344 渾身――最後の悪あがき――
構えたと思えばパンサーは刀を鞘へとしまう。
魔刀オルクスを覆う薄紫のオーラが尾ひれのように動き、空中に魔力の残滓が一定時間留まる。
疑問に思うハヤテだが気は抜かない。絶好の攻撃チャンスにも見えるこの状況でハヤテは攻撃に動けなかった。
冷や汗がハヤテの額から垂れる。雫が床に落ちたときパンサーは口を開く。
「感じたようだな。俺の抜刀術の恐ろしさを」
「抜刀術……。確か、鞘に収めた刀を一気に抜いて斬る技だったか」
抜刀術、もとい居合術とも呼ばれる武術の一つ。
鞘から抜き放つ動作で一撃を加える。もしくは攻撃を受け流し、流水のごとき滑らかな動きで二の太刀を繰り出して攻撃する技術を中心に構成されている。
(動けば斬られる……)
納刀しているゆえに素人なら隙だらけに見えるが、ハヤテには全く隙のない構えに見えた。
一歩でも動いた瞬間に行動が開始され刹那ともいえる僅かな時間で斬り伏せられる。そんな確信をハヤテは持つ。
(だが動かねば……勝てん!)
ハヤテは右足を力強く踏み出す。
その瞬間、パンサーも右足を前に出して力を入れ始める。
自ら動くハヤテだけが距離を縮める要因となり、両者の間合いの空間が触れ合う程に近付いていく。そしてほんの少し刀の届く場が重なったとき両者の刀が振るわれた。
互いの刀が交差し、ハヤテはパンサーの横を通り過ぎた。
刀を振った体勢のまま止まった二人は敵ではなく前だけを見据えていた。
パンサーが黙して刀を鞘に納め、その動きを追うように薄紫の光が尾を引いて僅かに残留する。
――瞬間、ハヤテの持つ刀の刀身が真っ二つになった。刀身の上半分が音を立てて床に落ちる。
「これが実力の差だ。貴様は俺に勝てない」
尋常ではない力と速度で振るわれたにもかかわらず、刀身が砕けるのではなく斬られただけなのはそれだけ力が集中していたということ。
相当な技術がなければ刀身丸々砕けている。それなりの剣技を持っているハヤテでも到底出来っこないと思う程の一驚すべき技量。そんなものを見せられては勝てないという言葉も真実味を帯びる。
「……確かに、勝てんかもしれん」
しかしハヤテとてここまで研鑽を積み重ね、村の住人達の想いを背負って立つ身。刀が折られたからといって早々に諦めるわけにはいかない。
ハヤテはパンサーの方へと振り返って折れた刀を構える。
「だが勝てる勝てないで考える必要はない。神奈が帝王を倒すまで、俺はただここでお前と戦っていればいい。どういうわけかお前は神奈に手出ししないようだしな」
「自ら捨て石と化すつもりか。確かに俺から神奈に手出しするつもりはないが……貴様は確実に殺すぞ」
そう言いつつパンサーも刀の柄に手をかけて振り返る。
「それに神奈が帝王様に勝てる可能性などゼロに近い。あのお方の強みはアイギス様と同じく無敵の固有魔法にあるのだからな。神奈がそれを破れるとは到底思わない」
「どうだかな。あの女はどうにも特別な何かを持っている、そんな気がする。俺達の、ホウケンの希望を託すに足る人間だと俺は短い間で見極めた。帝王相手だろうとあいつは必ず勝つさ」
「ならば無駄な希望を抱いたままあの世で再会を待つことだ」
――再び二人の戦闘が開始された。
とはいえ魔力の込められた魔刀オルクスに太刀打ちする方法がハヤテにはない。今のところ攻撃に対して選択肢は回避することだけだ。
左肘から先が斬り飛ばされているパンサーは右手しか使えないが、攻撃を防ぐことが不可能なら有利なのはパンサーの方だろう。ハヤテの剣撃は防がれるのだからどちらが有利なのか考えるまでもない。
「どうした、避けるだけか」
