325 事件1――容疑者神奈――
煌めく星々が夜空に顔を浮かべ始めた頃。
ホウケン村にある一つの家で三人の男が木製の椅子に腰かけ、明るい蜂蜜のような色の酒を飲んでいた。飲み方など気にせず一気にブランデーグラスの半分程にまで酒を減らした男――グレンが酒のためでなく話のために口を開く。
「ぶはぁ……やっぱブランデー最高至高うぅ~……そう思うよなハヤテえぇ、ミュートおぉ」
グレンの両隣にいるのは、大人が奴隷として連れ出された後に仮村長として子供達を纏めたハヤテと、危険な帝王城潜入ミッションをこなしたミュート。二人共グレンとは幼い頃からそれなりの付き合いであり、この時代で飲酒可能と判断される十五歳から浴びるように飲酒するグレンの介抱を度々していた。
「ミーはだんっぜんっビール派ネ。特に苦いものがいいのサ」
「俺は特に好みがないな。この酒はまあ嫌いではないというくらいだ」
ブランデーとは主に葡萄などの果実酒から作った蒸留酒の一種。元が果実であることからほんのりと甘く、芳醇な香りを持っている。グレンは十五になってから、いや法に触れているが十三になってからあらゆる酒を飲み始め、結局最初に飲んで呑まれたブランデーを一番としている。ちなみに他の二人は法の下、いくらグレンに誘われてもしっかり十五になってから酒を飲み始めている。
「……あまり飲みすぎるなよ。酔い潰れた奴を介抱するのは面倒なんだからな」
「えぇ~いいだろ~最後になるかもしれないんだはらふああぁ」
「オー、呂律が回ってないネ。すでに飲みすぎてるよ」
「……最後、か」
六日後となる帝王軍との戦い。生き残れるかは不明、確率も低い。こうして三人が酒を飲み合うのも今日で最後になるかもしれない。そう思うとハヤテの口からため息が漏れる。
「ハヤテ、不安かネ」
「……ああ、正直に心の内を曝け出すなら不安で胸いっぱいだ。まったく、帝王なんて奴さえいなければ平和な暮らしというやつを続けられただろうに」
ホウケン村の人間にとって帝王とはいわば災厄のようなもの。それも自然発生した台風や地震などと違い自然には過ぎ去らない最悪な存在。終わらせるには人の手か、はたまた神の手以外にない。
誰かがどんなに祈っても帝王の侵攻が終わることはなかった。つまりこれはいずれ誰かがやらなければいけない問題、人類に課せられた試練のようなものだったのだ。たまたま帝王の住む城が何の因果か近くに転移してこなければホウケン村の人間も動かなかっただろう。それには世界から損な役回りを押し付けられたかのような理不尽さを感じ、当初はいるかも分からない神に怒声を向けていた。
「安心しなよ。仲間全員で平和に暮らせる日は近いからサ」
「そうだぞハヤテえぇ、俺達は必ず帝王にかあうヴぉべえええ」
いいことを言おうとしたグレンは机に向けて嘔吐した。
「ふっ、飲みすぎだな。ミュート、このバカを介抱してやれ」
立ち上がって玄関へ向かうハヤテを見てミュートは首を傾げる。
「最後の介抱しなくていいの?」
「……最後にはならんさ。戦いが終わったら、どうせそのバカは滝のような量の酒を飲むだろうからな。確実にその時も酔い潰れる」
グレンはこうして飲み会のような集まりをしたときにいつも酔い潰れていた。もはや酔い潰れることが運命であるかのように彼は今も、自分の嘔吐物に顔面を擦りつけるように倒れて寝てしまった。ハヤテとしては起き次第感想を聞きたいところである。
ハヤテはグレンの家から出て、夜空へと昇るように伸びている城を一瞥した後に自宅へと足を進めた。
* * *
――神奈がホウケン村に来てから三日目。
エミリーの家にやって来たハヤテが、険しい表情で告げた。
「緊急招集。場所は作戦会議に使った村の会議用家屋」
いったい何があったのか。ハヤテの表情から只事ではないと読み取り、エミリーと神奈の二人は顔を見合わせて頷く。
そして五分後。会議用家屋に十人の人間が集まった。
全員を呼び集めたハヤテはもちろん、エミリー、神奈、サイハ、キリサメ、ミュート、村の大人三人。その内で一番年を取っているだろう、杖につく白髪の老人がハヤテに問いかける。
「ハヤテ、いったい何事かね」
一応昨日の作戦会議にもいた杖をつく老人を見て神奈はエミリーに「誰?」と小声で問う。すると「村長です」と同じように小声で返された。
