304 恋物語――打ち上げ花火――
人魚姫と神奈達との戦いから一時間。
空も暗くなってきた頃、浜辺の奥にあるひと気のない場所で黒い猫耳と尻尾を生やした少女――深山和猫は静かになっている海を眺めていた。
「ふーん、大塚君と海梨さんは死んじゃったかあ。あの教室、ただでさえ人が少ないのに人数減ったら寂しくなっちゃうね」
「級友が亡くなったというのに悲しそうではないな、怪物」
そんな和猫に歩み寄って話しかけたのは眼鏡をかけた若い男性。海パンにパーカーという服装である彼の正体を和猫は知っている。
「――情報の管理者。別に今さら誰かが死んだ程度で悲しむような心の構造してないんだよ。……あ、そんなことよりさっきはありがとうね。あの玉手箱とかいう道具から放出された煙の効果を消してくれて。危うくこの世界が超大規模の老人ホームになるところだったよ……にゃん」
管理者という、数えきれない程に存在する世界のシステムを管理する存在。七人いるその中でも彼は世界の情報を管理している。
一つの世界が電子ゲームだとすれば、情報の管理者はそれの設定を好き勝手に弄れる製作者のようなものだ。玉手箱からの白煙の情報を消失させた今、この世界の生物は突発的な老化現象から解放されて記憶も薄れている。神奈達に限っては玉手箱の記憶が消えてしまうと誠二の死に矛盾が生じてしまうため、記憶にまでは干渉していない。
「ふん、俺は世界の秩序を守る役目を全うしたにすぎない。あれは元々この世界に存在しなかったもの……あの怪物が生み出した未知の道具なのだから。この世界に害しか与えないなら消すのが当然だ」
「仕事熱心なのはいいけどお、それならどうしてその怪物をもっと早くに止めようとしなかったわけ? あれのせいで私も迷惑しているんだからね?」
「……やつは転生者だ。神のシステムで存在を確立している相手を俺達管理者が消すなど、おこがましいにも程がある。まああの怪物はやりすぎだから俺達が動かざるをえなくなったわけだが」
「重い腰を上げるのが遅すぎなんだよ。おっ、噂をすれば管理者がお揃いかな……にゃん」
和猫達の元へと歩いて来る人影が四つ。全員が強大な力を内包しており容易く神谷神奈を上回っている。
ふわふわしている触り心地のよさそうな金髪。女神のような優しい表情を浮かべている女性――祝福の管理者。
無邪気で人懐っこそうな少年――加護の管理者。
両目を閉じたままで歩く落ち着きのある少女――運命の管理者。
神奈達が出会っている筋肉モリモリマッチョマン――法則の管理者。
以上四名。人形のように整った顔立ちの彼ら彼女らは各々が気に入った水着を着こなしている。
「お待たせしましたあ。いやあ、たまには管理世界以外にお邪魔するのもいい刺激になりますねえ。この世界に来たのは二度目ですが面白いものが多いですよ」
祝福の管理者――全生物に存在する運勢の位を定めている存在。自身の運勢を操作することも可能。仮に運勢を向上させた場合、銃弾の雨の中を回避行動を一切せず優雅に歩くことすら出来る。
「楽しいよね! 泳いだり、美味しい食べ物食べたりしてさ!」
加護の管理者――転生者に与える加護を管理している存在。わたあめが大好き。
「……魂も来ればよかったのに」
運命の管理者――全生物の運命を決定している存在。運命といっても様々で、敢えて例を出すのならば生命の死期などを決められる。
「はっはっは! あいつはゲームばかりしている引き篭もりだからな! もっと体を動かせばいいのになあ!」