「刀が斬られるだけだからな……! 挑発には乗らん!」
真上からの振り下ろしをスレスレで避けたハヤテは魔刀オルクスを右足で踏みつける。それから左肘で肘打ちをパンサーの胸部に打ち込み、流れるような動きで左回転蹴りを頬へと叩き込む。
覚束ない足取りで右へ移動したパンサーへ、ハヤテはさらに回転を糧とした突きを放とうとしたが咄嗟に右手を引っ込める。もし突きを放っていれば今頃斬り上げるよう振るわれた刀に裂かれていただろう。
間一髪だったが危機は続く。
パンサーの動きは流水の如く止まらない。
斬り上げの次は一文字斬り。ハヤテは右から迫る紫光を纏う刃を屈んで躱す。
そこから次の攻撃が来る前にハヤテは跳躍し、パンサーの顎を真下から殴りつける。戦闘を繰り広げるには狭い通路の壁へと殴り飛ばし激突させた。
(こいつ、強い……! なんだというんだ、まさか窮地に立たされたことにより火事場の馬鹿力でも発揮したのか。それとも仲間からの信頼や絆で強さを増したとでもいうのか。実力では確実に俺より下だというのにこうも俺に続けて打撃を浴びせるとは……)
驚愕と顎の痛みに目を見開き、パンサーは「がはっ」と口から血を少量噴き出しつつそんなことを考えていた。
しかしこれは二人の戦闘スタイルの差も関係している。
パンサーは刀しか使わない模範的な剣士だが、ハヤテは状況に応じて手足も使用する。手数としてどちらが上かは考えるまでもない。それに加えてパンサーは今左手がないため剣速が下がっている。状況的に二人の実力はかなり近いものへと近付いていた。
「これで決める。神速投擲……!」
床へと一番に着地したハヤテは折れた刀を無回転で、パンサーの胸元へと一直線に投げつける。
そのハヤテの取った行動に、パンサーはただでさえ驚愕していたのにもっと驚愕の色を濃くする。
元々パンサーが刀のみで戦うのは道場の教えがあったからだ。
刀のみで銃火器を防ぎ、相手を武器ごと切り伏せる。そのための剣技を実践的な稽古で叩き込まれていた。あまりに実践的だったゆえに道場は批難されることすらあり、入門価格は徐々に下がっていったため金銭的に余裕がない者でも通えた。
今までパンサーが負けたことは帝王との一戦以外にない。だが帝王は特別な存在であり負けて当然などとすら思える。だから帝王以外に負けなければ彼にとって何も問題などなかったのだ。
幼き頃、道場で教えられたその剣技だけは一番に誇りに思っている。
道場では通常、武器を相手へ投げつけて攻撃する術など教えられない。だからパンサーにとって、折れているとはいえハヤテが刀を投擲したのは一驚すべき攻撃であったのだ。
驚きのあまり動きが鈍る。だがそれでも刀はパンサーに届かない。
あと一歩で届きそうだったが、折れた刀は魔刀により真上へと弾き飛ばされ天井へと刺さった。
ハヤテは拳を引き絞る。折れた刀が天井へ刺さることも、パンサーが真上に刀を振った状態のまま着地してすぐ一気に跳躍してきたのも、全て想定済みだったかのようにその顔に驚きは一切ない。
「貴様の名は勇敢だった敵として一生胸に刻んでやろう……! 俺にここまでダメージを与えたのは貴様が二番目だ……!」
拳による突きを一気に放つハヤテだがあと少しだけ速さが足りない。
先に相手へと到達するのはパンサーの魔刀だ。何もなければハヤテの頭から股まで真っ二つにするだろう――本当に何も異常がなければ。
「なんっ!?」
パンサーの魔刀は確かに振り下ろされた。――ハヤテの左横に。
吃驚しているパンサーの左頬に拳がめりこむ。不思議なことにその場へと固定されているかのように身体は吹き飛ばず、ただただハヤテの拳が持つ威力を十分にその身で味わった。