「まずは理由も告げず突然招集をかけたこと謝罪しよう。この面子だけを集めたのは騒ぎを起こさないためだ。正直俺にも今は不明なことだらけだがこれだけははっきりしている。――この村に敵が潜んでいる」
ハヤテ以外に緊張が走る。そして会議用家屋に現在存在していて、昨日は存在しなかったものに目を向ける。
昨日までなかったソレは、部屋の奥にいるハヤテの傍にあるソレは白い布だった。
全員ソレに不気味さを覚える。白い布は何かにかかっている状態で、下の何かの正体を覆い隠している。だがどことなく布地の下にある何かが想像出来る。盛り上がっている部分とそうでない部分から推測すると布下に置かれているのは――
「まさか……それ、人間なの……?」
「ああ、そうだ。武器を作っていたグレン……俺の、友だった!」
サイハの問いにそう叫んだハヤテは白い布を勢いよく捲り上げる。
真っ白な布が放り投げられて出てきたのは、これまた白い――人骨。
死体ではなく肉がのこっておらず完全に白骨化しているものだったのだ。グレンという男の予想外な姿を目にした全員に動揺が走る。
「グレン……あのグレン……? でも、どうして、どうして骨だけに……」
「村長、これはありえません。昨日俺はグレンの元気そうな姿を見かけました」
「そうじゃな、ありえん。グレンはつい昨日まで元気に生きていたのだろう? 人間の死体が白骨化するまで最低でも一週間以上はかかるはずじゃ。その骨はグレンのものでないのではないのか」
大人の男の言葉に村長は同意する。
人間の死体が白骨化するまでにかかる時間は場所、環境、季節などにもよるが最低でも約一週間はかかる。地上に放置されていた場合、夏で約一週間、冬では数か月以上。 乾いた土中に埋められている場合は数年など、状況によって時間は変わるがたった一日で白骨化するというのは現実的でない。
「間違いなく、いやそうだな可能性が高いと言い直そう。断定するのは早い、希望も持っていい。だがこの白骨はあいつの家に転がっていたんだ。他の誰かの骨だというのならグレンの家に存在していたのをどう説明する」
「確かに、グレンの親は今いない。採掘場で身内が死亡している以上あの家にはグレンしかいない。当のグレンは……いや、これは確認するまでもないか」
村長はグレンの居場所を尋ねようとしたが、この場にいないことからわざわざ口に出すことではないと思い止めた。友達であったと言い切るハヤテが捜さないはずがないのだ。もし見つかっているのならこんな緊急招集などなかっただろうし、答えはすでに出ている。
白骨化の件はありえないと言い切りたいが、現状一人の少年が行方不明もしくは殺害されたという事実。常識ではかれない何かがグレンを白骨死体に変貌させたのではないかと、この場にいる全員が思う。
「昨夜、グレンは俺とミュートの二人と会っていた。酔い潰れたあいつの介抱を任せて俺は出ていったが……ミュート、お前があいつと別れる最後の状態はどうだった? 何かおかしなことはなかったか?」
「いいやなかったネ。酔い潰れて寝てから起きなかったし、布団に寝かせてミーは出ていったんだよ。寝言はうるさかったけど他に気になる点なんてなかったよ」
「つまりグレンはお前が出ていった後に殺されたというわけか。真夜中では目撃証言も期待出来ないな」
「……そもそも、どうしてグレンさんは殺されたんでしょう。これから決戦だという準備期間に殺人を犯すなんて」
エミリーの指摘は当然ハヤテも考えていた。そして考えた結果が最初の言葉。
「そうだ、どんなバカでもこの村の人間は大事な期間中に事件を起こしたりしない。そんな事件を起こすのは当然――敵だ。帝王の手の者がこの村に紛れ込んでいる可能性がある」
ハヤテの言葉に納得するとともに神奈はこの流れがマズいと思う。
先程から言っていることは正しい。現状では妥当な推理であるし、帝王の配下の者がいるという前提で考えれば何もおかしくない。ただ非情にマズいことに、ホウケン村には現在部外者が三人滞在している。
(ヤバい、これは、この展開はマズい)
「そうなると一番怪しいのは――村の人間以外になるわね」
サイハの言葉をきっかけに全員の視線が神奈に集中する。
部外者となるのは神奈、エイル、アリアの三人。これまで喧嘩はあれど仲良く暮らしてきた村人を疑う前に、真っ先に疑われるのは神奈達三人なのだ。
