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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
十五章 神谷神奈と破壊の帝王
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番外編 託された者

 タイトル通り番外編。

 上谷周。彼はいったいどういう経緯で神奈を育てることになったのか。そんな感じのが明かされたり明かされなかったり……。

 番外編ゆえ、もちろん本編の進行に全く関係ありません。








 とあるカップルの男女二人が歩道を歩いていた。


 艶のある金髪。全体的に清楚な雰囲気の女性は俯いて下唇を噛み、青い瞳からは静かに涙を流し、全く前に出ていない腹部を擦りながら歩いている。

 そんな状態で前など見ているはずもなく、隣にいる黒髪の地味な容姿をした男性が支えていなければ車道にでも出てしまうだろう。


「……ねえ(しゅう)。……幻滅、した?」


 女性は地味目の男性――上谷周へと問いかける。

 こうにも女性の元気がないのは病院で行われた検査の結果が原因だ。

 本日、周の恋人である彼女――露原(つゆはら)(まどか)は性器クラミジア感染症であると言い渡された。


 性器クラミジア感染症とはクラミジア・トラコマチスという病原体が原因の性行為感染症。

 感染しても多くの場合は症状を起こさず、知らないうちに感染して広げている可能性もある厄介な感染症だ。卵管の腫大や周囲の癒着が起こることで精子と卵子の遭遇が妨げられ不妊症の原因にもなる。


「まさか、僕は君が妊娠しなくても愛するさ。告白したときも言ったろう? たとえ何があっても円のことを愛し続けるって」


「でも、性行為感染症ってその……シなきゃ感染しないよね。私の場合抗生物質をとってもさ、感染から時間が経っててもう妊娠は厳しいかもって……そう言われたんだよ? どういう意味か……周だって分かるでしょ?」


「……過去のことはいいじゃないか、大事なのは今この時さ。それに体外受精なら子供だって作れるって話だったよね。そう悲観することもないさ」


「そう簡単に……気持ち、切り替わらないよ。だって私、周との子供を最初からこのお腹で育てたいと思ってたんだもん。はは、ホント、私ってどうしようもないバカだ。昔のツケが今さら回ってきたんだもん。周と子供作りたいって夢、結局壊したのは昔の自分なんだ」


 円は過去、中学生時代に援行している。

 貧しくもなかった一般家庭に生まれたのでそういうこととは無縁だと思っていたが、彼女の父親がリストラされたことにより一気に生活が厳しくなったのだ。せめて自分のための費用だけでも負担して、何か両親に楽させてあげられないかと思い悩んだ結果、円に思いついたのは自分の体を売ることだった。


 アルバイトなどしようにも中学生を雇ってくれる所など見つからない。

 もちろんいくら金に困っているからといって体を売るなどいきすぎていると思ったが、それ以外に金稼ぎ方法を思いつかなかい以上仕方ないと割り切った。


 体つきが中学生にしてはよかったからか、SNSなどを利用してみれば客には困らない。

 最初は慣れないことで相手を困らせたこともあったが、十回以上そういった行為をすれば慣れるものだ。段々と男性の悦ばせ方が上手くなっていく彼女は己も快感に溺れていく。


 しかし中学生が金を稼いでくれば何かしら疑われるだろう。

 最初疑惑の目を向けられたときは中学生でも雇ってくれる場所があったと嘘を吐いた。それが延々と続き正直に話すことはなかったが、両親は薄々勘付いていただろう。だというのに両親は円の行いを止めはしなかった。


 秘密の商売開始から一年が経過した頃。

 母親は地道に近場の会社でパートとして働き、父親は見事再就職したことにより暮らしぶりは元に戻った。


 晴れて自腹で高校生になった円は援行を止めた。もう急ぎで金を稼ぐ必要もなくなったし、稼ぎたいなら正式にアルバイトとしてどこかで働ける。

 全てが元通りに――なるはずだった。


 一度染みついた癖なのか、一度溺れた快感は忘れられない。

 もう一度シたいと思い続けたゆえ円は学校内で生徒を誘惑してしまった。しかも今度は有料ではなく無料で、最後まで。

 同級生、先輩、果てには別の学校の生徒とやり続けて彼女は一部の生徒の間で有名になっていく。


 当然終わりのない無限ループが訪れる。

 もう止めたいと心で思っていても、奥底ではもっとヤりたいと思ってしまう。

 自分から終わらせない限り続くのが分かっているのに止められない。それだけそういったことをやり続けて妊娠しなかったのは、しっかりと避妊対策をしていたことと奇跡の連続だったのだろう。


