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【終章完結】神谷神奈と不思議な世界  作者: 彼方
十五章 神谷神奈と破壊の帝王
525/608

315 我慢――誰にだって限界はあるもの――


 ――ジャパニオン大陸中心地帯。

 そこにはイタレアという国に存在するコロッセオのような建物が聳えている。神聖なものに見えてその実態は奴隷達が強制労働させられる地獄。


「朝……」


 温かな日差しが窓から入ってきて、もう一つの光源となる天井の白い光球は存在意義が一時的に消失する。

 起きたばかりの女性はまだ眠気がする両目を左手で擦りながら上体を起こす。一応毎日眠れるが、枕も用意されないため硬い床の感触がよく伝わって寝心地が悪い。薄い藁のシートが敷かれていてもそれは変わらない。


 ストレスのせいかくすんだ金髪と、身に纏うボロボロの布一枚が視界に入り、鏡のない環境のため確認出来ないがきっと酷い姿になっているのだろうと女性――アリアは思う。


(……私、どうしてこんなところにいるんだろう。こんなことなら……私も、帝王に服従すればよかったんだ。こんな形じゃなくて……もっと……もっとこう…………ダメか、帝王はそんなに温くないよね)


 奴隷に堕ちる前、アリアは故郷であるトウキオという場所で幸せに暮らしていた。

 弟一人と両親と、四人暮らしで平凡な生活を送っていたし、これからも世間一般的に見て普通の生活を過ごして死んでいくんだろうと思っていた。そんな生活はある日、唐突に消し飛んだ。


 最初はとある情報番組の報道。世界一の国力を持つ自由の国が乗っ取られたという刺激的なニュース。

 自由の国――アモルカが攻められるというのも、本来なら相手はバカだなで済まされる話なのだが、実際に侵略完了とくればただのバカでなくなる。犯人に対しての嘲笑なんて誰もしない。

 報道は中継も繋がっており、犯人の男は大統領の首根っこを持ちながら語る。男は帝王と名乗り、世界は強大な力を持つ自分が管理するべきだと宣った。そして次のターゲットとなる国も宣言して――用済みと言わんばかりに大統領の首が胴体とお別れした。


 その狂気的な世界征服宣言から十年――世界の八割は帝王が支配した。

 当然のようにアリアの故郷も支配され、弟と共に奴隷堕ち。なぜかといえば父親が軍の関係者であり抵抗を続けたからである。結果として両親は死に絶えて、子供も抵抗するかもという理由で奴隷として管理されることになった。


 奴隷として働くことになってから半年。

 今の生活に慣れても未だに彼女は夢を見る。裕福でなくても幸福だったあの頃の平和な生活をどうしても捨てられない。記憶から消えれば辛さは軽減するとしても捨てはしない。


(早く父さんと母さんに会いたい……。でもエイルを残してはいけない。私一人で会いに行ったらきっと怒られちゃう)


 今やアリアの生存理由は弟であるエイルのみ。もしもエイルの命が消えたとなれば彼女は間違いなく、躊躇なく自らの命を絶つ。


「エイル、起きて。朝だよ」


 隣で寝ている弟をアリアは軽く揺さぶって起こそうとする。


「うぅ……あと一分……」


「もうダメだってば。ほら起きなさい」


 まだ眠いのか両目を擦りながら上体を起こすエイル。

 この半年でエイルの容姿はすっかり変わってしまった。髪や体が細かい傷だらけなのはアリアも同じだが、男性だからか筋肉が発達して逞しい肉体になったのだ。胸元を擦ってみれば硬い大胸筋が石のような感触を与える。


