31.22 金の恨み
「――と、いうわけでさ。とりあえず侵略の脅威はなくなったよ」
神奈は隣にいる少女への語りを終える。ボリュームある藍色の髪がマフラーのように首に巻きついていて、垂れ目の下には黒い隈が存在を主張している。安っぽいワンピースを着て隣を歩いているその少女――夢咲夜知留は髪を弄りながら笑みを僅かに浮かべて「そう」と嬉しそうな声を零す。
日本政府直属の組織に所属している石橋が神奈の家を訪問した日の午後。
事情を話すために神奈はまず夢咲家へと向かい、現在夢咲を連れ出して銀行へと足を進めている。トルバ人の件についてはその道中で語り終える。
語ったのはいいのだが神奈は全てを話さなかった。
グラヴィー、ディスト、レイのトルバ人三人がまだ地球に残っていること。三人の正体。エクエスが襲来してきたこと。関係者には重要な話を全て省略し、神奈はただグラヴィー達と戦ってから侵略の脅威が消えたとだけ報告したのだ。
「やっぱり、神奈さんに頼んでよかった。これで平穏になったし今日から安心して眠れるよ。あー、また悪い予知夢を見なければいいんだけど」
神奈は隣を歩く夢咲に聞こえないよう「ごめん」と呟く。
夢咲の目の下にある隈は宇宙人の件を心配していたせいで、あまり眠れなかったことが原因で出来上がったものだ。エクエスとの戦闘はもう一か月以上も前なので早く報告すればよかったと反省する。
「それで、今日はどうして外出しようなんて言ってきたの? この報告なら私の家でも出来たのに。……もしかして、私の家が汚いからとか?」
「いや違う違う! 実はな……驚かないでくれよ?」
「もーう何なの? 宇宙人の一件があったし滅多なことじゃ驚かないよ」
床に穴が空いていたりするボロ家は神奈も少し嫌だったりする。
そんなことはともかく神奈は例の紙を夢咲に見せることにした。パーカーのポケットに入れておいた小切手を手に取り、夢咲へと「実はこれなんだけど」と言いながら手渡す。
「なんか地球を救った報酬として貰った小切手だ。ちなみに一億円」
「い、いっち、いっちおっくうううううううう!?」
「めっちゃ驚いてんじゃん! つうか怪しまれるだろ黙れ!」
叫んだことで通行人の視線が全て二人に向いている。
慌てて神奈が夢咲の口元を手で押さえて、やがて興味を失ったのか通行人は全員視線を外す。それにホッとした神奈は手を離して夢咲へジト目を向ける。
「ご、ごめんね。でも一億かあ、なんだか凄すぎて実感が湧かないね」
「だろ? でもさすがに私も取り分貰うからな。戦ったの私だし」
夢咲は「え」と目を丸くする。
「報酬、私も受け取っていいの?」
「何言ってんだよ当然だろ。最初に宇宙人の情報を教えてくれたのは夢咲さんなんだからさ。だいたい三割くらいあげるって」
「なんか正確そうな割合……」
情報提供者がいなければ何も始まらないとはいえ、神奈が戦わなければ何も終わらない。二人は互いに役目を果たしたといえる。
ただ、戦闘を行う方が明らかに重労働なうえ命の危険を伴うので神奈は取り分を多くした。仮に三割だと三千万円だがそれでも大金である。
「でも嬉しいな。ねえ、神奈さんはお金が手に入ったら何かしたい?」
神奈は「そうだな」と顎に手を当てて頭を回す。
小学生の身であるし、何より神奈自身の欲といえば魔法が一番。魔法習得には一応腕輪が助力してくれているため金は必要ない。精々が食べ物や玩具辺りにしか使い道がないだろう。
「美味しい食べ物食べたりかな。あと魔法少女ゴリキュアのグッズ買ったりとか」
「あー、ゴリキュアってやつのグッズは高いらしいね。まあ七千万もあればコンプリート出来るだろうけど」
「夢咲さんはどうなのさ。まずは家のリフォームとかどうよ」
彼女の家は床が抜けていたり木が腐っていたりと酷い状態である。三千万もあるなら改装して……というか建て直すことになりそうだが一軒家を建てたとしても金は余る。衣食住の中で余裕ある時に備えたいのは何より住であると神奈は思う。
「美味しい食べ物とかリフォームもいいけど、その前に家具とか揃えたいな。服も三着しか持ってないから欲しいし。本ももっと買いたい。あははっ、欲しいものとかやりたいことがいっぱいあって言いきれないかも」
「いいことじゃん。これを機に全部やっちゃおうよ」
「それ、いいかもね。ほんと……平和っていいね。やっぱり神奈さんに頼んでよかったよ」
「さっきも言われた……いやさっきより言葉が力強いような」
ざわざわと歩道に生える木の葉が動く。
予兆だったのかもしれない。木の葉が揺れてから少し、かなりの強風が吹いて二人に襲いかかった。神奈には強弱関係なしに風などに影響されないが隣の少女はそうもいかない。太もも中心辺りまでしか丈がないワンピースを着用している夢咲は「きゃあっ!」と叫んで、ひらひらするワンピースを両手で押さえて座り込む。
「おいおい大丈夫か?」
「ごめんね、大丈夫大丈夫。今私ノーパンだからちょっとね」
「全然大丈夫じゃないよね!? 何でノーパンで出歩いてんだよ!」
「ちょっ、声が大きいってば!」
赤面した夢咲が立ち上がって両手で神奈の口を押さえた。
通行人の男性達が一瞬視線を送ったもののすぐに逸らす。ホッとした夢咲は神奈の口から手を離して胸を撫で下ろす。
「ごめん。で、何でノーパンなわけ?」
「下着も数が少ないから。その、今日は出掛けるつもりなかったから全部洗っちゃって。さすがにびしょ濡れのパンツ履いて行くわけにもいかないし……」
「タイミング悪いな」
まさか家から連れ出そうとした日に下着がないとは神奈も思わなかった。事前に言ってくれれば神奈だって今日は止めて、家で事情を話していただろう。
「まあ、パンツくらいいくらでも買えるさ。その小切手があれば……あれば……あ、れ? あの、夢咲さん、小切手は?」
夢咲は両手に小切手を持っていなかった。着ているワンピースにポケットはないので両手以外には持てない。
事態に気付いて目を見開いた夢咲は恐る恐る両手を見る。そして手元にないことを確認すると天を仰ぐ。
「……夢咲さん? おい夢咲?」
青空を眺める彼女は観念したのは神奈の方へ顔を向ける。
「ま、さ、か、な、く、し、た、と、か、言、わ、な、い、よ、な?」
首を傾けた神奈は血走らせた両目を限界まで見開く。
「ごめんなさい、風で飛ばされちゃった」
「絶交だあああああああああああああ!」
「えええええええええええええええ!?」
幸運など呆気なく風に飛ばされるものなのかもしれない。
少なくとも二人の幸運はあっさりと吹き飛ばされており、探したものの結局見つかりはしなかった。