 だが相手を選ばず体を預けていた結果。彼女は運の悪いことに暴力的な男性と出会ってしまい、その男性のせいで体と心に多くの傷を作ることになってしまった。

 今までは自分が好きでやっていたが、その男性は脅迫して性行為を強要してくる。それでも快感があればまだよかったが男性と行ったものは痛みしか与えられなかった。


 自業自得なのを承知していても、円は誰かに助けを求めずにはいられない。

 ただし実際に声で求めることはない。心の中で密かに、ただヒーローが来てくれることを信じていただけだ。

 そして地獄から実際に救われて、救世主(ヒーロー)である周に好意を抱いて今に至る。


「そうだね、立ち直るには時間が必要だよね。ごめん、軽く励ますべきじゃなかった。でもさっき愛してるって言ったのは本当だから」


「分かってる。私も……愛してるから」


 円は背伸びして、自分より少し身長の高い周の右頬に軽く口づけすると、重い内側を感じさせない軽い足取りで走り出す。

 それを周は「まったく」と呟き追いかけた。


「あっ、あれって……」


 二人が意味もなく走っていると道端で苦しそうに座り込んでいる少女がいた。

 あまりにも辛そうな表情なので誰もが気にかける。だがそれは気にかけるだけで近寄らない冷めた人達ばかりである。


「まったく、誰か話を聞いてあげればいいものを」


「ホント冷たい人は冷たいよね、周とは大違いだよ。ねえそこのあなた大丈夫?」


 座り込んでいる少女に歩み寄ると周達は気付く。

 少女の腹部は大きく膨らんでいる。肥満体型というわけではなく腹部だけが大きくなるその状態は、円が夢見ていた状態そのものであった。


「くうっ……はあっ……すみません。なんだか、はあっ……はあっ……歩けなくて……」


 蛇がとぐろを巻いているような紫の髪はマフラーのような印象を受けた。個性的な髪型をした中学生くらいの少女――夢咲弥生は明らかに妊娠している。


「ちょっと大変そうじゃない。随分若いけど……周、この子を病院に連れてこう」


「言われずともそのつもりさ。まったく、無視する人間の気が知れないよ」


 幸いにも病院からはそう離れていない。徒歩で五分といったところだ。

 周と円は二人で弥生の腕を肩に担ぎ、協力して病院まで歩いて行く。


 病院にまでなんとか着いたが、その瞬間に弥生の股から液体が勢いよく垂れてきた。

 人一倍そういったことを調べていて詳しい円は目を見開き、妊婦に起こる破水であると気付いたため焦って周へと叫ぶ。


「破水はヤバいって! ちょっと先生呼んできて!」


「なるほど僕でもヤバいのは分かる。すぐ呼んでくるからちょっと待っててくれ!」



 ――数分後。

 病院から周が医者を連れて戻ってきて、連れて来られた医者は血相を変えて病院内に運び入れる手続きをしてくれた。


 聞いてみれば弥生の妊娠期間はもう七か月弱。平均期間は十か月といわれているがあくまでも平均だ。あまりに早い早産になってしまうがこういったことも起こりうる。


 緊急で弥生は病院に設置されているLDR室へと運び込まれる。


 LDRとは陣痛、分娩、回復の英語頭文字を繋げた言葉。その部屋では陣痛室から分娩室までの移動がなかったり、体への負担が少なかったりする出産専用部屋といっていい場所である。

