328 事件3――お疲れ様だネ――
もうすっかり日が暮れて夜になった。
村人達に骨残し殺人事件が知れ渡り当初こそ不和を招くのではと憂慮していた神奈だったのだが、一丸となって犯人確保に協力すると気持ちを切り替えてくれたのでもう心配していない。
もしハヤテの演説がなければ村人達は各々他者への信用を失っていき、一人一人が孤立して全員殺されるという未来が待っていただろう。犯人としては非常に面白くない展開なんだろうなと神奈は密かに思う。
「ふぅ~やっぱ風呂はいいなぁ。一日の疲れが吹き飛ぶわぁ」
現在神奈が何をしているかといえば、緩んだ顔をして満足そうにお湯の張られた浴槽に浸かっている。
その神奈の表情を正面から見て「だらしない顔ね……」と呟いたのはサイハだ。
実は今サイハ、それに家主であるエミリーの三人で、撥水効果のある厚手のカーテンで区切られただけの浴室にいる。テントのような形の家で一人暮らしをしているエミリーは、一人用の浴室に三人も詰められていることに窮屈さから不満を持っているが。
(しっかし、こんな田舎でも風呂があるのは驚いた。昔の時代っていうわりには文明は変わらない……いや、別方向に進化していってるような気がするな)
この時代、というかこの場所は森に囲まれたドがつくほどの田舎であり当然のように電線もないのだが、神奈はホウケン村に来てからこの時代が魔力の発達した時代であることを知った。
料理に使った火や風呂も、生活に関わる全てに大気中の魔力が利用されている。つまりこの時代の人々は魔力という、風力でも水力でも太陽光でもない新たな再生可能エネルギーを用いて生活している。
大気中の魔力は消費してもしきれない程に膨大であるし、生物が持つ魔力器官のように一日も経てば元通りになる。要は大気中の魔力というものは人間と同様に個の力、この星自身の魔力器官ともいえる。
神奈が元いた時代は魔力の存在を政府など上の立場の者しか知らず、一般人には隠されている。とてもこの時代のように生活利用を考えられる状態ではない。
「夜も見回りはするけど交代制にしたから大した手間にはならないしっ、骨残し事件も解決は近いかなあ」
「何その食べ残しみたいな名前。まあいいけれど、そう上手くいくかしら」
褐色で豊満な胸部をお湯に浮かせているサイハの言葉に神奈は「どういうこと?」と質問する。バスチェアに座りながらシャワーを浴びているエミリーも話に耳を傾けた。
サイハは両手を後頭部に、右脚を左脚に組んで、目を閉じた寛ぎの状態で答えた。
「結局犯人の手がかりも、犯行方法も、今日一日調査してみたけど全く分からなかったじゃない。実際に二人が骨に変貌しているのだからそれらがあるのは分かってるけど、こうまで影すら掴めないんじゃ解決に一歩も近付いてないと思うの」
「まあそれはそうかもしれないけど……」
神奈は言葉を途切れさせ、自分の体へ至近距離にまで近付いているサイハの右足へ手を伸ばす。
「ひゃうっ!?」
突如サイハに腰が浮くようなくすぐったさが与えられる。
いったい何事かと思い開眼し、可愛らしい悲鳴をあげてしまった口を押さえて神奈の方を見やる。自分の足で見えないが、おそらく足の裏を指で優しくなぞられたのだろうというのは容易に想像出来た。
口に当てた手を浴槽の外へだらんと下げて「何するのよ」とジト目になって呟く。
「いやいや、なんかしんみりっていうかネガティブな空気になってたからさ、少しは気を紛らわせようと思ってな」
「あなたが誰かの気を紛らわす方法は足をくすぐることなわけ?」
「決まってないけど足が近くにあったからな。適当だ適当」
そう言いつつにやにやする神奈は、五指をバラバラに動かしてサイハの足をくすぐる。
「あひゃひゃふっ、はふっ、あうっ、はあっ! やめっ、やめてっ! はああっあああっ!」
「はははは、お前くすぐり耐性全然ないなべらっ!?」
調子に乗っていた神奈の右頬に、浴槽の中でじたばたとしていたサイハの足が神奈の顔面に押しつけられた。それによって鼻が圧迫されたため変な悲鳴が漏れ出る。
