349 終戦――束の間の平和――
――帝王城前。午前五時頃。
神奈達が四神将及び帝王と激戦を繰り広げている間、城の前では大勢の村人と兵士が争い続けていた。
グレンの作成していた魔導武器のおかげで百人近い村人は持ち堪えているが、兵士の実力は各々かなりのもので秀逸な武器があっても苦戦している。
「ああああっ!」
「姉さん……!」
兵士の一人と戦っていたエイルは後ろで聞こえた悲鳴に振り返る。
右肩から左脇腹までばっさりと斬られたアリアが背中から倒れ、苦痛に顔を歪めて傷口を両手で押さえる。決して浅い傷でないそこからは赤い血が溢れ白い肌を侵食していく。サラシも斬られてしまったがそれに気付けない程に苦しんでいる。
しかし振り返ったエイルの判断は間違っていた。
敵との戦闘中に背を向けるなど斬ってくれと言っているようなものだ。案の定エイルは背中を斬られて「ぐああっ!」と悲鳴を上げ片膝をつく。
「大丈夫か!」
村の男の一人がエイルを攻撃した兵士を太刀で切り裂いて、怪我をした姉弟に声を掛ける。
「うあっ、痛い……ね、姉さん大丈夫?」
「くそっキリがないぞ。まだ終わらないのか、戦いは……」
息を切らした男が呟き入口を見やると何かが見えたような気がした。
朝日が出かけているので明るさはあるがまだ奥にいるのかよくは見えなかった。しかし確かに人影のようなものが視界に入った。
「まだだ堪えろおお! 新たな村長に無様な恰好を晒すわけにはいかんじゃろう!」
「村長、アンタ……」
「ふっ、儂はもう村長ではないと言ったはずなんじゃがな。そんなに儂に村長をやってほしいというのなら帰ってから再度赴任するかのう」
「……冗談。ほら背後に気をつけな!」
入口の奥にある人影らしきものは段々と近付いて来る。
何やら動きが不自然なものだが不思議と敵ではないと思えた。
「あいつらが、あいつらがきっとやってくれる! もうすぐ!」
「キリサメ! そう言ってから何時間経ったんだ!? もう俺達一日くらい戦ったんじゃないのか!?」
「そんなわけがあるか。まだ俺達は立派な朝日を拝んですらいないんだからな!」
朝日が昇ってきて薄暗い世界を眩い光で照らしてくれる。
日光が徐々に入口付近にも届き始め、中にいた人物達もその姿を全員に晒す。
「――止めろおおおおおお!」
男はようやく人影の正体を目にすることが出来た。
痛々しい傷を全員が負っているが間違いなくホウケン村の人間。一番前で大声を出して全員の動きを止めたのは、左足が切断されているため右足だけで立っている少年。
ホウケン村の新たな村長であるその少年――ハヤテは、背負っていた何かを戦場の中心へと投げつける。
その投げられた何かに全員の目が釣られ見開かれる。投げられて地面にドサッと落ちたのは人間であり、その顔は兵士達にとって全員が見覚えのある顔であった。
「て、帝王、様?」
「バカな……」
投げられたのは帝王カミヤ、その死体である。
動揺したその戦場にいる誰もがハヤテを注視する。
「無駄な争いはもう止めよう。帝王が死んだ今、無意味な血を流す理由などないはずだ」
ハヤテの後ろから三人の少女がやって来た。とはいっても一人は背負われた状態であるため二人だけが歩いているのだが。
神奈を背負ったエミリー、そして辛そうだが笑みを浮かべているサイハ。彼女達は無言でハヤテの背後で立ち止まる。
「――ここに、終戦を宣言する!」
刀身が折れている刀を天へと掲げ、ハヤテはそう言い放った。
* * *
「……ん……うぅ……?」
ホウケン村にあるエミリーの家。そこで多少癖のある黒髪の神谷神奈は目を覚ます。
トントントンと小気味好い音が響いているなか神奈が上体を起こすと、そのときようやく自分が布団で寝ていたのだということに気付く。寝起きだからか働きの鈍い頭で思い出そうとすると帝王カミヤとの一戦を朧気ながら思い出した。
