320 嫌忌――ワイルドの感情――
「……最高? なんだ、お前も戦士ってやつか? 戦いこそ喜びみたいなそんな連中のお仲間か?」
激闘で喜んでいるワイルドを見ていると、神奈はどこかエクエスに似ているような気がした。対等に戦える存在を見つけて笑っていた彼と。
「戦いこそが喜びぃ? いいや違う、逆だ。俺は誰かと戦うことがあまり好きじゃなかった」
「説得力ないよ」
楽しそうな表情で言われてもまったく信じられない。そしてそれが気に入らなかったのがエミリーだ。
「好きじゃなかった? ふざけないでくださいよ、ふざけるな! あなた達帝王軍がどれだけ血を血で洗う戦争をしていたか。どれだけの民を恐怖に陥れたか。どれだけその手を汚して人の命を奪ったのかを胸に手を当てて考えてみなさい! あなた達は戦いが大好きな、平和を踏み躙る悪魔でしょう!」
怒りで肩を小刻みに震わせて、エミリーは叫ぶ。
そうなるのも当然だろう。帝王及びその配下は十年近く世界中の人間から平和を奪った者達。戦いが好きでないというのならどうしてそんな真似が出来るのか。むしろその嫌いという戦いを一番してきた張本人ではないか。
ホウケン村はワイルドに侵攻されたわけではない。しかし帝王に与する者というだけでエミリーが憎むのに十分な理由となりえる。怒りで心を震わせて叫びたくなるのは至って普通だ。
「くくっ、確かに説得力皆無か。だが事実だ。俺は子供の頃から……この手で何かを壊すことが嫌いだったんだよ」
「ならどうして帝王の仲間になったんですか。それが本当だというのなら、どうして誰かを守るためにその力を使えなったんですか!」
「……子供の頃から、俺の身体能力は異常と呼べるくらいに強かった。友達になってくれたモノも、家族も、全部全部掴めば脆く崩れ去る。触れたモノ全てが壊れてしまうこの力を当時は恨んでいた。……だがな、同じ悩みを持つ帝王様はこう言われた。それは俺が悪かったんじゃない、脆いモノが悪かったのだと。俺の初めての理解者にして、俺が傍にいても壊れない者……帝王様にお力添えするのは至極、当然のことだ!」
ワイルドが駆け出したことで二人は身構える。
走りながらワイルドは両拳を二人に放ち、それに神奈達は己の拳をぶつけて相殺しようとする。ただ、拮抗したのは神奈のみで、エミリーはすぐに弾かれて鎖骨辺りに拳が突き刺さった。
殴り飛ばされて転がり、右肩を左手で押さえて「ぐああああっ!」と叫び悶えるエミリー。そんな彼女を見たワイルドの瞳に失意が現れる。
「やっぱりあっちはダメだ。俺が気に入ったのは、戦って楽しいのはお前だけだぞ神奈!」
「私はぜんっぜん楽しくないんだよおっ!」
力比べでもしているかのような拳同士だが、神奈の拳が突然引かれる。
思いっきり力を入れているときに支えるものがなくなるとバランスを崩す。ワイルドも同様で、神奈の左拳が引かれたことで前のめりに体勢を崩してしまう。
隙ができたワイルドの胸部に右拳で殴りかかる。分厚い大胸筋の硬さを感じつつも神奈はワイルドを殴り飛ばした――つもりだったが耐えられて頭突きされる。
視界がチカチカ点滅し、痺れるような痛みが頭から全身に伝わる。小さな悲鳴を漏らした神奈は後ろによろめく。
好機を逃さないとばかりにワイルドは殴りかかり――神奈が「フライ」と呟いて一瞬のうちに高所へと移動したことにより空振った。
(一旦体勢を立て直さないと……)
上空に行くにはワイルドの場合、足に軽く力を込めて跳ばなければならない。その一つのモーションだけでも十分に仕切り直せる。
――神奈は一つだけ思い違いをしていた。
いったいいつ、ワイルドが魔法を使えないと宣言したというのか。キリサメも、エミリーも、ワイルド自身もそんなことは言っていない。今まで使用する素振りを見せなかったから勘違いしていたのだ。
ワイルドは「フライ」と力強く言い放つ。
それは神奈の使用したのと全く同じ飛行魔法。神奈が驚愕に目を見開くのと、ワイルドが至近距離に飛んできたのは同時だった。
(こいつ空を、魔法を……!)