全身から汗を噴き出し顔が多少青褪めた神奈は、やっぱりこうなったかと内心呟く。疑われる過程がしっかりしているからこそ神奈にとっては最悪な展開である。
「ちょっと待ってください」
異端審問でも始まるような雰囲気の中、エミリーが口を開く。
「神奈は二日前から私の家に泊っています。一緒に過ごしていましたが何も不審な点はありませんでした」
「犯行は真夜中です。エミリー、あなたはそこの殺人犯が真夜中に何をしていたのかを証明出来る? 一度眠れば朝まで起きないあなたがアリバイを提供出来るとは思えないけど」
サイハの追撃にエミリーは「それは……!」としか声に出来ない。
しかしここで屈すれば神奈が犯人扱いされてしまう以上、エミリーも負けるわけにいかない。彼女は神奈と共に戦い、過ごし、悪人でないことを感じ取っている。昨夜は神奈の今までを多少ぼかされながらも聞いて談笑したので、友達と宣言出来るくらいには仲が深まっていた。
「彼女はあの四神将撃破に協力している事実があります! 帝王の配下なら、わざわざワイルドを殺してまでこの村に潜入する意味がない!」
「そうじゃな、四神将という強大な戦力を削ってまで潜入作戦をするとは思えん。何より彼女は我々の恩人でもあるし、あの昨日目覚めたというアリアさんに優しくしているところも見ていた。そうじゃなお前達」
村長からの支援もあり、それに「はい」と同意した二人の大人の言葉もあったので、一先ず窮地は乗り越えられたかというのは甘い考えだ。神奈はまだ疑心の宿る瞳のサイハを見てそう結論を出す。
「ふふ、死体は確認したの? まさか確認もしないで殺したと信じているわけじゃないわよね?」
「……それは……していません」
「ならやはり帝王の配下という可能性は十分あるわね。実はその四神将の一人が生きていて、全てが茶番だったなんてことも……ねぇ、神奈さん」
微笑するサイハの目は笑っていない。
茶番などと言われるのは神奈も不愉快だが、事実死体を確認させていないので妄想しようと思えばいくらでも茶番にできるだろう。ワイルドの死亡を確認させればいいとは思うのだが、わざわざ死体を確認させるというのも彼に悪い気がしたので、神奈は強く言われなければ死体の元まで行きたくはない。そもそも彼がどこに吹き飛んでいったのか神奈も分からない。
「茶番……しかし……」
村長を含めた大人達三人も少し気持ちが揺れ動いている。
「ありえない話だ。そいつは白さ、この村に潜入するにしてもハイリスクすぎる」
口を挿んだのはキリサメだ。彼の心に神奈への疑いなど欠片もない。
無視できない相手から反論を受けたサイハは笑みを消して目を向ける。
「だからキリサメ、四神将を殺したというのは嘘の可能性があるのよ。ハイリスクも何も、リスクを負っていない可能性が」
「ワイルドの話じゃない。俺は神奈が採掘場を管理している兵士長を殺すのを目にしている。これは大人達も知っているだろうし、神奈が帝王の手の者というのを否定する材料くらいにはなるんじゃないか?」
思わぬところからのフォローに神奈は「キリサメ……」と思わず呟く。
「……ええ、確かに。疑いが消えるわけではありませんが、兵士長というそれなりの地位の者を殺すのも味方ならおかしな話ね。……では、あのエイルさんやアリアさんという方はどう? あの二人が殺したという可能性は?」
「可能性可能性なんて言っているとキリがないぞ。……アリアの体調はまだ悪いままだし、エイルは付きっきりで世話をしている。奴らも白と見ていいだろう。それよりも、可能性だとかいうのならもう一つ、まだ敵が表に出て来ずに潜んでいる説を推す」
神奈達のような余所者でもなく、かといって村人達の中にいるでもなく、全く別の『敵』というカテゴリーに所属している何者かが未だ潜んでいるのではないか。キリサメは後にそう続けた。
神奈としてもキリサメが告げた説は現実味があると思う。余所者が敵の手の者だった、村人の中に裏切り者がいた、それらよりも遥かに良い誰も疑う必要のない説である。
「なるほど、知らぬ間に侵入されて隠密行動を取らせていると。その線はありそうね。ハヤテ、一旦この線で調査してみない?」
「ああ、それじゃあペアを組んで調査しよう。混乱を避けるためくれぐれも内密にな」
かくして、ホウケン村で起きた異質な事件の調査が幕を開けた。




