31.1 集中――宿題は自分でやりましょう――
日常
戻りたいよね
あの頃に
宝生小学校の校庭に生えている樹木の葉が紅く染まってきて、誰もに秋だということを感じさせる。癖のある黒髪を肩付近まで伸ばしている顔立ちの整った少女――神谷神奈も例外ではなく、窓から見える紅葉で紅くなり始めている山々で秋になったのだと実感している。
秋といえばスポーツの秋や芸術の秋などとよく言われる。由来としては物事に集中しやすい季節だからという説が濃厚だ。そんな季節だというのに――神奈は全く授業に集中していなかった。
「これにて授業を終わりまあす」
教師の言葉を合図として日直当番の生徒が「起立、礼、着席」と挨拶して一日の授業が終了する。こうして碌に話を聞かないまま授業を終えた神奈だが、いつもに増して集中していないのには理由がある。
神奈は夏休みに出された宿題を一切手をつけずに二学期を迎えた。もちろんこれは面倒だったからとかではなくちゃんとした理由があるのだが、やっていないのは事実なので教師からしこたま怒られたのは必然であった。当然、しょうがないで済まされるはずもなく、神奈はやらなかった宿題を夏休み明けからやるよう指示を受けたのだ。
夏休みの宿題というのはもちろんのこと夏休みにやるものである。長期休暇だから出来るのであって、普段の学校生活を送りながらだと終わるのにはかなりの時間がかかる。だが悪いとは思ったので神奈は取り組むことにし、現在――休み明けから一か月経った十月一日にようやく終わらせることが出来た。
課題を終えれば反動で怠さが来る。神奈の集中力不足はこれが原因だったのだ。
「あれ……授業が終わってる。いつの間に……まさか私はついにスタンド能力を手に入れたのか? キングクリムゾン出来ちゃった?」
「何言ってるんですか神奈さん、ボーっとしてただけじゃないですか」
独り言に返してきたのは神奈が右腕につけている白黒の腕輪だ。
万能腕輪という豊富な知識を持つ腕輪で、神奈に魔法を教える役目を持っている。
「いやでも私、先生の声が全く届いてなかったんだけど」
「そりゃあ聞く気がないですからね。まあ届いてはいるんでしょうけど右から左へ受け流しちゃっているんですよ」
興味のない音は耳から入ってもすぐに忘れてしまう。神奈の場合、転生前に一度体験している小学校の授業など興味がないのは当然だろう。簡単すぎて真面目に聞いていても眠る可能性がある。
「神奈ちゃん、全然授業聞いてなかったね」
「笑里さんもだけどね。ブーメラン刺さってるの気付いてる?」
窓際最奥の席にいる神奈に近寄って来たのは友人である少女二人。
笑みを浮かべているオレンジ髪の少女――秋野笑里。
呆れたような表情をしている黄髪の少女――藤原才華。
「え、私も? ていうかブーメランなんてどこにも刺さってないよ?」
頭を手で触って確認している笑里に才華は呆れた様子を崩さない。
「ただの比喩よ、比喩。……笑里さん、さっきの授業内容を言ってみて」
「……確か……割り算」
残念なことに先程受けた授業は国語である。割り算など微塵も出ていない。
「どうして国語の授業に割り算が出てくるのよ」
「あっ、ごめん間違えた! 国語だったよ!」
「ふぅーん? じゃあ、さっきの内容は?」
「……こ、国語です」
「それ科目の名前だよ……」
授業を聞いていなかったことが証明されたところで、神奈は「それくらいにしてやれよ」と二人の会話を止める。笑里が授業を聞いていなかったことなど分かりきっているので、そう意地悪く追求することでもない。
「で、何か用か二人共。私結構疲れちゃったんだけど」
「夏休みの宿題の件は自業自得でしょ。言ってくれれば私達が手伝ったのに……こんなことになるなら笑里さんを手伝ったときに呼べばよかったわ」
案の定というべきか、笑里も宿題をやっていなかったので才華が手伝ったのだ。ただ連絡していたとしても、神奈はそのとき二度目の入院中だったので繋がらなかっただろうが。
どうして笑里が宿題を終えられたのかを理解した神奈は納得した顔になる。
「あー、どうりで笑里の宿題レベル高いなと思ったよ。なんだあの自由研究、現代社会において環境に考慮したビニール袋の使い方って」