 個室が用意されており家族なども一緒にいられるが、周と円は通りすがりなので室外で待つことにする。


「……大丈夫かな、あの子」


 二人は緊張した面持ちで、今か今かと貧乏ゆすりしながら緑色の横長椅子に座っている。自分のことでもないのに心臓の鼓動がいつもよりうるさく感じた。


「まったく分からない。そういえば彼女のご家族に連絡って」


「あっ、それならさっきお医者さんの人が連絡するって言ってたよ。……でもさ、あの子のことで話してたお医者さんの話を聞いちゃったんだけど、やっぱりあの子って中学生なんだって。しかも十三歳で今年入学したばっかり。あの子の親、なんて言うんだろう」


 円は弥生の苦しむ姿を頭に浮かべ、かつての自分と重ねてしまうのが止められない。

 下手すれば円だって弥生のように若くして妊娠していただろう。おそらく両親に怒られて中絶させられるだろうが、弥生は緊急ゆえに産むことが決定している。両親がなんと言葉を連ねるのかあまり考えたくはない。


「……いい顔はしないかもね。相手が誰か知らないけど厳しいこと言われると思うよ」


「だよね……。なんか、今だと身勝手だけどさ、子供を産めるってだけでちょっとあの子が羨ましいって思えちゃうんだ。酷いよね、若すぎる出産は死亡率が高いっていうのに」


「……無事に終わるといいね。親御さんへの説明は僕らも援護してあげよう」


 そんな会話をしているとき、一人の男性が医者に案内されて歩いて来る。

 第一印象は申し訳ないがだらしない人だ。ボサボサの髪に出しっぱなしの白Tシャツ、最低限しか整えられていない髭も印象が悪い。

 案内してきた医者は二人に会釈してから男性に説明する。


「こちらの方々が運ぶのを手伝ってくれたんですよ。もし知らせてくれるのがあと少し遅かったらかなりマズい状態になっていたでしょう。……では私は業務に戻りますので、何かあればお近くの医師にお話ししてください」


「はあ、ありがとうございました」


 去っていく医者に男性は軽く頭を下げ、二人の方へと体を向ける。


「あなた方もありがとうございました。ウチの生徒を助けてくれたお礼は後日必ずしますので」


 気怠そうな声で感謝されたが二人の気になったことはそこではない。

 生徒と言ったということは目前のだらしない男性は教師ということになる。そうなると服装にもつっこみたいところだが、一番気にすべきは弥生の親がまだ来ていないことである。


「どうも。それはいいとして、あの子の親御さんは……」


「あーそれがあの女生徒……夢咲弥生というんですが、両親は既に他界しているようで保護者が存在していないらしいんですよ。一人暮らしとはいえ、孤児院の援助を受けているので形だけ院長が保護者らしいんですが……」


 両親がいないという情報に二人は驚愕した。

 まさか中学生が出産するうえ、両親どころか保護者すらいないなど誰が想像しただろうか。二人は想定外の事態に鼓動がさらに激しくなった。


「そ、そうなると産まれてくる子供は」


「夢咲一人で世話をすることになりますね。まあ問題ありませんよ、子育てなら私も手伝いますし。なんならクラスの全員で授業を子育てにするなんてのもアリでしょうし」


「それは、頼もしいですね……」


 会話が終わり沈黙が降りた。

 静かな廊下で気まずい雰囲気が流れるなか四十分程が経過して、LDR室の扉が開かれ数人の医者が出てきた。


 医者の登場に二人は立ち上がり、どうなったかを訊ねる前に医者の影ある暗い表情を見てしまう。まるでその表情はよくないことがあったかのようで、二人は怖くなって口を開けることが出来ない。


「どうでしたか?」


 そう問いかけたのは男性教師だ。

 彼はなんの緊張もしていない様子で医者へ話しかけた。


「……赤ちゃんは無事に産まれました。かなり早産ですが今のところ問題ありません」


 それを聞いた円は胸を撫で下ろし、軽く笑みを浮かべて口を開く。


「よかったです。それであの子は大丈夫ですか? あの歳で出産は大変ですよね?」


「…………申し訳、ありません」


 リーダーらしい医者の言葉に「え」という戸惑いを孕む声が円から出る。


「力及ばず……。つい先程、死亡を確認しました」


 円は呆然と「うそ……」と呟いて膝から崩れ落ちる。事実を聞いた周も悲し気な表情で俯く。

 二人にとって夢咲弥生は数時間前に出会っただけの他人だ。しかしどこか他人事のような気がせず、運命が導いたかのようだと思っていた。それがまさかこんなにも早くに訃報を聞かされるとは考えてもいなかった。