「連れねえな、逃げんなよ。それとも空中デートが好みか?」
体がくの字に曲がり、腹部を貫通したかと思う程に強烈な膝蹴りが神奈を襲う。胃の中に物があったら血反吐以外にも吐き出していただろう。
後方に高速で吹き飛ぶ神奈をワイルドが追いかけ、追撃を免れるために神奈は背を向け超スピードで逃げ出す。
「神奈さん、ワイルドの魔力量がどんどん低下しています。魔力の扱い方がかなり下手なようですね」
「……このまま鬼ごっこで持久戦に持ち込めればいけるか。飛行速度は私の方が上みたいだし」
どんどん突き放していく神奈は速度を維持していたが、異変に気付く。
ワイルドとの距離が離れず逆に近付いてきている。明らかに先程よりもスピードが上昇していた。
「まずいですよ、ワイルドの魔力使用量が跳ね上がりました。このままでは追いつかれてしまいます」
「ならこっちも……」
「いえ、それは止めておいた方が賢明です。尋常ではない身体能力を持つワイルドを倒す手段は超魔激烈拳か、超魔加速拳以外にありません。とはいえ、もしこちらの魔力が減少しすぎていれば一撃で倒せなくなります」
超魔激烈拳は魔力を一点に集中して攻撃する魔力応用技術の一つ。その威力は凄まじいが、自身の残量魔力により威力が左右されるので、激しい戦闘を続けすぎれば威力が下がっていく。まだ通用するレベルの魔力が残っているとはいえ、ワイルドのようにむやみやたらに消費すれば勝ち目が薄くなってしまう。
荒れ狂う紫紺のエネルギーを纏うワイルドの接近に応じ、神奈は振り向き様に拳を放つ。当然の如くそれに反応したワイルドも拳を突き出し、衝突と同時に花火以上の大音量で空気が震える。
両者一度拳を引くと、今度は連打のぶつかり合いに発展した。先程の空気が爆発したような大音量が鳴り響く。
連打の最中、神奈の左腕からミシッと、まるで傷んだ家の床でも踏んだかのような音がした。奔る痛みに思わず「うあっ」と苦悶の声を漏らして左手を引く。しかし同時に右足でワイルドの脇腹を蹴り――びくともしなかったワイルドから殴り飛ばされる。
それから吹き飛ぶ神奈は追いつかれ背後から再び殴り飛ばされる。それを数千と瞬き一回程の時間で繰り返して、最後に大地へ向かって蹴り落とされた。
神奈の周辺が瓦礫と化し、衝撃で空へと昇っていく。
「神奈さん!」
腕輪の叫びに反応して、衝撃と痛みで閉じていた目を開けるとワイルドが落ちてきていた。両足でスタンプしようとしているのを見て焦った神奈は横に転がって回避する。なんとかスタンプは避けられたが、散弾銃のように飛来した瓦礫までは避けきれずに体が宙を舞う。
「いいぞ、やっぱりお前だけだ。お前しかいない」
神奈は距離をとろうと〈フライ〉で体勢を直しつつ後退しようとするが、それを許さないように接近したワイルドの両腕が後ろに回って阻止された。そしてそのまま両腕に押されてワイルドの体と密着状態になる。全く嬉しくないハグだ。
密着しすぎなのと、両腕の動きが制限されているために脱出不可能。
最初は優しく抱かれていたが、次第に抱きつかれる力が強くなっていく。
「ぐうっ、ちょっ、なにして……!」
「俺と番いになろう」
唐突なプロポーズに「は?」と呆ける暇もなく、抱かれる力が強くなったことで代わりに出たのは「ふぎゅうっ!?」という訳の分からない悲鳴。そのまま尋常ではない力のハグが続いて神奈からは意味を持たない悲鳴が漏れ続ける。
「やはり俺と抱き合えるやつはお前以外にいない。普通なら全身の毛穴から血が出て、体がぐちゃぐちゃになって、口や尻から潰れた臓器が飛び出てる。だからずうっと俺の番いになれる女はいないと思っていた。でもようやく会えたんだ、さあ結婚しよう!」
「ぐびゅっ、ざ、け、ずっ……な……!」
恥じらいなどないが、血が昇ったのか止まったのか顔が赤くなる。目から涙だけでなく眼球まで飛び出てきたような気もして、神奈は本格的に限界が近いことを悟る。
このままでは本当に死んでしまうかもしれない。そう思ったとき、神奈からではない喘ぎ声がその場で出された。