息を切らせたサイハはくすぐり攻撃が止んだことで反撃の好機だと思い、右足の親指と人差し指で神奈の鼻を器用に摘まむ。
「ちょっ、やめろっ」
「私がやめてと言ってもやめなかったのは誰だったかしら?」
「ごめんなざい許じでぐだざい」
鼻を強く摘ままれてるせいで少し鼻声のようになった神奈が謝るも、自業自得というべきかサイハの制裁を喰らう。
サイハが「だーめ」と可愛らしく無慈悲な宣言をした瞬間、神奈の両目にほとんど威力などない魔力光線が同時に当てられた。
「目があっ、目があああああっ!」
満足したのか鼻を放してくれたサイハだが神奈はそれにホッとすることも出来ない。
蟻にダメージを与えることすらできないレベルの魔力光線でも、目に当たれば普通に痛い。視力が下がるなどの後遺症は発生しなくてもただただ今痛い。
両目を両手で押さえて神奈は首を振り回す。
「この私にあんな醜態を晒させたらどうなるか、その身をもって思い知ったでしょう。今度は天空から雷でも落としてみましょうか?」
得意気な顔でサイハは高笑いする。
実際、虫も殺せない威力の魔力光線を放つというのは相当な技術力が必要になる。神奈でも頑張って激痛を与えるレベルまでにしか威力を落とせない。そういった意味で私は凄いだろうと高笑いするのはおかしくないが、彼女の笑いは明らかに気分が良いことで自然と出たものだった。
「ちょっと、やったら殴りますよ? あと五月蠅いです」
「さすがにそこまでやらないわよ、こんなの冗談みたいなものだし」
白い泡で体を本格的に洗い始めたエミリーから苦情が来たので、そんな非常識なことはしないとサイハは否定する。
しかし彼女はこのとき余裕を持っていたからこそ非常識なことはしないと言ったのだ。その余裕が消えるタイムリミットは徐々に近付いている。
(くっそっ、目が痛い、見えない! だがサイハ、お前は一つ大きな読み違えをしている。視界に頼らなくても魔力を扱える者は見ることが出来るってことくらい、知らない筈がないだろうにさあ!)
神奈が発動したのは魔力感知。
自身の魔力を周囲に漂わせて、触れた魔力を感覚で理解する基礎技術。これを使用すれば魔力を持つモノ全てを感じ取ることが出来る。
(前方一メートルくらいか? 風呂の大きさからもそこにいるなサイハ! お前はここでくすぐりの刑に処す!)
神奈は両目を押さえていた両手をサイハの脇に向かい突き出し、その脇に到達する前に柔らかいものに手が食い込んだ。言わずもがな、柔らかいものの正体はサイハの豊満な胸である。
「んっ、ちょっと神奈さん? いきなり何するの?」
「あれ、なんだこれ、私が知っている胸じゃない」
「何をっ、ちょっ、揉まないでよ! 敏感なとこ擦れあっ……擦れるからっ!」
少し乱暴に神奈はサイハの巨乳を揉みしだき始めた。
柔らかいだけでなくまるで水風船のように確かな中身の重みもある。それを揉むのを神奈自身でも止められずに引き込まれていく。
「私が知っている胸はもっと、小さかった! 私の胸はもっと小さい、断じてこんな爆乳の存在を認めるわけにはいかなあああい! 揉むと気持ちいこの存在を、存在感を、認めてなるものかああああ!」
「やめっ、んうあっ、あっ……やっ、めっ、ろっ、てっ、言ってるでしょうがあああああ!」
ビンタ襲来。神奈の頬に直撃してパアンと風船が破裂したように大きな音が浴室に鳴り響いた。
一瞬動きが止まるも、頬に赤い手の跡がついた神奈は再始動して胸をこねるように手を動かす。脂肪の塊ゆえに簡単に手の動きに合わせて変形する。
「ちょっ、なんで止まらないの!? ていうか痛い痛い痛いなんで引っ張ったの!?」
今度はサイハの乳房を強めに掴んで引っ張り出した。体ごと引っ張られるような強さで持たれているためサイハは苦痛を訴える。
まだ揉まれるだけならいいのだ。いやよくはないのだが少なくとも痛みはない。だがこうして胸を引っ張られるというのは強すぎれば引き千切られるかと思うくらいに痛い。