「なるほど分かりました、では夢咲が産んだ子供については私にお任せください。責任を持って面倒を見ますので」


 態度の変化しない男性教師が告げる。

 医者はその言葉に納得したようで頷き、書類申請のためと言って男性を連れて去っていく。


 残された二人は数分後に室内へと入り、柔らかそうな白い布に包まれている赤子を眺める。二人が近付こうとすると小さな声で泣き出したのでその場を離れた。

 病院からの帰り道、二人は一言も発することはなかった。



 * * *



 季節は流れて冬。

 十二月二十五日――クリスマス。


 周と円は上谷宅にてささやかなクリスマスパーティーを開いていた。ささやかなので参加者は二人しかいないが楽しく過ごせている。


 クリスマスケーキやチキンを食べ終わってから、円は真剣な顔を作って机の上に一枚の書類をそっと置く。

 それを見た周は目を剥いて目前の円を凝視する。


「周さえよければさ、これ、やろうと思うの」


 机上に置かれた書類は体外受精の申請書。

 自分で産みたいと散々言っていた円から出されるとは思っていなかったものだ。


「……いいの? だって円、これ好きじゃないってこの前言って」


「いーいーの。いいんだよ。私の我が儘でいつまでも子供がいないってのもあれだしさ、やろうよ。体外受精って私みたいな人のためみたいな感じでしょ? 私はもう覚悟決めたからさ」


「いや死ぬわけじゃないんだから……。でも、いいんだよね?」


 頬の近くでオッケーサインをして「もち」と可愛らしく告げる円。

 その気になってくれたのならやらない理由がないので、周は記入用のペンを持ってこようと椅子から立ち上がると――インターホンが鳴った。


「タイミング悪いなあ。ペンなら私が取ってくるから出てきなよ」


「そうだね、じゃあお願いするよ」


 周は来客に対応するため玄関へと歩いて行き、扉を開けて外へと出ていく。

 夜中に誰かを呼んだ覚えがないので当然だが、開けてみればやはり周の知り合いではなかった。


 白いコート着ていて、眼鏡を掛けた知的そうな雰囲気の男性が外にいる。円の知り合いは粗方把握しているが見たことのない男性だ。


「えっと、どちら様ですか?」


「俺の名はどうでもいい。上谷周、この赤子を育てろ」


 そう告げると男性と周の間に時空の歪みが発生し、漆黒の渦が出来上がったかと思えば産まれたばかりだろう赤子が舞い降りてくる。そして一定の高さにまで降りると停止して宙に浮かんだままになる。

 摩訶不思議な光景に唖然としていると、そんな驚いている場合ではないと思い直して周は男性へ問いかけた。


「あの、いきなりなんなんですか。この子はあなたの子なのでは?」


「いいや違う。この子の名はカンナ、それ以外のことは重要ではない。こうして頼むのはお前達が子供を望んでいる都合のいい男女だったからだが、重要なのは育てるかどうかだ。俺も暇ではないので早急に決定してもらおう」


「いやいやいきなりすぎて何がなんだか分からないですよ。それにどうして僕達のことを知っているんですか? 事情を話さないなら不審者として通報してもいいんですよ」


「面倒な男だ。ならばこれでいいだろう」


 周は男性にいきなり顔面を掴まれる。

 あまりの速度に視認出来ず、状況を遅れて理解した周は「何をするんだ!」と叫ぶも手は離されない。さらに成人男性の平均的な力を持つ周が両手で離そうとしてもびくともしない。


