358 前日――自由の使徒――
十二月二十五日とは何の日か。
クリスマスと答えるのが一般的だろう。年に一度しかない特別な日であり、プレゼントを貰える子供達は大喜びするはずだ。しかし神谷神奈にとってその日はクリスマスだけでなく、自身の誕生日というこれまた年に一度しか訪れない特別なものである。
誕生日といっても上谷周がそう決めたもので、実際のところ何日が誕生日なのか神奈には分からない。古代で実母が自身を産んでくれた正確な日にちなど全く知らないのだ。
「ねぇ神奈さーん、約束しましたよねえー」
そんな特別な日を明日に控えているというのに気分は上がらない。
古代での活躍から三日後の現在になってから、思い出したかのように右腕につける腕輪が絡んでくるのである。内容はといえば神奈が帝王を倒す際、何でも一つ言うことを聞いてやると腕輪へ言い放ってしまったことだ。
自宅のリビングにあるテーブル席に座っている神奈は窓を眺めていたが、絡んでくる白黒の腕輪へと怠そうな目線を向ける。
「まあ、言ったけど。なんだ、何を頼むつもりだよ」
「功労者の私になんですその、うっわあめんどくせえって感じの目。私がいなければ帝王を倒すことなど不可能だったはずです。MVPといっても過言ではない私に対して態度というものがあるでしょう」
「いや感謝はしてるけど面倒なの。だってお前絶対碌な頼み事しないじゃん。言っとくけど情報の管理者とやらに願ってたあれは私じゃ無理だからな」
古代にて出会った情報の管理者に腕輪は一度、人間になりたいという無茶な願いを告げている。分かりやすくするならテレビを人間にしてくださいと願うくらいの無茶振りだ。
「分かっていますよ。もちろん神奈さんに頼むのはもっと簡単なこと、今すぐにでも実行に移せることなんですから」
神奈は「ほんとかよ」と懐疑的な目になる。
八年以上と長い付き合いになるが腕輪の願いなど見当もつかない。まだはっきりと人間になりたいと願われる方がモヤモヤしなくて済むだろう。
「私のことをこれから……」
ごくりと神奈は息を呑む。
活躍したことを鼻にかけて閣下と呼べとでも言うつもりなのか。それとも様などの敬称をつけろとでも言うつもりなのか。どう転んでも約束をしている以上限度を超えないものなら実行しなければいけない。
「あーたん、はふはっふうぅヒャッハー! と呼んでください」
「予想を軽く超えて来やがったああ!」
まだ敬称をつけろと言われた方がいい。様やさんなどの敬称ならまだ神奈だってノリで言えたかもしれない。だがさすがに指示されたものは格が違いすぎるというか、頭が熱でおかしくなったオタクでさえ確実に頭おかしいと断言するようなレベルなのだ。そしてそんな呼び方をするのを義務付けられると二度とシリアス展開に入りきれない。
「さあ神奈さん、どうぞ」
「どうぞじゃねえよ! なんだそのふざけた呼び方、お前それでいいのかよ! ニックネームにしたって限度があるわ!」
何も知らない人前で話しかけることはあまりないにしても、笑里達の前では普通に話すことがある。その際にそんな呼び方をすれば一気に頭のおかしさを心配されることだろう。
「えー、ああそれならヒャッハーはなくしてもいいです」
「そんなのあってもなくても些細な問題だよ! おい私絶対に呼ばないぞ。だいたいさ、あーたんってなんだよ、はふはっふうとかも含めてどっから来たんだよ」
「私の名前ですよ。ほら、万能腕輪ああああって……もしかして神奈さん忘れてました?」
神奈は気まずそうな表情で、真冬だというのに汗を垂らしながら顔を逸らす。
「あー忘れてた! 神奈さん私の名前忘れてたあ!」
「……そろそろ昼飯にしよう」
席を立ち上がって台所へと神奈は歩き出す。
「ちょっと誤魔化す気満々じゃないですか! ほら約束したでしょ、呼んでくださいよ! なんならあーたんを取ってもいいですから!」
「一番取ってほしいのはそれじゃないんだよ。ていうかそこ取ってもいいのかよ」
あーたんはふはっふうぅヒャッハーから最初と最後をなくすと、もはや腕輪要素ゼロ。せめてなくすなら冒頭以外だろうと神奈は思う。
真面目な話、本気でそんな呼び方をするのは羞恥に悶えることが用意に想像出来てしまい、最低だとしても約束を破りたくなっているのが今の気持ち。しかし一度だけ、本当に一度だけなら我慢して呼んでもいいかと思う自分もいる。