法則の管理者――世界の法則を定めている存在。物理法則、魔法法則など様々な設定を一人で適当に決めている。尚、法則というものは幅広く捉えられており、全種族の戦闘力や頭脳などのあらゆる限界も法則の一つである。
「あれ、魂の管理者と転生の管理者は不在ですか……まあいいけど。それで、管理世界からご足労おかけしたけど……私に見せたいものがあるって話……なーにかな、にゃん」
この場にいないのは二人。
魂の管理者――転生の間にて生を終えた魂を輪廻の輪に案内する存在。未練ある魂を転生者として異世界に転生させる役目も持つ。
転生の管理者――転生者の補助をする存在。
いない者はさておき、和猫は管理者達から連絡を受けてこの場に来ていた。見せたいものがあるからと言われたものの、管理者達が普段いる管理世界という場所は空気すらない異質な場所。そんな場所に行く気になれなかった和猫は海を指定して出向いてもらったのだ。
「ええ、一応紹介しておこうと思いましてねえ。彼を滅する私達の……切り札」
「彼……神代由治を、滅するにゃん? 何か動いているのは分かっていたけどアレは簡単には倒せないでしょ。まさかアレに勝てる者がいるとでも?」
和猫は祝福の管理者に問いかけるが、返ってきたのは含み笑いのみ。
祝福の管理者は両手を広げると「来てください」と一言。その後、怪訝そうに見ていた和猫の視線が祝福の管理者の後ろへと移る。なぜならそこに黒い時空の穴がゼロから出来上がり、何者かがゆっくりと歩いて出て来たからだ。
白を基調としたローブという聖職者のような服装。首には金のネックレス。優しそうな笑みを顔に貼りつけているその青年は――纏う雰囲気が異質だ。人間であっても、種族を超越したかのような、神性を秘めているかのようなオーラがある。
そんな青年は頭を深く下げて口を開く。
「お招き頂き恐悦至極です、神々よ。このゴッデス、只今参上いたしました」
和猫は「え、神?」と呟いて情報の管理者を見やると顔を逸らされた。
管理者は神ではない。正確にいえばそれに一番近い存在なのだが、神でない以上騙しているのと同義である。
祝福の管理者はそんなジト目の和猫に構わず話を進める。
「よく来てくれましたねゴッデス。……ミヤマ、この者が私達の切り札となる人間です。あなたから見ても分かるでしょう、彼の凄まじい力が」
「……まあ確かに、私が今まで見た中で十番以内に入るにゃん。でも単純な強さなんてアレの前では無力だよ。それにその純粋な戦闘力でも私には勝てないし」
「心外ですね。神、こちらの少女はいったい何者なのですか?」
勝てないと評されたゴッデスは和猫のことを見やる。その表情から笑みが崩れることはない。
「彼女はミヤマ……この世界では深山和猫でしたか。まあ端的に言えば彼女もまたあなたの倒すべき敵の一人です。しかし絶大な強さを誇ります、戦闘力を数値化して測る魔法を使用してみなさい」
「なるほど、理解しました。……知欲の加護」
(加護? ああなるほどね、この優男の強さの秘密分かっちゃったにゃん)
知欲の加護――自分がまだ知らない知識を世界から得ることができる能力。
話に出た魔法というのは〈ルカハ〉という無属性魔法。ゴッデスは早速それを和猫に使用した。
「ルカハ……これは!?」
ゴッデスは〈ルカハ〉の基準値も知欲の加護により答えを得ている。
身体能力も魔力も数値が1なら一般人レベル。戦闘力にボーナスのかかる神の系譜を持つ転生者なら軽く50000はいく。
(数字が……視界に収まりきらない!?)