「才華ちゃんと一緒に色々やったんだよ!」
笑顔でブイと勝ち誇ったかのように手を突き出す笑里だが、功労者の才華は呆れた様子の顔をしている。
「……ほとんど私が調べたんだけどね。笑里さん、ほとんど寝てたし」
「あー、なんていうか……ご苦労さん」
小学生の自由研究とは思えない程レベルの高い論文は、才華の苦労した努力の結晶だったのだ。実質二人分の自由研究を行った才華には神奈も尊敬せざるをえない。もし神奈だったら研究テーマを【蟻】とでもして適当に手伝っていただろう。
「神奈ちゃんは自由研究で何したの?」
「私はカップ麺だ。お湯を注いでからどれだけ早く食べられるのか、そして時間が経ってどれだけ麺が伸びるのかを検証した」
「わぁー、結構どうでもいいね」
「人に任せっきりのやつにそんな感想貰いたくないわ」
どんなにしょうもないことだったとしても、宿題を友人任せにした笑里よりは上だと神奈は思っている。
宿題というものは自分でやった方が今後のためになるのだ。小学生の頃から人任せにしていると将来ろくな大人になれないだろう。
「ねえ二人共、宿題はとりあえず終わったんだし気分転換としてどこかへ行かない? 気分爽快リフレッシュしていきましょう?」
「おっ、いいね! じゃあどこか食べに行こうよ!」
(食べ物限定なんだ……)
密かに胸中でつっこみつつ神奈も賛同する。
「まあいいんじゃん。でもどこへ行くか……」
「ふふ、実はここに秋の山菜採りツアー三名分のチケットがあるのだけど」
着ているフリル付きのドレスにあるポケットから、才華が笑みを浮かべながら三枚のチケットを取り出す。
笑里は「いいね山菜!」と食いつくが、神奈は初めから才華の用件はこれだったなと思い少し苦笑する。ただ断る理由もないので神奈も笑里と同じく賛同した。
「いいじゃん、それいつだ?」
「明日よ」
「早いよ!」
両目を瞑った神奈は左手で机をバシッと叩いて叫んだ。
* * *
紅葉が進んでいる山の麓に大勢が集まっていた。秋の山菜採りツアーの参加者だ。
チケットに注意事項が書いてあったが、その中でも注意すべきことは服装や道具についてだろう。まず山に入るということで吸血動物の攻撃や虫刺され防止のため、最低限、肌がほぼ露出しない服装は必須である。神奈達含めた参加者全員が長袖長ズボンという露出少なめの服だ。
肌の露出を抑えるということとも関係しているのだが、アザミなど山菜によっては棘がある植物があるので軍手をはめている。棘があれば簡単に怪我をしてしまうものだ。
道具については全員がリュックサックを背負い、その中に汗を拭くためのタオルや、山菜を採るためのサバイバルナイフが入っている。当然採った山菜を入れるための竹籠も手に持っている。
「ようこそお集まり頂きました。私、この度この山菜採りツアーのガイド兼この山の所有者である三佐似鳥と申します」
(山菜採りのために生まれたかのような名前だな……)
ガイドである男――三佐が集団の前に出て話し始める。
「まずご退屈でしょうがいくつかの注意事項をお聞きください。守らなければ種の絶滅や身の危険にも繋がりますのでしっかりお聞きください」
三佐は丁寧な口調で説明を開始した。
「まず一つ目。一つの場所から採りすぎないこと」
左拳を上げた三佐は人差し指を立てて一つ目であることを示す。
「重要なことなんですが、これは初心者がやってしまいがちなんです。自生している植物を栽培品よりも生命力が強いと思い、同じ場所から大量に採ったり、根っこごと引き抜いてしまうんですね。確かに生命力や繁殖力が非常に強く抜いても死なないものもあるんですが、山菜には枯れやすいものも多く存在しています。乱獲されて数を減らしているものも珍しくありません」
「えー、じゃあいっぱい採れないじゃん」
神奈達と同年代らしき小太りの少年が不満そうな声を漏らした。
「そんなことはないですよ、色んな場所から少量ずつ採っていけば多く採れるでしょう? さあ続いて二つ目、自分で食べられる分だけを採ること」
三佐が小指を立てて二つ目であることを示す。
(いや、指の立て方が独特すぎるだろ!)