「……私、勝ったのか?」
「ええ、勝ちましたとも」
独り言に返してきたのは右腕につけている白黒の腕輪。
神奈は「勝った……」と再び呟きながら、いつもと変わらない自身の右腕を見て目を見開く。
「治ってる……」
――突如、ガラスの割れる音がした。
バリンッとという音のした方へと振り向いてみれば、そこには床に落ちて割れた無地の皿と散らばったお粥。そしてそれを落としたと思われる、サラシとミニスカート並に短い腰巻きという露出度の高い服装をしているエミリーの姿。
「神奈……目が、覚めたんですか!?」
丸くしていた目が一度の瞬きで変化して涙を溢れさせる。
慌てた様子のエミリーが神奈の元へと駆け寄って両膝から床に下ろす。座ろうとしたとき滑るようだったので一気に神奈の鼻の先辺りに泣き顔がやって来た。
いきなり顔面が目と鼻の先にまで来たことに驚き後ろへ退こうとするも、座っていたこともありバランスを崩すだけであった。そのままでは倒れるところだったがエミリーに引っ張られて、抱きつかれることで支えられる。
「うっ、ちょっ、なに、私そんな心配されるくらいヤバい状態だったの?」
「だって……一日ですよ。丸一日起きなかったんですよ神奈は。心配するに決まっているでしょう?」
「あー、一日かあ。確かに心配するよなそれは」
激闘の末一日どころか数日寝込んだこともある神奈だが、感覚が麻痺していたことに気付かされた。いつの間にかこうした激闘の末なら一週間寝ていても普通なのではと思ってしまっていた。
「……それで、今どういう状況なんだ。私が勝って……戦いは終わった、のか?」
「はい。最後は意識が朦朧としていてあまり覚えていなかったんですが、ハヤテ曰くあなたが倒したらしいです。やはり凄いですよ彼は、左足を失ったうえあれ程のダメージを受けても意識を保っていたんですから。あ、もちろん帝王を撃破した神奈はもっと凄いですけどね」
ハヤテの底知れぬ精神力に驚かされた神奈は今後について考える。
そもそもこの時代に飛ばされたのはホウケン村を危機から救うため。その原因だと思われる帝王がもういないのだから救済ミッションは成功といっていいだろう。となると問題となるのはこの後についてしかない。
未来に帰るため時空超越機械生命体の作成をなるべく急ぐようキリサメに言ったといっても、彼がそれを作り上げるまでの期間は予想もつかない。本人が手詰まりと表現しているくらいなので一年、もしかすれば十年以上かかる可能性だってある。
「よかった。……後は帰るだけか」
ハッとしたエミリーは神奈を放し真剣な表情で向き合う。
「……やはり神奈は、ここを離れてしまうのですか?」
「そうだな、そうなる。この村は居心地良かったけどさ、やっぱり私は帰らなくちゃならないんだ。故郷じゃ友達も待ってることだしさ」
どんなに仲良くなろうと神奈は過去から未来へと帰還しないといけないのだ。
帝王城跡を共に探索していた才華、洋一が待っている。それにパンダレイの元には手遅れになる前に戻らなければならない。このまま顔見知り全員と別れるのは神奈としても耐えられない。
「行かないで、というのは私の我が儘です。でもそのうえで望んでもいいですか。神奈、どうかこのホウケン村から出て行かないでくれませんか? だってもう神奈は村の人間も同じなんです、大切な仲間なんです」
「……私も出来ることなら留まりたかったんだけどな。ここはご飯も美味しいし、みんな優しい。ちょっと田舎的な暮らしだけど私にはこれくらいが丁度いい。正直本当にいい場所だなってこの短期間で思ってた。……でもごめん、故郷のやつらを放っておくわけにもいかないんだ」