「ぐ、おっ……!」
苦しそうな喘ぎ声を出したのはワイルドだ。その原因は一度の攻撃。
――背後に回っていたエミリーが、ワイルドの股の間を蹴り上げていた。
二つある内、右側の睾丸がぐしゃりと潰れたような感覚を与える。想像を絶する痛みが脳に伝わり声にもならない悲鳴を漏らす。剥き出しの臓器のようなもの、男性共通の弱点なのだからそうなるのも無理はない。ショック死する者もいるというのに気絶すらせずワイルドは耐えている。
腕の力が緩み、神奈は解放される。そして――睾丸に膝蹴りをお見舞いした。
ワイルドに今度は左側の睾丸が潰れた感覚を与える。さすがに二度目ともなれば我慢出来る――はずもなく喉が潰れたかのような掠れた声を出し、白目を剥いて両膝を地につけた。
前世が男性だったので神奈もその痛みはなんとなく理解できる。だからこそ相手が男性の場合は効果的な攻撃だと分かっている。
「……はぁ、ふぅ、悪いけど、私には不幸なことに婚約者がいるもんでな。お断りだよ」
「なんとか倒せたようですね。ふっ、戦闘は男の方が強いと思われがちですが、女もやるときはやるんですよ」
「金的で勝って嬉しいか?」
卑怯な気もするが勝負の世界は非情なものだ。男性である以上剥き出しの弱点の対策は何一つない。そこを突かれて倒されるのは仕方のないことなのかもしれない。
「ワイルドも倒したことですし採掘場へ戻りましょう。もう敵はいないのだと教えてあげなくては」
「他の兵士は?」
「戦意喪失しています。ワイルドの強さを知る分、怖かったのでしょう」
「味方にすら恐怖される、か。案外ああ見えて孤独なやつだったのかもな」
採掘場へ歩いて行く神奈達――の背中にかけられる声。
「そうさ、俺は一人だ。日々の生活に寂寥感を覚えていた」
驚いて振り向く神奈達の視界には目前にワイルドが映し出された。
両足はガクガクと震え続けていて立っているのもやっとといった感じである。一応警戒はするがもうすでに戦える状態ではないと神奈は理解する。
「だが、お前なら俺の力に耐えられる。一緒に過ごせて、苦楽を共に出来る。お前も俺しかいないはずだ。そんなどこの馬の骨とも知らん婚約者なんか無様に死にゆくに決まってるぜ。なんならこの俺が殺して、強引にでもお前を奪い去ってやろうか」
「くっ、このっ!」
エミリーが憤る気持ちを抑えられずに殴りかかるが、それは隣から左腕を掴まれて止められた。ようやく敵ではないと信じられた相手に止められたことで驚愕し、目を見開いて神奈の方を見やる。
「怒りを抑えろエミリー」
「なぜです、もう一撃でも入れてやれば殺せるかもしれないのに。もうこの男の余力はほぼゼロ、私達の攻撃に耐えられる程のエネルギーが残っていない。今が絶好のチャンスなんですよ!?」
「……分かってる。でも、待ってくれ」
苦し気な表情で告げる神奈の気持ちなどエミリーは考えもしない。自分は正しいはずだと信じているのだから、神奈が間違っていると確信しているのだから、攻撃を止める必要などない。
左腕を放されたエミリーは神奈に怒声を浴びせる。
「さんざんっ! 帝王軍の連中にはさんざん苦汁をなめさせられたんです! こんなやつに生きる資格なんてない、今すぐ殺すべきです!」
「……やっぱり似てるだけか。まあいい、とにかく力を抜け。安心しろ、ワイルドにはしっかり罪を償ってもらうさ」
「死ではなく、生きてですか」
「……いや、死で」
神奈が悩んだ末に出した結論は殺すこと。
世間一般では悪だとみなされるのだろう。悪人だろうと殺すことは悪だとされるのだろう。しかし彼女は多少躊躇ったが殺すことを選んだ。
ワイルドの語った境遇を神奈はなんとなく理解することが出来て、同情してしまった。もし神奈が力のコントロールを出来なければ第二のワイルドになっていたと思う。友達も何もかも壊してしまう人生など生き地獄にしかならない。
ワイルドに与える最大の慈悲は――人生を終わらせることである。
