345 邂逅2――カミヤ――
――帝王城。謁見の間。
玉座に腰かけ、頬杖をついている帝王は部屋の扉を見据える。
何者かが近付いているのを感じ取れたのだ。そしてそれが自分と深く関わりがあることもなんとなく感じ取れた。体内の邪血が沸騰するように熱くなるのに目を細める。
扉が開く。この謁見の間に入ってくる者など、自身が恐れられたゆえに今まで四神将の誰かだけだったが、部屋へと足を踏み入れたのはその誰でもない少女。
胸に巻いているサラシ、膝丈上の革製ズボンはホウケン村の伝統衣装のようなもの。しかしかの村は住人全員が遺伝なのか褐色肌なのでホウケン村の人間ではない。
注目すべきは服装よりも少女の容姿。多少癖のある黒髪は帝王とよく似ており、顔立ちはアイギスを思い出させる。
帝王は一目見て理解した。彼女こそ自身の娘であると。
「お前が帝王か」
「そう、余こそが帝王カミヤ。どういう事情か知らんがよく来たな余の娘よ」
その発言に神奈は顔にこそ出さなかったが内心驚いた。
もちろんアイギスが本当の母親だということは、今も余裕な態度で玉座に座っている帝王――カミヤこそ本当の父親であることは承知している。しかしまさか血を引く子供であると向こうが理解しているなど思わなかったのだ。
「分かってたのか、私が未来からこの時代に来たことを」
「いいや知らん、今言ったばかりだがどういう事情かは本当に知らん。だが余の邪血が滾っているのを感じる。つまり血の繋がりが直接教えてくれるのだ」
邪血の共鳴現象という言葉が神奈の頭に浮かぶ。
しかし神奈の体に流れる邪悪なる血は思いのほか大人しかった。理由としてはアイギスの存在が支えてくれているとしか思えない。
「まあ本来生まれたばかりであるはずの余の子が十代半ばになっているのはありえん。未来から過去へ遡ってくる方法があるならそれが最有力候補だろうとは思ったが」
確かに神奈も目前に自分の子供が成長した姿で現れれば、未来から過去に跳んできたくらいしか状況を推測出来ないだろう。むしろそれ以外にどうやって現れる方法があるのか知りたい。
「して、何用だ娘よ。まさかこの父と戦いに来たわけではあるまい。余の娘なら、いずれ遠くないうちに手中に落ちる世界の支配者としての立場を継ぐ役目があるのだからな」
「……二つ、勘違いっていうか、訂正してほしいことがある」
指を二本立てた神奈にカミヤは「なんだ」と返す。
「一つ目は私の名前。私には母さんがくれたカンナって立派な名前があるんだ。どうせ呼ぶなら娘とかじゃなくてそっちで呼んでほしい」
「ほぅ……カンナ、か。中々にいい名前だ。それで余の娘カンナよ、訂正してほしい二つ目とはいったいなんだ」
中指を折り曲げて人差し指だけを立てたままにした神奈は、カミヤを見つめる瞳に敵意を込める。決して親子らしく仲良くはならないという意思も加えて。
「二つ目は私達の関係だ。私はお前の子供じゃない」
予想外の言葉にカミヤは「なに?」と呟き目を細める。
神奈は立てていた人差し指を折り曲げて拳を握りつつ語る。
「血の繋がりがあっても親じゃないんだよお前は。私の母さんは死ぬと分かってても私をこの世界に産んでくれたアイギスさん。……父さんの名は、六年間私を育ててくれた上谷周。私の、神谷神奈の両親はこの二人だけだ。つまり支配者がどうとか関係ないし、お前は絶対に倒す」
「……そうか、だが仮に親子でなくとも血の繋がりは消えない。それでもこの余と戦うというのか?」
「やるさ。ホウケン村の人間も、たぶん母さんもお前を止めることを望んでる」
アイギスは多くを語ってはくれなかった。出産後早いうちに死ぬと理解していても自分のことを語らず、神奈の話だけを求めた。それゆえに神奈は死んだ母親の情報をほとんど知らないが、それでもカミヤのことをよく思っていないことくらいは分かる。
勝手な想像だと言われればそれまでだ。でも神奈は信じている。
アイギスはカミヤに脅迫されたりして従わされていたのだと、本当はカミヤを止めたかったのだと強く信じている。
それに正しく生きることを望むとはっきり赤ん坊の自分へと願われたのだ。ならば自身の価値観、周囲の者達の言葉などで悪だと断定しているカミヤを倒さねばならない。
「……母さん……アイギスか。先程の話ぶりだとアイギスが死んだように聞こえたのだが」