「はぁ、神奈さんにはがっかりですよ。こちらが妥協しているというのに。変なプライドを持っているからこんな簡単なことも言えないんですよ」
「なんだと、なら言ってやるよ。あーたんはふはっふうぅヒャッハー!」
怒りに任せた叫びから沈黙が降りる。
長い沈黙だった。およそ五分にも及ぶその時間で神奈はお湯を沸かしてカップラーメンに注ぐ。そして三分経過を知らせるタイマーの音がピピピピッと鳴り、完成すると同時に神奈は両手で顔面を覆って俯く。
「……死にたい」
「え、ああごめんなさい。ぶっちゃけ冗談だったんですが本当に言うとは思わなくて、約束の頼み事内容変更してもいいですか?」
「鬼畜! さっきまでの葛藤を返せ!」
カップラーメンを数分で完食し、腹も膨れたところで神奈は天井を見上げた。
天井を見たことに意味はない。人間意味のない行動をすることなど数え切れない程あるものだ。そういった行動をする理由は大抵暇を持て余しているからであるが。
「……はぁ、暇だな」
要するに神奈は現在暇なのである。
何もすることながく、ただのんびりと過ごすスローライフ状態。もちろんだからといって事件が起きてほしいわけではないがひたすらに暇が付き纏う。
「――暇なら、我と話でもしようか。転生者」
「暇でも、こういう潰し方は微妙なんだよな。不法侵入者」
天井を見上げるのを止めた神奈はゆっくりと首を真っ直ぐにし、向かい合うように座っている男性を鋭く睨みつける。
身に纏うは白のコート。雪のように白い髪は背中にまで伸びている。一見優しそうな顔の造形であるが瞳は光を一切映していない。女性のようにも見える中性的な容姿なのに瞳が美しさを台無しにしていて、生気を感じないため不気味な人形のようだった。
「我は神代由治。汝と同じく転生者だ」
「神の系譜か。で、転生者のあんたが何の用なわけ?」
これがただの厨二病患者なら対処も簡単なのだが本物だから困る。神の系譜は転生者の証であるし、何より神奈も測れない程の感じたことのないエネルギーを宿している。明らかに只者ではないと身に纏うオーラが教えてくれる。
「話というのは一つ、その腕輪について」
右手首につけている腕輪のことを指してそう言う由治。神奈は腕輪を一瞥して「こいつについて?」と困惑しつつ問いかける。
「その腕輪、テンというのだが……それは我のものだ。どうか返してほしい」
由治の言葉は神奈の困惑をさらに深める結果になった。
聞き間違いでなければ腕輪は由治のものらしいが神奈はそんな話を聞いたことがない。
「うーん、人、いや腕輪違いじゃないのか? こいつから聞いたことないぞ、なあ?」
「……うぇ? ええ、そうですね。私は由治さんのことを知りません。それどころか由治さんが来てから頭痛がして苦しいんですけど」
「お前腕輪だよね。頭なんてあるのかよ」
神奈のつっこみは置いておき、由治は動じることなく淡々と言葉を並べる。
「テンが覚えていないのも無理はない。なぜなら、我自身が記憶を抹消したのだから」
「記憶を……どういうことだ」
話の方向が穏やかではなくなっていきそうなのを感じて神奈は目を細める。
「我とテンは数百万年と苦楽を共にし旅をしてきた。だが意見の食い違いがあってな、一旦別れることにしたのだ。その際、テンが寂寥を味あわないように記憶を消した。ゆえに思い出せない」
何かがおかしいような気がした。
神奈の中でパズルのピースが組み合わないような引っかかりが生まれる。
「だから今さらやって来て渡せって?」
「そうだ。時間はもう十分経ったし我の目的も定まった。我はこれから大きなことに取り掛かるゆえ、そのためテンと一緒の時間を過ごしたい」
目前の人物すら映っているのか怪しい瞳を睨みつけ、神奈は由治からの提案を「嫌だね」と一蹴する。長い年月のわりに短い説明の中だけでそうさせるに値した。
由治は「なに?」と起伏のない声を出す。説明のときもそうだった、神代由治の言葉には何一つ感情が込められていない。抑揚すらない。もっとも神奈が一番気に入らないのは内容であるのだが。
「記憶を消したってのが引っ掛かったんだ。寂しくないように消したって言ってたけどさ、腕輪は一億年も倉庫に閉じ込められてたんだ。寂しいに決まってんだろ。たとえ誰かとの思い出を失くしたとしても、何もないからこそ生まれる感情だってある。本当に大切に思っているならそんなことするか?」
「信じるも信じないも汝の自由。しかしテンは連れていく」
「ちょっと神奈さん神奈さん、本人の意思ガン無視なんですけどこの人」
