312 奴隷――無視はよくない――
ホウケン村を前にして、エミリーという少女に誤解された挙句追いかけ回され、やっとのことで撒いたと思えば見知らぬ建物が見えてきた。
神奈の視界にでかでかと存在を主張しているローマのコロッセオのような建築物。つい先程上空から見渡したときにチラッと見た記憶があると神奈は思い出す。
入口と見られる門には門番らしき兵士が二人。森から出て少しでも近付けば怪しまれそうな状況で、一人の少女が取るべき行動はいったい何か。
「すみませーん、ちょっといいですか」
二人の兵士が突然の訪問に「ああ?」と声を揃えて口にする。
こんな怪しげな場所の門番、しかも二人相手に誰が気さくに声をかけるというのか――神奈だ。一応目的は存在している。エミリーの誤解の元となった発言「カミヤ」について訊ねるためである。
「誰だ小娘、ここがどこだか分かってんのか? 奴隷の鉱石採掘場だぞ?」
「あのですね、訊きたいことがありまして」
「てか妙だぜ、この辺りはホウケン村しかねえはずだろ。帝王軍以外の人間っつったらホウケン村の住民に決まってる。わざわざ今こんな場所に旅人が来るはずもねえしな」
「あのー、聞いてます?」
「確かに……てことはわざわざお仲間を助けようとしてやって来たってわけか。しかも一人で。無謀な女だなおい、自分がいかに愚かなことしてるのか分かってねえんだ」
「おい聞けよ」
「帝王様に逆らったら骨も残らねえっていうのになあ。おいガキ、死にたくなかったらさっさと降伏しな。そうすりゃ生かしておいてやるよ、奴隷としてだけどなあっはっはっは!」
「聞けっつってんだろうがあああ!」
兵士の一人を神奈は我慢出来ずに殴り飛ばした。あまりの衝撃に兵士は門に衝突して跳ね返り、高所から地面に体が叩きつけられた。攻撃というよりつっこみのようなものとはいえ、威力は兵士が気絶するくらいに高い。
気が短いゆえの暴力。腕輪は「ちょっ神奈さん!?」と兵士と同じように驚愕している。
「て、テメエ! こんなことしてタダで済むと……思って……ん……」
敵襲と判断した兵士が腰にあった剣を抜こうとした瞬間――強烈な寒気が兵士を襲う。ここで戦おうとすれば確実にやられるという実力の差を、神奈のバカでかい魔力を叩きつけられて感じ取ってしまったのだ。
自身の魔力を相手に向かって放出する基礎技術――魔力圧。圧倒的に弱い兵士では指先を動かすことさえ出来ない。
「なあ、カミヤって知ってるよな? 詳しく教えてくれない?」
恐怖に引きつる口をなんとか動かして兵士は答える。
「ひっ、て、帝王様のことを……知って、どうする」
「やっぱり帝王ってのがカミヤか、とんだ迷惑野郎だな。まったく、あの人はどうしてそんなやつと結婚してるんだ」
途端に考え込む神奈を見て、兵士は激しくなった動悸を落ち着かせるために深呼吸する。段々落ち着いてくるとごくりと息を呑み、悟られないよう静かに剣を鞘から抜き始める。小刻みに震える手が剣を半分程まで抜いたとき――またも凍えるような寒気が襲ってきた。
兵士の二度目の寒気の原因は神奈ではない。動きが止まってしまった兵士が恐る恐るゆっくりと視線を森の方へ向ける。そして筋骨隆々な大柄の男が歩いて来るのを見て目が限界まで見開かれる。
「――侮辱は許さんぞ、小娘」
「は? 何がっ――!?」
神奈がその大柄の男の方へ振り向いたときには、もうすでに丸太のような太い腕が振りかぶられていた。
大きな岩のような拳が迫ってくるので、神奈は右の前腕を顔面前に滑り込ませて防御――したはいいものの強すぎる力によって防御の上から強引に殴り抜かれる。
斜め下に向かうよう殴られたので頭から地面に衝突し、激しい振動と共に、地割れのような亀裂が左に向かって進む。森の木が数十本は根から折れて亀裂へと落ちていく。たった一撃で天変地異のような現象を起こした張本人は「ふんっ」と荒い鼻息を漏らした。
「し、四神将……ワイルド様」
絶大な力を見せつけられて全身を震わせる兵士は男の名を口にした。
筋骨隆々。上半身は衣服を身につけておらず、たくましい筋肉を露わにしている。腰には金色のベルトを巻き、下半身は革のズボン、脛には鋼で作られたレギンス。厳つい顔つきの大柄な男――ワイルドは兵士を無視して倒れている神奈を眺める。頭から少量ずつ血を流している神奈は意識を失っているが、それだけだ。肉体を木端微塵にするつもりの拳を放ったつもりのワイルドからすれば、血を流す程度で済む神奈の強さを認めざるをえない。