強いのはゴッデスも承知していた。だが和猫の戦闘力は予想を遥かに上回る異常なものだった。なぜならゴッデスの視界が数字で埋め尽くされてしまったのだから。
戦闘力を測る魔法なのに測れない。和猫の数値は単位で表せる数ではない。
「うん? 見えた? まあ無駄でしょ、私の戦闘力を数値化しても数えられないよ。どんな世界の数の単位を用いても私を推し量ることなんて出来やしないんだから」
数の単位で一番上というのなら有名なのは無量大数だろう。この単位は無限というわけではなく十の六十八乗である。しかしそれよりも上の単位は存在している。仏教用語から来ている単位、日本で最上位に君臨しているのは不可説不可説転――十の三十七澗乗。まず潤という単位でさえ十の三十六乗なので数えるのもバカらしい数値だ。
不可説不可説転より上の単位も世界に一応存在している。尚、それ以上の単位となれば、一秒に二文字の数字を書いたとしても一生で書き終えることのできないレベルだ。数字を書いて一生を終えるなどバカらしくてやっていられない。
和猫の戦闘力数値はまさにそれと同じ。測ろうとしてもそれだけで人間の一生が終わる。地球を飛び出して宇宙の果てにまで伸びている数字の羅列を読もうという方が無茶であるのだ。
「私はね、存在する全世界に一人以上自分の分身を送り込んでいる。誰かの魂に私の意思を上書きして乗っ取ることで、強制的に私の魂とリンクさせるんだ。今もリンクしているのは戦闘力と記憶くらいかな。つまり無限に生み出され続ける世界の数だけ私は強くなる。全ての世界に存在する技術を扱えるうえに、強くなり続ける肉体。倒しても倒してもウイルス感染するかのように増え続ける魂。こんな私でも苦戦を免れない神代由治に……勝てるのかな?」
「断言はできませんが――勝てる可能性は十分ありますよ。無論、あなたにも」
予想外の答えに和猫は目を丸くする。
「勝てると思えるんだ? 私にさえも」
「ええ、油断さえしてくれていれば十分に」
「……面白いね。それなら見ててあげるよ、神代由治との決戦を。精々大口を叩いたことを後悔しないように頑張ってね、にゃん」
そう言い残して和猫は軽い足取りで浜辺から去っていく。
悟られないよう、ニタアッと見た者が底冷えするような笑みを浮かべて。
* * *
空も暗くなって夜に相応しい景色。
かれこれ一時間、神奈達は游奈が消滅した付近から動いていない。
老化したままの誠二の遺体はもう海にはない。両親も恋人も失っているうえ、アルバイト生活で友人もろくにいないらしい誠二を捜す人間は誰もいない。居場所もない。ならせめて消えた恋人の傍に眠らせようと、誠二の遺体は洋一とパンダレイが近くの砂の中へと埋めておいた。
無表情のパンダレイ、辛そうな表情をして立っている神奈、車椅子に座って同じく辛そうな洋一は海を眺めている。恵は両膝を抱えて砂の上に座り泣きじゃくっていたが、今は泣き声もなく俯いている。もういい加減に静かな空間が心に痛みを訴えてきたので、神奈は現れた星々を見上げて口を開く。
「……星……綺麗だな」
「そうだね……」
星と聞いて洋一達は思い出す。誠二と游奈が出会ったきっかけも星だった。
花火を星と勘違いした游奈が地上へと顔を出し、見つからないそれを二人で探していた。後にちゃんと星ではないと気付いたわけだが、打ち上げ花火は結局二人で見れていない。
「打ち上げ花火でも買ってこようか」
両膝を抱えている恵が顔を上げて「……どうして?」と問う。その顔には目元から顎まで涙の跡がくっきりと残っていた。
「あの二人は約束していたんだ。今年、この夏、打ち上げ花火を二人で見るって。……せめて……うん、理由がないや。……なんとなく、だった。……なんとなくそうしようと、何かしようと思っただけだった」
「……それでも、やろうか。何もしないままここにいても……しょうがないしさ」
「ではワタチが買ってきましょう」
パンダレイが浜辺から離れようと歩いていき、十歩程歩いてから戻って来た。
「お金を持っていませんでした」
「なんなのお前……」
最初から金銭を持っていないことを忘れるなと神奈は言いたい。
パンダレイがのこのこと戻って来た時。サングラスにアロハシャツ、そしてアフロという独特な姿の中年男性が海の家から出て来た。
「まったく誠二クンはどこに行ったんだか。今日は夜に手伝ってくれるって言ってたのにさあ、海梨チャンもいないし。ただでさえこれから忙しくなるんだよ……」
海の家の店主である中年男性は視線を夜空へと向ける。
ドンと太鼓を叩いたかのような大きな音がして、黒い夜空に光球が昇っていく。やがてかなり高い位置にまで辿り着いたとき光球は大爆発を起こす。そして――花の形が火花で作られた。
「約束通り今年は花火上げるんだからさ」
空に向かって放たれた特大の打ち上げ花火に誰もが視線を集める。
星々の輝きすら超える美麗な花。夜空に咲くそれは人間どころか人魚の心すら惹いてしまう程に美しい。
大塚誠二と海梨游奈。二人の恋物語は打ち上げられた花火のように美しく、儚いものであった。
あと二章で本編完結。
本編完結までまだかかりますがこれからもよろしくお願いします。
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腕輪「正直に言って……あの深山さんの数値は引きました」