「ならばなぜ今すぐ殺さないのです。生かしておく理由がないのなら今すぐでいいでしょう?」
「もうちょっとだけ、話してみたかったんだ。私も最初は話を聞く必要なんてないと思っていたんだけどな」
「……くっ、まあ、帝王の情報を引き出す必要はありますか。回復されては厄介なのでこの場で尋問することにしましょう」
ガクガク震え続けている両足を見てエミリーの毒気が抜かれる。
ワイルドは限界だったようで勢いよく地面に座り込んだ。それから胡坐を掻いて項垂れるようにして口を開く。
「帝王様の情報など出すわけがないだろう。俺の忠誠は揺るがん」
「死にたいのですか? 吐かないと殺しますよ?」
脅迫にリアクション一つせずワイルドは口を閉じている。
「いいでしょう、死になさい」
「ああもう待て待て! ……これじゃ無理か。じゃあワイルド、一つだけ訊くから答えてくれ。……生か、死か、どっちがいい」
殺す予定ではあるが一応本人の考えも神奈は聞いておきたかった。仮に生きたいとワイルド自身が答えたのなら、エミリーを説得してみようかなと思っている。
「……色々考えたが、帝王様に迷惑はかけたくない。生き長らえたところで恥を晒すだけだ。帝王様のために死ねるのならいいかもしれない、そう思えた」
「そうか。まあ私の婚約者に挑んだらどのみち殺されてただろうけど」
「くくっ、そんなに強いのか? その男は」
「強いよ。今はまだ私達に及ばないけど、お前と違ってもっと強くなろうとしてるから。私はそんなふうに努力してるやつが結構好きなんだ」
「……そうか。俺とは、大違いだ」
ワイルドは生まれてから今まで、努力したことなど数えられるくらいしかしてこなかった。力の制御もある程度は出来たが、完全な制御は不可能だと諦めた。まだ会ったことのない神奈の婚約者に初めて抱いた感情は嫉妬ではなく、憧れ。弱かったゆえに努力できる真逆の境遇が心底羨ましいとワイルドは思う。
「おい女、もういい。俺を殺せ」
ワイルドはエミリーに目線を送って薄い笑みを浮かべる。
「ええ、今まで殺してきた人達の分だけ罪を償ってきなさい。せめて来世では過ちを犯さないことですね」
冷たい両目での睨みが鋭くなり、エミリーは再び左腕を振りかぶる。
来るだろう衝撃をワイルドは静かに目を閉じて受け入れようとしていた。もう間近にある殺意混じりの拳を感じ取っても抵抗することはない。
やがてエミリーの左拳が腹に直撃して、力を抜いていたワイルドは派手に吹き飛ぶ。
肩で息をするエミリーはしっかりと敵の骨を砕く感触を――感じ取れなかった。縦に十回転して転がって横たわった敵を見下ろす。
「……ダメだな」
ゆっくりと起き上がり、両足でしっかりと立つワイルドを前に、エミリーは「は?」と困惑の声しか漏らせない。
死を受け入れるというわりにピンピンしているからだ。エミリーは全力で攻撃したのに、実は抵抗して魔力を攻撃箇所に集中していたのではと疑いたくなる。
「俺を終わらせるのは神奈、お前しかいない」
「……結局、私か。言っとくけど生半可な一撃じゃあないぞ」
「そうじゃないと俺はこの生を終われないだろう?」
使用するのは超魔激烈拳。神奈の右拳に紫のオーラが集中して覆われる。
「だろうな。安らかに眠れ、ワイルド」
エミリーと同じく神奈の右拳も腹部に突き刺さり、その瞬間、体が爆発四散したかのような痛みを訴えて遥か彼方へと吹き飛ぶ。
意識が消失した。ワイルドの肉体は死に至り、魂である白いモヤが天へと昇っていく。
神奈はどこか悲し気な目でワイルドが吹き飛んでいった方向を見つめる。これがあの男にとっての救いなのだと信じて。
奇跡が起きて4連休。今日から4日間連続投稿確定!
書いてみて分かったけど、帝王編って一番長くなりそう……。今もまだ辛うじてやる気を保っていられるのは読んでくれる皆様がいるからですよ。もしアクセス数がゼロとかなら絶対書く気失せそう……まあさすがにここまで書いてきてるし最低限の責任果たすために放置しないですけど。