「はぁ、男の子とはいえ、十六歳の体じゃないと思うんだけどな」


「何してんだよ姉さん……」


「ああごめんなさい、ついね。ほら、早く朝ご飯を食べに行かないと時間なくなっちゃうよ」


 姉弟二人なら奴隷生活を耐えられる。そう思っていたアリアは弟がずっと傍にいると信じて疑わなかった。重度の依存症になっているのを本人は自覚していない。

 行列に並んでゲットした朝食のクロワッサンと水を腹に収め、二人は慣れた動きでヘッドライトとつるはしを持って地下通路へ向かう。


 地面の中を掘り進めるのは重労働。実は生まれつき体の弱いアリアに向いている作業とはいえない。しかし奴隷の仕事は地面を掘ることと、鉱石を運ぶことしかない。どっちみち体に負担のかかる作業なので変わらない。毎日毎日息を切らし、筋肉痛に悩むしかない。


「あっつうぅ……」


「姉さん大丈夫か? うわっ手が腫れてるじゃん、これ以上つるはし振るのはヤバいって」


 アリアの右手首の親指寄りが赤く腫れていた。自分でも気付かないうちにダメージが溜まっていたのだ。

 心配そうに見るエイルは、アリアの落としたつるはしを足で退かす。そのせいで拾おうとしていたアリアの手は空を切る。


「ちょっと、何するの」


「だからこれ以上はヤバいって。姉さん少し休んでなよ、俺が二倍働けばいいんだから」


「そんなの無茶に決まって――」


 地面から視線を上に向けようとすると、岩のようにゴツゴツとした手がアリアの頭に置かれる。


「いいから。姉さんはもっと体を大事にしなよ」


 そして撫でられたと気付いたのは二回程頭部を擦られた後。まるで子供のような扱いだが、こうして助けてくれることに一種の喜びを覚える。ふと笑みを零すと、邪魔にならないように壁際で大人しく座ることにした。


 アリア達がいる場所は大人が四人くらい横に並べる程度しか広くない。他に人もいないので壁際にいれば作業の邪魔にはならない。

 移動してから「私がお姉ちゃんなのにな……」と軽く零すも、つるはしで硬い地面を叩く音で掻き消される。


 ――それから二時間。汗水垂らして働くエイルのことを眺めて微笑んでいた。

 逞しくなったと、頼りがいある男になったと、様々な感想を抱いていたそのとき「おい」と野太い声がかけられる。


 焦って振り返ってみるとそこには一人の男兵士がいた。

 両脇に角が生えている三角の兜。こげ茶の服の上に軽鎧。腰に下げている鋼の剣。アリアは一度その男を見かけたことがあり、記憶の湖から一瞬で役職の名前が引きずり出される。


「……兵士長」


 その男はこの採掘場全体にいる兵士のまとめ役――兵士長。

 ただでさえ強面の顔がギロリと睨んだことによってさらに迫力を増す。


「女、何を休んでいる?」


「……す、少し怪我をしてしまいまして。ほんの少しばかり休憩を」


「休憩まであと三十分程ある。時間も守れないのか」


 仕事に励んでいたエイルが話し声に気付き、つるはしを捨てて慌ててフォローする。


「すみません兵士長。姉は体が弱いし、怪我もしたとなれば作業が厳しくなります。俺が姉の分まで働きますので許してくれませんか」


 兵士長が「ほぅ」と呟き、底冷えする双眸がエイルへと向く。


「つまり貴様はこの女の分まで働くから見逃せと、本気で言っているのか? あまり調子に乗るなよ、貴様らはいくらでも代替が利く存在なんだ。体が弱い? 怪我をした? そんなことは関係ない。働け! 体がいくら弱かろうが怪我をしようが今この瞬間に休憩出来るはずがないのだ。それがなぜ出来るのか、貴様のような甘ったれた弟が甘やかすからだ。もう一度言う、働け!」


 恐怖で顔を歪めながらもエイルは屈しない。アリアなら屈してしまったかもしれないのに。


「いいか、他の奴隷共はそんな理由で休憩出来ないんだ。もし特例を認めればそいつらも理由をつけて休み始めるだろう。そんなに姉を休ませたいのなら、他に苦しみながら仕事をしている者の分も働いてみろ!」