「ああ、私を産んで……その命を散らした」
「そうか。たかが子を産む程度で死ぬとは、余の見込み違いだったようだな」
聞こえてきた独り言らしき発言で神奈は額に青筋を浮かばせ、多少血走った目で睨みつつ「ああ?」と低音の声を出す。
「子を産む、程度だと……」
到底許せない言葉であった。アイギスと過ごした時間は短くとも好感を抱いている神奈にとって、その命が散る出産という行為は神聖な儀式のようにさえ思う。それを侮辱されたとなれば、口汚く罵倒してもしてもし足りないくらいの怒りが湧く。
「アイギスは特別な存在だった。余の力をものともせず、怯えることなく叱責することもあった。まるで対等な存在、余の妻となるべくしてこの世に生を受けたかのような存在。それだけ余はアイギスのことを気に入っていた、死ぬこともないと思っていた。だがまさか死を迎え入れるとは……所詮その程度の存在でしかなかったということだろう」
「……ふざ……けんな」
「非常に残念に思う。余も裏切られた気分だよ。期待するだけさせておいて結局は彼女も脆い愚物だったのだから」
「ふざ……けんな……よ……!」
「まあ役に立ったというなら子を産んだくらいなものだ。しかしそれもやろうと思えば女なら誰でも出来ること。どうせ息絶えるのなら何も意味がない。アイギスに関わった時間を返してほしいくらいだぞ」
「ふざけんなこのクズがああああああ!」
もはや生かしておく価値もないと思うくらいに神奈は激怒する。
周囲に響き渡った咆哮が消えるとともに神奈は一直線に、カミヤ目掛けて走り出す。
対するカミヤは何もしない。
ただ駆けてくる神奈をつまらなそうに眺めるだけだ。
(愚かな、余にはどんな攻撃も効かん。誰も勝てんのだ、たとえそれが余の実子であったとしても)
「今すぐに死んで詫びろおおおお!」
余裕な態度と体勢のカミヤに神奈の拳が迫る。
走った勢いと全体重を乗せた全力の右ストレート。圧倒的実力差でもなければ喰らってただで済むはずない一撃。
(無駄なことをっ!?)
頬杖をついていたカミヤは思いっきり左頬を殴られて――玉座を崩壊させて奥の壁に激突した。
中が切れたのか口の端から血を垂らし、目を限界まで剥いて驚愕する。瞳を揺らして視点を彷徨わせながら攻撃を喰らったというありえない事実を認識する。
(バカな、余にはいかなる力も……)
「オラアアアアアアアアアアアア!」
壁に頭をつけて思考するカミヤに今度は左ストレートが右頬に到達する。
頑丈で亀裂も入りにくい壁なので後ろに吹き飛んで威力が十分に伝わらないこともない。十全な威力がカミヤの全身へと広がっていく。
そこからは拳の嵐だった。
上下左右から神奈はカミヤの体を殴りまくる。ただ堪忍袋の緒が切れたような怒りを込めた拳をカミヤへぶつけまくる。
乱打に乱打を重ねていくと頑丈である壁にも亀裂が奔り、一秒置きに段々と亀裂が大きく広がっていく。
血が飛んでくるのも気にせず殴打殴打殴打殴打。狂気すら孕む連撃に終わりが来ることなどない――かに思われた。
突然、神奈の拳が壁に直撃した。やはり頑丈なようで手の甲の骨が突起した部分に血が滲む。
怒りと手の痛みで歯を食いしばりつつ神奈は体を後ろへと向ける。すると少し距離を置いた場所にカミヤが両膝をついて座り込んでおり、荒い呼吸をしたかと思えば一度だけ滝のように口から血を流す。
「神奈さん、気は済んでないでしょうが落ち着いてください。冷静さを持たなければ勝てる戦いも勝てなくなりますよ」
「……ああ、分かってる」
腕輪の忠告を素直に受け入れる神奈は深呼吸して心を落ち着かせようとする。
一方、カミヤは全身に奔る激痛に意識が飛びそうになるもなんとか耐え、荒い呼吸を繰り返しながら現状把握に努める。
(……余は確かに、カンナの拳と威力の繋がりを弱めたはず……なのに、どうして……なぜこれ程の威力を発揮出来た……。ぐううっ、なぜ余がこんなダメージを受けている。……まさか効かないのか……余の絶対なる力が、無力化されたとでもいうのか。カンナもアイギスと同じように……余の、力を……)
繋がりの強弱を操作する固有魔法が無効化されたのはこれまでアイギス一人。
カミヤにはアイギスが死しても娘である神奈に手を貸しているように思えた。