「面白い拾い物をしたな。……おい、そこの雑魚虫」
「ひゃ、ひゃい! 雑魚虫って俺ですか、ですよね」
兵士の声が緊張のしすぎで裏返ってしまっている。それを気にした様子もなくワイルドは神奈に指を向ける。
「この女を新たな奴隷にしておけ。反抗的な態度をとるようなら殺すつもりで仕置きしろ、いいな」
上擦った声で「了解」と叫んだ兵士は、倒れて動かない神奈を担いで建物内へと運び込む。後ろ姿を見送ったワイルドも続き、獰猛な笑みを浮かべて入っていった。
* * *
硬い石材で作られた部屋。床が石なため当然硬く、寝心地が悪い。
癖のある黒髪の少女も「う~ん」と呻き声を出して体勢をちょくちょく変えている。一応怪我に配慮したためか藁が敷かれてはいるが、多少マシとしかいえないレベルだ。
寝ていた少女――神谷神奈が閉じていた瞼をゆっくりと開ける。照明となる白い光球があっても仄暗い部屋で起き上がった彼女は、頭を押さえて「いっつつつ」と呟いて周囲を見渡す。
床は冷たく硬い石材。敷かれた絨毯のような薄い藁。鼻をつまみたくなる悪臭。生気を失っている、または失いかけている者達。見れば見るほど酷い環境の部屋だった。
「何が、起きたんだ……?」
「ここは奴隷の鉱石採掘場らしいですよ神奈さん」
聞き慣れた声の方を見れば右腕に白黒の腕輪がついている。
「神奈さんは気絶させられたんですよ。あの男、確かワイルドとか呼ばれていましたね。そして、そいつの命令で奴隷になってしまったんです」
「……ああ、そうだった。いきなり殴られたんだった。にしても奴隷か……厄介なことになっちゃったな」
「いきなり殴ったのは神奈さんも同じですけどね」
――神谷神奈。奴隷生活スタート。
なんとも笑えない状況だと神奈は心の中で呟く。
「おっ、目覚めたのか少女よ」
少々掠れているが、聞き覚えのある声に神奈は目を見開き背後へ振り向く。
パンサーでもワイルドでもない。その男の声は現代での天才発明家――霧雨和樹のもとの同じであった。しかし見てみれば外見は違う。あのエミリーのようにその男もまた酷似しているだけに留まっている。顔は同じでも褐色肌で、霧雨のトレードマークだった白衣も着ていない。男が着ているのはいかにも奴隷らしいボロボロな布の服一枚。
「霧雨……?」
「うん? いかにも俺の名はキリサメだ。どこから来たか知らないがホウケン村の外にまで名が売れていると思うと嬉しいな。いや、俺を見てそうだと判断したということはどこかで会ったことがあったか?」
「……いや、悪い。人違いだ」
エミリーという前例があったため驚きは少なかった。こうして現代の友人と瓜二つの人間がいることが気になりはするが、今は現状把握が最重要なので考えるのを止める。
神奈は立ち上がろうとして――今、自分の衣服が新品かそうでないかの差はあれどキリサメと同様のものであると気付いた。質素な布一枚、男女平等なのか全員それだけだ。確認してから立ち上がった神奈に、キリサメは気になっているであろうことを推測して話し始める。
「その服は奴隷用のものだ。かなり丈夫だが仕事が仕事だからな、二か月も経たずにこのザマだが」
ところどころ破けている服をキリサメは一度回って見せる。そのときに神奈は気付いたが、キリサメの肉体には小さな切り傷が多く存在していた。奴隷の仕事の影響なのは間違いなく、過酷さが嫌でも伝わる。
「私の服……てか、もしかしなくても一度脱がされてんだよな……」
「安心しろ、強姦されたということはない。他の女奴隷の話によれば着替えは同性によってされたそうだからな。まあお前の衣服含めた持ち物はその腕輪以外没収されているが」
「そういや腕輪はどうして盗られなかったんだ?」
「神奈さんにくっついて抵抗したので無事でした。私を無理に引き離すなら神奈さんの右腕ごと切り離さなくてはいけませんからね」
喋る腕輪の声を聞いても、キリサメは僅かに右の目尻と眉を上げるだけであまり驚いていない。慣れているのか「ほぅ」と感心したような態度をとっている。
「知能搭載魔道具か。しかもかなり高性能だ」