「あのっ私っ、もう大丈夫で――」


 これ以上何か言えばエイルが罰を受けるかもしれない。そうなる前に止めようとアリアは胸元まで手を挙げて告げるが――怒号で掻き消される。


「ふざけんな、さっきから聞いてれば人を舐めるのも大概にしろ! 姉さんはもうしばらくつるはしすら持てないんだよ……こんな傷付いてる女に働け働けって人の心がないのかよ!」


 アリアは止めることが出来なかった。あともう少し早く声にしていればこの場は収まったかもしれないのに。

 昔からエイルは周囲と比べて短気な子供だった。今は多少マシになったとはいえ、こんな環境で半年も我慢出来ていたことが奇跡のようなものだ。もし姉の存在がなければとっくに周りのために反抗していただろう。


「……反抗的な態度も罪だが、そこの女が仕事をサボっている原因は貴様にある。決めたぞ、貴様は仕置きなど生温い……牢屋にぶち込んで孤独な日々を過ごせ!」


 兵士長の剛腕がエイルの顔面を捉える。

 アリアが瞬きしたときにはすでに終わっていた。鼻骨が折れ曲がり、口と鼻から鮮血をドクドクと流すエイルが横たわっていた。

 ふんと鼻を鳴らす兵士長は、倒れているエイルの元まで歩み寄って雑に首根っこを掴んで持ち上げる。そして身を翻して立ち去ろうして、途中でアリアに睥睨する。


「弟を解放してほしければ働け! 怪我をしようと、空腹に苛まれようと、その肉体が動く限り働き続けろ!」


 兵士長が立ち去って、アリアは「……あ」と一文字呟く。

 弟が連れ去られるというのに何も出来なかった。これを現実だと認めたくなかった。誰よりも愛していた弟が傍からいなくなるなど考えもしていなかった。

 虚ろな瞳になったアリアは傍に落ちていたエイルのつるはしを手に取る。そしてゆらゆらと立ち上がり、痛みなど気にせずに絶叫しながらつるはしを振るう。


「あああああああああああ!」


 振るう。振るう。振るう。


「あああああああああああ!」


 ふるう。ふるう。ふるう。


「あああああああああああ!」


 フルウ。フルウ。フルウ。


「あああああああああああ!」


 その日、何度も、何度も、アリアはありったけの力を込めてつるはしを振るい続けた。昼食を食べることなく、空腹も気にせずに。

 地上にいる兵士の「本日の作業は終了とする!」という大声を聞いて、ようやく一心不乱に振るい続けていた腕が止まる。彼女の腕は腫れによる痛みが酷くなったが、それ以上に怪我をしていない胸の方が痛みを訴えた。



 ――エイルが牢屋へ入れられてから二日。

 とある少女にアリアは出会った。その少女は初対面なのに、痛みでつるはしを落としたことを心配して駆け寄って来てくれた。その少女は会ってまだ半日も経っていないのに、ただでさえ少量の昼食を半分にしてアリアに分け与えてくれた。

 まさに神の遣わした救世主のような少女。アリアは久し振りに弟以外からの好意に触れた。弟のエイルが解放されたら必ず恩着に報いようと誓う。


 ――それから一週間。

 激しい痛みを訴える腕を無理に動かしてつるはしを振るい、多くの石と土砂が混じった重い袋を指定の場所へと運ぶ。

 何度もつるはしを落とした。何度も袋を落とした。何度も無様に転んだ。

 本当に独りならもう音を上げているだろう。しかしエイルとの思い出と優しい少女の厚意のおかげでなんとか日々を乗り越えられている。


「はぁっ……ぜぁっ……」


 アリアは今日も重い袋をゴミ処理場へと運んでいた。

 同じ厚手の袋が山のように積まれている場所を息も絶え絶えな状態で目指し、抱きつくようにして持ち上げている袋を落とさないように歩く。もしも落としたり引き摺ったりすれば、運が悪いと袋が破けて中身が出てしまうため気をつけなければならない。