大抵の人は人差し指の次は中指だろう。二番目に小指を立てる人など神奈は見たことがない。
「先程も言った通り採りすぎると山菜に悪影響を与えます。それに、有名な山菜でタラの芽やコシアブラなどは一日二日で味が落ちてしまいます。今の時期にタラの芽などは採れないですけど、そういうものもあると頭に入れておいてください」
「えー、いっぱい持って帰れないじゃん」
またしても小太りの少年が不満そうに呟く。
「はい、次に三つ目。むやみに木や茎を折らないこと」
(次は親指かよ! なんかのキメポーズみたいになってるよ!)
人差し指、小指ときて親指である。とくれば次は中指だと神奈は推測する。
薬指だけを立てようとしても他の指と筋肉などが繋がっていて立てられない人が多い。独立して動かせる人もいるがあまり多くない。
「えー、いっぱい折れないじゃん」
(最初から折るなよ!)
「四つ目、野生動物に気をつけること」
――三佐は次に薬指を立てた。
(薬指いいい!? もうほんとなんなのその数え方!)
中指だけ曲げたままの奇妙な手をしたまま三佐は続ける。
「危険な野生動物と聞くと熊や猪が一般的ですが小動物も脅威です。迂闊に近付くと手を噛まれる可能性もあるので気をつけてください。触ったり、餌付けしたり、危害を加えようとするのはやめるようにお願いします」
一般人が熊や猪などに出くわせばただではすまない。一撃で致命傷を負ってしまうし、逃げようとしても逃げ切れないだろう。リスやイタチなどの小動物ならそこまでではないが、怪我をする可能性がある以上むやみに近付くのはよくない。……もっとも神奈や笑里ならどんな野生動物だろうと敵ではないが。
「えー、連れて帰れないじゃん」
(連れて帰ろうとするなよ!)
小太りの少年へのつっこみがなくなることはない。もはやわざとボケのようなことを言っているのではと疑いたくなる。
「というわけで注意事項は以上の四つです。しかし今言ったのは基本的なことなのでまだまだ注意するべきことはありますがね」
(四つだけ!? じゃあその数え方なおさら意味分からーん!)
人差し指から小指まで順に立てていけばそれで済んだ話だろう。数の数え方など人それぞれであるとはいえ、独特すぎて神奈は頭に注意事項がほとんど入ってこなかった。
「それでは山菜採りツアー、楽しんでいきましょう!」
笑顔で叫ぶ三佐に「おおー!」と小太りの少年と笑里が返す。いきなり笑里が大声を出したことで神奈はビクッと肩を跳ねさせた。
何はともあれ山菜採りツアーが本格的にスタートする。
* * *
山に入った神奈達は三佐に付いていきながら進む。
中には多くの植物と樹木が生えており、木の葉の色は紅葉によって紅くなっている。悪くない眺めの山道を進んでいると道の脇に栗が落ちているのを笑里が見つける。
「あっ、栗だ」
「ああそれは――」
嬉しそうに駆け寄る笑里に三佐が説明する――前に才華が説明した。
「それはヤマグリね。なんの品種改良もされてないから栄養も実も市販品には劣るけど、甘さとか風味は負けてないから味はいいわよ」
台詞を盗られた三佐は目を丸くして才華を見る。
「わぁー詳しいねえお嬢ちゃん。もしかしてお勉強とかしてきた?」
「いえ、私の家も山を所有しているので自然と。山菜の知識は六歳でマスターしました」
(さすが才ペディア……)
インターネットのフリー百科事典がこの場にあるかのような安心感。博識すぎて神奈は引くこともあるがありがたい気持ちは変わらない。
笑里と小太りの少年はヤマグリを手に持つ竹籠へと数個入れてから列に戻る。
そこから少し進むと新しい食材に笑里が反応する。今回は赤い球体に小さな棘のようなものが多くついている果実だ。神奈は全く知らないのに、というか笑里も知らないはずなのに「これは食べられる物の匂い!」などと言って走っていってしまう。
列の先頭を追い越してすぐ、その棘のようなものがある赤い球体に笑里は手を伸ばす。
「それは――」
「ヤマボウシね」
今度こそ説明しようとした三佐は背後から聞こえてきた声に反応し、ゆっくりと振り向く。当然そこにいたのは先程知識を披露した才華だ。
「マンゴーみたいに甘いからきっと笑里さんも気に入るわ」
「そっかあ、説明ありがとうね才華ちゃん」