 しかし周は男性の手を離そうとするのを止める。

 周の脳内に妙な映像と音声がなだれ込んできたのだ。情報の塊という名の鉛玉を脳にぶち込まれたような感覚であった。


『わあー! 周、周! 歩いたよこの子歩いたよ!』

『ほらほらお食べー。あー零しちゃった……って何このお粥ベットベト!』

『おいでカンナー。今日は絵本でちょっとしたお話読んであげるからねえ』

『周、カンナ、おやすみ……』


 見覚えのない幼児と楽しそうに過ごす円。

 そして次に流れ込んできた映像は――


『カンナ……お母さんはね、もういないんだよ』

『ひぐっ、ふぐっ、どうして……どうしていなくなっちゃったの……?』

『お空に行っちゃったんだ。大丈夫……ずっと見守ってくれているから』

『……私、私もお空へ行く! 魔法とかで飛んでいく!』

『そんなこと言うな! ……ごめん。……でも頼むから、お母さんと同じところには行かないでくれ』


 葬式会場で泣きじゃくる幼女と周自身であった。

 目前の男性の手が顔から離されたことで映像と音声が途切れる。そして一気に青褪めた周は揺れる瞳で男性を見ながら立ち尽くす。


「今のは、いったい……」


「この赤子を引き取った後。つまり未来の情報だ」


「じゃ、じゃあ円は……円は、死ぬんですか?」


 最初は微笑ましいものだったのに途中からは最悪といっていい映像だった。決して未来がこうなると信じたくはないが否定する材料もない。

 流れてきた情報群は異常そのもの。他人に未来を見せる目前の男性がいったい何者なのかも気になるが、今は円のことを気にするのが最重要だ。


「このまま何もしなければ、この赤子を引き取らなくても死ぬ。むしろ引き取らなければ露原円の死期は二年早まる」


「そんな……そんなのって……」


「死因はトラックとの交通事故。安心しろ、回避する方法はある。露原円の奥底に眠る悩みを訊き出して解決すればいい。そうすれば交通事故は発生しない。この子を引き取れば日々の充実で四年の猶予がある。可能性というには十分すぎる程ではないか」


 なぜ悩みを解決すれば交通事故が発生しなくなるのか。そんなことはどうでもいい。

 周は眼鏡をかけた男性の正体は一先ず置いておき、未来関連の話については信じることにした。もちろん円が死ぬという未来も信じ、可能性とやらも信じる。


「……円の悩みをどうにかすればいいんですね?」


「ああ、その認識で間違いない。この子を育てながらは苦になるだろうがやり遂げてもらわねばならない。……まあ安心しろ。この子はこの感じだと五歳くらいか、それくらいには元の記憶を思い出すだろう。育ててやる必要もなくなると思われる。別人のようになるだろうが狼狽えるなよ」


「こんな体験をさせておいて狼狽えるも何もないでしょうに。まさかこの歳でファンタジーな体験をするとは思いませんでしたよ」


「この子を託したぞ。……奴の話では希望になるらしいからな」


 最後にボソッと呟いた男性は周の目前から消えた。

 瞬きの合間に、元から存在していなかったように男性はあっさりと消えてしまった。だが夢や妄想ではなく現実の証拠はある。先程から宙に浮いたままのカンナと呼ばれていた赤子である。彼、もしくは彼女の存在が先程の非現実的な時間を証明してくれる。


「……この子……いやカンナと言ってたっけ」


 家の中から玄関の方へと足音が近付いて来るのが周に聞こえてくる。

 愛する恋人が外へと出てくる前に、周は宙に浮く赤子を手で持ち抱きかかえる。


「カンナ、未来をいいものにするための希望になってくれ。……もし、俺達がいなくなったとしても未来を繋げてくれ」


 扉が開き円がひょこっと顔を出す。

 周囲を見渡して誰もいないのを確認すると円は不思議そうに首を傾げた。


「周、終わったの? ……ってその赤ちゃんどこの子?」


「うん……この子は……」


 もしかすれば眼鏡の男性は神様だったのかもしれない。実に思いやりも何もない様子だったが決して悪い人間ではなかった。


 未来を知った今、託された赤子は一筋の光にさえ思える。

 円の死期を伸ばしてくれて、その心を癒してくれる存在。

 振り返った周は穏やかな表情で告げる。


「……僕達の、希望だよ」


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