「……このまま千切って私の胸にくっつけられないかな」
「それ想像したらグロすぎるでしょ!? ねえちょっと冷静になれば無理なことくらい分かるでしょ!? 痛い痛い痛い痛い痛い!」
「キリサメえもんならなんとかしてくれそうだよ」
「確かにキリサメならっ、いだっ! なんでもやってくれそうだけどっいっだあ!」
「いいか、世の女は二種類に分けられる。貧乳か、巨乳かだ。じゃあその格差をなくすにはどうすればいいのか。答えは簡単、巨乳が貧乳に分け与えればいいんだよ」
「いい加減にしろおおおおおおお!」
頭突き襲来。神奈の鼻尖に、沸点を超えたサイハの頭部が直撃した。
鼻骨が折れるかと思う程の痛みに神奈は「ぬがああっ」と喘ぎ、鼻血をポタポタと垂らし始める。
さらにまだ怒りが収まらないサイハは「もう一発うう!」と叫びつつ、今度は互いの額を打ちつけた。
多くの魔力が込められた頭突きがクリーンヒットし、神奈の意識が飛んでサイハの胸に倒れる。そのままサイハは風呂の気持ちよさを堪能するべくリラックスしていく。
(キリサメ君なら、もしかして……)
全て聞いていたエミリーは、ボディーソープの白い泡をシャワーで洗い流して立ち上がると、自身の控え目な乳房を見下ろして右手を添える。
淡い希望を持っていた神奈とエミリーだが残念なことに、キリサメはそういった知識は持っていないため豊胸手術など出来ない。胸を大きくしたいなら中々来ない成長を待つか、本職の人間に頼むしかないのだ。
* * *
――午前四時三十分。
ホウケン村の人間が三十分ごとに交代制で見回りをしようという誰かの提案により、夜遅く、いやもうじき朝になるだろう時間帯に役が回ってきた二人組。
シェルという女性と、ロブという男性。若い夫婦である二人は子供を作ってすぐに採掘場へと連れて行かれた。そのせいで我が子を、村の子供が育ててくれたからよかったものの長期間放置してしまった。
可愛い我が子との生活を取り戻して以降、たった四日目であるとはいえまた赤子を放置するのが怖かった。
今度放置すれば誰も見ていない以上死ぬかもしれない。何かあっても誰も助けてくれない。何かが起きるかもという漠然とした不安により、二人は赤子を抱きかかえながら見回りをしている。
魔力エネルギーをスイッチオンに伴って火に変化させて使う魔道ランプを持ち、二人――いや三人は村全体を回るべく歩いていく。
二十分が経過して、誰も怪しい人影など見なかったロブとシェルの足が止まる。
「やあ、お疲れ様だネ」
――まだ暗いなか、ミュートが正面に現れたのだ。
交代する時間はまだ十分もあるし、そもそも次の見回り役はミュートではない。
何か用なのかとロブが声を掛けようとした瞬間、大事に抱えている赤子が突然泣き始めた。
「あらら、泣いちゃったよ。もしかして……これから起きることを察したのかもネ」
シェルは「どういうこと?」と問いかけると、ミュートは不敵な笑みを浮かべるだけで何も言葉で返してくれなかった。
困惑している二人はなかなか泣き止まない赤子の対処に移る。泣くと体温が上がるので手で扇いでみたり、軽くマッサージしてみたりと色々やってみるも泣き止まない。
「うーん、そんなことしてる場合じゃないと思うよ」
十分後――午前五時。
見回り役が回ってきた村長の側近ルド、エドの二人。
リレーでバトンを手渡すかのように、暗い内は交代は魔道ランプを渡すことで成立する。それがいつまで経っても来ないのでどうしたのかと思い、仕方なくランプを持たずに見回ることにした。
薄暗いとはいえもうじき日の出。太陽が顔を出してくれればランプなど必要ない。
「異常はなさそうだな」
「……いや待て、足元に何かが。これはまさか」
徐々に明るくなり始めてきた頃、ルドとエドは何かを目にする。
丁度太陽が出てきたことで一気に照らされ始める。そうなれば二人の目にはっきりと足元にある何かが見えてくる。
――足元にあるもう灯りの消えたランプと、三つの人骨が。