腕輪の言う通り、由治は相手の意見を尊重しているようでしていない。結局は全て自分本位で物事を進めようとしている。
今の腕輪が一緒にいるのは神奈なのだから、由治は互いに納得出来る条件を出したり妥協すべきだったのだ。しかしそうすることを視野に入れていない。ただ腕輪を返却してもらうという目的だけが浮き彫りになっていて、そのための順序というものを全く考えていない。
「話通じそうで通じないのは分かった。じゃあちょっと脇道に逸れるけど、お前の目的とやらはなんなんだ。さっき確かに目的は定まった、大きなことをやるって言ってたよな」
正直、ここまで話してみて神奈は由治が良い人間には思えない。こうなると目的とやらも碌なものでない可能性も高くなってくる。
「汝には寿命があるか」
「は、寿命? そりゃあまあ、今生きてるんだしあるだろ」
「そうか。では我は生きてすらいないことになるな」
口ぶりから事情はなんとなく察せる。神奈は「それって」と言いつつ目的とやらの方向性を絞っていく。
「我は不老不死。不滅の存在であり、偽りの自由に縛られし者」
予想通りとはいえ本当にそんな存在がいるのかと神奈は驚きの表情を浮かべる。
今まで神奈は再生能力を保持した者や不死に近い者に出会ってきた。吸血鬼は強い再生能力を持っていたが結局は死ぬ。悪霊だって肉体的には死んでいるが不滅ではない。大賢者も自分の時間を巻き戻して怪我をなかったことにするが即死なら死ぬ。帝王だって神奈の知らないところで消滅している。
過去を振り返ってみれば不老不死など噂話すら聞かぬ存在である。
「偽りの自由ってのはどういうことだ。不老不死なんて自由の塊みたいなもんじゃんか」
自分の時間を有限から無限にしているのが不老不死だ。やりたいことだけをして生きられる自由奔放な人生を送れるというのに何が不満だというのか。
「我のように生きなければ理解出来んだろう。不老不死は死なない、当たり前だがその当たり前が恐ろしい。それこそまさに自由を奪う鎖。生の終着点である死が訪れないなど地獄と表現するのも生温い」
「要するにお前は……死にたい、と」
神奈には理解出来ないが由治は「そうだ」と頷く。
不老不死でない神奈にとって死とは虚無。残された者達へ悲しみを植えつけるだけの終わり。それさえ誰にも訪れなければ、死別することで生まれる悲しみのない楽園が出来るとすら思う。
「だから我は死を自由とする。真の自由は死亡のみ」
確かに永遠を生きる者が生で苦しみ続けるのなら死も喜びになるのかもしれない。そう考えたところで神奈は嫌な予感というべきか、目前の不気味な人形のような男の目的を予想してしまう。
最低で最悪な予想。どうか外れてくれと願いながら由治の言葉を聞く。
「つまりこの世界、それだけにとどまらず存在している世界全てに生きとし生ける者に自由を与える。生命に死を、真の自由を与えるのが我の目的だ」
願うことに意味はなかった。由治の目的は結局神奈の予想通り、いやそれ以上に酷く身勝手なものだったのだから。
「……はぁ、悪いけど認めるわけにはいかない。今を生きて幸せだって奴らがいることを理解出来ないのか。そいつらの幸福を蹴ってしまうお前の目的は果たさせるわけにいかない」
「ですね、神奈さんらしいですよ。そんなに人生を閉じたいならそうしたい者だけが終わればいいのです。由治さん、あなたは間違っていますよ」
「そう思うも汝らの自由。しかし偽りとはいえ我の自由を奪わせはしない」
「力尽くでも、か。いいよ、相手してやる」
神奈は席から立ち上がりリビングを出て行こうとする。
家の中で戦うなど冗談ではない。一応元に戻せる手段があるとはいえ無暗に破壊していい場所ではないのだ。並大抵な強者とは格が違うように思える由治と戦うならば広い場所でなければいけない。そう思い神奈はリビングから移動しようと扉を開ける。
「表に出ろ。私が勝ったらお前は――」
扉を開けた神奈の表情は驚愕一色に変化した。
いつもなら扉の先は廊下だったはずだ。しかし今はどういうわけか見慣れた景色は欠片も存在せず、緑豊かで広大な草原が広がっていた。
腕輪「ついに現れた由治さんこと神代由治。神の系譜を持つ者同士の戦いが今始まろうとしています。果たして待ち受けるは勝利か、敗北か、それ以外の何かか……。そして戦場となった異空間に現れたのは……。次回『参戦』。次回もよろしくお願いしますね!」