集団が木に生っている真っ赤なヤマボウシを採っていく。その中で三佐は少し冷めた目で才華のことを眺めていた。
ショックを受けるのも無理はない。自分の仕事が女子小学生に奪われているのだから傷付くなという方が無理である。
その後も山奥へと進んでいく過程で様々な山菜を発見したが、全て才華に説明されていく。
まず灰色のバナナのような果実。アケビという名前は神奈でも知っていたが生で見るのは初めてだった。
「これはアケビね。バナナみたいな風味と実のつき方が特徴よ。種が多いけど甘くて美味しいから持って帰りましょう」
三佐の笑みが説明を聞いている間終始引きつっていた。
続いてノビルというニラのように細い緑の葉が大量にある山菜。説明を受けるまで神奈が食用であると気付かない程ただの草にしか見えない。
「ノビルだね、味とか香りはネギみたいな感じだよ! 美味しいよ!」
むきになった三佐が発見してからすぐに説明したのだが――
「そうですね、これは本当に美味しいと思います。ノビルって一般には春にしか採れないものと思われがちだけど、実際は真夏に一度枯れた後にまた新芽が伸びるの。わりとどこにでも生えているからここ以外でも見つけられるかもね」
冷静に才華が情報を付け足したことによりメンタルが再び傷付く。一番傷付いたのは枯れた後に伸びるという三佐も知らなかった情報が付け足されたことである。
続いて卵のような形をした実。ぱっと見てもなんの食材か分からなかったが、名前を聞けば有名だったので集団も理解できた。
「マタタビだね! 熟してないと生で食べたら辛いから持って帰って味噌漬けとか塩漬けにするといいよ! ああそれと色んな薬効を持っているから漢方薬としても利用されるんだ!」
「そうですね。あ、実はキウイフルーツもマタタビ科でね、種の並びとか同じらしいですよ」
「くそおおおおお!」
もはや単なる雑学にすぎないのだが三佐の敗北感はなくならない。
最後に見つけたのはサルナシと呼ばれる実。もう負けたくないという強い想いから三佐は勢いよく喋り出す。
「これはサルナシ! ある程度標高が高い場所に生えているんだ! 味は甘酸っぱくて美味しいからスーパーで売ってても違和感ないよ!」
「サルナシもキウイフルーツの仲間ね。ミニキウイなんて呼ばれることもあるみたい。熊とかがよく食べると聞いたわ」
「なぜだああああああああああ!」
いったい女子小学生と何を競い合っているのだろうか。才華も才華で、どうしてガイドの人間の説明に情報を付け足すのか。呆れた神奈は二人をジト目で見ていた。
「……ここで一旦休憩とします」
それから歩き続けて開けた平らな場所に出たので集団は休憩する。ツアーとしてはもう引き返して帰るだけなので、三佐の役目は新しい食材がない限りもう道案内しかないだろう。
ツアー客の集団は仲の良いグループに分かれる。一人でいる人間は悲しいことに仲の良い人が誰もいないということになる。
「才華、お前もう少し気を遣ってやれよ。可哀想だろ」
「え? もっと詳しく説明してあげた方がよかった?」
「……分からないのかあ」
遠い目をする神奈。いくら友人に説明するためとはいえ、ガイドの人がいるのに横取りするのはどうなのか。このままではショックを受けすぎて来年からツアー自体消えてしまいそうである。
「そういえば、神奈さんは山籠もりしてた時期があるのに山菜詳しくないんですね」
「まあ私は魔法のためだったし。山菜とか知らん」
山籠もりしていたのは前世での話だ。腕輪の疑問も分からなくはないが別に神奈は山菜のために山籠もりしていたわけではない。
「それにしてもいっぱい採れたね神奈ちゃん、才華ちゃん。帰ったら山菜パーティーでもしちゃう?」
神奈と才華の竹籠には道中見かけた様々な山菜が少量ずつ入っている。笑里こそどうなんだと神奈が目線を竹籠に移してみれば――竹籠の半分も入っていなかった。
「あれ? 笑里の量少なくない? 道中一番採ってたのお前だろ」
「確かに……笑里さん、誰かに奪われた?」
「ううん、食べてたらなくなっちゃった」
「そういや川に寄ったとき何か洗ってたな……家帰るまで我慢しようよ」
呆れたと言わんばかりの表情で二人は笑里を見やった。
 