渾身の一撃が叩き込まれて顔がアイギスの部屋とは正反対を向いたとき、パンサーの視界に映ったのはずっと先にある通路の曲がり道から顔と手を出している少女の姿。
そして自身を拘束している、透ける程に薄い赤紫の魔力によって作られた一本の腕。
(魔力の腕……!? 戦闘に集中しすぎていたのか、いや違う。あまりにも俺に触れる力が弱々しすぎて気付かなかったのか……)
肝心の魔力の腕を生成したのは一人の少女。
黄色くて長いゆるふわパーマの髪。褐色肌。床に這いつくばりながらも射抜くように鋭い眼差しを向ける少女の名は――サイハ。
サイハはバーズとの戦闘が終わった後、僅かな時間を睡眠による魔力回復に当てて、そこから出来る限り魔力を温存するために立つのも辛い体を引きずってここまで来たのだ。
もし兵士が残っていたら見つかって殺されていただろうが、兵士は全員城外で村人達と戦っている。もちろん警戒は必要でも誰かに見つかる可能性はかなり低い。
「サイハ、やれ!」
「……魔力、爆破」
その場からアイギスの部屋の方へと飛び退いたハヤテが叫び、それに従ってサイハが薄赤紫の魔力で作った腕を自身の手付近から爆発させる。
「ぬうぅ、こんなものでこの俺を縛れるものか!」
脇から下を拘束されているパンサーにまで爆発が届くまで一秒もない。だが瞬時にパンサーは拘束されていない右腕を動かし、魔刀で魔力の腕をバラバラに斬り裂く。さらにそれだけでは止まらず刀を振り続ける。
まさに剣撃の嵐。高速の剣技によって爆発と熱風すら微細なものへと刻まれて無効化された。
遅れて黒煙が吹き飛ばされて何も影響を受けていないパンサーの姿がサイハにはっきり見えた。しかし見えたのは五体満足なパンサーだけではなく、敵へと駆けるハヤテの姿も視認する。
「所詮、最後の悪あがきにしかならなかったようだな」
「――自他変換」
ハヤテの姿が天井に刺さっていた刀と入れ替わる。
天井から壁へ、壁からパンサーへと跳んだハヤテは一回転して、まだ気付いていない無防備な後頭部を左足による蹴りで狙う。
左足がもう少しで届くといったとき、剣士としての勘かパンサーが振り向いた。
刹那で彼に出来ることといえば目をやや大きめに開くことと――神速の刀を振るうことくらいなものだ。
パンサーの魔刀がハヤテの左足の付け根に向かう。
心に驚きによる焦りを生んでいても真っ先に蹴ろうとしている左足を切断した。隙を突かれてもなおパンサーの動きが鈍ることはなかった。
「ぐっううおおおおおおお!」
左足を斬られたハヤテは怯まず、勢いを殺さずに回転して右足による蹴りをパンサーの額へと叩き込む。
こればかりはパンサーも回避不可能だ。誰しも攻撃の後というのはほんの僅かでも隙が生まれるものであり、動揺しつつ振り抜かれた斬撃の後の隙は大きい。
右足による蹴りを喰らい、立って耐えることも出来ず吹き飛んだパンサーは後頭部から壁に激突した。そして何かを言いたそうにしていたが気を失って、首は支える力が抜けてガクッと下がった。
「……確かに、最後の悪あがきさ。だが存外それもバカに出来んものだ」
右足と左手で危なっかしく着地したハヤテは片足で立ち上がりそう零す。
左足の付け根から遅れて鮮血が勢いよく噴出するも、ハヤテはパンサーがやっていたように魔力と筋力で止血する。
「お前の根は悪人ではない、だから殺しはしないでやる。帝王の一件が片付いたらどうするのかくらいは見届けてやろう」
ハヤテは右足だけで軽く跳んで移動し始める。
「……勝てよ。俺達の希望はお前に託したんだからな」
そして帝王の元に向かった神奈のことを想いつつ、気絶してしまっているサイハの元へと通路を戻っていった。