エミリーは「ですよね」と言って優しく微笑む。
内心エミリーとて分かっていたことだ。ホウケンのような辺鄙な場所にある村よりも、帰る場所があるなら故郷に帰りたく思う気持ちを理解出来る。
「じゃあ約束です。またいつか、この村に来てください。今度は最初から全力で出迎えますよ」
「剣を振り回してか?」
「そ、それは忘れてくださいよ。私も反省してますから」
少し茶化してエミリーを困らせた神奈の表情は暗くなる。
故郷、すなわち未来へ帰還するということはもうエミリー達とは会えなくなるということ。今生の別れになると分かっている以上帰ることに抵抗はある。
神奈は「……ごめん」と間を開けてから謝った。
もう会えないと分かるから、余計な期待を抱かせたまま帰るなど自分を許せなかったのだ。伝えることもかなり勇気が必要なことだが大事なことなので伝えるべきだろう。
「ちょっとなんで謝るんですか。私はもう剣を振り回して追いかけたりしませんよ」
「そうじゃない、そうじゃないんだ……。なあエミリー、馬鹿げた話だと思うかもしれないけど聞いてくれるか」
「はい、なんですか」
「私の故郷はさ、未来なんだ。帝王を倒すために過去へ送られてな。だから一度帰ったらたぶん……二度とここへは戻って来れない」
数秒程度とはいえ沈黙が訪れた。
信じてくれたのか、疑っているのか。おそらく後者だろうエミリーは困惑の表情になっており、口を開く寸前で弱々しい笑みを浮かべる。
「――知ってましたよ」
その予想外の答えに神奈は「え」としか声を発せない。
「ふふ、知っていたんです。といっても神奈自身の口から聞くまでは半信半疑でしたけどね」
神奈が喋るはずもないので既知の者が口を滑らせたことになる。もちろん未来のことを知っている者は少なく、神奈の心当たりは腕輪とキリサメしかいない。ジト目を向けてみるも腕輪から「私じゃありませんよ」と冷静に告げられて、消去法でキリサメの方なのだと決めつける。
「あいつ、こんなに口が軽いとは思わなかった……。後で一発ぶん殴ろう」
「あまりキリサメを責めないでください。神奈ともう会えない事実に私が耐えられるかどうか不安だったのです」
「ああそうだな。せめてデコピンくらいにしとくよ」
会話が途切れてから一泊置いてエミリーは口を動かす。
若干の笑みを浮かべていたエミリーの表情が嘘のように悲し気なものへと一変する。
「酷い話。……私、未来から云々の情報で余計神奈を帰らせたくないと思ってしまいました。たった数日ですけど、神奈と暮らしていると本当の家族のようで。なんだか両親のいたあの頃に戻ったように楽しく過ごせたんです。……もう、一人に戻りたくなかった」
「一人じゃないだろ。サイハもハヤテも、村のみんなもエミリーを支えてくれているはずだ。村の連中はお前のこと家族同然に思ってくれているだろうさ」
「分かってる、村のみんなのことは本当に大事ですよ。これからみんなとは離れたくない……もちろん神奈とも」
「そこまで私のこと好きになってくれたのは嬉しいよ」
二人の間に何度目か分からない静寂が訪れる。
しばらく見つめ合っていたが、エミリーが立ち上がって口を開いたことにより沈黙は破られる。
「ご飯食べましょう。丸一日食べていないし、寝起きだから胃に入りやすいお粥を作ったんですよ」
「……ああ、そこのやつか」
平たい皿に入っていただろうお粥は残念なことに床に散乱してしまっている。それに今まで気付いていなかったエミリーが神奈の発言により振り返ったことで気付く。
「ああああああ! ごめんなさいすぐ作り直すから待っててください!」
慌ててエミリーはお粥を再び作ろうと動き始めた。
こうして過ごしていると日常の良さを改めて感じられ、神奈は「平和か」と思わず呟いて柔らかい笑みを浮かべた。