「インテ、テレ……ああうん、そんな感じ」
「見栄を張って知ってる風な神奈さん、これ以前得た知識ですよ。私のように魔力を持つ道具は魔道具といい、かつ意思のある魔道具は知能搭載魔道具と呼ばれるんです。忘れないでくださいよ」
「分かったよインテレオン」
「何も分かってないじゃないですか……。それにしてもキリサメさん、私に驚かないんですね」
霧雨なら解剖したいと告げたこともあったし、魔法専門の学校で共に学んだ同級生からはすごく貴重な代物だと言われている。神奈自身も万能腕輪のような道具をあまり見たことがないので、現代ではかなりの価値あるものだと理解している。
この時代が本当に過去だというのならキリサメの反応は淡泊すぎる。そう腕輪と神奈は感じた。
「まあ知能搭載魔道具なんてそこまで珍しいものじゃないしな。ああ君のように高性能なものは少ないが、材料さえあれば作れないレベルではないし」
「なるほど。神奈さん、思えばパンダレイさんも知能搭載魔道具のようなものです。彼女がこの時代に作られている以上、私も非常に珍しいというわけではないのでしょう」
「ますますここがどういう場所なのか分からなくなってきたな。なんで私がいた時代より文明が発達しているんだか……」
過去なら現代より技術が下回っていなければならない。そうでなければ人類の知恵が、技術が、全て退化しているのと変わらないのだから。
「分からないのか? ここは鉱石採掘場だ」
「それは知ってるよ」
勘違いされたが、神奈は詳細を語るつもりはない。未来人であることなど教えられるはずがないだろう。仮に教えたとしても、余程の信頼関係がなければ一笑に付されて終わりである。
「……それで、私はこれから奴隷として働かなきゃいけないと?」
この場において本題はまさにそれだろう。未来や過去云々の前に、現在の奴隷となっている状況をどうにかしなければならない。
様子見としてしばらく働くか、それともすぐに脱出するか。
行く当てのない神奈としてはしばらく留まってワイルドに借りを返したいと思ったが、悪質な環境の中で働き続けるとなれば脱出したい気持ちも強くなる。
「まあそうなるな、お前が何をしたのか知らないが……そういえば名前を聞いていなかった。お前の名前は?」
名前を訊ねられていつも通り答えようとしたが、寸前で声に出すのを止めた。
帝王がカミヤという名だと判明した以上、神奈が姓を名乗るのはエミリーのときのように誤解を招く可能性がある。名乗るならば名前のみの方がこの先で無駄な争いを生まなくて済むだろう。
「神奈」
「そうか、覚えておこう。まあ話を少し戻すが、お前が何をしたのか知らないが捕まった以上は奴隷として働くしかない」
「名前教えたのに呼ばないのかよ」
何をしたのかといえばワイルドの言葉通り。帝王の侮辱……悪口。
迷惑野郎と言ったことが怒りに触れてしまったからこそ神奈は殴られた。もっとも神奈自身に帝王を悪く言うつもりなどなかったのだが、そうとられてしまったのなら仕方のないことだ。
「奴隷としての仕事は単純。この第三休憩室のある休憩施設から外に出て、つるはしで鉱石を採掘して指定の場所に運ぶだけだ。労働は午前八時から午後六時まで。途中の休憩は昼に三十分。簡単に説明すればこんなところか」
「なんていうか、あんまり奴隷っぽくないな。朝から夜まで働き続けるイメージだったんだけど、ちゃんと休憩とか挿むんだ」
「休憩なしの労働だと奴隷も体が持たないし死ぬのが早い。それに仕事の速度も日に日に落ちていく。遥か昔ではお前の言うような労働環境だったらしいが妥当な改善だよ。……でも甘く見るな、結局重労働なのは変わらない。飯は不味い。兵士の態度は悪いし、横暴な仕打ちも受ける。現状に絶望して自殺するやつもいる。俺もなんとかやっているがいつまで持つやら……」
虚空を見据えるキリサメの目が現実を語っている。決してこの場所はいい環境ではないのだと。
聞いた限りでは神奈も働けそうな内容であった。ここを出たとしてもホウケン村には戻れないし、帝王城にも次行けば襲われるだろう。野宿はする自信はない。雨風を凌げるだけ鉱石採掘場がマシなのは間違いないだろう。時期を見計らって脱出するのが一番だと考え、神奈は一先ず奴隷生活を始めることにした。