「……エイルうっ」


 過度の疲労から時折白目を剥きそうになり、その都度走馬灯のように過去の記憶が蘇る。もう体も限界だと本人も自覚しているが、休もうと思う度に兵士長の『働け!』という大声が強引に体を動かす。

 ただ人間の体は、いつまでも気合や根性で動かせるわけではない。極限の疲労は本人の意思を無下にして体の動きを止める。

 結果――アリアは袋を地面に落とし、前のめりに倒れた。


『いいから。姉さんはもっと体を大事にしなよ』


(……ああ、ごめんねエイル。……お姉ちゃんは、あなたの言ったことも、あなたのことも、なんにも守れなかったよ。……私が、お姉ちゃん、なのにね……)


 倒れた体はアリアの意思でも指一本動かない。脳が動かすことを拒絶している。


「兵士長、こちらです」


 ゴミ処理場近くで横たわっているアリアの元に二人、こげ茶の服の上に軽鎧を着て鋼の剣を腰に下げている兵士がやって来た。一人は三角の兜を被っている一般の兵士だが、もう一人は両脇に角が生えている三角の兜を被る兵士長だ。


「ふん、どうやら少しは自分の立場を理解して、労働に勤しんだようだな。その結果で死にゆくのならこの女も本望だろう」


「どうされますか。この女、無茶な働き方をしていたようでして、もうしばらくは働けないかもしれません。作業の量は最近トップクラスでしたので何かおかしいと思っていたのですが」


 冷めた瞳で見下ろす冷淡な兵士長に、部下の兵士は判断を仰ぐ。


「なに簡単なことだろう、自分の体すら管理できん役立たずなどいつかは壊れゆく運命だ。それならもうゴミクズと同じこと。この場所でゴミはどうするかね?」


 兵士長はアリアの後頭部を掴んで雑に持ち上げる。


「答えは簡単、ゴミはゴミ処理場へ捨てればいい」


 そして道端のゴミをゴミ箱に向かって投げるかのように、兵士長はアリアを山なりにぶん投げた。

 華奢な女性の体は高く宙へ飛び、石の入った袋の山へと落下していく。


「……うん?」


 落下と同時に女性の柔らかい体がひしゃげる音がすると思っていた兵士長。しかしいつまで経ってもそんな音はしない……というかアリアの体が視界から消えていた。

 何度か瞬きしてみるも兵士長の視界にアリアは映らない。


「――キリサメ、この人を頼む」


 ふと声が聞こえたので兵士長は後ろへと振り向く。

 癖のある黒髪の少女が、これから死ぬ運命だったアリアをそっと地面に下ろしている。少女の傍にいる褐色肌の少年は狼狽えて「まさか」だの「待て」だのと言っているが、少女は最初の言葉以外何も告げない。

 見えなかったが何をしたのかは明白。少女がアリアを助けたという事実がそこにある。


「貴様、何をしたのか分かっているのか。仕事をサボってまで、この俺の行動の邪魔をするということは奴隷あるまじき行為。どうやら罰を与える必要があるようだな」


「何言ってんだ。私は仕事をサボってなんかねえぞ」


 少女が答えた瞬間、兵士長の腹部に衝撃が奔る。

 思わず「ぐぼばっ!?」と意味不明は悲鳴を血とともに吐いた兵士長は見た。まるで瞬間移動のような速さで接近した少女の拳がめり込んだのだ。そしてそのまま抉るように拳が上がり、少女のアッパーによって兵士長は宙を舞う。


「お前が言ったんだ。――ゴミは、ゴミ処理場へ捨てればいいってな」


 衝撃で内臓がほぼ全て破裂したせいで口や鼻、白目を剥いた両目からも血液が溢れるように飛び出して、兵士長の体はゴミ処理場に落下してひしゃげた。


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