪に痛みを与えているのは確かに目前の強敵なのだ。神奈にもっと力があれば速攻でぶん殴っているところである。
「汝はテンが大切だと言ったな」
「ああ、それに何よりこいつが嫌がっているから絶対渡さない」
「そうか、では本当に大切に思っているかどうか――我が試そう」
ふと気がつけば神奈の額に由治の人差し指が当てられていた。
高速の動きに目を見開いて驚愕する――暇もなく神奈は目を開けたまま背中から倒れた。
「神奈さん!? ぐううっ、由治さん! いったい何をしたんですか!」
「知れたこと。今この少女の精神を夢へと閉じ込めた。もし本当にテンのことが大切だというのなら戻って来ることが出来るだろう」
倒れた神奈を見て焦燥感に駆られたのは腕輪だけでなく、神音も現況を認識して焦り立ち上がる。すぐに召喚の魔導書を一瞥して行動を起こそうとするが、由治から視線を向けられて「うっ」と掠れた音を口から漏らす。
「邪魔するのは汝の自由。だが今頃、汝らの世界には我の生み出した光天使が暴れている。生命を絶やすまでアレは止まらないぞ」
「なんだって……! くっ、状況を確認しなければ。〈遠距離視認〉
次元の壁すら越えて遠距離の映像を視界に映す禁術を発動した神音は目を見開く。
右目にのみ映る地球での映像。そこには全身に光を纏う美しい天使総勢五百体が映し出されていた。
腕輪「…………次回『光天使出現』」




